朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
検索窓に「在宅 稼ぐ」と打ち込むと、世界はずいぶん親切に答えてくれた。
アンケートモニター。ポイ活。データ入力。ハンドメイド販売。フリマアプリでの不用品販売。見出しだけを眺めていると、まるで未来への扉が次々に開いていくようだった。俺は一つ目の記事を開き、読み進め、そして三行目で閉じた。
本人確認書類のアップロードが必要です。
二つ目の記事も、四行目で閉じた。振込先の銀行口座の登録が必要です。三つ目は、住所の確認はがきが届きます。四つ目は、顔写真付きの身分証のコピーを提出してください。
(……待て待て待て。どれもこれも、「俺は佐々木琥太郎です」という前提で成り立ってるじゃないか)
そうなのだ。この世界で金を稼ぐには、まず「誰であるか」を証明しなければならない。そして今の俺は、鏡の前に立つたびに別人としか言いようのない、角つきの、薄紫の髪の、日本人ではない何かだった。
身分証の写真は、ごく普通の三十二歳の男である。この顔写真を見せたところで、疑われるどころか、通報される未来しか見えない。
「あなたたち人間の社会は、随分と窮屈にできているのね」
口が勝手に毒づいた。窮屈なのは、俺が元の姿に戻れないからだ。社会のせいにしてはいけない。いや、でもやっぱり、ちょっとは社会のせいにしたい。
十ほど記事を閉じたところで、ようやく、条件のゆるそうな候補が見つかった。
動画配信である。
解説サイトにはこうあった。必要なのは、パソコンとマイクとカメラ。それだけ。実名も、住所も、最初の段階では要らない。登録者数と再生時間の条件を満たせば、あとは収益化の申請ができる。
「……これよ」
俺は思わず身を乗り出した。身分証がなくても、まずは始められる。戸籍のない人間にも、門戸は開かれている。
そして、ふと、足元に目をやった。
ゲーミングPCが、静かにファンを回していた。
少し前に、ボーナスをつぎ込んで買い替えたばかりの、最新のグラフィックボードを積んだ自慢の一台である。あの時は、「新作ゲームを最高画質で遊びたい」という、ただそれだけの動機だった。それが今、全く別の意味で、俺の人生に光を投げかけている。
(あの時の俺、ありがとう。いや、七か月しか持たない貯金の原因の一つでもあるけど……やっぱりありがとう)
しかし、この時の俺は、ゲーミングPCにローンが残っていることは心のどこかで分かってはいたが、今はそれどころではなかった。
感謝と後悔が、胸の中で綺麗に半分ずつ混ざり合った。
配信をやると決めた直後、最大の難関にぶつかった。
顔である。
配信者といえば、顔出し。画面の向こうの視聴者に、笑顔で手を振る。それが定番の姿だ。だが、俺には、そのどれもが無理だった。
まず、身元バレ。自宅と元の職場、特に鬼塚課長が、この顔を見つけたらどうなるか。いや、見つけたところで「佐々木」と結びつけるのは不可能だろう。それは分かっている。分かっているのだが、世の中には「特定班」という恐ろしい人々がいる。背景に映った窓の外の電柱から住所を割り出したという話を、俺はネットで山ほど読んできた。
そして、もうひとつ。こちらのほうが、俺にとっては本命の恐怖だった。
(フリーレンに見つかったら、どうする)
あの原作の世界の、あの魔法使いは、魔族を見つけると、反射的に殺しにかかる。いや、ここは現代の日本だ。フリーレンがいるはずがない。先日の検索でも、出てくるのはアニメと漫画の情報だけだった。それは確認済みだ。
それでも、怖いものは怖い。
顔を出して、ネットに晒して、「この魔族は、ここにいます」と世界中に宣伝する。その行為が、どうしても、自分の首を自分で差し出す行為にしか思えなかった。
「ならば、顔を隠せばいいのよ」
口が、妙に得意げに言った。
検索窓に、「顔出しなし 配信」と打ち込む。出てきたのは、画面上に、アニメ調の少女や少年が、本人の動きに合わせて笑ったり瞬きしたりする、いわゆるVTuberの紹介だった。
「これよ。これなら、私の素顔を見せずに済むわ」
そう、VTuberである。
カメラで撮った自分の表情の動きを読み取って、画面上のキャラクターに反映させる。つまり、画面に映るのはあくまでも作り物の顔。本物の俺、いや私、いや、本物のアウラの顔は、一切出ない。
完璧だ。これは完璧な作戦だった。少なくとも、この時点の俺は、そう信じて疑わなかった。
ところが、ここでまた、現実の壁が立ちはだかった。
お金である。
オリジナルのアバターを作るには、イラストレーターに依頼して、さらに動かすためのモデリングをして、という工程が必要らしい。相場を調べると、軽く数万円から数十万円。七か月しか猶予のない俺に、そんな余裕はない。
「……ならば、自作よ」
結論は早かった。でも、絵は描けない。三次元のモデリングなど、論外だ。
ここで、検索結果の隅っこに、ひとつの救いが現れた。
フリー素材のアバターである。
誰でも無料で使える、配布されているキャラクターの顔。条件を守れば、配信に使ってもよいらしい。俺は、迷わずダウンロードのボタンを押した。
ファイルが開く。画面に現れたのは、茶色いボブヘアの、ごく普通の笑顔の可愛い少女だった。目はぱっちり、口角は上がっていて、どこをどう見ても「感じのいい女の子」としか言いようのない顔である。
(……普通だな)
とても、普通だった。普通すぎて、個性のかけらもない。
実はこのアバター、フリー素材として配布されているだけあって、ネット上にはすでに山のように使用者がいた。少し検索しただけで、同じ顔の配信者が、何十人と出てくる。まるで、どこかの学校の制服のような扱いである。
(これじゃ、他の配信者と区別がつかないんじゃ……)
そんな不安が頭をよぎったが、すぐに振り払った。いいんだ。目的は有名になることじゃない。顔を隠すことだ。まずは、匿名で、安全に、少しでも収入を得る。それが最優先だ。
チャンネル名は、「ダン子の家計簿ちゃんねる」にした。
「断頭台のアウラ」から適当に取った名前だが、これなら、まさか原作のあいつとは結びつかないはずだ。うん、完璧にごまかせている。我ながら、実にいい名前をつけた。
「ふふ、これで私の素性は、誰にも分からないわ」
そう言った自分の声が、一瞬、鏡の中の自分の顔と重なった。鏡の中の少女は、にんまりと笑っていた。
台本を書くことにした。
いきなり、ぶっつけ本番で喋れる自信はない。そもそも、俺は人前で話すのが得意ではない。会議での発言も、毎回、前の晩にメモを作って暗記していたくらいだ。
メモ帳アプリを開き、キーボードを叩く。
『みなさん、こんにちは。ダン子の家計簿ちゃんねるです。今日が初配信です。至らない点もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします』
我ながら、実に丁寧で、礼儀正しく、かつ、どこにでもありそうな挨拶だった。
そう、台本の中の俺は、何も間違っていなかった。
試しに、声に出して読んでみた。
「皆の者、よく聞くがいいわ。私がダン子よ。今日、初めてこの場に姿を現してあげたのだから、ありがたく思いなさい。至らない点があっても、まあ、大目に見てあげるわ。せいぜい私に、ついてきなさい」
一度、音声を止めた。
台本を見る。「みなさん、こんにちは」と、ちゃんと書いてある。
もう一度、読み直した。
今度は、一文字ずつ、ゆっくり、丁寧に、口に出した。
「み、みなさん、こんにちは」
そこまでは、ちゃんと言えた。
「……ダン子の、家計簿ちゃんねる、よ。今日が初配信……だから、至らない点があっても、私は、一切、気にしないわ。それより、あなたたち」
だめだった。最後で、全部、台無しになった。
緊張すればするほど、尊大さが増していく。そして、この「緊張」という燃料が、配信という状況で足りなくなることはまずないだろう。
(これ、本番で、絶対にやらかすやつだ)
俺は頭を抱えた。ついでに、頭の角が机の角にごつんと当たった。
「痛っ……」
ちなみに、これは普通に痛かった。
練習は、日が暮れるまで続いた。録音しては聞き返し、聞き返しては頭を抱え、また録音する。その繰り返しだ。
一時間が経った頃には、自分の声を聞くのに少し慣れてきた。二時間が経った頃には、「どうせ尊大になるなら、いっそ開き直ってしまえ」という境地にたどり着いた。
「みなさん、こんにちは」という台本の文字を、「ごきげんよう」に書き換える。もう、そのほうが早い。
そして、ここで一つ、俺は大事な設定を確認した。
カメラである。
VTuberは、自分の表情をカメラで読み取って、キャラクターに反映させる。だから、カメラは必須だ。パソコンの上に設置した小さなカメラが、俺の顔を、少しだけ広めの範囲で映している。顔だけを映すつもりで調整したはずだが、思った以上に画角が広く、胸のあたりまで映り込んでいた。
(まあ、画面に出るのはアバターだけだから、関係ないか)
そう思って、画角の調整は後回しにした。
ちなみに、スウェットの下は、まだ、あの状態である。
初配信の日が来た。
部屋の窓には厚手のカーテンを引き、背景に何も映り込まないよう、壁際に椅子を置いた。マイクの位置を整え、アバターの表示を確認し、配信ソフトの「配信開始」のボタンの上に、マウスのカーソルを置く。
心臓が、うるさかった。
緊張で喉が渇き、水を一口飲む。それでも、まだ渇いている。
(落ち着け、俺。見ているのはせいぜい数人だ。いや、ゼロかもしれない。ゼロなら、それはそれで気が楽だ)
深呼吸を、三回。
カチッ。
画面の右上に、「配信中」の赤い文字が点灯した。
「ご、ごきげんよう。ダン子の家計簿ちゃんねるよ。今日が、記念すべき初配信。私の声を、ありがたく聞きなさい」
声が、思ったよりも張りがあった。いや、張りすぎている。
画面の中では、フリー素材の茶髪の少女が、俺の口の動きに合わせて、にこにこと口を開閉している。表情は優しいのに、声は完全に女王様。そのギャップが、すでにちょっとシュールだった。
コメント欄は、真っ白だった。
「……」
しばらく待つ。誰もいない。
そう思った矢先に、ぽこん、と小さな音がした。
『こんにちは』
コメントが、ついた。
(来た……! 人間だ……!)
思わず、椅子の上で背筋が伸びた。
「よく来たわね。名前は何というの? 特別に、私が覚えておいてあげるわ」
『態度でかくて草』
続いて、もうひとつ。
『声かわいいのに偉そうw』
同時視聴者数は、三人。三人である。これが俺の、記念すべき初観客だった。
俺は、ごくりと唾を飲んだ。そして、台本の次の項目を、ちらりと確認する。
近況報告。
近況。つまり、最近あったこと。
(……会社を辞めて、アウラになって、鬼上司を魔法で従わせて、退職して、公園で野草を食べた)
言えるわけがない。
俺は、頭をフル回転させて、「話せる範囲」の近況を探した。
「最近の私はね、そう、少し環境が変わったのよ。長年勤めていた職場を離れて、今は、新しい道を探しているところなの」
『おお』
『転職活動中ってこと?』
「まあ、そうとも言えるわね。そこで、現実的な問題として、家計の見直しをしているわけよ。だから今日は、私の家計簿を、みんなに読み上げてあげるわ」
いや、何を言っているんだ俺は。
なぜ、初配信の内容が、家計簿の読み上げなのか。台本を書いた時の俺は、本気でそれが面白いと思っていたのだろうか。いや、他に話せることがなかっただけだ。
でも、もう、言ってしまった。引き返せない。
俺は、ちゃぶ台の上から持ってきた家計簿アプリの画面を、じっと見つめながら、読み上げを始めた。
「まず、家賃。四万円。これは、毎月の固定費として、私の収入に大きくのしかかっているわ。次に、光熱費。電気とガスを合わせて、約八千円。通信費が、約七千円。食費は、……」
一項目ずつ、淡々と、威厳たっぷりに、読み上げていく。
コメント欄が、少しずつ動いた。
『なにこれ』
『家計簿の読み上げ配信、初めて見た』
『なぜか聞いてしまう』
『貯金は?』
貯金。
俺は、一瞬、口を閉じた。貯金の話は、いちばん触れたくないところだ。しかし、コメントで聞かれてしまった以上、答えないわけにはいかない。
「……貯金は、あるわ。少しだけど。ただし、このまま収入がなければ、七か月で尽きる計算よ」
『えっ』
『やばくない?』
『頑張れ』
優しい言葉が、いくつも流れてきた。
正直、ちょっと、目頭が熱くなった。
(俺、今、他人に励まされてる……。ネットの顔も見えない人たちに……)
いや、泣いてはいけない。いま泣いたら、キャラクターが崩壊する。
「べ、別に心配してくれなくてもいいのよ。私には、私なりの考えがあるのだから」
声は震えていたが、それすらも、「照れ隠しの尊大さ」として、視聴者には受け取られたらしい。
『ツンデレかよ』
『かわいい』
そのあとも、細かい出費の読み上げが続き、四十分ほどで、予定していた内容は尽きた。
「……以上よ。今日は、この辺りにしておいてあげるわ」
配信を終了するボタンを押した瞬間、全身から力が抜けて、椅子の背もたれにぐったりと沈み込んだ。
画面の隅に、配信の統計が表示されている。
最大同時視聴者数、三人。チャンネル登録者数、一人。
一人、である。
でも、この一人は、確かに俺の配信を見て、登録してくれた人だ。なんだか、ちょっとだけ、嬉しかった。
(収益化には、登録者が千人必要だって書いてあったな……)
画面を見ながら、俺は、遠い目をした。
千人まで、あと九百九十九人。
そして、その九百九十九人が、思いもよらない形で、一気に押し寄せてくることになるのだが、それは、もう少し先の話である。
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皆様のおかげで、目標だったランキングに入ることができました!(感謝の極み)
実は投稿して数日後にランキング入りしていたのですが、一気に増えたPVにアワアワしてしまい、当日は何位に入っているのかよく分かっていませんでした……!
改めて、たくさんの応援をありがとうございました!!
なお、作中の分かりづらい部分などは、気付き次第ちょくちょく直させていただいております。気軽に読めるお話ですが、たまに作者の性癖が漏れてしまうのはご容赦ください。
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現在10話目ですが、完結までどうぞよろしくお願いいたします!
>本作の表紙試作品です(AI作)。冒頭の1シーンで、現在の表紙にも流用しています。尚、AIさんが勝手に「働きたくないコップ」を生成したのでびっくりしました(笑)。そんな指示していない……(怖っ)。
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