33歳のウマ娘は娘と同じG1を目指す 作:Lagavulin
娘の秋華賞が終わると、次は自分の出番だった。
仕事を終え、練習用の荷物を持ってトラックへ向かう。夫と合流して少しすると、ステラも来た。
「今度は私が見るほうだから」
父親の横へ立ち、こちらを見ている。
「見てて。どこで上げるか、よく分かると思う」
「教えていいの?」
「分かってても抜けないくらい、走れればいいでしょう」
ステラが笑い、夫も笑った。
今日使う目印を確かめてから、トラックへ出た。振り返ると、2人が並んで待っていた。
*
天皇賞・秋の当日、パドックへ向かう前に声をかけられた。
青い勝負服の選手だった。
「娘さんの秋華賞、見ました」
「ありがとうございます。家でも何度も見返してます」
「最後、すごく速かったです」
嬉しくて、つい話を続けそうになった。
そこで、相手がまっすぐこちらを見ているのに気づいた。
「今日は、フィオーレさんについていきます」
笑っていたけれど、冗談で言っている顔ではなかった。私も笑い返した。
「じゃあ、追いつけないくらい走ります」
相手は少し驚き、それからもう一度笑った。
夫のところへ戻ると、話が聞こえていたらしく、短くうなずいてくれた。
「今日、行けるよ」
「うん」
顔を見て返事をし、コースへ向かった。
レースが始まると、近くにいる選手の多さが気になった。
少し位置を上げれば、外側でも誰かが動く。青い勝負服だった。
先へは出ず、半バ身ほど後ろについてくる。さっきの言葉どおりだった。
前の選手の外へ出た。青い服も同じように動く。
少しずつ脚を速くしても、間隔が変わらない。後ろの足音が、ずっと聞こえていた。
直線へ入る。
その足音が外へ移り、急に近づいた。
青い服が一気に並んでくる。私が先頭へ追いつくまで、後ろで待っていたのだ。
内にいる選手も譲らなかった。
3人が並び、私はその真ん中を走っていた。
青い服の肩が半歩前へ出る。
そちらを見そうになって、ゴールへ視線を戻した。自分の脚はまだ動いている。
離されてはいなかった。
もう数歩、同じように走る。外にいる相手の肩が、また横へ戻ってきた。
残り200mを過ぎた。
夏には、この速さでここまで走り続けることはできなかった。今日は、まだ行けた。
青い服が少し下がる。内の相手も近づいてこない。
もう少し上げた。
『リラフィオーレ、さらに伸びる! ここで2人を引き離していく!』
2人を離し、先頭でゴールを越えた。
『リラフィオーレ、ゴールイン! 大阪杯に続くGⅠ2勝目! 天皇賞・秋も、リラフィオーレが制しました!』
振り返って掲示板を見る。1着、リラフィオーレ。
ようやく顔が緩んだ。
*
戻ると、夫が笑っていた。
その隣からステラが出てきて、大きくうなずく。
「すごかった。最後、まだ速くなった」
「うん。今日は、できた」
「後ろの子も、ずっと来てたのに」
娘が腕へ触れてきた。
その手を握り、夫のほうを向く。夫は一度コースを振り返ってから、私を見た。
「おめでとう。最後まで、よく伸びた」
大きく息をついた。
娘と手をつないだまま、夫の話を聞いた。今度は途中で止めなくても、ちゃんと耳へ入ってきた。
*
夜、夫がテレビにレースを映した。
私はソファで、ウマッターに出ていたレース後の記事を開いていた。
『リラフィオーレ 天皇賞・秋を制しGⅠ2勝目』
ゴール直前の写真には、私のリボンもはっきり写っていた。返事を開くと、そのことを書いている人もいる。
『最後に並ばれてから、また伸びるの強すぎる』
『落ち着いた顔でこのリボンつけてるのがいいんだよ』
『勝ったあと旦那さん見つけたとき、顔変わるの好き』
『普段は落ち着いてて走りも格好いいのに、旦那さんの前だと可愛いの何なんだ』
娘の記事にも、走りや勝負服を褒める言葉はあった。でも、ここまで細かく見られていた覚えはない。
端末を夫へ向けた。
「ステラのときと、何か反応違わない?」
「よく見てるよね」
「あなた、そこに感心するの?」
夫は一番下の返事にもう一度うなずき、それからテレビの映像へ戻った。私も少し笑って端末を伏せ、今日のよかったところをもう一度聞いた。
青い勝負服が前へ出たところで、夫が映像を止めた。
「ここで、フィオは走りを変えなかった」
「変えたくはなった」
「うん。でも、そのあとまだ、これだけ行けた」
再生される自分を見てから、夫の顔を見た。
夫は映像に夢中だった。私がうなずくと、また別のところへ戻して説明し始める。
そのまま聞いていたかったけれど、ステラも居間へやってきた。
「そこ、もう1回見せて」
父親の横へ座ろうとしたので、私は少し夫へ身を寄せ、自分の隣を空けた。
「今は私が褒められてるところ」
「褒めてるとこじゃなくて、走り方のとこが聞きたい」
「同じところなの」
娘が困った顔でこちらを見る。笑ったら、ステラも笑い、結局は父親の反対側へ座った。
夫がもう一度再生する。
娘は、私が先頭へ出るところをよく見ていた。そのあと後ろの選手がどう走っているかまで確かめている。
少し眺めてから、夫へ声をかけた。
「次、有馬にしようか」
「うん。ステラのほうも、その予定で考えてる」
娘が顔を上げた。うなずいて、画面の自分を指さす。
「有馬は、もっと速く走るつもりだから」
ステラは少し黙っていた。
やがてリモコンを取り、今のレースが終わるのを待つ。
「じゃあ、有馬のコースも見よう」
娘が次の映像を選んだ。
カップを手元へ寄せ、私も見やすいところへ座り直した。
*
数日後の夜、娘が寝てから、勝負服をもう一度出した。
鏡の前で胸元の花を直す。この服で2つ目のGⅠを勝った日は、娘と一緒に何度も写真を見た。あのときは、リボンが大きすぎるとも思わなかった。
これから夫だけに見せに行くと思うと、同じ服なのに落ち着かなかった。
少し迷ってから、居間の扉を開けた。
夫が顔を上げる。手元の端末を置くまでが早くて、用意していた言葉が出なくなった。
「……前に、家でも着てほしいって言ったでしょう」
「うん」
「まだ、見たい?」
夫はすぐにうなずいた。
近くまで行くと、腰へ手が伸びてきた。その手へ自分の手を重ね、夫の膝の間に立つ。
「レースの日も、いっぱい見たのに」
「あの日は、走るほうに夢中だったから」
「勝つところが見たかったんじゃないの?」
「それも、すごく見たかった」
見上げてくる顔が嬉しそうで、つい笑ってしまった。
「……じゃあ、ちゃんと見て、トレーナー」
少しだけ身体を回して、背中も見せた。リボンへ触れていた夫の指が、露出した肩へ移る。
そのまま髪をよけられ、肩へ唇が触れた。くすぐったいと言いかけ、やめた。代わりに夫の頬へ手を添える。
「こういう顔してるの、みんなにも分かるのかな」
「どんな顔?」
「……嬉しそうな顔」
夫が顔を上げたので、視線をそらしかけた。けれど、見せに来たのは自分だった。そのまま目を合わせると、もう一度腰を抱かれる。
「俺だけのときは、もっと嬉しそうにしてくれていいよ」
「それは、あなたが頑張るところでしょう」
私も笑い、ソファに座る夫の肩へ手を置いて、少しかがんで口づけた。
顔を離すと、夫はまだ私を見上げていた。リボンへ戻りかけた夫の手を取って、腰へ下ろした。
夫が立ち上がり、もう一度顔を寄せてきた。胸元の花が間に挟まらないよう少し直してから、その首へ腕を回した。