朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~ 作:自分の性癖に素直になろう小説
午後三時ちょうど。サンライズマートの裏口の前で、俺は深呼吸を三回やった。
緊張している。たまらなく緊張している。三十二年生きてきて、面接というものには何度か挑んだことがある。だが、今回は事情が違う。履歴書の名前は偽名で、顔は別人で、頭には角が生えているのだ。確認すべき項目が多すぎて、心臓が勝手に走り出していた。
そして、俺は緊張すればするほど、口調が偉そうになる。
ドアをノックして、返事を待たずに開けてしまった。
「面接に来てあげたわよ」
やってしまった。いきなり「来てあげた」である。
事務所は、思っていたよりも狭かった。事務机、発注用の端末、防犯カメラのモニター、壁には朝日のロゴ入りカレンダー。その机の向こうに、丸みのある穏やかな顔つきの中年男性が座っていた。この人が、店長だろう。
慌てて頭を下げようとして、帽子の存在を思い出した。脱ぐと、角が堂々と現れる。まあいい。コスプレです、で押し通す。
「アウラ・ダントゥーダイよ。履歴書はここに」
差し出した履歴書を、店長は受け取った。受け取ったまま、動かなかった。
目が、俺の顔に釘付けになっている。
「……君」
「何かしら」
「この前の夜の、公園の」
心臓が、跳ねた。いや、跳ねたどころではなく、宙返りを決めた。
「な、何のことかしら。人違いではなくて?」
「その声。『警察を呼んだわよ』って、あのとき言ってくれた」
「気のせいよ。私は、そんな勇ましいことは言わないわ」
言った。完全に言った。しかも同じ声色で、同じ尊大さで、今この瞬間もやっている。否定すればするほど、同一人物である証拠を積み上げていくだけだった。
店長は、ふっと目尻を下げた。
「恥ずかしがらなくていいんだよ」
「恥ずかしがってなんかいないわ」
「あの夜は、本当に助かった。僕一人だったら、どうなっていたことか」
話が通じていない。通じていないのに、なぜか店長の中では全部つながっていくらしい。
「警察の人も、通報してくれた子を探していてね。連絡先を知りたいって言われたけど、お礼を言いたいだけだからって、それ以上は何も伝えていないから」
着信履歴の、あの知らない番号が脳裏をよぎった。冷や汗が背中を伝う。かけ直さなかった電話の持ち主が、まさか店長の口から出てくるとは。
「名乗り出たくない事情が、あるんだろう。大丈夫。君の居場所は、誰にも言わないよ」
店長は、そう言って、深くうなずいた。
違う。事情はあるが、その事情ではない。しかし訂正しようにも、どこから訂正すればいいのか分からなかった。
***
山花田伊織は、目の前の少女を、あらためて観察した。
顔立ちが、すごい。雑誌のモデルかと思うほどに整っている。薄紫の髪に、深い紫の瞳。角は、手の込んだカチューシャだろうか。やけにしっかりして見える。
ただ、服が。
白いワイシャツは、どう見ても成人男性のサイズだった。肩の縫い目は二の腕まで落ちている。袖は何度も折り返してあるのに、まだ手の甲にかかっている。スラックスの裾も、同じように何重にも折ってあった。ベルトには、元からあった穴の隣に、後から自分で開けたらしい穴が増えている。
靴も大きい。歩くたびに、かかとが浮いていた。
男物の服。お兄さんのお古だろうか。お父さんのだろうか。それとも誰かに借りているのだろうか。外国から来たのなら、頼れる家族が近くにいないのかもしれない。
それなのに、シャツには、きっちりアイロンがかかっていた。
山花田の胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
服を買う余裕もないのに、面接のために、できる限りの身なりを整えてきたのだ。一枚しかないシャツに、丁寧に蒸気を当てて。
最初は高校生くらいかと思っていた。だが、サイズの合わない服のせいで、余計に幼く見える。中学生にまで見えてきた。そうなると、頭の片隅に、よくない言葉が浮かんでしまう。
育児放棄、という言葉だ。
山花田は、静かに決意した。この子を、ちゃんと雇ってあげよう、と。
***
店長はやけに優しい目で、俺を見ていた。
なんだろう。妙に温かい視線を感じる。ワイシャツの袖がずり落ちてきたので、さりげなく直したら、店長の眉がなぜか悲しげに下がった。解せない。
「それじゃあ、面接を始めようか。まず、志望動機から聞かせてもらえるかな」
履歴書には、「地域のお客様に貢献したいです」と書いてある。それをそのまま読み上げるつもりだった。
口が開いた。
「お金がいるのよ」
違う。そうじゃない。履歴書に書いたほうを言うはずだった。
店長は、一瞬だけ目を閉じて、うん、うん、と何度かうなずいた。目頭を押さえているようにも見えた。
「正直でいいね。大事なことだよ」
なぜか合格した。
「勤務できる時間は、どれくらいかな」
「いつでも構わないわ」
「いつでも……」
店長は、ペンを持つ手を止めた。
「学校は?」
「行っていないわ」
「そう……」
事実だ。魔族に通う学校はない。しかし、店長の顔がどんどん沈痛になっていくのが分かる。
「ご家族は? 近くに、誰かいるのかな」
今度は、嘘をつかなくていい質問だった。
「遠くにいるわ。……田舎に」
実家の、佐々木の両親のことだ。事実としては間違っていない。けれど、店長の目の中で、何かがまた一段階、確信に変わった気がした。
「そうか。遠い国に、ご家族を置いて来たんだね」
「いえ、国というか、県の」
「いいんだ。無理に話さなくていい」
話を、遮られた。
履歴書の年齢の欄に、店長の視線が落ちる。二十歳、と書いてある。しばらく、そこを見ていた。それから、ゆっくり顔を上げた。
「……二十歳、なんだよね?」
「ええ、二十歳よ。見た目で判断するのは、感心しないわね」
「うん、そうだね。ごめんね……」
店長は、何かを呑み込むように、深くうなずいた。信じてくれたのか、信じたふりをしてくれたのか、判別がつかない。
「食事はちゃんと食べてるかい?」
「食事は、本来は不要なのよ。魔族だから」
「そ、そうか。面白いことを言うんだね」
店長は、笑った。笑ったが、その目の奥は笑っていなかった。まったく笑っていなかった。
「えっと……そのシャツ、サイズが少し大きくない?」
「問題ないわ」
店長は、それ以上何も言わなかった。言えなかった、という顔をしていた。
代わりに、店長は視線を、俺の頭の角へ向けた。
「その角、よくできてるね。何のキャラクターなのかな」
来た、と思った。聞かれるとは思っていたが、なんと答えるべきか。コスプレです、までは用意していた。「断頭台のアウラ」と名乗るべきだろうか。そして、履歴書に書いた名前の「アウラ・ダントゥーダイ」が視界に入る。
もう訳が分からないよ……。
「……私よ」
「うん?」
「だから、私。オリジナルというか、その、本人というか」
店長の顔に、じわじわと理解が広がっていった。
「ああ、自分で考えたキャラなんだね。すごいなあ、そこまで作り込んで。日本語も上手だし、アニメが好きなんだね」
「……嫌いでは、ないわ」
原作を最後まで読んだ人間として、そこは嘘をつけなかった。しかし、おかしい。『葬送のフリーレン』はアニメ化までしている大傑作なのに、この日本で知らない人間がいるのか?(いや、いない)
しかし、店長は目を潤ませた。日本の文化を愛して、遠い国から、頼れる人もいないまま、ひとりで暮らしている少女。店長の頭の中で、そんな物語が、完成していくのが見て取れた。
違うのだ。ほとんど全部が。
ただ、この流れで違うと言い出せるほどの度胸が、小市民の俺にあるはずもなかった。
店長は、ゆっくりと立ち上がった。
「よし。ちょっと、そこで待っていてくれるかな」
事務所の奥のロッカーを開け、そこから制服の帽子を一つ取り出す。サンライズマートの、朝日のロゴが入ったキャップだ。それを手に、店長は俺の頭の角を、じっと見つめている。
「うーん」
腕を組んで、少し悩んでから、店長は言った。
「ちょっとだけ待っててね。ハサミを取ってくるから」
ハサミ。
面接中に、ハサミ。
俺は、反射的に両手で角を押さえた。
え……まさか、切られるの……?