朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
>ようこそ、自己満足作品へ。もしも、本作を気に入ってくれた貴方は同志です。
目が覚めて最初に思ったのは、「あ、寝過ごした」だった。
カーテンの隙間から差しこむ光が、やけに白い。朝の光じゃない。これは昼の光だ。
昨日というか今朝方、俺は三日連続の残業(ほぼ徹夜)を終えて、スーツのままベッドに倒れこんだ。ブラック企業の社畜に、睡眠の自由はない。
「やばい、会社……」
そうつぶやいて、俺は固まった。
声が高い。喉に鈴でも仕込んだのかというくらい、澄んでいる。
「あー、あー。……ちょっと、何よこれ」
何よ、って何だ。三十二年間、そんな言葉づかいをしたことは一度もない。
あわてて体を起こすと、スーツの袖が手の甲をすっぽり隠した。ズボンはずるずるに余り、ワイシャツの襟からは鎖骨が丸見えだ。本棚の上の段も、いつもよりずっと遠い。
「落ち着きなさいよ、私……落ち着くのよ……」
落ち着けていない。口調が勝手に女の子になる。
俺はぶかぶかの服を引きずって、よたよたと洗面所に向かった。ドアの前で一度、深呼吸をする。これで鏡に映るのがいつもの寝不足のおっさんだったら、全部夢で済むはずだ。
鏡の中にいたのは、見知らぬ少女だった。
薄紫の長い髪。濃い紫の瞳。小柄で、顔つきは幼いのに、目つきだけがやたらと偉そうだ。後、胸がでかい。そして頭の両わきには、くるりと曲がった角が生えている。
俺は角をつまんでみた。引っぱってみた。痛い。ちゃんと頭につながっている。
「……あれ。これ、見覚えが」
見覚えどころの話じゃなかった。俺は漫画を全巻持っているし、アニメは三周した。『葬送のフリーレン』の名シーンなら、台詞つきで語れる自信がある。
断頭台のアウラ。魔王直属の幹部、
「アウラ、ね……」
口に出した瞬間、背中を冷たいものが這いあがった。
アウラの最期を、俺はよく覚えている。自分の魔力を信じきって、相手の魔力を見抜けず、
「待って、待ちなさいよ。ここがあの世界だったら、フリーレンが……」
いや、落ち着け。ここは見慣れた1Kのアパートだ。窓の外には、見慣れたコンビニの看板も出ている。ファンタジーの世界じゃない。
それでも、もしもフリーレンが実在して、しかもここにいたら。魔族は見つかり次第、ひとり残らず討伐される。こんなあからさまな魔族を、
「嫌よ、首なんて斬りたくないわ!」
自分で言って、自分で飛びあがった。尊大な声が、洗面所にむなしく響く。
とにかく、確かめなければならないことがある。この体で、魔法は使えるのか。
俺は洗面台の前で手を突きだし、アニメで見た通りのポーズを決めて、心の中で念じてみた。
(出ろ……
ぽん、と金色の光がはじけた。
手の上に、例の天秤が現れた。ほんの一瞬だけ。
きらめいた、と思ったら、シャボン玉みたいにぱちんと消えた。
「…………え、終わり?」
もう一度やってみたが、結果は同じだった。
そういえば、アウラは魔力を感じとる力にも優れていたはずだ。目を閉じて、体の奥に意識を向けてみる。
何かが、ある。ただ、量がよく分からない。細かい数字なんて出てこないし、「これは何単位」といった親切な目盛りもない。感覚として分かるのは、強いか、弱いか。たったそれだけだ。
そして、俺の中の魔力は、どう考えても「弱い」の側だった。
「……ふ、ふん。原作の
つまり、見た目だけアウラで、中身は雀の涙。俺は心の中で涙した。
ここで俺は気づいてしまった。あまり喜べない事実だった。弱いということは、フリーレンに見つかったら抵抗すらできずに終わるということだ。しかも、そのくせ魔族の証である角だけは、ばっちり生えている。最悪の組み合わせだった。
俺はその場にへたりこみ、ひざを抱えた。
どれぐらい呆然としていたか分からないが、外から不良品回収のトラックの音声で、ふと我に返る。
そう、状況を整理しよう。
俺の名前は佐々木琥太郎、三十二歳。昨日までデスマーチをしていた、小さな会社に勤めているしがないサラリーマンだ。容姿は普通ぐらいだった、はず。
ズボンに入っていた財布を取り出し、中に入っている免許証には「佐々木琥太郎」をしっかりと明記されている。顔写真も見慣れた疲れた男性が写っているだけだった。
それが、今の鏡に映っているのは、アウラ(偽)で美しい少女の姿をしている。後、角も生えた人外になってしまっていた。
そんな美少女が、大きい男物のスーツを着ていて、なぜか態度や目つきだけはどこか偉そうにしている。なんか、仕草なんかも優雅さとか妖艶さもあるような気がする。
(うん……、どっからどう見ても俺には見えないよ、な)
疲れた頭で財布の中にあるよれよれの数枚の千円札を見て、じわじわと現実が押し寄せてくる。
この姿を見ても、誰も俺だと分からないよな……。
まず、財布の中には4千円と小銭が少々。預けている貯金が、確か六十万円ぐらい。家賃は4万円のボロアパート。
そして、小さな畳の部屋に似合わない高価なゲーミングPC。
少し前に、六年ぶりに買い替えたばかりのPCだ(月給より高い)。最近のPCはやばいぐらい値上げしていた。けれど、六年連れ添ったPCは寿命を迎えた為、今の時期に買い替えるしか選択肢がなかったのだ。だが、その分割の支払いは残っている。
「あのPC、どうなるのよ……。会社を辞めたら、ローンは誰が払うの……」
声が震えた。ただし、震えた理由は、魔族に転生した恐怖ではない。ローンの残高のほうだ。
いや、おかしい。優先順位がおかしい。物理的に首を斬られるかもしれない状況で、なぜ俺は家計簿の心配をしているんだ。いや、会社にクビを斬られる可能性はあるのか……。
この体で、俺は戸籍も身分証もなしに働けるのか。いや、そもそも俺は、元の俺として会社に行けるのか。
そこまで考えたところで、寝室から振動音がした。
ぶるる、ぶるる、ぶるる。
スマホだ。床に落ちたまま、震えながらじりじりと移動している。俺はぶかぶかのズボンを踏まないように持ちあげ、あわてて拾いに行った。
画面を見て、血の気が引いた。
不在着信、三十七件。
全部、同じ名前だった。「課長」。
三十七件。昼まで寝ていたせいで、ひと晩で、いや半日で、ここまで溜まったらしい。無断欠勤だ。これは怒られる。怒られるどころでは済まない。
「しゅ、出社しなきゃ……いや、この見た目でどうやって……」
その瞬間、手の中のスマホが、また震えた。
画面いっぱいに浮かぶ、「課長」の二文字。
出れば怒鳴られる。出なければ、もっと怒鳴られる。それに、仮に出たとして、この声はどうする。「はい、佐々木です」と答えたら、鈴のような美少女ボイスが、尊大な口調で飛びだすことになる。
俺は電話を両手でにぎりしめたまま、鳴り続ける画面を、ただ見つめていた。
スマホは、しつこく震え続けていた。
親の仇のようにスマホ見続けて、諦めが入る。
「ええと、まず声の確認をしておくべきね」
自分で言ってから、頭を抱えた。何が「べきね」だ。
俺は咳払いをして、洗面所の鏡の前に戻り、通話に出る練習を始めた。
「もしもし、佐々木です。……ええ、お世話になっております」
澄んだ声が、丁寧なビジネス敬語を完璧にこなしている。悪くない。むしろ、電話応対コンテストなら入賞できそうな声だ。
問題は、そこから先だった。
「申し訳ありません、本日は体調が悪く……」
そう言いかけたところで、喉の奥が勝手に滑った。
「……いえ、体調なんて関係ないわ。私が休むと言ったら休むのよ」
最悪だ。
鏡の中の少女は、腕を組んで、あごをつんと上げていた。完全に魔族の幹部の顔だった。どう見ても、上司に頭を下げる側の人間には見えない。
「違うの、そうじゃなくて! 私は謝りたいのよ!」
謝罪の言葉まで偉そうになってしまう。焦れば焦るほど、口調がひどくなる気がする。たぶん、緊張が高まると出やすいのだろう。社畜歴十年の俺にとって、上司からの電話は、世界で三番目くらいに緊張するイベントなのだ。
そうこうしているうちに、振動が止まった。
静けさが、逆に怖い。
数秒後、画面に通知が一件だけ表示された。メッセージだ。送り主は、もちろん課長だった。
『今どこだ。連絡しろ』
たった九文字なのに、画面の向こうから湯気が出ている気がした。
俺はスマホをそっとテーブルに置き、距離を取った。まるで野生動物から離れるみたいに。
ふう、と息を吐く。
優先順位をつけよう。会社の問題はいったん後回しだ。いや、後回しにしていい問題ではないのだが、今の俺には、それよりも先に確かめておかなければならないことがある。
フリーレンは、実在するのか。
俺はデスクトップPCを起動した。先週買ったばかりの新品が、起動音を鳴らす。ありがとう、君だけが俺の味方だ。ローンはまだ残っているけど。
検索窓に「フリーレン 実在」と打ちこんで、エンターキーを押す。
最初に「『葬送のフリーレン』という作品やキャラクター、およびその世界は架空(フィクション)であり、実在しません」と表示される。そりゃ、そうだ。
続いて出てきたのは、アニメの公式サイト、漫画の最新情報、そしてファンのまとめ記事。どれもこれも、完璧に創作物の扱いだった。
念のため、「魔族 日本 出現」「
「……なんだ」
肩から、一気に力が抜けた。
「ここ、普通の日本なのね」
そう口にしてから、胸の奥にじわじわと、安堵が広がる。
フリーレンは、この世界にはいない。少なくとも、検索にはかからない。ということは、少なくとも今日明日で、首を斬られる心配はなさそうだ。
けれど、安心したのは一分間だけだった。
次に浮かんだのが、もうひとつの大問題だった。
俺は今、どこの誰なのか。
改めて財布から、運転免許証を取り出してみる。そこには、寝不足の顔をした三十二歳の男が、無表情に写っていた。佐々木琥太郎。間違いなく、昨日までの俺だ。
免許証の写真と、鏡の中の少女を、交互に見比べる。
どう見ても別人だった。
髪の色が違う。目の色が違う。年齢も、性別も、そして頭から生えているものも違う。当たり前だが、免許証に角は写っていない。
「……これ、役所に行ったら、どうなるのかしら」
試しに検索窓へ、「本人確認 別人 どうなる」と入力してみた。出てきたのは、なりすましの罪についての解説記事だった。読めば読むほど、背筋が冷える。
だめだ。この件は、俺ひとりで解決できる問題じゃない。
いや、待てよ。
俺は、ぽんと手を打った。
そうだ、俺には魔法がある。万一の場合は、
名案だ。これで全部、解決……。
そこまで考えて、俺は固まった。
そして今の俺は、さっき手に天秤を出したとき、ほんの一瞬でぱちんと消えた。使えるのは分かるが、その後に感じた自分のクソザコな魔力……。
「……もし役所の人が、とんでもない魔力の持ち主だったら?」
そんな人間、いるわけがない。いや、いないはずだ。たぶん。きっと。でも、絶対とは言い切れない。
自分の魔力が、原作よりずっと弱いということだけは、嫌というほど分かっている。それなのに、勝てるかどうか分からない相手に、天秤を向ける勇気なんて、これっぽっちもなかった。
現状、確率50%のデッドORアライブ。あまりにも分が悪い賭け。
「無理ね。……怖いもの」
声に出して、ため息をついた。
結局のところ、俺は、魔族に生まれ変わったところで、小市民のままなのだった。
ふと、おなかが、ぐう、と鳴った。
そういえば、昨日の昼から何も食べていない。魔族の体になったのに、おなかはちゃんと空くらしい。人間の食べ物でいいのかどうかも分からないが、冷蔵庫には、賞味期限ぎりぎりの卵と、半分に切ったキャベツと、冷凍のうどんがあったはずだ。
「ひとまず、うどんを食べるわよ」
立ちあがろうとして、またスマホが震えた。
画面を見ると、課長からの二通目のメッセージだった。
『明日、必ず出社しろ。来なければ分かっているな』
出社しろ、と言われても。
この見た目で、どうやって。声は、どうやって。そもそも、誰として。
俺は、スマホの画面を見つめたまま、しばらくその場に突っ立っていた。
窓の外では、昼下がりの太陽が、のんきに輝いている。ご近所の誰かが、洗濯物を干す音も聞こえてくる。世界は、驚くほど平和だった。
平和じゃないのは、この部屋の中の、俺ひとりだけだ。
「……私、これからどうすればいいのよ」
つぶやいた声は、やっぱり、誰が聞いても堂々としていたのであった。