朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~   作:自分の性癖に素直になろう小説

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12話 サジェスト「アウラ様 ノーブラ」

 

 女性用下着専門店の前に立つのは、これで三回目だった。

 

 一回目は、店の前を素通りした。二回目は、ガラス越しにマネキンを三十秒ほど眺めて、そのまま引き返した。そして三回目の今日、俺はついに、自動ドアの前で足を止めた。

 

 帽子は目深に。マスクは大きめ。パーカーのフードで角のあたりを隠し、全身を使って「私は怪しい者ではありません」と主張している。ただし、その格好こそが、どこからどう見ても怪しい者のそれだった。

 

(落ち着け。ここは店だ。客として入る場所だ。俺は客だ。何も悪いことはしていない)

 

 そう唱えながら、一歩を踏み出す。

 

 自動ドアが、すっと開いた。

 

 店内は、思っていたよりも明るくて、静かで、清潔だった。ずらりと並ぶ色とりどりの商品に、反射的に目を逸らしそうになるのを、ぐっとこらえる。いや、逸らしたい。ものすごく逸らしたい。でも、ここで挙動不審になったら、それこそ店員さんに通報されかねない。

 

「いらっしゃいませ」

 

 声をかけてくれたのは、落ち着いた雰囲気の、四十代くらいの女性店員さんだった。胸元には、「フィッター」と書かれた名札がついている。

 

「あ、あの……」

 

 声を出した瞬間、後悔した。

 

「私に、見合うものを用意しなさい。ただし、できるだけ、目立たない、静かな場所で」

 

 完全に、女王様の注文だった。

 

 店員さんは、一瞬だけ目を丸くして、それから、ふわりと笑った。

 

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 

 まったく動じていない。さすがプロである。俺は内心、土下座したい気分で、その背中についていった。

 

 案内されたのは、店の奥にある、小さな個室の試着室だった。

 

「失礼ですが、普段のサイズはお分かりになりますか?」

 

「……先日、通販で試したのだけれど、入らなかったわ」

 

「あら。それは、サイズが合っていなかったのかもしれませんね。よろしければ、一度、きちんとお測りしましょうか」

 

 優しい口調だった。強引さのかけらもない、しかし、有無を言わせない、プロの声だった。

 

 俺は、観念して頷いた。

 

 パーカーを脱ぎ、スウェットの上から、メジャーが回される。店員さんの手つきは、実に手際が良くて、こちらが恥ずかしがる暇もないほどだった。

 

「失礼しますね」

 

「え、ええ」

 

 ささやかな会話の間に、測定は終わった。

 

 店員さんは、手元のメモを見て、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、動きを止めた。

 

「……なるほど」

 

「な、何かしら?」

 

「いえ、失礼しました。お客様、先ほど通販でお試しになったというのは、おそらく、サイズ表の数字を自己計測で当てはめたものではないでしょうか。実は、お客様の場合、一般的な表の範囲に、少々収まりきらないタイプなんです」

 

「……収まりきらない」

 

「ええ。お客様、とても華奢でいらっしゃるので、アンダーバストが『60センチ』ほどしかおありにならないんですよ。通常の通販サイトやお店の棚ですと、一番小さくても『65センチ』からしか作られていないことがほとんどなんです。ですので、画面でお探しになっても、なかなか見つからなかったと思います。少々お待ちくださいね。バックヤードから、細身の方向けの特別なものをお持ちします」

 

 そう言って、店員さんはカーテンの向こうに消えた。

 

 一人取り残された試着室で、俺は鏡の中の自分と向き合った。

 

 薄紫の髪の、濃い紫の瞳の、頭に角のある美少女が、ものすごく微妙な顔でこちらを見ている。

 

(収まりきらない、か……)

 

 そういえば、通販の時も、サイズ表の数字を三回、突き合わせた。あの時は、「表が間違っているのかも」と、半分本気で疑っていたのだ。間違っていたのは、表ではなく、俺の認識だった。

 

 しばらくして、店員さんが戻ってきた。両手に、いくつかの商品を抱えている。

 

「こちらが、お客様のサイズに近いものです。まずは、着け方からご説明しますね」

 

 そこから先は、正直、記憶があやふやだ。

 

 店員さんの指導のもと、ストラップの位置や、カップの収め方を、ひとつずつ丁寧に確認していく。俺は、ぎこちなく、ただひたすら「はい」と「ええ」を繰り返していた。

 

 そして、すべての調整が終わった時。

 

「いかがですか?」

 

 鏡の前に立った俺は、しばらく、口を開けなかった。

 

 軽い。

 

 まず、感想はそれだった。肩が、軽い。ずっと、何かに引っ張られているような、重心が前にずれているような感覚が、すっと消えている。体を動かしても、何かが勝手に主張してくることがない。

 

 試しに、その場で軽く跳ねてみた。

 

「……!」

 

 安定している。まるで、何かがしっかりと支えてくれているような、不思議な安心感があった。

 

 それまで、自分の体の一部が、ずっと「勝手に動くもの」として存在していたことに、俺は、この瞬間、はじめて気づいた。

 

「これが……」

 

「いかがですか? 苦しいところは、ありませんか?」

 

「…………すごいわ」

 

 声が、ほんの少しだけ、震えていた。

 

「世界が、変わったわ」

 

 それは、大魔族としての口調で出てきた言葉だったが、中の俺の心境も、まったく同じだった。

 

(女性って、毎日こんなものを着けて生活してたのか……。いや、これは確かに、必要だ。いや、必要というか、もう、これなしの生活は考えられない)

 

 通販で一枚買って、入らなくて返品したあの日々が、遠い昔のことのように思えた。同時に、これまで、あの状態で過ごしていた自分の無謀さにも、改めて、ぞっとした。

 

 店員さんは、満足げに微笑んだ。

 

「お気に召したようで、よかったです」

 

 会計の時が来た。

 

 フィッティングで気に入ったものを、最低限の数点だけ選んだ。それでも、レジで提示された金額を見て、俺は一瞬、目を細めた。

 

 決して、安い金額ではない。サイズが特殊なぶん、値段も、それなりにする。貯金が七か月しか持たない俺にとって、これは、かなりの痛手だ。

 

 しかし。

 

(……いや、これは、必要経費だ)

 

 不思議と、後悔は湧いてこなかった。さっき鏡の前で味わった、あの安定感を思い出すと、むしろ、この金額は安いとすら感じた。人はこうして、必要なものに、お金を払っていくのだ。

 

「ありがとうございました」

 

 店員さんが、丁寧に頭を下げてくれた。俺も、慌てて頭を下げ返した。

 

「あなたの腕前、見事だったわ。感謝してあげる」

 

 感謝の言葉が、またしても偉そうだった。しかし、店員さんは、「光栄です」と、にっこり笑って送り出してくれた。

 

 自動ドアを出た瞬間、俺は、大きく息を吐いた。

 

 紙袋を抱えて、店の外を歩く。足取りが、いつもより軽い。肩が軽い。何よりも、背筋が、自然と伸びている。

 

(いやあ、いい買い物をした)

 

 そう思った、まさにその瞬間だった。

 

 ふと、駅前の交差点で信号待ちをしていた時のことだ。

 

 隣に立っていた男性が、チラリと、こちらを見た。そして、すぐに視線を逸らした。

 

(……ん?)

 

 この視線には、見覚えがあった。

 

 そう、ここ数日、外出するたびに、感じていた視線である。コンビニでも、商店街でも、電車の中でも、男性から、じろじろと見られていた。最初は、「角が目立つからだろう」と思っていた。「外国人の美少女が珍しいのだろう」とも思っていた。

 

 しかし、今、改めて思い返すと、その視線の先は、頭の角ではなかったような気がする。

 

 もう少し、下。

 

 というか、だいぶ、下。

 

(…………あ)

 

 俺は、足を止めた。

 

 ここ数日、ノーブラで外出していた。しかも、サイズが特殊な。さっき店員さんが言っていた、「収まりきらない」ほどの。それが、歩くたびに、階段を上るたびに、電車が揺れるたびに、揺れていたとしたら。

 

 揺れて、いたとしたら。

 

 そこに、視線が集まらないはずが、なかった。

 

(あれは、角だけを見ていたんじゃなかったんだ)

 

 コンビニ。商店街。駅のホーム。夜の路地。そのすべての場面が、頭の中で、一気に再生された。

 

 あの時の視線も、この時の視線も、全部、そういうことだったのだ。

 

 しかも、自分は、それに気づかないまま、堂々と、胸を張って歩いていた。いや、緊張すると尊大さが増すから、むしろ普段以上に胸を張っていた。

 

(うわあああああ)

 

 内心の叫びは、声にならなかった。

 

 信号が青に変わった。人の波が動き出す。俺は、その場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。

 

「…………げんなりするわ」

 

 つぶやきは、いつものアウラ口調だった。声は、いつになく低かった。

 

 

 

 

 

 帰宅して、紙袋をちゃぶ台の上に置く。

 

 袋の中の、やさしい色合いの布を眺めて、俺は、小さく息をついた。いろいろあったが、とにかく、これで、ひとつの問題が解決した。解決したのだ。

 

 そう思って、スマホを手に取ったのが、いけなかった。

 

 恐る恐る、SNSを開く。

 

 あのチャンネルを削除してから、もう数日が経っている。さすがに、騒ぎも収まっているだろう。そう思っていた。

 

 しかし。

 

 検索窓に、予測変換が出ていた。俺は、何も入力していない。なのに、勝手に、ひとつの候補が表示されていたのだ。

 

 

 

 

『アウラ様 ノーブラ』

 

 俺は、そっと目を閉じた。

 

 開いた。

 

 候補は、消えていなかった。

 

 タップするつもりはなかった。いや、見ないほうがいい。絶対に、見ないほうがいい。頭では、そう分かっていた。しかし、指が、勝手に、動いてしまった。

 

 画面が切り替わる。

 

 トレンドの欄に、見覚えのある単語が並んでいた。

 

『リアルノーブラアウラ様』

 

 そのワードは、検索結果の上位に、堂々と君臨していた。

 

 俺は、ぱたん、とスマホを伏せた。

 

 

 

 

 それ以上、何も見なかった。いや、実際には、画面の隅に、切り抜き画像が、いくつか見えてしまっていた。あの配信の、あの瞬間の、あの、驚いて口を開けた顔が、ちゃんと、保存されて、拡散されているのが、見えてしまった。

 

 でも、それ以上は、見ないことにした。

 

 いくら削除しても、一度ネットに流れたものは、簡単には消えない。それは、俺だって、知識としては知っている。だから、これ以上、見る意味はない。見れば見るほど、精神が削られていくだけだ。

 

 俺は、伏せたスマホをそっと引き出しの奥にしまい、そのまま、立ち上がった。

 

「……もう、見ないわ」

 

 声は、静かだった。

 

「SNSなんて、私の精神衛生上、有害でしかないもの」

 

 どこに拡散されて、どれくらい広がっているのか。その行き先は、考えないことにした。いや、考えたくなかった。

 

 ちゃぶ台の上では、紙袋が、静かに座っている。

 

 今回の稼ぎは、ゼロである。それどころか、通販の返品手数料と、下着代の分だけ、貯金は確実に減っている。収益化の条件に届かなかったどころか、そもそも、チャンネル自体が、もうこの世に存在しない。

 

 得たものは、女性用の下着の、素晴らしいフィット感と。

 

 そして、これまでの人生で、一番、恥ずかしい記憶だけだった。

 

「……リアルノーブラアウラ……」

 

 つぶやいた言葉が、狭い部屋に、むなしく響いた。

 

 なんか原作にもそんな魔法があったような気がする。

 

 たぶん、気のせいだ。

 

 

 

 

 窓の外では、夕日が、ゆっくりと沈んでいく。その光が、紙袋の影を、長く、長く、畳の上に伸ばしていた。

 

 貯金は、あと七か月。魔力は、まだ、取り戻せていない。

 

 俺の「現代社会でお金を稼ぐ方法探し」は、まだ、始まったばかりだった。

 

 

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