33歳のウマ娘は娘と同じG1を目指す 作:Lagavulin
ステラが、残り600mの目印へ近づいていた。
秋の重賞だった。客席の柵に手を置き、娘を目で追う。少し外へ出ると、前の選手の横に走る場所が開いた。
「行ける」
つぶやいた隣で、夫も身を乗り出した。
ステラが速くなる。前にいた選手との距離が、みるみる縮まった。すぐに肩が並ぶ。
そこで、少しだけ息を止めた。
追いつくのが早い。けれど、娘の腕はもう大きく動いていた。横にいる先頭の選手は、まだ走り方を変えていない。
「そのまま、ステラ」
直線に入る。一度、娘の肩が前へ出たように見えた。
次の瞬間、隣の選手が速くなった。
半歩、また半歩と先へ行く。ステラも追う。すぐには離されなかったが、もう並び直すことができない。
娘の歩幅が、少しずつ小さくなっていった。
外から別の選手が来た。追い抜かれ、ステラの姿がその後ろへ隠れる。
もう一度名前を呼んだ。
娘は最後まで腕を振っていた。それでも、先へ行く選手たちには届かなかった。
5着だった。
*
戻ってきたステラは、父親が持つ端末を見なかった。
水を飲み、蓋を閉める。隣へ腰を下ろすと、ボトルの胴を両手で押した。
「負けた」
「うん」
「途中、抜けたと思ったのに」
夫も座る。
娘はようやく父親のほうを見て、端末へ目を移した。
「今、見る?」
聞かれて少し考え、首を振る。
「家で見る。お母さんのも」
「私の?」
「同じところから行ったのに」
先週、一緒に見た映像を思い出した。
私が前へ出るところを、娘は何度も見返していた。あの場所から動いて、そのまま最後まで走ろうとしたのだ。
帰りに寄った店では、ステラはよく食べた。
黙々と口へ運んでいるので、水を近くへ置いてやったら、「食べられるよ」と言われた。
少し、世話を焼きすぎた。自分の皿へ手を戻すと、夫が次の練習の話を始めた。娘も顔を上げ、食べながら聞いていた。
*
家に帰ると、夫が2つの映像を並べた。
先週の私の重賞と、今日のステラのレース。同じくらいの場所で止め、順番に再生する。
ステラは唇を結び、私が前へ出るところを見ていた。
「ここから行ったよ」
「うん。動いた場所は同じくらいだったね」
夫が娘の映像に切り替える。
「でも、前の選手に並ぶまでが、ステラのほうが早い」
「じゃあ、いいんじゃないの?」
「早く並ぶために、一度に速さを上げてる。そのあとも長く走るのが、今日はきつかった」
私は自分の映像をもう一度見せてもらった。
少しずつ前へ近づいている。その横で娘の映像を見ると、追いつくまでの速さがずいぶん違っていた。
「お母さんは、あんなに急には速くなれないの」
「でも、最後は勝つじゃん」
「少しずつ上げて、その速さで長く走ってるから。今日のステラは、並ぶまでに頑張りすぎたんじゃないかな」
娘に自分の走りを見せながら、ここから上げる、と何度も話していた。走り方が違うことまで、ちゃんと伝えていなかった。
夫が、ステラの加速するところを再生した。
「ここは、やっぱり速いよ。これを使える場所を探そう」
「最後まで残すってこと?」
「まずは、前の人が動いても、すぐには追わない練習をしてみようか」
娘が私を見た。
「お母さんが行っても?」
「うん」
「離れちゃうかも」
「練習なら、もう一度確かめられる」
その返事を聞き、ステラが画面へ向き直る。
娘が悔しがっているのを見て、私まで焦っていた。すぐに次の話をしたくなっていたけれど、まずは今日の走りを最後まで見た。
先頭の選手が、並びかけた娘を振り切っていく。
「この子、私が来ても慌てなかった」
ステラが言った。
「うん。最後にまだ速くなったね」
「抜いたと思ったけど、向こうはそう思ってなかったのかな」
「そこは分からないけど、走るのはやめなかった」
娘が少し口を尖らせた。
その顔を見て、ようやく私も肩の力が抜けた。
「次の練習、お母さんが前を走る」
「ほんと?」
「ステラが追わなかったら、どうなるか見てみよう」
娘はうなずいて、2つの映像を最初へ戻した。
ひと息ついたところで立ちかけると、袖をつかまれる。
「もう1回、一緒に見て」
座り直した。
夫が空のカップを持っていく。娘に袖をつかまれたまま、空いているほうの手で再生を押した。