飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「なんか市議会でトビショックが問題になってるってホンマか?」
定例になりつつあるアークパーソン対策会議というていの宅飲みをしながら、乙三は元木に訊いた。
「トビショックのせいというか、警察の姿勢の問題というか……」
「佐津川さんなんか頑張ってはるのになぁ」
「そう言えば、ここに来る前にちょっと話す機会があったんですけど、少し元気なかった気が……」
「役所は色々とややこしいんやろな。アークマン……やなかった、アークパーソンは大人しくしとるんか?」
「ファンアートコンテストが大詰めで、キチゲ解放はお留守になってるっぽいっす」
「そんなにイラスト集まっとんのか」
「かなり投稿されてますよ。フォロワーも2000人超えそうですし」
「……世の中どないなっとんねん(´・ω・`)」
「みんなアークパーソンやジッジィをガチの悪なんて考えてないっすから。アークパーソンは投稿されたイラストに全コメつけてるんすけど、それもなんかほっこり系だし」
元木はアークパーソンのSNSを見せた。
『ボクとジッジィの熱い抱擁がステキだネ ボクのハートもヒートアップ!だョ★』
「なんやこれ。口調がまるっきり変わっとるやないか!」
「アイドル路線でフォロワー受けを狙いに行ってるっぽいす……」
「改名といい、軽すぎひんか!? 悪は悪なりに、こう、なんかしら一本スジが通っとるもんと違うんか」
『ソファでまどろむボク( ˘ω˘) 悪の首魁の一瞬のやすらぎ��ね。ボクの魅力�とってもよく出て�るョ!★彡』
「この文字化け……多分いつもの口調で書いたのを、AIに直させてコピペしてるんでしょう……」
「……こいつ、ほんまに悪なんかいな……」
「本人が悪の概念って言い張ってますし……特に否定する材料もないんで……」
窓の外からウワッ!と誰かが驚く声がした。しばらくして、キャァ!という短い悲鳴。
「なんやさっきからちょくちょく叫び声が聞こえへんか?」
「聞こえますね」
乙三と元木は顔を見合わせた。
「「まさか、キチゲマン!?」」
アパートの前に飛び出したふたりだったが、それらしい人影はない。いつも通りに街灯が点々と輝いている、ありふれた路地だ。
駅のほうから帰宅途中の女性がアパートのほうに歩いてくる。
不意に女性のそばで何かが動いた気配があって、女性は「イヤぁッ!」と駆け出した。
「どうしたんすか」
元木が声を掛けると、女性は民家のブロック塀を指差して「誰かいるっ!」と泣きそうな顔で訴えた。
元木は女性をかばうようにして下がり、乙三はU首シャツとステテコ姿でそこへ走った。
「いっ!?」と乙三が絶句したのも無理はない。そこにはパンツ一丁の裸身をブロックと同色のグレーにボディペイントした男が立っていたからだ。しかも塗っているのは身体の前半分だけだった。
「びんぼ◯ちゃまかよ! おまえ、痴漢か!?」
乙三は男の腕を捕らえて一喝した。
男は異臭を撒き散らしながら、なにかのスイッチが入ったかのように、さめざめと泣き始める。
「俺……このまま、消えてしまいたい……」
「……あんた、泣いとんか? いや、消えたいからって塀にステルスされてもな……」
女性を送り出した元木が加勢に戻る。
「キチゲマンですか?」
「ただの酔っ払いや……。めっちゃ酒臭いわ」
乙三はグレーの顔を街灯に晒して青ざめた。
「佐津川さん!?」
元木も驚きを隠せない。普段の佐津川を知る者なら、この醜態は決して思いつかないだろう。
パトカーのサイレンが近づいてくる。誰かが通報したようだ。
「元木、おれの部屋に連れてくで」
乙三はぐでんぐでんの佐津川をアパートに運ぼうとしたが、あと一歩のところで二人組の警官の姿が路地の向こうに見えた。
「風呂で絵の具を落としたって」
乙三は元木と佐津川を行かせると、千鳥足を演じて警官たちに向かっていった。
警官の片割れが懐中電灯で乙三を照らす。
「あんたか? 通行人を驚かしてるってのは!」
「ふぇー? なんの話ィ?」
乙三はわざと警官にもたれかかるようにして、宅飲みのアルコールが残る息を吐きかけた。
うっ、と警官が顔をしかめる。
「こんな時間に酔っ払って、下着姿で……! あんたどこの人!?」
「うー……。おしっこ……」
乙三は電柱の前に立ち、ステテコから局部を出すフリをした。
「ダメだって、こんなところで! 軽犯罪法違反でしょっぴくよ! その格好、この近所に住んでんの?」
「そこのアパートの2階……」
言ってしまってから、乙三は自身の迂闊さを後悔した。その危惧通りに、警官のひとりが「じゃあ、送ってくから」と言い出す。
「帰れるゥ! 帰れますよォ! ぼかァ、もうオトナだからねェ」
「2階なんでしょ? 階段から落ちたら危ないよ。送るから!」
「サンキューサンキューベリマッチョ! わはははは!」
乙三はわざと足をもつれさせて時間を稼いだ。
怪しい呂律で「おーい、
部屋の扉を開けたとき、そこに元木と佐津川の姿はなく、風呂場からシャワーの音が響いていた。
「あ゙ー、カミさんが風呂に入ってらァ。お巡りさん、覗いてくー? ウチのはねェ、パイオツカイデーだよォ!」
「いいから! いいって! もうこんなに酔って、奥さん困らせちゃダメだからね!」
「あいあーい。お仕事お疲れさまですゥ!」
乙三がヨレヨレの敬礼をすると、警官たちは呆れて帰っていった。
玄関扉を閉じると、乙三は風呂場に入って佐津川を洗うのを手伝う。
佐津川は湯船にぐったりと横たわっていた。元木はシャワーのしぶきと湿気で作業着をぐっしょりと濡らしながら、ボディペイントを落としている。
「誰が智夏でパイオツカイデーですか。まったく……」
「すまんすまん」
乙三はシャワーヘッドを受け取り、佐津川の絵の具を流した。
「一体、何があったんでしょう」
風呂を出て布団に寝かせた佐津川をしげしげと見つめ、元木が呟く。佐津川と元木は乙三の服に着替えているが、どちらもブカブカだった。
「さてな……。おれより警官志望やった元木のほうが、佐津川さんの気持ちが分かるんとちゃうか?」
「俺は、まだまだガキっすから……。トビショックみたいな真似は、できませんよ」
「特別なことは、なんもしてへんねんけどなぁ……」
佐津川は呑気にいびきをかいている。
「こんだけ酔うてたら、酒が抜けるのは朝までかかるやろな。あとのことはおれがやるから、元木は帰って休んでくれ。お疲れさん」
「……おれも泊まっていいすか? 酔いなんか飛んじゃいましたけど、ウチまでチャリ押して帰らなきゃだし。酔い潰れたおっさんを運んで洗うって、生コン掻くより重労働だった」
乙三は「おう」と頷き、ねぎらいのビールを差し出す。
翌朝に課題を残して、3人の奇妙な夜は静かに幕を閉じた。
翌早朝、元木と佐津川は香ばしい匂いで目を覚ました。
佐津川は二日酔いに顔を歪める。
狭い台所に乙三が立ち、なにかを炒めていた。
「起きたか? もうちょいでできあがるから、顔洗うとき」
やがて乙三はちゃぶ台に料理を並べた。
「この時間はコンビニでしか食材買えへんから、たいしたもんあらへんで」
乙三は、不格好なだし巻きと山盛りソーセージ、ほうれん草のバターソテーを大皿で供し、自身と元木の前に白飯の茶碗を置いた。佐津川には、卵とじの雑炊とカップのしじみ汁、半透明の赤い飲み物。
「佐津川さんは二日酔いできついやろけど、食えるなら大皿のおかずも取ってや」
「この赤いのは……?」と佐津川。
「トマトジュースをスポドリで割ったんや。舌には合わんかもやけど、身体は楽になるで。おれはアルコール強うないから、かっこつけて現場の連中と飲んだ次の朝はいつもこれや」
「……あの……ゆうべは、その……とんだ醜態を……」
佐津川は顔を赤くして俯く。
「おふたりには、自分がしたことは忘れていただけると……」
「無理や」
「無理っす」
「え!? 即答!?」
乙三はいたずらっぽく笑った。
「腹がすいとると、人間ネガティブになるからな。まずは食べよう。ゆうべの話はそれからや」
朝食に箸をつけた元木が唸る。
「まさか朝からオツさんの手料理を食べることになるなんて……なんか人生に負けた気がする……。しかも普通に美味い……。米の炊き加減、最高っす」
「褒めるとこ、そこかい。炊飯器の仕事やろがい 」
佐津川は重い頭をさすりながら、フフッ、と鼻を鳴らした。
「……さて、と。聴取の時間やで。なにがあったんや、佐津川さん」
腹を膨らませた乙三は、だらしなく姿勢を崩して尋ねた。
「自分は……人を不幸から守りたくて、警察官を拝命しました。巡査部長でいるのも、現場で働いていたいからです。ですが、警察活動というのは常に後手後手……。不幸の元凶を捕らえることはできても、未然に防ぐことは難しい。そんなとき、トビショックと……唯野さんと出会いました」
「コンビニのセルフレジトレーナーのときな」
乙三は懐かしげに目を細めた。
「覚えてましたか」
「コンビニの店長さんに営業妨害で事件化せえへんように言い含めてくれたんやろ。あんな粋なことをしてくれるポリさんのことは、そら忘れへんよ」
「率直に言って……嫉妬しました。警察という後ろ盾があってもできないことを、一般の方がさらっとやってしまった。しかも、継続的に……。なのに、世間はそのすごさに気付かない。むしろネタキャラとして笑いに消費している」
「えっ、そうなん?」
「オツさん、あんまネット見ないすもんね」と元木。
「警察もトビショックを不審者としか見ない。自分の家族ですら、ホモ親父とか、気持ち悪いと言う始末です」
「おれ、ホモ認定されとんのかいな!? いやまあ……傍目にはそう見えてまうか……?」
「話題になり始めた頃から言われてるっすよ」
「考えたことなかったわ……」
「自分の憧れのヒーローが家族にすら悪しざまに言われて、自分はヒーローの足を引っ張る側で、なりたかった自分にもなれてない……。そんなことを考えながら飲んでたら、どこかに消えてしまいたくなって、あんなことに……」
乙三が身を乗り出して食いつく。
「いま、おれのこと『ヒーロー』言うた!? 『憧れ』て言うた!?」
「え? あ、はぁ……」
「聞いたか、元木! ヒーローやて! 憧れやて! 実在のヒーローに言われたで!」
「佐津川さん、まだ酔ってんじゃないすか?」
元木は佐津川に冷めた目を向けた。
「この人、かーなーり、変な人っすよ?」
だが佐津川にはその言葉は聞こえないようだった。
「唯野さん……いま、俺のことを『実在のヒーロー』と……?」
「だってそうやろ? 赤の他人のために命を張れるのはヒーローやん。たとえ警察が後手でしか動けへんでも、地道に悪党をとっ捕まえとったら、他のワルへの牽制になる。不幸を減らしとるわけや。それにいつトラブルに駆り出されるか分からん交番の夜勤なんか、ヒーローやなかったら続けられんと思うわ」
「……ああ……!」
佐津川の目に涙が浮かぶ。それがどういう感情かは、佐津川自身にも説明できない。
「おれはその点、命は張ってへんし、自分のやりたいことをやっとるだけやからな。ヒーローごっこはしとっても、自分をヒーローと思うたことなかった」
「ですが……そんなふうに考えるのは、つらくないですか。自分は誰かのためになれないと、存在意義がない気がして……」
「そっか。佐津川さんは自分に厳しいんやな。おれは自分のやりたいことをして、ついでに誰かが喜んでくれたら、win-winやわ」
ガハハと笑う乙三に、佐津川はポカンと言葉を失う。
「ね。変わった人っしょ」
元木が苦笑いした。