朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
動画チャンネルを消したしばらく経った後、俺は卓上カレンダーの裏に隠していた家計簿アプリの画面を、祈るような気持ちで開いた。
残高は、昨日と同じだった。当たり前だ。配信は一円にもならなかったし、通販で買った下着の返品手数料と、下着店で測ってもらったついでに買ったあれやこれやの出費が、じわじわ効いているだけである。減ることはあっても、増える理由が見当たらない。
「……七か月分あった貯金が、六か月と少しになっているじゃない」
口から出た声は、今日も今日とて堂々たる大魔族のそれだった。ひとり暮らしの六畳間で、誰に聞かせるでもない独り言を、なぜ威厳たっぷりに言わねばならないのか。いい加減慣れたいところだが、慣れたら慣れたで何かを失う気がする。
とにかく、収入だ。収入がなければ、あと半年とちょっとで俺の生活は終わる。魔族なので本来は食事は要らないはずなのだが、家賃と光熱費と、あとなんかよく分からない通信費は、容赦なく引き落とされる。それに、結局は魔力の回復のためにも、食べないわけにはいかない。
俺は引き出しからノートを一冊取り出した。会社員時代に、取引先との打ち合わせメモ用として買ったまま、結局ほとんど使わなかったやつだ。真っ白な一ページ目に、ボールペンで大きく書く。
『稼げるもの 候補』
続けて、思いつく限りを箇条書きにしていった。単発バイト。フリマ。ポイ活。懸賞。それから、えーと。魔法で、その、なんとか。最後だけ妙に具体性がないが、気にしない。書き出すだけで、少し前向きな気分になれるのが不思議だ。
そして、書いた分だけ、あとで線を引いて消していく。その線の数が、今日の俺の成果になる。……いや、成果というのは、本来できたことの数だろう。消した数で測る時点で、嫌な予感しかしない。
まあいい。まずは一行目からだ。
単発バイトのアプリは、広告で何度も見かけたやつを選んだ。「スキマ時間で、その日のうちにお給料!」という、いかにも人生に余裕のある人間向けのキャッチコピーだが、今の俺はこの手のものにすがるしかない。
インストールは一瞬で終わった。会員登録の画面も、名前、生年月日、電話番号と、思ったよりずっと簡単に進む。さすが現代日本、便利だ。
……と、浮かれていられたのは、本人確認の画面に着くまでだった。
『本人確認書類を撮影してください』
「ああ、はいはい。免許証ね。ちょうどあるわよ、ここに」
財布から免許証を取り出して、カメラの枠に合わせる。シャッター音が、小気味よく鳴った。撮れた画像には、読み取れる文字がはっきり写っている。
佐々木琥太郎。三十二歳。顔写真は、どこからどう見ても、冴えない顔の日本人男性だ。
そこで、画面が切り替わる。
『続いて、お顔の撮影を行います。枠内に顔を合わせてください』
俺は、スマホを持ち上げて、画面の中の自分を見た。
角の生えた、紫髪の美少女が、画面の中から俺を見返している。
数秒の沈黙のあと、画面に小さな円がくるくる回り出した。やがて、軽やかな音とともに、赤い文字が表示される。
『本人確認に失敗しました。書類の写真とお顔が一致しません』
「そうよね。一致するわけがないじゃない」
分かっていた。一話の時点で、とっくに分かっていたことだ。それでも万に一つ、アプリの機械が適当なところで「まあ、いいか」と判定してくれるのではないかと、期待してしまった自分がいる。
念のため、角度を変えて三回、明るさを変えて二回、顔をしかめて一回撮り直した。結果はすべて同じ。最後の一回は、ほとんど意地だった。
そうだ、いざとなれば
……このアプリの、どこに天秤を向ければいい?
魔法は、人間にしか効かない。相手は、画面に表示された赤い文字と、見えないサーバーの向こうの顔認証プログラムだ。どれだけ尊大な声で「私を通しなさい」と命じても、せいぜい、隣の部屋に聞こえて迷惑がられるくらいだろう。
俺は黙ってアプリを閉じ、ノートの一行目に、ボールペンで線を引いた。
引いた線の上に、さらに二重線を重ねてしまったのは、たぶん八つ当たりだと思う。
二行目は、フリマだ。
この手のアプリは、不用品を売って小銭を稼ぐ場所だと聞いている。出品するだけなら、本人確認も、おそらく緩いはずだ。いや、振込先の口座は俺の名義だから、結局は同じ壁にぶつかる気もするが、それは売れてから考えればいい。
ともかく、売れるものを探さなくてはならない。
俺は、六畳間をぐるりと見渡した。
本棚。中身は、買い集めた漫画とラノベだ。これは売らない。魂だから。
ゲーム機とソフトの山。売らない。命だから。
古い冷蔵庫。電子レンジ。炊飯器。値段がつくとしても、送料のほうが高くつきそうなやつばかりだ。それに、魔族の身では、送料を払って梱包して、玄関で宅配の人に荷物を渡すのも一苦労である。角のこともあるし。
目を移した先に、ひとつだけ、デスクの上で静かに青く光っているものがあった。
ゲーミングPCだ。
つい最近、悩みに悩んで買い替えたばかりの、俺のいちばん新しい相棒である。配信に使ったのも、こいつだ。中古でも、それなりの値がつくことは間違いない。
出品画面を開いて、写真を撮るところまでは、淡々と進めた。型番を入力して、相場を調べる。売れそうな価格が、まあまあの金額で出てきた。
俺は、価格の入力欄に、指を乗せたまま、動けなくなった。
こいつを売ったら、配信もできなくなる。いや、配信はもう削除したから、いいのだ。そうではなくて、こいつがなければ、俺は、あのゲームの続きを遊べない。
ほかのゲームも、新しい高画質の設定も、フレンドと遊ぶあの時間も、全部、こいつの中にあるのだ。
そもそも、この体になってから、俺の生活の楽しみといえば、ゲームしか残っていない。それを手放して、残りの人生を、いったい何を支えに生きていくというのか。
「……売るくらいなら、飢えたほうがましよ!」
自分でも驚くほどの大声が出た。窓ガラスがびりっと震えた気がして、俺は慌てて口を押さえる。壁の薄いアパートで、この声量はまずい。しかも口調が、完全に魔族の宣戦布告だ。
十秒ほど、隣の部屋の気配をうかがった。何も聞こえない。助かった。
それから、ふと気づく。
……そういえば、この体は食べなくても、死にはしない。つまり、今の宣言は、俺にとって何の覚悟にもなっていないのである。
自分で言っておいて、地味に格好がつかない。
俺は、静かに出品画面を閉じて、ノートの二行目に線を引いた。今度は、一本だけにしておく。
三行目は、ポイ活と懸賞だ。
これは、地道な作業だと聞く。つまり、身分証の写真がなくても、ある程度は参加できるはずだ。登録に必要なのは、メールアドレスくらいのもので、あとは時間さえかければ、少しずつ貯まっていくのだろう。
俺はさっそく、ポイントサイトに登録した。アンケートに答える。ゲームアプリの案件をインストールする。ネットショップの広告をクリックする。懸賞の応募フォームに、住所と名前を入力する。
……名前の欄に「佐々木琥太郎」と打ち込むたびに、ほんの少し、心が痛くなった。この名前で、今日も俺は生きている。そう思いたいのだが、見た目はアウラだ。
そうやって、延々と作業を続けた。
窓の外の空が、うっすらと明るくなってきた頃、俺はようやく、ポイントの残高を確認した。
三十七円。
時間にして、七時間ほどだ。
俺は、頭の中で、割り算をした。
一時間あたり、約五円。
最低賃金は、たしか千円近くあったはずだ。ということは、俺は今、最低賃金の二百分の一で働いたことになる。
「……これは、働いたと言えるのかしら」
つぶやいた声が、あまりにも空しく、六畳間に響いた。
懸賞のほうは、まだ結果が出ていない。出ていないが、当たるという保証もない。当たったとしても、景品が洗剤の詰め合わせだったりすれば、売るに売れず、結局は自分で使うだけになるだろう。それはそれで、助かるのだが。
それにしても、七時間。
七時間あれば、何ができただろう。コンビニの夜勤なら、あの時給で、まあまあの金額になったはずだ。
……いや、無理だ。夜勤だろうと昼勤だろうと、アルバイトの面接では、身分証の提出が必須だ。
俺は、ノートの三行目に、線を引いた。
線を引く手が、さすがに少し重かった。
残りは、あと二行。一つは、魔法でなんとか。もう一つは、まだ何も思いついていない。
窓の外で、新聞配達のバイクの音が、遠くを通り過ぎていった。
配達員の兄ちゃんが、うらやましくなった。