幼馴染を取り戻す為に過去へ転生したら、世界だけじゃなくて性別まで変わってしまった件について   作:PKO

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7.

豪奢なテーブル。たった二人が向かい合うには些か大きすぎるだろう。

ただ、轟くんにとっては日常の光景でしかないようだ。夕食の準備があると案内されたそこは、まるでパーティー会場のよう。まるでバイキングでも始まるのかと錯覚するような長い机の端と端に、ひとつずつ椅子が置かれていた。

一応もう一人、というかもう一体ゼロもいるのだがあくまでも席は二つ。ゼロは「カズキくんの席ないね」などと呟いていたが、どう考えてもないのは彼の席だろう。

部屋に入るなり、轟くんは奥側にある一際豪華な椅子にでんと腰掛けた。ならばと僕は正面の椅子に座ろうとしたが、僕よりも早くゼロが椅子に飛び乗る。

 

「……ゼロ」

 

ジト目で見た。どう考えても僕の椅子だったろう。彼は「足疲れたもん」とそっぽを向く。

 

「カズキくんにどれだけ振り回されたと思ってるの? 君がお昼に気絶してる間、ずっとスパイクを探して歩き回ってたのってだーれだ」

 

思わず顔をしかめる。ゼロはぐったりと椅子にもたれ掛かり、座面へ蕩けるように同化した。

 

「でもほんと、なんか疲れちゃって。……ぼく、あんまり疲労とか感じなかったんだけどな」

 

そう主張する声は弱々しい。今にも消え入りそうな声だった。傍若無人が球体を象ったいつもの姿とはまるで違う。

そこまでグッタリとされると強く出づらい。僕は椅子を見つめたまま腕を組むことになった。

そこへ轟くんが話しかけてくる。

 

「何をしている、青山。座らないのか」

 

片眉を釣り上げながら尋ねられ、僕は「まあ」と曖昧に呟く。ゼロは殆ど眠りかけてしまっていて、この上に腰を下ろせばそのまま潰されてしまいそうだ。流石に躊躇する。

どうしたものかと立ち尽くしていると、轟くんは「はあ」とため息をついた。

 

「そういう事か。きちんと口にしろ、僕に察してもらおう等と思うな」

「? ……何が?」

「その格好で椅子に座るのが気に食わないのだろう。僕もそうだ。貴様の汚い尻を直接椅子に押し付けられるのは御免こうむる」

 

……何の話だ。いや、分かるけども。

轟くんはどうやらゼロが原因で僕が座らないのではなく、とんでもない水着を着ているから座らないと結論付けたらしい。彼が勝手に用意した水着を着ただけなのに、とんだ扱いだ。

ムッとして見せたが、その程度で彼が怯むわけもなかった。轟くんはパンパンと手を鳴らす。「おい!」と扉に向かって叫ぶと一人、水着姿の女性が現れた。

 

「お呼びでしょうか?」

「ああ。適当な服を持ってこい。女が着るようなやつだ。そいつに着せる」

 

そいつ、とは僕の事だ。女呼ばわりも腹が立つが、あまりの言いぶりに顔が引き攣る。僕が「おい」と言うも華麗にスルーされ……。女性は轟くんの粗雑な命令に「かしこまりました」と言うだけで、一礼して姿を消した。

轟くんがフンと鼻を鳴らす。

 

「全く、世話の焼ける。色々とツッコミたい所はあるが、……本当に。なんだ、その格好は」

 

思わず「なに?」と眉を上げてしまった。格好について彼に言われる筋合いはない。

「君が渡したんじゃないか」と半ば責めるように言うと、轟くんは「着なければよかっただろう」と苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「見てられんぞ、青山。今は女のようだが、本来は男だろう。……正気か?」

「正気だよ。どちらかと言えば君の方が正気じゃなかった。なんで僕の服を全部捨てたりなんかするんだ」

 

だから仕方なくこんな姿なのに。噛み付くと、轟くんは「臭かったからだ」と嫌そうに鼻を摘んだ。

 

「下水のような臭いがした。ロイヤルな僕には耐え難い、醜悪な臭いだ! まるでネオチヨダの地下水路のようだった」

 

酷い言われようだ。でも、臭いについて言われると少し凹む。未だに臭いが残っているような気がして水着の紐をひっぱると、轟くんは「やめろ!」と嫌そうな声で叫んだ。

 

「気色の悪い物を見せるな! 少しは僕の立場になって考えろ!」

「……それはこっちのセリフだと思うけど」

「馬鹿め! 元々男だった友人が女になって、下品な格好をしている場面を見せられる。この気持ちが分かるか!」

「はあ?」

 

それは聞き捨てならない。臭いだの下品だのなんだのもだが、全てにおいて僕自身が望んだ訳ではなかった。この格好に関して言えば、轟くんが僕の服を捨てて全裸で放置したのが絶対的に悪い。

一瞬だけ僕を「友人」と称した轟くんに湧きかけた情もあったが、すぐさまに吹き飛んだ。「君ねえ……!」と低い声で唸りながら睨むと、彼は「フン!」とそっぽを向く。

 

「男の時はまだしも、女だと全く怖くないな?」

「…………へえ、そう? じゃあ死ぬほど怖い思いさせてあげるよ」

 

これはもういいだろう。例えば彼のスマホを拝借して、変なサイトに片っ端から登録するとかでも許されるはずだ。取り返しのつかないサイトに名前を刻んでやる。

落ち着くために深呼吸をし、その後にっこりと彼を見て笑った。轟くんはそれはもう嫌そうに「何を企んでいる」とボヤく。そうしてから、さっと自分の胸を両腕で隠してしまった。

……どうでもいいけれど、もしかして轟くんの方が自分より胸があるんじゃないだろうか。胸があったところでなにか良いことがある訳でもないが、轟くんよりも無いとなるとそれもそれで思う所が生まれる。

この感情をなんというのか……等と考えていた時だった。控えめに扉が開き、先程立ち去った女性が現れる。彼女は「お待たせいたしました」と一礼した。手には何やら畳まれた服。

轟くんは鷹揚に頷き、僕に向かって顎で指した。

 

「そいつに着せろ。……その格好は品が無さすぎる」

「おい」

「かしこまりました、轟様」

 

反論など聞いていないのだろう。それに、多分抵抗は無意味。長引くだけだ。

この歳(僕の自認では二十歳だ)になって、まさか他人に服を着せられるとは思っていなかった。なるべく無心になって任せていると、女性がまた礼をして離れる。

着替えが終われば用済みらしく、彼女はあっという間に扉の向こうへ消えていった。残されたのはワンピース姿の僕だ。シンプルな、飾りっ気の何も無いシンプルで真っ白な。ちなみに下は水着のまま。

 

「……こんな、本当に女の人みたいな」

「女だろう」

 

轟くんはふんぞり返る。その後、改めて居住まいを正した。

大きな肉体が椅子にすっぽりハマっている。目線で座れと促され、僕は椅子を見た。

……ゼロが寝ている。だが、こうなれば仕方がないだろう。僕はゼロを持ち上げ膝の上に乗せることにした。尻の下敷きにされるとか、水着……というか素肌の上に置かれるよりはマシだろう。

机に向かい、僕は轟くんを見る。彼は暫し黙り込んだが、やがて口を開いた。

 

「聞きたいことはいくつかある。だが、まず確認させろ。お前はトラッシュトライブを知っているか?」

 

トラッシュトライブ。……それは、僕にとって縁深いものだ。何せゼロに対抗するため、王次郎と僕で作り上げたチームなのだから。

だけど、その名前をこの時間軸で聞くのは異常なことだった。何せ、まだトラッシュトライブは存在していないはずなのだから。僕は頷く。

轟くんは目を細めた。次いで「ゼロを知っているな?」と尋ねられたので、それにも素直に頷いた。

僕の返答を確認し、轟くんはふうんと顎に手を当てる。

 

「にわかには信じ難いが……本当に時が巻き戻っているようだな。ただし、物事全てが再現されているわけではない、と」

「……君、覚えてたの? 前のこと」

 

XBの試合中から少し気になっていた。轟くんの様子は、朝に出会った時からガラリと変わっている。まるで精神だけが成長したかのように。それはつまり、「過去」の記憶を得たことに繋がるだろう。

轟くんは「近いが、少し違う」と答えた。

 

「僕のあの瞬間、XBをするまでは何も覚えてはいなかった。だが、バットにボールが当たった瞬間、怒涛のようにビジョンが流れ込んできたのだ。……これから何が起こるのか。僕らに何が起こったのか。そのビジョンが」

 

彼は言い、ことんと机の上に何かを置く。それはキューブのようだった。見覚えがある。廊下にあった轟くんの石膏像が持っていたバット、あれに装飾されていたアキュレイコード。

球体の状態で保存されていたアキュレイコードは、今や見事に真っ二つ、内側を晒していた。勿論中身は空っぽだ。

 

「記憶を取り戻す直前、これが光った。見覚えはあるか?」

 

僕は頷く。轟くんは目を細めた。

 

「アキュレイコード。……名前を僕が思い出したのはつい先程だ。これを見つけたのは先月。知らぬ間に僕の管理室に落ちていた。専門家に鑑定させた所珍しいXBボールだと言うではないか」

 

知らぬ間に落ちていた? その言葉を反芻する。

思えば、僕もブレイドデータがどこからやってきたのか記憶にない。気がついたら真っ二つに割れていたというだけ。轟くんも同じなのだろうか。

言葉の続きを待っていると、きいと音を立てて出入口の扉が開く。奥から現れたのは池尻さんだ。彼女は一礼し、轟くんの目の前にステーキを置く。耳がおかしく無ければ「前菜になります」と聞こえた。随分僕の知る前菜とは違う。

彼女はそのまま、しずしずと僕の前にもやってくる。そうしてスムージーらしきものをことんと一杯置き、ストローを差し込むとそのまま退出していった。

格差。思わず半目になる。別にいい肉を寄越せなどとはいわないが、自分は肉でこちらは飲み物一杯とは。

しかし轟くんは全く気にしていなかった。ナイフとフォークを器用に使いながら、話の続きを始める。

 

「拾ったアキュレイコードをバットに取り付けた後、僕は石膏像に持たせ、飾った。それから毎日、あの像を眺めていたわけだ。後付けのバットが重たかったのか、何度か腕ごと床に落とした事があるが……」

「ああ、あれ。元から壊れてたんだ」

 

良かった、僕が石膏像轟くんの腕を折ったとかじゃなくて。ホッとしていると、轟くんは僅かにムッとした。「貴様が引っ張らなければ今日は壊れなかったはずだ」と反論を入れてくる。

無視していると、短めのため息をひとつ吐いた。

 

「まあいい。……重要なのは、今日までアレが壊れるような事はなかったという話だ。僕がXBをする迄は」

「ゲームで受ける衝撃が落下よりも大きいから開いた、とかではないのかな」

「それも考えた。が、だとすると傷が無さすぎる。まるで何かに呼応して、自分から開いたようだ。そして開いた事で、僕は記憶を取り戻した」

 

そう言う彼の目は、机の上のアキュレイコードに向いている。僕はスムージーを一口だけ飲んだ。なんとも言えない甘みがある。バナナ?

もごもご口を動かしてから、改めて轟くんと向き合った。

 

「僕も過去……というか、トラッシュでの記憶がある。そして記憶を取り戻した時、傍にブレイドデータの破片が落ちていたよ」

「そうか」

 

轟くんは頷きながらステーキを頬張る。肉のいい匂いがするのが腹立たしい。

彼はあっという間に前菜を平らげると、上品な仕草で口元を拭いた。

 

「つまりだ。僕らはアキュレイコードやらブレイドデータという、現時点では存在しないアイテムを介し、未来の記憶を共有したという事になるのだな?」

「……かもね。何処までが記憶通りかは分からないけど、大筋は合ってるはず」

 

言えば、轟くんは「確かに」と鼻を鳴らす。

 

「そもそも貴様の性別が記憶と違う。……確認するが、以前も女だったのか?」

「違うよ。男だった」

「そうか。まあ些細な事だ。それはどうでもいい」

 

僕は眉を下げる。聞いておいて「どうでもいい」とは……。けれどそれも轟くんらしさだろう。ツッコむのも放棄する。黙っていると、彼が口を開いた。

 

「他に同じ現象が起こった者は……記憶がある奴はいるのか?」

「いいや。君が初めて。一応曜くんやえのきさん達は、いるにはいるみたいだけど、前のことは覚えていないらしい」

「アイツらに会ったのか?」

 

聞かれて首を横に振る。「会ったのはゼロ」と腕の中のマスコットを掲げて見せた。しかし、彼は怪訝な顔をする。

 

「……ゼロだと? 奴は今どこにいる」

「ここだよ。ほら」

「なにもおらんぞ」

「……」

 

僕は黙る。まさか、彼にもまだ見えないというのか。

現時点、ゼロを視認できるのは僕だけ。視認性には記憶が関係しているのかと思っていたけれど、轟くんにも見えていない。どういう事なのだろう。

眠るゼロを抱えたまま思案していると、轟くんは口を曲げた。

 

「幻覚か? 随分憔悴しているようには見えるからな」

「疲れているかは別として、幻覚じゃ無いはずだ。さっき水着も着せてもらったから。ほら、ホックが自分ではめれないでしょ?」

 

ゼロが存在していない、という話はありえない。地下牢では鍵を盗んでくれたし、忍軍から逃げる際には囮にもなってもらった。地下水道にいた不良から服を剥ぎ取ったのも彼だ。彼は確実に物に触れ、現実世界に干渉している。言えば、轟くんは「そうだな」と大人しく納得した。

 

「とにかくだ。ここは過去の時間軸だが、ただのタイムスリップでは無いことは理解した。そも、僕の身にも既に過去とは違う事が起きているからな」

「そうなの?」

「ああ。池尻のスカウトについてだ。あの男、しっかりとは覚えていないが、僕がトラッシュに入ると決めた際に擦り寄ってきた奴の一人ではないだろうか」

 

轟くんがトラッシュトライブに入った理由。それは単純で、ゼロが許せなかったからだ。彼に資産を巻き上げられ、超特大大富豪から大富豪へとなったかつての彼は、ゼロへの復讐を誓ってセタガヤを離れている。勿論屋敷の使用人達は置いて。

「過去でも突っぱねた筈だ」と轟くんは腕を組む。

 

「……ただ、時系列がおかしい。それに当時、XBを仕掛けられるようなことはなかった」

「つまり出来事はなぞりつつも、その順番や詳細はシャッフルされてるって事?」

「さあ。未だN=1でしかない。僕には見えないが、起きたらそこにいるゼロにでも聞いてみろ」

 

それはそうだ。彼も混乱していたが、聞き方を変えればなにか思い出すかもしれない。

僕は曖昧に返事をしながら、渡されたスムージーをもう一口飲む。……やっぱり甘い。脳が溶けそうだ。けれど水分をとったことで、少し体が楽な気がする。

味が全てではないよな、と再認識しつつコップを引き寄せると、ほぼ同時に再び扉が開いた。運ばれてくるのは、また部位の違うステーキ。そしてスープ。

「メインになります」と池尻さんは、轟くんの目の前にステーキを置いた。前菜もメインもステーキとは……。同じく置かれたスープは、置いた次の瞬間に轟くんに飲み干される。スープの一気飲みなんて見るのは初めてだ。

池尻さんは空になった皿を下げ、退出していく。何となく予想していたけれど、僕の食事はこれ一杯のようだ。轟くんらしいケチだとも思うが、服を貰った手前何も言えない。

大人しくしていると、轟くんが「青山」と話しかけてきた。

 

「これからどうするつもりだ。わざわざ僕を尋ねてきたのだから、なにか狙いがあるのだろう」

「うん。……そうだね、ある」

 

僕は頷く。食事の手を止めない轟くんと目を合わせつつ、口を開いた。

 

「ここがどんな世界なのか、正直分からないことだらけだ。けど確かに皆存在している。過去の姿で」

「ふん。皆とはいうが貴様の場合、重要視しているのは王次郎だろう」

「……バレたか」

 

苦笑いをすると、彼は退屈そうに「それ以外があるか?」と言った。

 

「僕の記憶にあるお前が積極的に動く時、それはいつもQに関連する事しかなかったからな」

「……否定はしないけど、そんな言い方だと語弊がある。まるでトラッシュの仲間は二の次みたいな言い方じゃない?」

「違うのか?」

 

轟くんの言葉は冷めていた。僕は思わず口を噤んでしまう。彼に悪気は無いようで、マイペースに食事をすすめていた。

 

「貴様はQを。僕は金を。黒中達は互いの記憶を。西郷と雪谷は己の生活か? それらが最優先。つまり、僕達はチームではあったが、お互いに二の次だったとも言える」

 

違うか? と問われ、僕は答えられない。トラッシュトライブはゼロを倒すために作ったチーム。皆それぞれ大切な目的があり、それを守るための手段だった。

王次郎くん贔屓、という言葉がリフレインする。確かに僕にとって王次郎は特別で、比較できるような存在は他にない。トライブの仲間を軽んじるようなことはけしてした覚えは無いが、結果だけみれば順位つけをしていたといえるだろう。

轟くんは優雅に肉を口に運ぶ。

 

「貴様がチヨダ大戦に足を突っ込みたいと考えているのは、容易な想像だ。そしてその際、僕の助けを借りようとしてここに来たことも。そうだろう?」

「……そうだね」

「ならば話が早い。僕にお前を手伝うメリットを提示してみろ」

 

「メリット」と僕は呟く。轟くんはニヤリと笑った。

 

「そうだ。僕は金が欲しい。金さえあれば何でも手に入れられるからな。運のいいことに過去に戻ることができた。ゼロに資産を奪われる前だ。となれば、僕の最優先は金になる」

「……」

「貴重な金を守る為の時間。それを貴様に費やすというのなら、その分何か利がなければ」

 

僕は黙る。黙ってしまった。彼に提示できるメリットが今の僕にないからだ。

腕は折れ、金もない。施設から逃げてきたばかりで人脈もない。スパイクも壊れてしまった。チヨダ大戦そのものが全体的な経済や治安に悪影響を及ぼすものの、前回の世界において、轟くんの資産を揺るがすほどにはならなかった。彼を苦しめたのはチヨダの治安悪化が原因ではなく、ゼロの台頭と口車だ。

僕ははくと口を開く。けれど言葉は出ない。轟くんは冷静なまま僕に向き合っていた。

 

「無いのか。……まあ、あのようなみすぼらしい格好で彷徨く程だ。余程頼る宛がないのだろうとは思っていた。……だが、僕は関わらないぞ。こうやって未来を知った今、僕には僕でやるべき事ができた」

 

「貴様に構う時間はない」と、彼は言う。僕はただ呼吸することしか出来なかった。

轟くんの助けが得られない。そういうこともあるだろう。何故なら僕らはただ目的のために集まっていただけなのだから。その目的自体が消失したのなら、どこまでも利害だけの関係にだってなれる。轟くんはおかしな事を言っていない。彼の資産をあてにして、後ろ盾になってもらおう等と考えていた僕の思考がお花畑だったわけだ。

人は情だけで動かない。そんな分かりきった世界のルール。情だけでは動かないからこそ、堅強な繋がりがあるのだと過去の僕は思っていた。利害関係程強い絆はない。彼の言う通りだ。そして今、僕には情以外のなにも持ち合わせていない。

働こうにも腕は動かせず、戦おうにも武器は壊れた。服も金もまともに無く、食事だってとれない。スムージーもワンピースも水着も、文句を言える立場にすらなかったのだ。

落ち込む僕とは対称に、轟くんは得意げに鼻歌まで歌っている。気持ちはよくわかった。彼はこれからやりたいことが山積みなはず。何から手をつけていいのか分からない僕とは違い、彼には土台がある。

 

(……仕方ないな、これは)

 

今の僕に、彼の協力を買う私財がない。彼に提供できるメリットが皆無の今、これ以上の助力を望むのは無理筋だろう。もしどうしてもまた彼の力が必要ならば、自力で金や情報を集めてまた会いに来たらいい。それなら彼も受け入れるだろう。

僕は轟くんを見る。彼は肉に熱中していた。「轟くん」と呼ぶと、なんだと生返事が返る。

そうしてから、僕は助力について撤回しようとした。

 

「……」

 

したのだが。口からは言葉が出てこない。まるで喉が詰まったような感覚だ。ただ一言「今回は辞めておくよ」と言うだけなのに。

ひく、と喉奥が揺れる。じんわりと視界が歪み、額の真ん中が急激に冷え始めた。頭痛に近い感覚に戸惑っていると、轟くんが「早く話せ」と顔をあげる。その顔が一瞬にしてギョッとしたものに変わった。

突然彼は立ち上がり、食べようとしていた肉を皿の上に戻す。らしくもなくガチャガチャと食器が音を立てた。

 

「おいやめろ! 止めろ! それを!」

 

轟くんが半ば叫ぶように言う。何をやめろと言われているのか分からず、「何が」と聞こうとして、気がついた。喉からは「ひぐ」というしゃっくりのような音しかでない。その上、何やら目がとんでもなく熱い。

轟くんがよたよたと近づいてくる。慌ててズボンからハンカチを取り出し、手に押し付けてきた。ずきんと傷が痛む。「痛っ」と反射で手を引っこめると、轟くんは「ギィ」と変な声を上げた。

 

「何故そうなる……ッ! そんなキャラではないだろう!?」

 

半ばひっくり返った声。轟くんは大慌てで、ハンカチを顔に当ててきた。手から逃れようとすると、更に動揺したのか「動くな!」と叫ぶ。軽いパニック状態なのがよく分かった。

逆にこっちは落ち着いてくる。視界を歪ませ、頬を伝い始めるそれが涙なのだと気がついた。

 

「泣くな! 早く止めろ、らしくも無い……! 何が気に食わなかった! 僕の言い方か!? 肉がなかったことか!? 服装なのか!?」

「……」

「じ、自覚はある。だが、少しくらいの意趣返しは許されるだろう!? 貴様は僕を財布にしようとしたんだぞ! ならば、財布になるメリットを僕に示すのは当然のことで……分かるだろう!?」

 

分かる。ものすごく。頭の中はものすごく冷静だし、考えもしっかりしている。だが涙が出る。

どこかで聞いた「泣きたくないのに涙が止まらない」という言葉を思い出した。あれは嘘じゃなかったようだ。別に泣くつもりは全くないし、轟くんの言っていることが正論なのも分かる。

轟くんの言葉に僕は頷いた。財布になれと彼に告げに来たのは事実。ある意味融資を求めるわけだ。けれど、融資を求めるならそれなりの担保が必要なのも事実。

とりあえず「君の言う通り」という意思だけは伝えようと何度も頷くと、轟くんは更に慌てた。「頷かせたい訳じゃないぞ!?」と言いながら、控えめに背を摩ってくる。

……これは、何なのだろう。女の子になったからなのだろうか。

頭は冷静だが体がおかしい。なにか思考とは別のものに肉体が操作されている感覚がする。

無理にでも深呼吸をし、僕は轟くんに「泣いてない」と伝えた。別に悲しい訳じゃなくて、勝手に涙が出るだけなのだ。そもそも産まれてこの方、記憶にあるうちで泣いたことなど一度もなかった。泣いたとて何も解決しないと知っているからだ。

しかし轟くん視点だと「泣いてない」わけがないわけで、彼は頭を抱えている。

結局最後には「池尻! 何とかしろ!」と悲鳴のような声で助力を求めた。そして彼女の提案で、僕はより暖かい寝巻きとしっかりとした普通の下着、更には轟くんと同じ食事まで手に入れることになる。

轟くんは「直ぐに泣く所まで女になるな!」と言うが、そう言われてもどうにもしようがない。というか、泣くという感覚がすごく新鮮だ。僕にとっても新発見である。

ステーキを頬張る頃には完全に泣き止んでいて、僕は「美味しいねこれ」としか言うことがなかった。性別が変わっても美味しいものは美味しい。未だに残る涙声のまま「ありがとう」と轟くんに告げると、彼は「気色の悪い……」とぐったり脱力した。

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