ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
現世と隠世が交わる、逢魔ヶ刻。
緑谷出久は、謎の電話音に怯えていた。
音が聞こえるのは、ビルとビルの隙間を抜けた先にある、使われていない廃ビル。
窓ガラスは割れ、防犯設備などとうに機能していない。壁には蔦が這い、床には割れた硝子やら何やらが散らばっている。
そもそも、ここは建物としての安全性すら怪しい。
そんな場所に――一台の古びた電話があった。
黒い電話。
受話器には長い年月を感じさせる傷があり、電話台そのものも随分と古い。
アンティーク、と呼ぶのが正しいのだろうか。
ただ一つ。
この場には似つかわしくない。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
「な、何が……」
緑谷出久が一歩下がる。
それに合わせるように、電話が鳴る。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
「っ!」
一台ではない。
二台。
三台。
四台。
気付けば、廃ビルの中には十数台ものアンティーク電話が並んでいた。
どれも同じように古びている。
どれも同じように、受話器が置かれている。
そして――
すべてが、鳴っている。
まるで、何かを呼んでいるように。
まるで、誰かを待っているように。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
「……」
緑谷出久は恐る恐る、一番近くの電話へ手を伸ばした。
受話器に指が触れる、その寸前。
ガチャ。
後ろから、受話器を取る音がした。
「え?」
振り返る。
そこに、少女がいた。
いつからそこにいたのか、緑谷には分からなかった。
白と黒が入り混じった長い髪。
白と黒を基調とした服。
その姿は、この薄暗い廃ビルの中で妙に浮いている。
少女は緑谷を見ることもなく、一台だけ残った電話の受話器を耳に当てていた。
「あなたの願いは何ですか?」
「…………」
電話の向こうから、声は聞こえない。
それでも少女は、何かを聞いているようだった。
しばらくして。
「なるほど」
少女は小さく頷いた。
「それでは、送ります」
そして、
「
ぽつりと呟く。
「…………」
何かが起きた。
――ような気がした。
少なくとも、緑谷出久には何が起きたのか分からない。
少女はそのまま、電話の向こうから聞こえてくる何かに耳を傾ける。
数秒。
あるいは数十秒。
やがて、
「はい。それでは」
受話器を置いた。
カチャリ。
その瞬間。
電話が消えた。
「…………」
「…………」
静かだった。
先ほどまであれほど鳴り響いていた電話の音が、嘘だったかのように消えている。
緑谷出久は動けない。
少女も動かない。
廃ビルの中に、妙な沈黙だけが残る。
「…………」
「……はじめまして」
「!」
少女が、初めて緑谷を見た。
目が合う。
その瞬間、緑谷は直感した。
――この人は、普通じゃない。
いや。
そもそも。
この状況で「普通」である方がおかしい。
古びた電話。
知らない少女。
願い。
解放。
そして、消えた電話。
分からない。
何一つとして分からない。
それでも。
その少女は、確かにそこにいた。
この日。
緑谷出久は、会ってしまった。
出遭ってしまった。
行き逢った。
――それが、彼の物語の始まりだった。