33歳のウマ娘は娘と同じG1を目指す 作:Lagavulin
前の選手が動いた。
そのすぐ後ろを見てから、ステラを探す。娘は集団の中ほどにいた。外から上がってきた選手に横を通られても、追いかけない。
「そろそろ……」
言いかけて、やめた。
隣の夫がこちらを見た気がする。目を合わせず、トラックを見続けた。
翌春の1800m重賞。冬のあいだ練習してきた走りを、娘が重賞で試す日だった。
私なら、もう速度を上げ始めている場所だ。
それでもステラは動かない。前との距離が開くと、待っているこちらのほうが苦しくなる。
胸の前で握っていた手を下ろした。
「まだ、走る場所はあるね」
「うん」
夫の返事を聞いて、もう一度娘を見る。
最後のコーナーで、ステラが少し外へ出た。前の選手の後ろから、その先が見える位置へ移っていく。
まだ、行かなかった。
コーナーの出口が近づく。
そこで娘が、速くなった。
横にいた選手を置いていく。次の相手へ追いつき、抜く。あの短い加速だった。
先頭はまだ少し先にいる。けれど、娘のほうが速い。
1バ身あった差が縮まった。並び、肩が前へ出る。そのあとも、ステラの脚は動いていた。
「行け!」
今度は、最後まで声を出せた。
先頭でゴールした娘は、こちらを見つける前から笑っていた。
*
腕を広げると、ステラはそのまま胸へ来た。
抱きしめてから少し離し、顔を見る。汗で前髪がまとまっている。息は弾んでいたけれど、秋に負けたあととはまるで違う顔だった。
「今の、最後まで出た」
「出たね」
「お父さん、ちゃんと見た?」
「全部見た。すごくよかった」
夫に言われ、娘はようやく満足したようにうなずいた。
水を渡してから、私もひと息ついた。
「見てるほうが走り出しそうだった」
「お母さん、早く行ってほしかったでしょ」
「ちょっとだけ」
「お母さんみたいに行ったら、また最後なくなるもん」
娘が笑っていたので、私も笑えた。
夫が映像を開くと、3人でのぞき込んだ。前が動いても追わず、外へ出る場所を確かめている娘が映っていた。
「ここで一緒に上げなかったのがよかった。進む場所も、先に見つけてたね」
夫の説明を聞きながら、ステラが何度もうなずく。その横で、私も同じところを見ていた。
*
家に帰ってから、もう一度レースを見た。
ステラはお祝いの菓子を持って父親の隣へ座り、先頭へ並ぶところを指さしている。
私も身を寄せた。
「もう少し前、見せて」
「どこ?」
「この辺」
端末を受け取り、前の選手が動いたところまで戻した。
娘が顔をのぞき込んでくる。
「そこ、まだ何もしてないよ」
「そこが見たいの」
「待ってるだけだよ」
画面の娘は、前が速くなっても肩を上げていなかった。
私なら、追いかけなくても、すぐ追えるように身構えてしまう。そうやってずっと力を入れているのかもしれない。
夫が隣から画面を見る。
「何か、試したくなった?」
「うん。私も、こんなふうに待てたらと思って」
ステラが小さく笑い、私の腕へ菓子の皿を乗せた。
「お母さんにも教える?」
「お願いします、お皿は自分で持って」
*
数日後の練習では、動き出しを遅らせたらどうなるか、1本だけ試してみることになった。加速を始める目印をいつもより先に置き、娘の後ろについて走る。
前のステラが速度を上げる。すぐには追わず、決めていた目印まで待った。娘との差が広がっていくのは分かったけれど、走り方を変えない。
目印へ着いた。ここからだと思い、脚を速くした。
けれど、すぐに娘と同じ速さにはなれなかった。
少しずつ上がっている。差も縮まっている。その途中で、ゴールを過ぎてしまった。
「遅かった」
夫のところへ戻り、自分から言った。
まだ走れそうだった。むしろ、ここからもう少し走りたいくらいだ。
ステラは先に戻って水を飲んでいた。
「お母さん、ずっと来ないんだもん」
「来たかったのよ。あそこからじゃ、間に合わなかっただけ」
夫が今の練習と、娘が勝った重賞の映像を並べた。
「ここまで待つと、フィオは間に合わないね」
「待ち方だけ、もらう?」
「うん。動く場所は今までどおりで、その前を楽にしよう」
自分の映像を止めてもらった。
前の娘が速くなった瞬間、こちらの肩も少し上がっている。
「追ってないつもりでも、ここで力が入ってたんだね」
「次は、そこを撮ろう」
ステラが自分の端末を出してきた。
「私のも見る? まだ何もしてないところ」
「うん」
娘から受け取り、夫ものぞけるよう真ん中へ持っていった。