朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~   作:自分の性癖に素直になろう小説

4 / 4
4話 アウラ様(偽)とバランス釜のお風呂

 

 唐揚げ弁当の空き容器をゴミ袋に突っ込んだところで、俺は重大な事実に思い至った。

 

 風呂に入っていない。

 

 厳密には、昨日から一度も体を洗っていない。何しろ始発で会社から帰ってきてから、起きてすぐにアウラになり、鏡の前で固まり、魔法を試し、怯え、うどんを食べ、外出して、今に至る。一日の濃度が高すぎて、入浴という概念がどこかへ吹き飛んでいた。

 

 ただ、気づいてしまった以上は放置できない。社畜の習性として、風呂に入らずに寝ると翌朝の後悔が三倍になることを、俺は経験則で知っている。

 

「……入るしか、ないわね」

 

 声だけは決意に満ちた女王様だった。足元のニット帽が、床の上で静かに転がっている。

 

 浴室のドアを開けると、見慣れたレトロな空間が広がっていた。

 

 築年数不明の賃貸にふさわしく、壁は緑がかった古いタイル。窓は小さな曇りガラス。そして浴槽の横の壁には、でんと据え付けられた銀色の箱がある。バランス釜、通称BF釜である。外の壁に抜ける煙突の跡が、年季の入った茶色いシミになっていた。

 

 こいつは、気難しい。

 

 まず、湯を張る。浴槽の水位が、釜の取水口より上に来るまで、点火してはいけない。空焚きをすれば、湯どころか釜が悲鳴を上げて壊れる。俺はこの部屋に越してきた初日、大家さんからそう念を押された。

 

 蛇口をひねる。ごうごうと水が落ちはじめた。

 

 湯が溜まるまでの二十分間は、完全な空白時間だ。その間、俺は脱衣所のカゴの前で、静かに煩悶していた。

 

 ――何を着替えに持っていくか、という問題である。

 

 手元にあるのは、男物のTシャツと短パンと、トランクス。それだけだ。タンスの中身は、三十二年間の独身男性の総決算であり、それ以上でも以下でもない。

 

 いや、待て。

 

 この体に、トランクスは、合うのか。

 

 いやそもそも、女の子というのは、何を着けるのだ。

 

 頭の中で、知識の引き出しを片っ端から開けてみる。ブラジャー、ショーツ、キャミソール、スリップ。名前だけなら、どれも聞いたことがある。ただ、何がどう違うのか、サイズは何で決まるのか、そもそもどこで売っているのか、そうした具体的なことは、何ひとつ知らない。男として生きた三十二年間で、一度も必要がなかった知識だ。

 

 ネットで調べてみようか。

 

 ……いや、この顔でスマホを見ながら、女性用下着の検索履歴を積み上げていく自分を想像すると、頭が痛くなる。しかも、買うとなれば店頭か通販だ。店頭は角つきで入店する勇気がない。通販は受け取りで配達員と対面する。その配達員に、男性名義の荷物を受け取りに出てくるのは、角つきの美少女。

 

 ――後回しだ。

 

 俺は、思考の蓋を、そっと閉めた。

 

 これは、現実逃避ではない。戦略的撤退である。そう自分に言い聞かせて、トランクスを一枚、カゴの上に置いた。サイズが合うかは、風呂上がりに考える。

 

 水位が、ようやく釜の取水口を越えた。

 

 点火つまみを押し込んで、ぐいっと回す。パチ、パチ、と火花が散る音。そして、ボッ。

 

 青い炎が、釜の中で小さく灯った。

 

 その瞬間、思わず体がびくっと跳ねた。魔族が火を怖がるのも妙な話だが、これはただ単に、古い釜の点火音が毎回心臓に悪いだけだ。

 

「……毎度ながら、脅かしてくれるわね」

 

 釜に向かってそんな挨拶をする角つきの美少女は、世界でも俺くらいのものだろう。

 

 

 

 

 

 服を脱ぐ段になって、俺は最初の決まりごとを作った。

 

 鏡は、見ない。

 

 洗面所の鏡は正面から見ない。気合である。後は、浴室から出るときには湯気で曇らせることにした。BF釜は火力が強いので、湯気の出力に関しては、現代のどの設備にも負けない。初めてこの古い釜に感謝した。

 

 浴室に入る。扉を閉める。目を閉じる。

 

 手探りで、洗面器とシャワーを探した。

 

 まず、シャワーヘッドの位置が高い。朝までの俺の目線なら、ちょうどいい高さだった。今の俺だと、つま先立ちをしないと届かない。腕を伸ばすと、袖ではなく素肌が、ひんやりした壁に触れる。この妙な違和感は、何度経験しても慣れない。

 

 次に、髪。

 

 長い。とにかく長い。背中の半ばまである髪が、お湯を吸って、ずっしりと重くなっていく。シャンプーを手に取って、いつもの量で足りるかと思ったら、全然足りなかった。二回出して、三回出して、ようやく頭全体に行き渡る。

 

 泡立てると、ふわふわの白い山ができた。

 

 その山の両側から、にょっきりと二本の角が突き出ている。

 

 角にも泡がついた。洗うべきか、洗わざるべきか。迷ったあげく、タオルで軽くこすってみる。

 

 すると、タオルが引っかかった。

 

「ちょっ……」

 

 角の溝に、タオルの繊維がきっちりはまり込んでいる。引っ張ると、頭がぐいと傾く。傾けて外そうとすると、今度は反対側の角が壁にコツンと当たった。

 

 一人で何をやっているのだ、俺は。

 

 結局、角は手でそっと撫でるだけにとどめて、泡を流すことにした。目をつぶったままなので、シャワーの位置を探る手が、しばらく空をさまよう。

 

 体のほうは、必要最低限だけ洗って、あとは触れないことにした。紳士協定のようなものだ。誰と協定を結んでいるのかは、自分でも分からない。

 

 一通り終えたところで、いよいよ湯船に足を入れる。

 

「……あっつ!」

 

 反射的に足を引っ込めた。

 

 思わず目を開いて、白い生足が視界に入り込む。慌てて目をそらす。

 

 BF釜の湯は、こういうところがある。釜に近い側の水温が極端に高くて、遠い側がぬるい。かき混ぜないと、湯が層になってしまうのだ。俺は、浴槽の手前に置いてある、湯をかき混ぜるための古い棒を取って、ぐるぐると円を描いた。

 

 何度か往復して、ようやく熱さが均等になる。

 

 ゆっくりと、肩まで湯につかった。

 

「……ふぅ」

 

 深いため息が漏れた。

 

 疲れた。今日という一日は、あまりにも長かった。体がお湯に溶けていくような感覚は、男でも女でも、おそらく大きくは変わらない。

 

「悪くない湯加減ね」

 

 つぶやくと、浴室にやけに響いた。

 

 反響のせいで、声が数割増しで威厳を帯びる。大魔族の独白めいた響きだ。さっきまで泡と角で格闘していた奴が出していい声ではない。

 

 天井を見上げて、しばらく何も考えずにぼうっとした。

 

 窓の外では、遠くで救急車のサイレンが鳴っている。浴室の湯気が、小さな窓ガラスをゆっくりと曇らせていく。

 

 ――静かだ。

 

 そのとき、ふと、ある違和感が頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

 トイレに、行っていない。

 

 俺は、湯の中で、ゆっくりと目を開けた。

 

 今朝から、一度も。

 

 振り返ってみる。朝起きて、昼過ぎにうどん。夕方に水分補給として軽く水だけ飲んで、夜に唐揚げ弁当とおにぎり二個と総菜パン。水分だけでも結構、摂っている。普通なら、とっくに三回や四回は行っている頃合いだ。

 

 ところが、尿意も、便意も、まったくない。

 

 恐る恐る、細い腰にあたりにある真っ白なお腹に手を当ててみる。

 

 平らだった。唐揚げ弁当を食べたあとの満腹感はあるのに、胃が膨らんでいる気配が、まるでない。

 

「……ん?」

 

 疑問が、じわじわと形になっていく。

 

 食べたものは、どこへ行った。

 

 俺はしばらく黙って考えた。そして、ふと、昼のうどんのあとの「ぽかぽか」を思い出した。お腹の底があたたかくなって、気のせいかと流した、あの感覚。

 

 もしかして、食べたものは、魔力に変わっているのではないか。

 

 あくまで仮説だ。確かめる術はない。だが、辻褄は合う。魔族は、人間のように食事をして排泄する生き物ではない。原作でも、そんな描写は見た覚えがない(いや、漫画だから描写されていないだけかもしれないが)。あの連中は、魔力そのものを糧にして、魔力そのもので体を維持している。

 

 魔力で、体を。

 

 もう一つ、連鎖的に思い出した。

 

 原作の魔族は、死ぬと服と体ごと消えていく。そして、あの服は、いつ見ても同じ形をしている。着替える描写も、洗濯する描写もない。魔族の服は、魔力でできているのだ。

 

 ということは。

 

「……服も、作れるんじゃないの?」

 

 湯船の中で、私は小さくつぶやいた。

 

 瞬間、頭の中に、新しい可能性が一気に広がった。

 

 服が作れるなら、サイズの合わない男物の服に悩まなくていい。服が作れるなら、下着の問題も、解決するのではないか。服が作れるなら、お金をかけずに、身だしなみが整えられる。

 

 夢が膨らむ。ぐんぐん膨らむ。

 

 そして、湯船の中の俺は、にわかに勢いよく立ち上がった。

 

 ザバァッ。

 

 湯が波打って、浴槽の縁からあふれ出る。ついでに角が、天井の電球にコツンとぶつかった。

 

「いたっ」

 

 痛みをこらえて、浴槽をまたぐ。

 

 試す価値は、ある。

 

 ただし、風呂上がりの、ちゃんと体を拭いたあとで。

 

 この夜、俺はまだ知らなかった。この思いつきが、人生で一番寒い実験になることを。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

YouTubeでも朗読動画を公開中!▼YouTubeで「俺の異能が中華ゲーだった」と検索してみてください。▼ ブラック企業を辞めて十一ヶ月。実家で無職生活を送っていた34歳の森川直哉の前に、ある朝突然、ゲームのような画面が現れた。▼ その名も《因果集結クロニクル》。▼ キャラクターガチャ、武器ガチャ、レベル、スキル、限定バナーに天井――どう見ても現代の中華系…


総合評価:8140/評価:8.45/連載:71話/更新日時:2026年10月18日(日) 21:09 小説情報

漏瑚(ロリ)になった男(作者:かしわくん)(原作:呪術廻戦)

▼現代に生きる男子高校生が戦国の世、ましては呪術廻戦の世界に転生を果たし、地獄を生き抜いていく物語。主人公の見た目のイメージはおきゃんチャンネルさんの人間になった漏瑚です


総合評価:41/評価:-.--/連載:1話/更新日時:2026年10月18日(日) 11:06 小説情報

産廃スキル『性転換』で魔法少女になったら戻れなくなった(作者:ぷに凝)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

 スキルが一人につき一つしかない世界で、小林大翔が引き当てたのは『性転換』。▼ 性別を変えるだけの戦闘向きではない産廃スキル――のはずだった。▼ だが、女性専用装備『魔法少女のドレス』との組み合わせにより、その常識は覆る。▼ ドレスの力で圧倒的な戦闘能力を手に入れた大翔は、正体を隠したまま謎の魔法少女『プリムノヴァ』として活動を開始。▼ 少女の体と魔法少女の…


総合評価:994/評価:6.86/連載:71話/更新日時:2026年08月11日(火) 18:49 小説情報

ダンジョンの最奥にTSアイテムを置くな(作者:いちごゴーレム)(オリジナル:現代/ノンジャンル)

現代ファンタジーに転生した結城玲は、誰も来ないようなダンジョンの最深部で見つけた腕輪つけたせいでTSしてしまう。▼この世界の主人公みたいなやつに助けられたり、腕輪に封じられた魔女を自称する存在とかに振り回されながら、ヤケクソで日々を乗り切っているときに気付いた。▼この立ち位置、ヒロインみたいじゃんって。▼不定期更新


総合評価:158/評価:7.38/連載:5話/更新日時:2026年06月17日(水) 19:03 小説情報

僕と契約してお嫁さんになってよ!(作者:ゆでたまごやき)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

これは暁美ほむらに一目惚れしたキュゥべえがほむらを娶る為に奔走するお話。


総合評価:1302/評価:8.96/連載:9話/更新日時:2026年10月16日(金) 17:46 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>