朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~   作:自分の性癖に素直になろう小説

19 / 19
19話 バイト店長と大魔族とハサミ

 

 戻ってきた店長の手には、ハサミと、定規と、鉛筆と、それから冷たい麦茶の入ったコップが乗っていた。

 

 順番がおかしい。ハサミの隣に、麦茶がある。

 

「ああ、驚かせちゃったかな」

 

 店長は、両手で角を押さえている俺を見て、慌てたように目を丸くした。

 

「大丈夫、角は切らないよ。切るのは帽子のほう。大事なものなんだよね、それ」

 

 そこまで言って、店長はコップを俺の前にそっと置いた。

 

「緊張してたでしょう。まず、これを飲んで。急がなくていいからね」

 

 ……なんだ、この人。

 

 麦茶は、よく冷えていた。喉を通ると、さっきまでの動悸が、少しずつ静かになっていく。面接に来た人間に、どうしてここまで気を遣えるのだろう。俺が前に勤めていた会社では、面接どころか、日常で麦茶を出された記憶などない。

 

「飲み終わったら、帽子をかぶってみてもらえるかな。角が、どのへんに当たるのか見たくて」

 

 言われたとおりにキャップをかぶる。角が、布の天井を内側から押し上げて、へにゃりと不格好に曲がった。

 

「うん、やっぱり。これだと、角が痛いよね。ちょっとだけ、触らせてもらってもいいかな。位置を測りたいんだ」

 

「……構わないわ」

 

 口から出たのは、いつもの偉そうな許可だった。店長は「ありがとう」と丁寧に頭を下げて、指先を、ほんのわずか角に触れさせた。

 

 途端に、背筋がぞくりとした。くすぐったいような、妙に落ち着かないような感覚である。こんなところを他人に触られた経験は、もちろんない。

 

「しっかりした作りだなあ。重たくないの?」

 

「……重くは、ないわ」

 

「そう。それは良かった。ちょっと、じっとしててね」

 

 店長は定規を取り出して、角の根元の幅と、頭からの距離を測り始めた。真剣である。眉間にしわを寄せ、鉛筆でメモを取り、また定規を当てる。その横顔は、国家試験の最終問題に挑む受験生のようだった。

 

 

 

 

 ***

 

 山花田伊織は、緊張していた。

 

 この子にとって、この角は、きっと大切なものなのだろう。本人が作ったのか、誰かが作ってくれたのかは分からない。けれど、触れる指に力を入れないよう、それだけは強く意識した。

 

 帽子に穴を開ければ、少なくとも角を無理に曲げることはなくなる。仕事中ずっと窮屈な思いをさせるのは、あまりにも忍びない。それくらいのことしか、今の自分にできないのが、少し歯がゆかった。

 

 印をつけて、ハサミを入れる。ほつれないように、事務所の引き出しからソーイングセットを取り出して、縁を丁寧にかがっていった。針を持つ指が不器用に震えたが、少女は何も言わず、じっと待ってくれていた。

 

 ベルトの穴も増やしてあげようか、と、喉まで出かかった。

 

 さすがに、それは飲み込んだ。初対面の相手の、ベルトの穴である。やさしさにも、越えてはいけない一線というものがあるだろう。

 

 

 

 

 ***

 

「できたよ。かぶってみて」

 

 渡された帽子は、さっきとまるで別物だった。朝日のロゴ入りのキャップに、角の通る穴が二つ、きれいに並んでいる。縁は、細かい糸でぐるりと縫い留めてあった。

 

 かぶってみる。

 

 角が、すとんと穴に収まった。窮屈さが、嘘のように消えた。鏡がないので見えないが、たぶん、すごくちょうどいい位置に収まっている。

 

「……痛くない」

 

「本当? 苦しくない? きつかったら、遠慮なく言ってね。何度でも直すから」

 

 何度でも。

 

 俺は一瞬、返事ができなかった。声が、喉の奥で止まっている。

 

「……問題ないわ。これで、いいのよ」

 

 出てきたのは、やはり偉そうな言い方だった。けれど、声がほんの少しだけ震えていたのに、自分でも気づいた。

 

 店長は、満足そうに目を細めた。

 

「じゃあ、これで決まりだ。採用ということで、お願いしたいんだけど、どうかな」

 

「……採用?」

 

「うん。うちで働いてもらえると、助かる」

 

 採用。

 

 俺は思わず、手元の履歴書を見た。偽名と、別人の顔と、白紙の職歴欄。それでも、だめではなかった。

 

「当面は、昼間の短い時間から始めようか。夜の勤務は、少し慣れてからにしよう」

 

 店長は、ペンでシフト表の隅に何かを書き込みながら言った。夜勤は十八歳以上、という決まりがある。書類の上では二十歳なのだから問題はないはずだが、店長の顔には「念のため」とはっきり書かれていた。

 

「それと、身分の確認できる書類を、いずれ見せてもらわないといけないんだけど」

 

 ぎくり、とした。

 

 来てしまった。この質問だけは、避けて通れないと思っていた。俺の免許証は、写真が別人である。見せたら最後、事件になる。

 

「……国に、置いてきたわ」

 

 嘘ではない。正確には、国ではなく、世界ごと置いてきたことになっているのだが。

 

 店長は、少しの間、何も言わなかった。それから、静かに息をついた。

 

「そうか。事情が、あるんだね」

 

「……」

 

「本当は、なるべく早く必要なんだ。でもね、無理に急かすつもりはないよ。少しずつ、できるところから考えていこう。困ったことがあったら、いつでも相談して。ここの電話番号、渡しておくから」

 

 それから、店長が少し悩み。

 

「それと、給与は銀行振込になるけど、口座はあるかな」

 

 口座なら、ある。佐々木琥太郎として使っていた、いつもの銀行口座だ。

 

「……あるわ」

 

「よかった。じゃあ、振込先だけ教えてもらえるかな」

 

 俺はスマホで口座情報を確認し、店長に伝えた。名義は、まだ佐々木琥太郎のままだ。説明を求められたらどうしようかと身構えたが、店長は一瞬だけ画面に目を落とし、それ以上は何も聞かなかった。

 

 そして、店長は、メモ用紙にさらさらと番号を書いて、渡してくれた。丁寧な字だった。

 

 助かった。助かったのだが、爆弾の導火線が、少し長くなっただけである。俺の内心は、安堵と不安の間を行ったり来たりしていた。

 

「制服は、いちばん小さいサイズを探しておくよ。ちゃんと合うのを用意するから」

 

「……そう。お願いするわ」

 

「名札は、どうしようか。ダントゥーダイだと、ちょっと長いかな」

 

「……アウラで、構わないわ」

 

「うん。アウラさん、だね」

 

 名前を呼ばれて、俺は、妙にむずがゆい気持ちになった。偽名であることを、いやというほど知っているのに。

 

 

 

 

 ***

 

 帰り際、店長は事務所の冷蔵庫から、弁当を一つ持ってきた。

 

「これ、よかったら持って帰って。今日の賞味期限が近いやつなんだ。どのみち廃棄になっちゃうから」

 

「憐みは受けたくはないわ」

 

「いいから、いいから。これからは遠慮しなくていいからね」

 

 店長は、あのやさしい目のまま、押しつけるでもなく、ただ静かに弁当を差し出していた。

 

 食事は不要だ。それは間違いない。ただ、食べれば数点でも魔力が回復する。安いスーパーまで遠出して節約している身としては、正直、ありがたすぎる提案である。

 

 それに、それ以上に。

 

 誰かに食べ物を分けてもらうなんて、いつぶりだろう。ブラック企業に勤めていた頃は、コンビニの割引シールすら、家に帰ってから見つけるような生活だった。

 

「……もらってあげるわ」

 

 手を伸ばして受け取る。袋が、思ったより温かかった。

 

「感謝、するわ」

 

 声に出して、それだけ言った。口調はやっぱり偉そうなのに、気持ちだけは、嘘をつけなかった。

 

 店長は、ふわりと笑った。

 

「うん。来てくれて、ありがとう。待ってるね」

 

 

 

 

 ***

 

 裏口の扉が閉まるのを見届けて、山花田は、椅子にゆっくり腰を下ろした。

 

 履歴書を、もう一度手に取る。偽名かもしれない。二十歳というのも、本当かどうか分からない。身分を示す書類もない。それでも。

 

 あの子は、帽子の穴を開けたとき、小さな声で「痛くない」と言った。

 

 それだけで、十分だった。ここは、あの子が安心して働ける場所にしよう。それが、公園で助けてもらった恩返しにもなる。

 

 山花田は、シフト表のマス目に、小さな文字で「アウラ」と書き込んだ。それから、少しだけ迷って、その隣に「SS」と付け足した。制服の、いちばん小さなサイズだ。

 

 

 

 

 ***

 

 帰宅して、レンジで弁当を温めた。

 

 食べながら、帽子の穴をそっとなぞる。縫い目は、驚くほどきれいだった。店長の不器用な手つきを、頭の中で再生してしまって、少しだけ笑えた。

 

 食べ終わって、洗面所の鏡の前で、俺はなんとなく帽子をかぶってみた。角が、ちゃんと穴から出ている。ぴったりだ。

 

 気づけば、片手を腰に当てて、もう片方の手で前髪をかき上げ、斜めに顔を傾けていた。

 

 鏡の中の大魔族が、不敵な笑みを浮かべている。

 

「……何をやっているのよ、私は」

 

 以前、鏡の前でポーズを決めた時とまったく同じ後悔が降ってきた。俺は帽子を脱いで、静かに洗面台に置いた。

 

 魔法で金を稼ぐ道は、ことごとく潰えた。動画配信でも、結局一円にもならなかった。偽物である30年以上生きた大魔族の力(笑)では、現代社会の壁は、まるで崩れなかった。

 

 行き着いた先は、コンビニのアルバイトである。時給という、実に地味で、実に堅実な魔法だった。

 

「……結局、コンビニのバイトね」

 

 鏡の中のアウラは、どこか誇らしげに、そして少しだけ情けなく、肩をすくめていた。

 

 こうして、断頭台のアウラ(偽)の金稼ぎは、魔法でも配信でもなく、いたって地道な形で、ようやく一歩目を踏み出したのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~(作者:TS女神)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

高校二年生だった高瀬悠真は、気まぐれな邪神によって異世界へ放り込まれた。▼そこは魔王によって人類が最後の一国まで追い詰められた、滅亡寸前の世界。▼それから二十六年。▼勇者となった悠真はついに魔王を倒し、さらには自分を異世界へ送り込んだ邪神まで撃破する。▼しかし、その代償――というより邪神からの余計な置き土産によって、悠真は絶世の美女神へと姿を変えてしまった。…


総合評価:1768/評価:8.24/連載:25話/更新日時:2026年11月03日(火) 07:05 小説情報

セレスちゃんねる ~TSして四百年、異世界の英雄が地球へ生配信を始めました~(作者:セレスちゃんねる)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

かつて日本で暮らしていた、一人の男子高校生。▼そんな彼が異世界エルセリアで絶世の美少女となり、気づけば四百年以上もの歳月が過ぎていた。▼幾多の冒険を経て、不老の英雄となったセレスティア。▼剣と魔法の世界を自由気ままに旅していた彼女は、長年の魔術研究の末、ついに遠い故郷である地球へ映像と声を届ける方法を発見する。▼「エルセリアの大地から、こんにちは!」▼美しい…


総合評価:3353/評価:8.56/連載:8話/更新日時:2026年11月02日(月) 11:30 小説情報

マンハッタンカフェの奇妙な現実来訪(作者:灯火011)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

こっちでカフェさんになっちゃったおっさんのお話。▼70話ぐらいでお届けしました。▼2026/11/01、0340。エピローグにて完結。


総合評価:5266/評価:8.82/完結:71話/更新日時:2026年11月02日(月) 23:49 小説情報

TS聖女、現代に帰還しアイドルになる(作者:ブリザード)(オリジナル:現代/コメディ)

クラスごと異世界に召喚されようとした中学生の白絃優は、召喚者との交渉の末単独で召喚され、召喚の影響で性転換し聖女アリサとして魔王や邪神と戦い抜いて異世界を救い、そして聖女の姿のまま現世に帰還する。▼この物語はそんな彼女が、現世にて何故かアイドルになってしまうお話。▼カクヨム、なろうでも掲載しています▼カクヨム https://kakuyomu.jp/work…


総合評価:1926/評価:8.45/連載:5話/更新日時:2026年11月03日(火) 10:25 小説情報

覇気だけが全てを凌駕する世界で「斬れぬものなど、あんまり無い!」(作者:麦らァのみょん)(原作:ONE PIECE)

魂魄妖夢としてTS転生したら目覚めた場所はワンピースの世界、最弱の海イーストブルー。▼流れで麦わらの一味に誘われてとりあえず半霊探しの旅に出る。▼


総合評価:1869/評価:8.16/連載:12話/更新日時:2026年10月22日(木) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>