朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~   作:自分の性癖に素直になろう小説

2 / 3
2話 冷凍うどんを食すしかないじゃない

 

 台所に立った俺は、冷凍庫の最後の一玉を鍋に放り込んだ。

 

 正確には、立とうとして一度失敗した。コンロのつまみに手が届かなかったわけではない。身長が十センチ以上縮んだせいで、昨日までの目測がことごとく狂っているのだ。換気扇のスイッチは、いつもより高い位置にある。

 

 鍋の中で、うどんが少しずつほぐれていく。

 

 ――ブブッ。

 

 テーブルの上でスマホが震えた。画面には、LINEの通知が三つ。

 

『連絡しろ』

『おい、聞こえてるのか』

『無断欠勤は懲戒対象だぞ』

 

 たった二分の間に、文面が「命令」から「脅迫」へと駆け足で進化している。進化の速さだけなら、ポケットに入れる怪物たちといい勝負だ。

 

 メールも来ていた。件名は「至急」「至急(再送)」「至急!!!」の三連発で、最後のものは感嘆符が増えている以外、前のとほぼ同じだった。

 

 ここで既読をつけたら終わりだ。向こうは「読んだなら返事ができるはず」と考える人種で、返事をしなければ、それを根拠にさらに怒る。既読は火に注ぐ油、通知欄は消火器。俺は画面を指先でそっと撫でて、プレビューだけで文面を読むことにした。

 

 お湯がぐつぐつと音を立てる。その横で、戸棚を開いた。

 

 米、なし。パスタ、なし。レトルトカレー、なし。冷蔵庫の中身は、醤油と、賞味期限が来月の梅干しと、謎の調味料の残党だけ。つまり、今茹でているこれが正真正銘の最後の一玉である。

 

 食べたら食料はゼロ。

 

 次に口へ入れるものを買うには、外に出なければならない。角と紫の髪と、日本人にはどうやっても見えない顔面を引っさげて。

 

「……考えるのは、食べてからにしましょう」

 

 口から出たのは、鈴を転がすような少女の声だった。しかも妙に偉そうだ。頭の中の俺は震えているのに、声だけがやたらと堂々としているのだから、実に始末が悪い。

 

 

 

 

 

 どんぶりに移したうどんに、めんつゆをかけてネギを散らす。

 

 その間、台所の窓ガラスに、うっすらと自分の姿が映っていた。

 

 薄い紫色の髪が、肩のあたりでふわりと揺れている。瞳は濃い紫で、まつ毛が長い。透き通るような白い肌に、頭の両側から巻いた角が二本。服はスーツから着替えた、灰色のくたびれたスウェットのままだが、サイズが合わず、袖が余って指先しか出ていない。

 

 そこにあるのは、ファンタジー世界から丸ごと切り取ってきたような美少女である。生活感の塊である1Kの台所に立っていることだけが、致命的に似合わない。背景に冷蔵庫の唸りとシンクの水垢がある時点で、絵面は既におかしかった。

 

 そんな彼女が、右手に割り箸を持っている。

 

「いただきます」

 

 パキッと割って、慣れた手つきで麺を持ち上げる。三十二年間の人生で鍛えた箸さばきは、体が変わっても健在だった。これは嬉しい誤算だ。ところが、すすった瞬間にどうしようもなく異様な光景ができあがる。

 

 角つきの魔族が、夜型社畜の食卓で、ずるずると音を立てて麺をすすっているのだ。

 

 窓に映ったその姿を見て、自分で吹き出しそうになった。原作では、この少女は残酷な笑みを浮かべて、人間の首を並べていたはずなのに。今は、ネギを噛んでいる。

 

「……まあ、悪くない味ね」

 

 偉そうな口調が余計に滑稽だ。ひとりで何を評論しているのか。

 

 

 

 

 

 麺の半分を食べ終えたところで、ふと思い立った。

 

 もしかして、二次創作なら自分と同じ状況になった話があるのでは?

 

 思い立ったが吉日。俺はスマホを手に取り、フリーレンの二次創作を検索した。検索窓には「フリーレン 二次創作 アウラ」と入れる。ついでに「憑依」も足しておいた。

 

 結果はすぐに出た。

 

 大量に。

 

『転生したら断頭台のアウラだった件』

『アウラ様の異世界リスタート』

『最強の七崩賢(しちほうけん)になったので魔族の仲間を増やします』

 

 ずらりと並ぶ、「転生系」のタイトルたち。

 

 どの作品を開いても、舞台はきちんとフリーレンの世界だった。剣と魔法の大陸で、アウラとして目覚めた主人公たちは、最強の軍勢を率いたり、魔族の仲間をつくったり、勇者パーティーに怯えたりと、実に生き生きと冒険している。

 

 俺は一本ずつ、粘り強く確認していった。

 

 ない。

 

 現代日本の自室で、角つきで目覚める話は、見つからない(※)。

 

 

 

 ※実際には、似た作品はたくさんあります。

 

 

 

 つまり、俺は物語の主人公ですらないのだ。物語になる前の、ただの異常事態。

 

「……転生組は、魔法でなんとかなる世界でいいわね」

 

 ため息まじりのつぶやきは、はっきりと羨望の色を帯びていた。あちらには当たり前のように魔物や魔法があって、中世的な仕組みの世界観だ。だから、身分証がなくても、とりあえず生きていける。

 

 一方の俺はどうか。

 

 部屋を見回す。家賃四万円。築年数不明。壁は薄く、隣の住人の咳払いまで聞こえる。窓の外には、電柱とゴミ置き場しか見えない。

 

「私は家賃四万円の1Kよ。月給は手取りで二十万円以下……」

 

 言った瞬間に、自分の声があまりにも堂々としていて、また落ち込んだ。

 

 画面の中のアウラたちは、色々な仲間たちに囲まれていた。画面の外の俺は、のびかけのうどんに囲まれている。

 

 世の中は不公平である。

 

 麺をすすりながら、ふとカーテンの隙間に目がいった。

 

 窓の外では、買い物帰りの主婦と、ジャージ姿の学生と、犬を連れたおじいさんが、のんびりと通り過ぎていく。

 

 そうだ、魔力感知を試してみよう。

 

 俺は目を細めて、息を整えた。さっきは自分の魔力が「弱い」としか分からなかったが、他人ならどうだろう。もしかしたら、街中に強い魔力の持ち主が紛れているかもしれない。万が一、勇者パーティーの子孫とか、フリーレンの関係者とか、そういう物騒な存在が。

 

 一人目、買い物袋を提げた主婦。

 

 ……弱い。

 

 二人目、ジャージの学生。

 

 ……弱い。

 

 三人目、犬を連れたおじいさん。

 

 ……弱い。ちなみに犬も弱い。

 

 結局、全員が「弱い」の一言で片づいた。

 

 ここで、新たな疑問が生まれる。自分の魔力もまた、「弱い」のだ。物差しが一本しかないので、誰と比べても同じ結果にしかならない。

 

「私が弱いのか、世界が弱いのか、どっちなのよ」

 

 首をひねった拍子に、角がカーテンに引っかかった。慌てて外すと、レースが少しだけほつれた。賃貸なので、これも修繕費の候補に入れるべきか。頭の中の家計簿が、勝手に新しい項目を追加していく。

 

 気を取り直して、残りのうどんを胃に流し込む。

 

 ふと、気づいた。

 

 体が、ほんのりとあたたかい。

 

 お腹の底のあたりに、湯たんぽを入れたようなぽかぽかが広がっている。うどんが温かかったからだろうか。それとも、単に緊張がほぐれただけか。

 

「……気のせいよね」

 

 まだ、俺は知らない。その「ぽかぽか」が、この世界で自分が生き延びるための、最初の手がかりだということを。

 

 どんぶりの底に残っためんつゆを、じっと見つめる。

 

 食料は、ゼロになった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。