朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
徹夜明けの頭は、ときどき、とんでもない方向に冴える。
四行目。魔法でなんとか。
この体には、魔力がある。なら、魔力で何かを作って、それを売ればいいのではないか。理屈としては、実に単純明快だ。むしろ、なぜ今まで思いつかなかったのか不思議なくらいである。
俺は、ノートの四行目の隣に、さらさらと書き足した。
『作る→売る→お金』
いける。いけるぞ。何を作るかは決めていないが、とにかくいける。
まず、思いついたのは身分証だった。
免許証。マイナンバーカード。パスポート。魔力でそれっぽく作って、顔写真を今の俺にすれば、すべての問題が一気に解決する。バイトアプリも通る。口座も作れる。完璧だ。
続いて思いついたのは、お札だった。
そのままお札を作ればいい。魔力でお札を作って、コンビニで使って、おつりをもらう。無限に増える。無限に――
「……ん?」
そこで、俺の思考は、急ブレーキがかかったように止まった。
偽造って、犯罪では?
身分証の偽造。通貨の偽造。どちらも、ニュースで見たことがある。しかも、どちらもかなり重い罪だった気がする。懲役とか、そういうレベルだ。
ついさっきまで、徹夜のテンションで「完璧だ」とか言っていた自分が、急に恐ろしくなった。小市民の本能が、全力で警報を鳴らしている。
「危なかったわ……私としたことが」
声に出してから、背中にじわりと汗がにじんだ。大魔族の口調で言うと、まるで反省していない人間に聞こえるのが、また始末に悪い。
気を取り直して、作れるものを確認してみよう。
俺は座布団の上で正座をして、両手を前に出し、魔力を集めた。アウラの服を作ったときの感覚を、必死に思い出す。力が手のひらに集まって、じわじわと形になる。
出てきたのは、手のひらサイズの黒っぽい布きれだった。薄いし、ぺらぺらだし、どう見ても、ハンカチ未満の何かである。これでは売り物にならない。
ひとまず、魔力で作ったものとして、机の上に置いてみた。
次の瞬間、布は、ふっと音もなく消えた。
俺は、机の上を三秒ほど見つめた。
手から離れると、すぐに消える。そう、以前学んだはずだった。分かっていたのに、一縷の望みをかけて試してしまった。人間は、絶望するたびに、なぜか同じ実験を繰り返す生き物である。
ちなみに、体の力がほんの少し抜けた。やっぱり、服ひとつでもそれなりに消耗する。
では、もう一つの選択肢はどうか。つまり、
……天秤を売る?
誰に? 何のために? 「魔族の秘宝、
そもそも、売れるはずがないのだ。
俺は、ノートの四行目に、線を引いた。
そのまま、天井を見上げて、ため息をつく。
「魔法なんて役に立たないじゃない……」
誰に向けたでもないつぶやきが、六畳間に染み込んでいった。
魔法がだめなら、せめて求人サイトを眺めてみよう。
そう思い立って、スマホで「身分証不要 バイト」と検索してみた。ほとんどヤケクソである。ここで本当に見つかったら、それはそれで困るのだが、見つからなければ、それはそれで困る。
検索結果の上のほうに、いくつか、それらしいページが出てきた。
『身分証明不要!』
『女性のみ・未経験歓迎』
『日払い・高収入』
目に飛び込んできた文字の並びに、俺は、思わず前のめりになった。
条件が、今の俺にぴったりだ。
しかも、よく見ると、まだ続きがある。
『お話し相手をするだけの簡単なお仕事』
『衣装貸与あり・送迎あり』
『容姿に自信のある方、大歓迎』
『頑張り次第で、青天井!』
俺の頭の中で、何かがひっかかった。
お話し相手、って、何の?
衣装を貸してもらえるって、どんな衣装を?
送迎があるのは、親切というより、なんだか逃がさないための何かではないのか。
容姿に自信のある方、というのは、今の俺はまさしくそれに該当してしまう。ノーブラ問題で、散々思い知ったばかりだ。
そして、「頑張り次第」とは、いったい何を頑張る話なのか。
詳細ページを、もう一段スクロールした。
お店の紹介写真は、薄暗い照明と、やけに光沢のある椅子が写っているだけで、肝心の仕事内容は、どこにも書かれていなかった。ただ、笑顔の女性のイラストが、ふわっとぼかしたような雰囲気で、こちらに微笑んでいる。
……ああ。
これは、そういうやつだ。分かる。こんな俺でも、さすがに分かる。
頭の中に、ほんの少しだけ、想像がよぎった。
狭い個室。知らない男。そして、元・三十二歳のサラリーマンである俺が、今の姿で、そこに――
全身の毛が、一斉に逆立った。
「……そんなこと、やるわけないじゃない!」
画面に向かって、思い切り叫んでしまった。声が裏返らなかったのは、大魔族の喉のおかげである。
俺はスマホを放り投げるようにして布団の上に落とし、膝を抱えて座り込んだ。心臓が、いやな音を立てている。
魔法で偽造するよりも、ずっと危ない橋だ。
いくら金がなくても、いくら身分がなくても、越えてはいけない線というものは、ある。ここは、断固として、ない。
しばらく深呼吸を繰り返してから、そっとスマホを拾い上げ、ブラウザのタブを全部閉じた。履歴も念入りに消した。そして、ノートの五行目に、これまでで一番力を込めて、線を引いた。
線が、紙を突き破りそうだった。
ここまで来ると、さすがに気分を変えたくなった。
そこで思いついたのが、神社である。
近所に、パワースポットと言われている神社と、隣接するお寺があるのだ。ネットでも「運気が上がる」「願いが叶う」と評判で、休日には観光客が絶えないという。
魔力が回復するかもしれない、と考えたのが、本音の半分。もう半分は、神様に頼んで金運が上がるなら、頼んでおこうという、非常に俗っぽい動機である。
魔族が神社に行って、大丈夫なのか。
そんな心配も、ふと頭をよぎった。鳥居をくぐった瞬間に、体が燃え上がったりしないだろうか。いやいや、フリーレンの世界の魔族は、そんな設定ではなかったはずだ。……はずだが、確かめたことはない。
俺は、帽子を深くかぶり、角が少しでも見えないよう調整してから、電車に乗った。念のため、参道の入り口で、鳥居の前で一礼をする。
そして、おそるおそる、足を踏み入れた。
何も起きなかった。
「……ふん。当然の結果ね」
誰に聞かせるでもなく、胸を張って言い切ってから、すぐに肩の力が抜けた。心臓に悪いことを、いちいち自分で増やしている気がする。
神社の境内は、予想以上の人出だった。
家族連れ、カップル、外国からの観光客、制服姿の学生グループ。みんな、思い思いにスマホを構えて、参道を進んでいる。写真を撮る人。お守りを選ぶ人。手水舎で、おっかなびっくり手を清める人。
俺は、人の流れに乗って、本殿の前までたどり着いた。
ここで、お賽銭を入れる。財布の中から、五円玉を探した。ご縁がありますように、という語呂合わせである。千円札を入れたいところだが、貯金がもう六か月ちょっとなので、そこは我慢した。
小銭入れの中を、ごそごそとあさる。見つからない。ようやく見つかったのは、百円玉だった。五円玉は、ない。
俺は、しばらく迷ってから、百円玉を握りしめた。
ええい、運気のためだ。
賽銭箱に、百円玉を投げ入れる。二礼、二拍手。手を合わせて、目を閉じた。
ここで、しっかり祈らなければならない。何をお願いするか。金運。仕事。住居。身分。体。元に戻ること。全部だ。全部お願いしたい。
しかし、俺の口は、勝手に動いた。
「この私が、わざわざ足を運んでやったのよ。しっかり願いを叶えなさい」
…………。
俺は、目を開けた。
隣で参拝していた、おばあさんが、ちらりとこちらを見ていた。
全身から、汗が噴き出す。どうしてだ。心の中ではちゃんと祈っていたのに、なぜ口から出る言葉は、神様に向けた威圧になっているのだ。
俺は、おばあさんに向かって、なるべく丁寧に、深々と頭を下げた。おばあさんは、にこにこと微笑み返してくれた。優しい世界だ。これが、パワースポットの力か。
……いや、違うか。
本殿を離れたあと、俺は人混みを避けるようにして、境内の奥のほうに歩いていった。
せっかく来たのだから、魔力の様子を確かめておきたい。
立ち止まって、意識を集中する。少しずつ上達した魔力感知を、四方に広げた。
まず、感じたのは、人間たちの魔力だった。
参道、本殿の前、お守りの授与所。人が集まっている場所ほど、魔力が濃い。普段の街中より、はるかに密度が高い。まるで、湯気の立つお椀を、すぐ目の前に差し出されたような感覚だ。
次に、境内の木。大きな杉が何本か立っていて、そこから、わずかな魔力が、ほんのりと感じ取れた。植物だから、強くはない。ただ、昔から立っているだけあって、ほかの木よりも、少しだけ濃い。
そして、神社そのもの。本殿や拝殿、鳥居、石灯籠。どれも、魔力らしきものは、何も感じなかった。
俺は、もう一度、じっくり確かめた。
やっぱり、ない。
パワースポットと言われているこの場所は、魔力的には、普通の観光地と変わらなかった。強いて言えば、人が多い分だけ、魔力が集まって見えるだけだ。
「……なるほど。御利益とは、関係ないのね」
少しがっかりした。いや、かなりがっかりした。もしかして、ここで魔力が回復できるかもしれないと、本気で期待していたのだ。
ところが、そんな俺の頭に、また別の考えが、ふっと浮かんできた。
周りには、人間が、たくさんいる。
魔力は、人間が一番、回収効率がいい。
……いや。
いやいやいや。
俺は、勢いよく頭を横に振った。
帽子が落ちかけて、あわてて押さえる。以前の公園で、一瞬よぎった、あの考えだ。もう二度と思い出したくなかったのに、人混みの濃い魔力を前にして、勝手に結びついてしまった。
絶対に、やらない。想像すら、したくない。
俺は、大きく息を吐いてから、ぎゅっと目を閉じ、考えを頭の外に追い出した。あの感覚が、二度と戻ってきませんように。
それから、気分を切り替えるように、境内の隅のおみくじ売り場に向かった。
百円玉は、さっきお賽銭で使ってしまったので、小銭入れから、十円玉を数枚ひねり出して、おみくじ代にあてた。どうにか足りる。ありがたい。
筒を振って、出てきた棒の番号を、巫女さんに伝える。受け取った小さな紙を、そっと広げてみた。
『小吉』
まあ、悪くない。大吉でないのは残念だが、凶でもなかった。俺にしては、上出来だろう。
続いて、中身を読む。
『願望 急がば回れ』
『金運 焦らず励め』
『仕事 地道に積み重ねよ』
『待人 来る』
『住居 動くな』
俺は、おみくじを持ったまま、しばらく固まっていた。
全部、そのとおりのことしか書かれていない。
急がば回れ。焦らず励め。地道に積み重ねよ。ここまで一貫したメッセージのおみくじを、俺は生まれて初めて見た。
待人、来る、というのは、誰のことだろう。ここまで読んで、ほんの少しだけ、嫌な予感がした。最後に会うあの人でなければいいのだが。いや、まさか。さすがに考えすぎだ。
とりあえず、おみくじは、境内の結び所に結んでいくことにした。持って帰るにも、角が引っかかって、財布に入りにくいからである。
帰りの電車の窓から、夕日が差し込んでいた。
ほとんど人のいない車内で、俺は、座席に深く腰を沈めた。角が、背もたれに当たっている。
バッグから、例のノートを取り出して、ぱらぱらとめくった。
一行目から、五行目まで、すべて、線で消されている。単発バイトも、フリマも、ポイ活も、魔法も、あの怪しい求人も。
全部、だめだった。
稼げるものを、片っ端から試した結果が、これだ。成果は、ポイント三十七円と、神社のおみくじ一枚と、精神的ダメージだけである。
窓の外を、街の景色が流れていく。商店街、コンビニ、小さな工場、遠くの山並み。みんな、誰かが毎日、地道に働いて、積み重ねてきたものばかりだ。
そういえば、前の会社で働いていたときも、そうだった。
毎日、同じ時間に起きて、満員電車に乗って、残業して、帰って、寝る。それを、何年も繰り返した。ただそれだけのことが、今の俺には、とても遠くて、尊いことに思える。
お金にも、魔力にも、近道はない。
そんな当たり前のことを、俺は、七時間のポイ活と、徹夜のテンションと、神社の五円玉(結局入れられなかった)を経て、ようやく思い知った。
「……分かったわよ。地道にやればいいんでしょう」
窓ガラスに映った紫髪の少女が、ふてくされたような顔で、こちらを見返していた。口調だけは、相変わらず堂々としている。
ただ、その目の奥は、どことなく、さっきまでより落ち着いていた。
俺は、ノートを閉じて、そっとバッグにしまった。
次の駅が近づいて、電車がゆっくりと減速していく。
帰ったら、まずは、うどんでも茹でよう。