朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
机の上に、現実を並べてみた。
通帳。家計簿ノート。レシートの束。それから、この半月ほどの活動記録を殴り書きしたメモ用紙が一枚。
メモの中身は、こうだ。
・VTuber「ダン子」……収益ゼロ。黒歴史つき
・単発バイトアプリ……身分証の顔が別人で登録不可
・フリマ……売れるのは相棒のPCだけ。だから売らない
・ポイ活……半月かけて数十円。駄菓子が一個買えるかどうか
・魔力で金策……出てきたのはパンツ
・怪しいバイト……想像してぞっとしたので却下
・パワースポット……おみくじは引いた。以上
並べ終えて、俺はしばらく天井を見た。
見事に全滅である。成功した項目が一つもないどころか、勝率というものを計算する分母にすら届いていない。
通帳の残高に目を戻す。下着代と返品手数料を引いても、まだ七か月分弱の生活費は残っている。これだけ見れば、わりと余裕だ。
余裕だったはずなのだ、検索窓に「退職後 国民健康保険 いくら」と打ち込むまでは。
表示された金額を見て、俺は静かにスマホを伏せた。それから、もう一度ひっくり返して、やっぱり同じ数字なのを確認した。年金、住民税も続けて調べたところで、手が止まった。毎月の出費が、俺の知らないところで勝手に増える仕組みになっている。大人の社会は、働いていない人間にも容赦なく請求書を回してくるらしい。
七か月分が、五か月分になった。紙の上で、貯金が音もなく溶けていく。
そして、相棒であるゲーミングPCを見て思い出す。
まだローン残ってるじゃん、と。
「……働くしかないわね」
声に出したら、がらんとした部屋に尊大な響きが転がった。まるで、世界征服の開戦宣言でもするような迫力である。内容はバイト探しだが。
俺はメモ用紙を丸めて、ゴミ箱に放り込んだ。外れた。
夜の十一時を回った頃、俺は帽子を目深にかぶって部屋を出た。
もちろん角は帽子を突き破るように突き出ているが、そこはもう気にしないことにした。夜道で人とすれ違う確率は低いし、すれ違ったとしても「コスプレです」で押し通す。押し通せなかったら、そのとき考える。
目指すのは、あのコンビニだ。黄色とオレンジの看板に、昇る朝日のロゴ。サンライズマート。この地方だけで展開しているチェーン店で、全国的に有名なあのコンビニに買収されるという噂が、あるともないとも言われている。
自動ドアの前に立つと、軽やかなチャイムが鳴って、俺を店内に迎え入れた。
レジには、大学生くらいの青年が一人。こちらを見て、帽子から突き出た角で視線が止まり、ほんの一秒だけ考えるような顔をして、静かに目を戻した。コスプレだと判断してくれたらしい。ありがたい。
目的のものは、レジの横にあった。
求人ポスターである。
前に見たときよりも、端の色が少しあせている気がする。「アルバイト募集」の大きな文字の下に、「未経験歓迎」「外国人の方も歓迎」「学生さん・主婦(夫)の方歓迎」と並んでいた。「夜勤は十八歳以上」の注意書きもある。時給は、思っていたよりもずっと現実的な数字だった。
一晩に何時間か働いて、この額。それを週に何日か。計算してみると、家賃と食費くらいはなんとかなりそうな線が見えてくる。
勇者ヒンメルの死から〇年後。人類は、こうして時給という魔法を生み出していたのだ。……いや、魔法ではない。ただの労働である。
ふと、頭をよぎった。ここの店長が不良に絡まれていた、あの夜だ。顔を見られたかもしれない、という不安がちらりと湧く。
いや、暗かった。逃げたのは一瞬だった。見えたのは背中くらいのものだろう。大丈夫だ、たぶん。俺はポスターの時給の数字を眺めて、その楽観にしがみついた。
意を決して、レジの前に進んだ。
「そこの店員」
口から出たのは、やはり尊大な声だった。青年が、びくりと背筋を伸ばす。
「このポスターの件で、話があるわ」
「え、あ、バイト希望ですか。はい、ええと、少々お待ちください」
青年は慌てて奥へ引っ込みかけ、すぐに戻ってきた。店長は今はいないこと、面接は昼間にやっていることを、手元のメモ帳を見ながら説明してくれる。
「明後日の午後三時でどうでしょう。お名前を教えてもらっていいですか」
名前。
来た、と思った。こっちは、本名を名乗る気などさらさらない。
「アウラ……ダントゥーダイ、よ」
「ダン……トゥ、ダイ? すみません、字は」
「カタカナで構わないわ」
青年はペンを走らせながら、少しだけ首をかしげた。外国の方だから珍しい名前なのだろう、と自分を納得させた気配がする。続けて電話番号を聞かれ、俺は佐々木琥太郎の携帯番号を、一桁ずつ丁寧に読み上げた。自分の番号を、他人のような顔で。
「当日は履歴書を持ってきてくださいね。写真つきで」
「……分かったわ。用意しておいてあげる」
なぜ上から目線なのか、自分でも分からない。青年は「あ、はい」と深々と頭を下げた。
店を出たあとで、俺は夜空を見上げてつぶやいた。
「履歴書、持ってないんだけど」
***
翌朝、サンライズマートの事務所で、山花田伊織は夜勤明けの青年から引き継ぎを受けていた。
「店長、昨日の夜、面接希望の人が来まして。明後日の三時にしてあります」
「ありがとう。珍しいね、夜に直接来るなんて」
「外国の方みたいでした。髪が薄い紫で、きれいな顔の女の子で……あと、帽子から角みたいなのが突き出てて」
「角?」
「コスプレだと思います。たぶん。すごく堂々としてました」
山花田は、コーヒーの紙コップを持つ手を止めた。
角のある、外国人風の少女。
数日前の夜が、ふっと頭に浮かんだ。公園で不良に囲まれたとき、「警察を呼んだわよ」という凛とした声が響いて、助けてくれた子がいた。名前を聞く間もなく、あっという間に走り去ってしまったあの子だ。帽子の下から何かが伸びていたような気もするが、暗かったので確かではない。
警察からも、通報者の連絡先を知りたいと言われている。山花田は、お礼を言いたいだけだ、と伝えておいたのだが。
「……いやいや」
首を振って、山花田は苦笑した。ものすごい偶然だが、この世の中に角のある女の子がそうそういるものでもない。本社からは「新規採用は慎重に」と言われているが、現場は人手が足りない。買収の噂があろうとなかろうと、シフト表の空白は待ってくれないのだ。
「まあ、会ってみれば分かるさ」
そう言って、山花田は温かくなったコーヒーに口をつけた。
***
履歴書は、サンライズマートの向かいにあった別のコンビニで買った。同じ店で買うのは、なんとなく気まずかったからである。
家に帰って、さっそく机に広げる。いちばん上の欄で、ペンが止まった。
氏名。
本名は書けない。かといって、白紙で出すわけにもいかない。俺は覚悟を決めて、一画ずつ慎重に、カタカナを並べた。
アウラ・ダントゥーダイ。
隣のふりがな欄に、ひらがなで同じ名前を書き写す。書き終えて、ようやく気づいた。この名前、断頭台のアウラを、そのまま「断頭台」だけ外国風に言い換えただけである。VTuberの「ダン子」と、大差ない。あの夜の俺は、なぜもう少し粘って考えなかったのか。悔やんでも、すでにダントゥーダイは電話番号と一緒に、あの青年のメモ帳に載ってしまっている。
生年月日は、二十歳になるように逆算した。電卓を叩いたのに桁を一つ間違えて、消しゴムで直す羽目になる。
学歴欄。何も書けない。五百年以上(実際には三十二年)生きている魔族が、どこの学校を出ているというのか。
職歴欄の一行目に、俺はつい「魔王軍
資格、なし。趣味・特技は、面接で聞かれたらその場で考えることにして、空欄のまま。小市民の俺は、こういうところで楽観的になる。
志望動機の欄には、正直に「お金が必要です」と書きかけて、これも消した。代わりに「地域のお客様に貢献したいです」と書く。嘘ではない。たぶん。時給分くらいは貢献する予定なので。
残るは写真だ。
翌朝、人通りの少ない早い時間を狙って、駅前の証明写真機に入った。カーテンを閉めると、狭い空間に、俺とアウラの顔が映る鏡だけが残る。
帽子を脱ぐと、角が壁にこつんとぶつかった。首の位置を調整しながら、カメラの枠から角を外そうとする。そうすれば、なんとか普通の女の子になるはずだ。写真上は。
しかし、どうしても角は写りこんでしまうことから、最終的に、俺はなにもかも諦めて撮影することにした。
「三、二、一」
機械の無機質な声に合わせて、瞬きを堪える。数分後、取り出し口に落ちてきた写真を見て、俺は絶句した。
白い背景の前に、薄紫の髪と濃い紫の瞳。頭の両側の角が、まるで最初からそこにあるべきものとして、堂々と写っている。証明写真というより、ゲームのキャラクター設定画だった。やけに映える。
「……採用されるのかしら、これで」
糊で貼りながら、俺は思わず声を出した。
面接の前日の夜は、服を選ぶ時間になった。
クローゼットを開ける。当然ながら、中身は全部、佐々木琥太郎のものだ。新品で買った女性用の下着以外は、すべて男物である。
選んだのは、会社員時代にいちばん上等だった白のワイシャツと、スラックスだった。面接なのだから、きちんとした格好でいくべきだ。袖を何度か折り返し、ベルトを締めて、シャツの襟を整える。靴は少し大きいが、仕方がない。
アイロンもかけた。蒸気を当てて、しわを一つずつ伸ばす。社畜時代に身につけた、無駄に高い家事スキルである。
鏡の前に立って、全身をチェックする。
うん。清潔で、きちんとしていて、礼儀正しい。身だしなみは、完璧だ。
……完璧、のはずだった。少なくとも、俺の中では。