朝起きたら「断頭台のアウラ」になった元男性サラリーマン ~現代社会でお金を稼ぐ魔法なんて無いじゃない~   作:自分の性癖に素直になろう小説

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9話 ジュエリーショップとランジェリーショップって語感が似てるじゃない

 

 退職してから、食事による魔力回復の為、数日間は食っちゃ寝をしていた、中身は元男で元サラリーマン。今は無職の「断頭台のアウラ(偽)」。

 

 改めて、魔力について調べる為に、先日来たジュエリーショップに再び訪れることにした。

 

 

 

 

 

 ショーウィンドウの向こうで、ダイヤモンドが静かに光っていた。

 

 ガラス越しの輝きを見た瞬間、湧いてきたのは、はっきりとした食欲だった。

 

 いや、食欲というか。これは、もっと純粋な「欲しい」だ。

 

(やっぱり、濃い。なんだこれ、魔力の蓄積量の桁が違う……)

 

 魔力感知が、勝手に仕事をしている。硬度の高い宝石ほど魔力を吸い込みやすい、という自分の仮説は、どうやら間違っていないらしい。ケースの中央に鎮座する小さな石は、そこらを歩く通行人の誰よりも、ずっと濃い魔力をまとっていた。

 

 俺は吸い寄せられるように、ガラスへ顔を近づけた。

 

 そして、値札を見た。

 

 ゼロの数が、おかしい。いや、おかしくない。正しい。宝石として正しいゼロの数だ。ただ、俺の財布と通帳と今後の人生にとっては、致命的におかしい。

 

「……っ」

 

 声が出なかった。出なかったのだが、喉の奥で何かが潰れたような音はした。

 

「これは、人間どもでは本当の価値が分かるわけがないじゃない。この私なら、本当の意味でこの宝石を利用してあげられるわ」

 

 口が、勝手に喋った。

 

 しかも、隣を通りかかった買い物帰りのおばさんが、びくっとして俺を振り返った。まずい。どう見ても、子供が宝石店の前で大人ぶっているようにしか見えない。いや、むしろ、頭に角を生やした外国人の少女が、宝石店の前で本当の価値の話をしているのだ。事案である。

 

(違うんです、違うんです、俺は怪しい者じゃなくて)

 

 内心で全力の言い訳をしながら、口は「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んでいる。おばさんは、見てはいけないものを見た顔で足早に去っていった。

 

 俺は肩を落とした。落としたつもりだったが、体は胸を張ったままだった。緊張すると尊大さが増す。これも相変わらずだ。

 

 ガラスに、自分の姿が映り込んでいる。

 

 淡い紫の髪。濃い紫の瞳。頭の両脇から伸びる、立派な角。そこまでは、いつもの見慣れた(いや、全然見慣れてはいないが)アウラだ。問題は、その下だった。

 

 首元がだるだるに伸びた、くすんだグレーのスウェット。元は俺が就職祝いに自分で買った、思い出も何もない部屋着である。袖は余り、裾は膝のあたりまで落ちている。足元は、サイズの合わないサンダル。

 

 ジュエリーショップの上品な照明の中に、ひとりだけ、完全に場違いな何かが立っていた。

 

(これ、宝石店の前に立っていい格好じゃないよな……。というか、これで町中を歩いていたのか、俺)

 

 以前の出社の時は、ぶかぶかのスーツを着ていた。あれはあれで酷かったが、スーツには「社会人です」という最低限の言い訳が通用した。部屋着には、通用する言い訳がない。

 

 値札と、スウェットと、角。三つ並べて眺めた俺は、そっとショーウィンドウから離れた。

 

 

 

 

 

 家に帰り着いて、ちゃぶ台の前に座る。

 

 通帳。スマホの家計簿アプリ。去年の給与所得の源泉徴収票。引き出しの奥から出てきた保険の書類。全部をちゃぶ台の上に広げて、深呼吸をひとつ。

 

 現実を、見る。

 

 まず、収入だ。現在はゼロである。当たり前だ、俺は先日、会社を辞めたのだから。しかも辞めるときに、退職金も、未払いの残業代も、有給の買い取りも、何ひとつ請求しなかった。

 

(あの時、「退職金も出せ」って言えばよかったのに……。いや、それはもう何度も後悔したから、考えるのはもうやめよう)

 

 次に、支出。家賃が四万円。光熱費とネットとスマホ代で、ざっくり一万五千円。食費は、魔力の補給を兼ねるので削れない。国民健康保険や年金は、会社を辞めたので今後は自分で払う必要がある(今の自分が保険や年金の恩恵があるのかは不明)。この辺りを全部ひっくるめると、月の出費は仮に八万円前後だった。

 

 通帳に残っている金額を、その八万円で割る。

 

 電卓の画面に、「7.5」と出た。

 

「……七か月」

 

 声に出してしまった。口から出たのは、いつものアウラ口調だ。

 

「私に残された猶予は、たったの七か月だというの? 冗談じゃないわ」

 

 冗談じゃない。本当に冗談じゃない。冗談であってほしい。

 

 七か月。つまり、来年の春には、この家を追い出される。戸籍も身分証もない、角つきの少女が、である。

 

(いや、待て待て待て。落ち着け俺。貯金が尽きるのは七か月後だけど、ゲーミングPCを買い替えたのがなければ、あと数か月は延びてたんだぞ……って、それは今さら言っても仕方ないやつだ)

 

 ちなみにそのPCは、足元で静かにファンを回している。最近、奮発して買い替えたばかりの、我が家で一番高価な家電だ。その存在が今、急に眩しく見えてきたが、それはまだ後の話だ。

 

 俺は電卓をそっと脇へ押しやり、もうひとつ、見ないふりをしていた項目に目を向けた。

 

 衣類。

 

 家計簿アプリの予算欄に、新しく「服」という項目を作る。そして、その下に、「下着」と打ち込もうとして、指が止まった。

 

 下着。

 

 そう、下着だ。

 

 アウラになった最初の夜。

 俺は風呂場で全裸になり、魔力で服を作ろうとして力が抜け、結局、考えるのを後回しにした。あの時の俺は、「元男だから知識がないし、そのうち何とかなるだろう」と、実に楽観的だった。

 

 それから、今日まで、ずっとそのままである。

 

 つまり今、このスウェットの下は。

 

(……考えないようにしてきたけど、そろそろ限界だよな)

 

 外に出れば、人目がある。電車にも乗る。コンビニで働く可能性もある。いつまでも、スウェットの下をこの状態で過ごすわけにはいかない。いや、正確には、俺が過ごしたいかどうかではなく、世間が許さない。

 

「仕方ないわね。この件は、早急に解決しなければならないようね」

 

 口は相変わらず偉そうだが、中の俺は、完全に腰が引けていた。

 

 

 

 

 

 結論から言うと、店には行けなかった。

 

 想像してほしい。三十二歳の独身男が、いや、今は見た目が未成年ぐらいの美少女だが、とにかく中身は三十二歳の男が、女性用下着の専門店に入る図を。しかも頭には角が生えている。レジの人は一体どんな顔をするのか。いや、その前に俺自身が、どんな顔をして店内を歩けばいいのか。

 

 無理だ。想像しただけで、胃のあたりがきゅっと縮んだ。

 

 そういうわけで、通販である。

 

 スマホで「女性 下着 通販」と検索する。画面いっぱいに、並ぶ並ぶ、色とりどりの商品。俺は無言のまま、そっとスマホを裏返してちゃぶ台に伏せた。

 

「……ふぅ」

 

 深呼吸。もう一度、スマホを手に取る。

 

 今度は覚悟を決めて、画面をスクロールした。しかし、すぐに別の壁にぶつかった。

 

 サイズ表である。

 

 アンダーバスト、トップバスト、カップ。A、B、C、D。数字とアルファベットが入り乱れて、何ひとつ意味が分からない。男物の下着にSMLがあることしか知らない俺に、この暗号は解読不能だった。

 

 検索窓に「アンダーバスト とは」と打ち込む。出てきた解説を読みながら、俺は何をやっているのかと、静かに天井を仰いだ。

 

 解説によれば、自分のサイズはメジャーで測るらしい。つまり、自分で自分の体を測る必要がある。

 

「…………」

 

 沈黙のまま、引き出しからメジャーを探し出す。三十二歳独身男の部屋に、よくそんなものがあったものだと思ったが、確か昔、引っ越し用に100均で買ったものだ。

 

 スウェットをまくり上げ、メジャーを巻きつけ、数字を読む。

 

 数字を読んだ。

 

 もう一度、読んだ。

 

 解説ページに載っているサイズ早見表と、自分の測った数字を、三回、突き合わせた。

 

(……ずいぶん、大きくないか?)

 

 いや、感覚としては分かっていた。分かっていたのだ。体を動かすたびに、何かが重心を主張してくることには、ずっと気づいていた。ただ、それを直視する勇気がなかっただけで。

 

 俺は震える手で、通販サイトのカートに、それっぽいサイズの商品をひとつ入れた。いちばん安く、いちばん地味で、いちばんシンプルなやつ。色は無難な白。

 

 購入ボタンを押す直前、一瞬だけ手が止まる。

 

(いや、もうここまで来たら、押すしかないだろ)

 

 ぽちっ。

 

「……ふん、私としたことが、随分と手間取ったわ」

 

 誰に向けたのかも分からない強がりが、静かな部屋に響いた。

 

 

 

 

 

 荷物が届いたのは、二日後だった。

 

 宅配のお兄さんが玄関先で荷物を渡してくれた時、俺は帽子を目深にかぶり、サイズの大きなマスクをつけ、完全防備の不審者として応対した。お兄さんは何も言わずに伝票を差し出したが、受け取った後、扉を閉めるまでの間、頭の上の角のあたりを一瞬だけ見ていた。たぶん、気のせいではない。

 

 俺は無言で扉を閉め、荷物をちゃぶ台の上に置いた。

 

 小さな包みである。中身は、たった一枚の布。それなのに、開封するまでの間に、俺は五回ほど深呼吸をした。

 

 開けた。白い、シンプルな、いかにも「下着です」という顔をした布が出てきた。

 

 手に取る。広げる。着け方を、動画で予習した通りに、おそるおそる試す。

 

「…………」

 

 入らない。

 

 いや、入るは入る。入るのだが、収まらない。収まるべきところに、収まっていない。はみ出している。そして、どこがどうとは言わないが、全体的にものすごく苦しい。

 

 俺は鏡の前で、そっと布を外した。

 

「……ふむ」

 

 腕を組んで、しばし考え込む。

 

 サイズ表の数字は、確かに合っていたはずだ。何がいけなかったのか。もう一度スマホを手に取って、返品ページを開く。

 

 返品の送料、自己負担。

 

 画面の隅に、小さく表示された数字を見た。大きな金額ではない。だが、今の俺にとっては、おにぎり数個分の重みがあった。

 

「……はぁ」

 

 結局、俺は返品の手続きをして、その布を段ボールに戻した。出費だけが増えて、何も得られなかった。まったく、割に合わない取引である。

 

(しばらくは、これでいくしかないか)

 

 スウェットを直す。サイズはぶかぶかだ。だから、見た目にはそれほど分からないはずだ。そうだ、そのはずだ。部屋の中なら誰にも見られないし、ちょっと外に出るくらいなら、上からパーカーを羽織ればいい。

 

 いや、何を言っているんだ俺は。

 

 しかし、他に選択肢がないのも事実だった。

 

「まあ、一時的なものよ。そのうち、どうにかなるわ」

 

 口から出た言葉は、妙に堂々としていた。中の俺は、必死にそれに便乗した。

 

(そうだ、一時的なものだ。うん、一時的、一時的。まあ、いいか)

 

 こうして、俺は下着問題をまた後回しにした。

 

 後回しにしたことを、後で心の底から後悔することになるのだが、この時点の俺は、まだそれを知らない。

 

 

 

 

 

 ところで、家計簿である。

 

 ちゃぶ台の上には、減っていく残高の数字と、「七か月」という呪いの数字が残っていた。

 

 俺は、パソコンのスリープを解除した。画面がぱっと明るくなり、ファンが静かに唸りはじめる。

 

「……在宅で稼ぐ、か」

 

 つぶやきは、いつものアウラ口調だった。

 

 ここから、俺の「稼ぐ方法探し」が始まる。

 

 

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