幼馴染を取り戻す為に過去へ転生したら、世界だけじゃなくて性別まで変わってしまった件について 作:PKO
道の真ん中を堂々と歩くミナトトライブを追いかけるのは簡単なことだ。見失うはずもない。
かれらはこの辺りで有名だし、いるだけで注目を集めていた。人とすれ違う度にちらりと振り向かれ、通り過ぎた人達は「ミナトトライブだ」と噂する。見るからに素行に難が有りそうな不良達ですら遠巻きに足を止めていた。そんな中を、全く意に介さず進んでいく。……というか、気にもしていないのかもしれない。
最強と名高いXBプレイヤー、神谷瞬。そして相棒の有栖川さん。あのバッテリーが率いるチームに新しく人が入ったというのは、この街にとってまあまあなニュースだ。
道中、ハルくんを見かけた不良が「なんであんな弱そうな奴が」と文句を零す声も聞いたが、その言葉が出る背景も頷ける。街全体からの憧れであり嫉妬の対象。それだけ有名ということだ。
なので、歩けばそれだけでザワザワと周囲が騒がしくなる。離れていても見失うことは無い。有難い話だ。
そんなかれらを追いながら、僕はビルの壁にべたりと手をついた。
「……人気だね、流石ミナトトライブ」
肩で息をする。ゼロは「ね」と肩に乗ったまま返事をしてきた。
「どれだけ遠くにいてもすぐに場所が分かっちゃうよ」
そう言い、ゼロは遠くを見るように手を額に添える。果たして彼のその行動が、本当に視力を左右するのかは分からなかったが、ツッコミはしなかった。
彼の言う通りだ。どれほど距離を離されても、ざわめきを追えばかれらの位置が分かる。これ程ありがたいことは無い。
この様子だと恐らくアザブ交差点辺りを目指しているのだろう。だから僕は急がず、そこへ向かえばいいのだ。
足を進める。二、三歩進み、立ち止まった。前のめりになる。「う」と呻いて腹を摩った。
額から汗が伝う。ふーと息を吐くと、耐えかねたように「あのさ」ゼロが口を開いた。
「カズキくん、お腹痛いの?」
「……」
指摘され、思わず睨む。彼は「やっぱり」と笑った。
「だと思った! だって昨日あれだけステーキ食べたんだもん。ぼくの目の前でバクバク食べちゃってさ。いくらお腹が空かないからって、ぼくだって食べられるのに」
「強欲のしっぺ返しだね」とゼロは言う。僕はじっとりと睨みつつ、よろよろと歩きを再開した。
「……煩いな。昨日のは関係ないし、トイレなら行ってる」
「でも痛いの? 便秘かなあ」
「おい」
デリカシー! その意を込めて彼に短く詰め寄ると、ゼロは「カズキくんにデリカシーを説かれたくないよ」と受け流してきた。そう言われると、あまり追いかけられない。百一太郎くんやつる子さん、ツキちゃん達から折り紙付きでデリカシーがないと言われていた僕。そのやり取りも加味した上でゼロはからかっているのだろう。
しかし、痛いのは事実だ。そしてどんどん悪化してきている。バスに乗っている辺りでは気のせいかとも思っていたが、ビルの屋上にいた時には完全に気のせいではなくなっていた。下腹部を捻じるような痛みに、思わず歯の奥が鳴る。
それでもなんとか歩き続けていると、ゼロがとんとんと背を叩いてきた。
「ねえ、ちょっと休まない? 顔が虐められたブドウみたいな色になってきてるよ?」
「どんな例えだい、それ……」
「例えの話じゃなくてさあ」
ゼロはため息をつく。
「便秘なら漏らすだけだからいいけど盲腸だったら大変だし、今までの戦闘やXBの最中に内臓破裂してるかもしれないんだよ?」
「……あまり漏らすって言わないでくれるかな」
「漏れそうなの?」
僕は「違うけど」と言って立ち止まった。
分かる。分かっている。所在のない痛みはどちらかというと、内臓の軋みに近いのは事実だろう。
ただ、もしそうなのだとしたら轟くんの屋敷にいた時に指摘されていたとも思うのだ。彼は僕の腕を見て、医者を呼んでくれた。骨折だけを診て他の部位を見ていない可能性もあるのかもしれないが、彼がそんな半端を命じるとも思えない。
そうなると、僕の腹痛の原因はひとつになる。ゼロの言う通り「食べ過ぎ」ということだ。養成所では、殆ど食を楽しむ機会は無かった。最低限度のパフォーマンスさえ維持できれば問題ないからだ。結果、僕は粗食になったわけで。
粗食から急に豪華な食事へ。これでは体も驚くだろう。殆ど物を食べて来なかった体に、流石にステーキはやり過ぎだったか。
冷や汗を拭い、呼吸を整える。そうすると幾分か痛みが引いた気がした。再び歩き始めると、ゼロが更に苦言を付け加えてくる。彼は耳元で「そういう所」だの「人の話を聞かない」だのとなんだのと言っていた。僕はその間もミナトトライブの背を追い、ひたすら歩く。
無視をするつもりだった。多少の痛みくらい慣れている。致命傷でも便意でない以上、歩くのを辞める理由にならなかったからだ。
そんな意固地が崩れたのは数秒後だった。「いい加減にプライドなんて捨てて」とゼロがため息混じりに吐き出した言葉に、何故か脳みそが反応する。カッとなる、という表現がピッタリだった。
気がつけば僕は「うるさいな!」と叫んでいた。勿論、天下の往来だ。周囲の人間がばっと僕の方を見る。ゼロは依然として肩の上で、冷めた目をしていた。
そこでやっと冷静になる。ゼロは周りの人から見えない。つまり、僕はひとりで勝手に声を荒らげた不審者というわけで。
「なんだァ? 喧嘩か?」という聞き覚えのある声がして、その時にはもう裏路地に滑り込んでいた。多分、さっきのは三田くんだ。今ここでミナトトライブに見つかるわけにはいかない。
大通りよりも僅かに暗がりになったそこで肩を落とす。ごくと唾を飲むと、ゼロがぴょんと肩から飛び降りて地面に降りた。
「……ごめん」
反射的に謝る。ゼロという存在に謝るのも変なように思えたが、頭が上手く回らなかった。腹の奥から響く痛みと捻れが思考を歪ませている。
ゼロは責めなかった。平坦で感情の読めない顔をしていたが、敵意も嘲りもない。あるのは純粋な観察だ。
彼は暫し黙り込んでから、「カズキくんさ」と口を開いた。
「キャラ変した? なんか僕の記憶にある君と言動が合致しないんだよね」
「……そう?」
「うん。今だけじゃなくて、結構前から思ってたけど」
僕は眉を寄せる。キャラ変というと変に聞こえるが、彼の言い分には納得もあった。
ゼロはじっとこちらを見あげつつ、言葉を続ける。
「前はそんなに簡単に怒らなかったし、泣いたりもしなかったよね? 情緒不安定な君を見たことあるけどさ、あまりにもスイッチが入るのが早すぎるって言うか」
「自覚ある?」と問われ、僕は頷いた。
王次郎が死んだ。その知らせをゼロ伝いに聞いた時に感じた感情のブレ。行き場のない怒りと悲しみが、理性を飛び越えて吹き出していく感覚。
あれとはまた、違う。あの時、僕は確かに絶望していた。なにかを恨み、嘆いていた。自分の土台が揺らいだ様な痛みがあった。
しかし今回のは違う。泣くのも怒るのも、僕のコントロールしている感情所以ではない。ただ、常にコップの水がギリギリの所にあるような気がするのだ。少しでも揺れたり、水滴がひとつでも落ちれば決壊する。
目を伏せると、ゼロはううんと短い腕を組んだ。
「僕の記憶にはないんだけど、カズキくんってあの後死んだ事ある?」
おかしな質問だ。けれど前世を思えば意図は読める。
カカシ。即ち、残機システム。記憶や感情等、大切なものを対価にして「生き返る」それ。もし前世の僕が死んで、生まれ変わって、本質が変化していたのだとしたらこの状態も理解できる。
ただ、そうなると矛盾もあった。僕は首を横に振る。
「死んだ覚えはないね。……それに、もし僕が死んでいたのなら、君が知らないはずがない。なにせあの世界では、君は神様だったんだから」
そう答えると、ゼロは「確かにそうかも」と腕を解いた。その表情はあまり明るくない。
無理もないだろう。いくら人の心のない彼とはいえ、意味もなく八つ当たりされてはかなわないはずだ。大したことの無い挑発に上手く乗ることすら出来ず、カッとなって怒鳴られては疲れるだろう。
素直な悪いことをしたな……と思った。しゃがみこみ、ゼロへ手を伸ばす。もう一度「悪かったよ」と謝ると、彼は「素直な君もキモイんだよね」と困り顔のまま毒を吐いた。
そんなゼロを持ち上げて抱えるが、特に抵抗はない。彼はするりと腕を駆け上がり、肩へと飛び乗った。僅かに怪我が傷んだが、今更文句を言う気にもなれない。
「……とりあえず、もう少し冷静になるよ。自分で思うよりも焦ってるみたいだ」
轟くんの後ろ盾を得たとは言え、XBギアは壊れてしまった。王次郎は天心を殺してしまった。過去には存在しなかった曲田が、神木結衣と共に並んでいる。不安になる情報ばかりだ。
早く、早く、早く。王次郎の元へ辿り着きたい。前回よりも早く彼を止めて、これ以上の血濡れを見せずに終わりたい。自分を殺してしまうほどの罪を背負ってしまう前に、首根っこを掴んで引き戻してやらなくてはならないのだ。ここで立ち止まる訳にはいかない。
足と腰に力をいれ、しっかりと踏ん張った。なるべく痛みを頭の中から追い出す。「ミナトを追うよ」とゼロに声をかけると、彼は「それもいいけど」と顔を覗き込んできた。
「トイレくらい行こうよ」
「……」
「嫌でしょ? 漏らすの」
……それは、そうだ。
王次郎との試合も、骨折も、轟くんとの面接も、XBも、どれも無茶をしたし、その分ゼロを巻き込んできた。こうも彼が執拗いのは僕のせいでもある。
「分かったよ」と返事をし、僕は大通りへ戻った。ミナトの皆は、当たり前に姿を消している。歩いていった方角は分かるので、焦らずに追えばいい。まずはトイレだ。
*
アザブ交差点。そこはミナトシティでXBをする人間にとって特別な場所だ。
街全体をバトルフィールドとするXBでは、ホームをアザブ交差点に置く。つまり、XBプレイヤーの誰もがこの場所から走り出すことになるのだ。ちなみに一塁は芝寺、二塁はミナトタワー、三塁は六本木スーパーヒルズである。
予測通り、ミナトトライブの面々はアザブ交差点に集まっていた。バットとボールを持ち寄り、何やら試合のようなものをしている。けれど、本格的なXBではないようだ。一塁から三塁を芝寺等でなく、電柱で見立てている。
神谷さんが投げ、ハルくんとタイガくんが交互にバッティングしていた。尚、全部空振り。パワー任せのテク無しタイガくんと、強みを計り知れていないハルくんでは分が悪いだろうが、それにしてもだ。神谷瞬、彼の投球に目を奪われていた。
速い。そして力強い。コントロールも完璧だ。そして、そんな球を取りこぼさない有栖川さんの技術も中々のもの。
最強と呼ばれるのも分かる。その上、バッティングも出来るのだから末恐ろしい。あの細身からどうやってあれだけの力が出力されるというのだろう。
「凄いな」
思わずぽつりと声を漏らしてしまった。少し離れたビル脇の看板に身を隠しながら、様子を伺う。その位置からでも十二分に彼の気迫が伝わってきていた。
とても病床の身とは思えない。王次郎との試合後に死んだと聞いた時、最初は信じられなかったが、今も同じだ。彼のような男が易々と死ぬように思えない。それ程力に満ち溢れた投球だった。
いつもは煩いゼロも静かに眺めている。何か思う所があるのだろう。僕はあえて言及せず、ただ「いい腕をしているね」とだけ感想を述べた。
見れば見る程、彼が惜しい。彼のような強い選手と戦うことは、王次郎にとってどれ程幸福な事だろう。なるべくならば生死をかけた戦いではなく、純粋なゲームとしてのXBで向かい合って欲しい。
……もしもここが本当に過去の世界ならば、僕は彼が死ぬという運命を変えることも出来るのだろうか。それがかなうのなら、XGによって世界を混沌に堕としたゼロのあり方にも変化があるかもしれない。
ちらと僕はゼロを見る。彼は「ん?」と首を傾げた。
「なにカズキくん。さっきトイレ行ったばっかなのに、またお腹痛い?」
「違う。……いや、違う訳じゃないけれど、そうじゃなくて」
お腹は痛い。けれど今それは関係ない。「神谷さんの投球を見てたんだよ」とボヤくと、ゼロは「なあんだ」と気の抜けたような声を上げた。
「でも、行きたくなったら気軽に行っていいからね。長くなるなら、ここでぼく見張っててもいいし」
「……だから行かないって」
というか……あまり腹のことを話題にしないで欲しい。頭の中から追い出そう追い出そうとしているのに、ゼロのせいで台無しだ。「うう」と小さく呻いて腹を擦る。そうすると少しだけマシになる気がした。
じゃなくて、だ。今はミナトトライブに集中するべきである。考えなくてはならない事がいくつかあった。例えば、かれらといつ接触するか。前回はチヨダ戦の後だった。
今、ミナトはハルくん達を迎え入れ、シンジュクを退けた段階である。そしてルールの指南中。タイガくんが「XB法変わっちまったのに、学ぶ必要あんのかよ!」とブーたれる声が聞こえていた。有栖川さんがすかさず反論する。「元のルールが分からなければ、何が変わったかも分からないでしょ!」という言葉は正しい。
タイガくんもそう思ったのだろう。きちんと静かになり、彼女の話を聞く体勢になっていた。
「流石、有栖川さん。タイガくんの扱いが上手いね」
まるで教師と生徒のようだ。そして何より、何処と無く懐かしい。短い間だったが、かつてミナトにいた頃を想起させるやり取りだった。僕が合流する前からミナトはこんな感じだったということだろう。
仲良く、楽しく、切磋琢磨し合う。勝ちも負けも次に繋がる。タイガくんと一緒になって並んで正座する三田くんも、ハルくんに何やらを教えている愛海も、どこまでいっても微笑ましい。理想のチームだ。あんなチームメンバーと試合がしたかった。
その思いは、恐らくトラッシュトライブにも引き継がれていたはずである。ゼロという共通敵と戦うためのチームではあったが、どこまでも温かかった。
……ただし、それは全て未来の話。現時点の僕は、そのどれにもかかわり合いのない人間である。その上両腕をまともに使えないというデバフ付き。どのように立ち回れば、ミナトに取り入ることができるのか。その為に大切なのが、かれらへ接触するタイミングなのだ。
前回のアダチ戦まで待つのはひとつだろう。だが、それでは神谷瞬の退場を受け入れる事にもなる。では前倒しにするとしても、僕が入り込むような隙間はミナトにない。
ミナトトライブは温かい場所ではあるが、人は選ぶ。最強のチームなのだから当たり前だろう。神谷瞬のお眼鏡にかなわないのならば、メンバーになる事も難しい。
僕は観察しつつ、考えた。初心者のハルくんをいきなりフィールドに出し、その上で神谷瞬一人が完封する程の実力。しかも相手は歴戦のシンジュク。豪胆さもさながら、選出には「人の目」が入っていることの証左だった。
ハルくんには、タイガくんには、才能がある。勿論僕にもだ。けれど腕が使えない以上、アピール出来るのは頭ということになってしまう。
それを示せる最も効果的な相手がアダチだったから戦うのを待っていたのだが、悠長に待つのは得策に思えない。
「どうするの?」とゼロが尋ねてくる。僕は「んー」と当てもなく声を出したあと、ぽつりと呟いた。
「そうだなあ。……アダチを煽って、ミナトにぶつけてみようか」
そうすれば、無理矢理介入するきっかけを作れるし。
ゼロが「えっ」と言うので、僕は「冗談だよ」と言いかけ……
「聞いちゃった」
黙り込んだ。聞き慣れない、けれど聞いたことのある声が真後ろからする。そこでようやく僕は気がついた。目の前にいるミナトトライブ、そのうちの一人が先程から姿を消していた事に。
ごくと小さく唾を飲む。動揺を悟られる訳にはいかない。恐らく後ろにいるのは神谷瞬だ。
僕は呼吸をそっと整えてから、振り向かずに口を開いた。
「……一体何を聞いちゃったのかな」
「そんなの決まってるだろ? アダチを煽って、ミナトにぶつけようって計画」
バッチリ嫌な所を聞かれていた。僕はヘラと笑顔を作り、振り向く。そこには予想通りの顔があった。神谷瞬である。
作り物のような綺麗な顔が、じっとこちらを観察していた。気怠げでもあり、けれど親しみは一切垣間見えない。僕を面白がっている風ではなく、しっかりと警戒を見せていた。
……気を抜いていたらしい。いくら腹痛が酷くても、最低限周囲を見ておくべきだった。
どうやらゼロも同じく気を抜いていたようで、僕のズボンの裾をビシッと掴んでいる。
仕方がない。逃げたとしても、ここまでしっかり顔を見られては遅いだろう。腹を括るしかないようだ。
僕はひらと手を挙げた。
「聞いてたんだ? まあ、ただの冗談だけどね。アダチとミナトの試合は気になるけどさ」
「どっちが勝つかな?」と適当に投げかければ、神谷さんは「そりゃあ俺でしょ」と笑った。その笑顔すら隙がない。
そんな笑顔のまま、きゅうと目を細めた。
「俺達が何処と戦うかは俺達が決める。……っていうのは当たり前なんだけど、それより気になるんだよね」
「へえ、何がかな」
「有栖川とタイガの名前、なーんで知ってるのかなって」
その言葉に唾を飲み込みそうになる。さっきはまるでアダチとミナトの話から聞いていたように言っていたが、本当はそこから聞いていたのか。
僕は笑顔のまま「有名じゃないか。ミナトトライブなんどから」と答えたが、神谷さんは首を横に振る。
「有栖川は、ね。でもタイガはトライブに入ったばっかで、まともに試合にもでてない。それなのに知ってるなんて」
「……」
「もしかして、二人のストーカー?」
僕は「ん?」と顔をあげる。ストーカー。
……ストーカーって。何故そうなる。いや、そうなるのも……おかしくない、のだろうか。
なんなら寧ろ好都合とも言える。今回はストーカーでも何でも適当に乗り切って、また後日出直せばいい。ここまで来ておいて言い訳じみているのだけれど、腹が痛くて全く集中できないし。
僕は「バレたか」と肩を竦め、「ただのファンだよ」と言いながら後退りをした。勿論ここから撤退するためだ。
しかしそんな雑な作戦を、神谷瞬が許すはずもなかった。
「そのスパイク型XBギア、壊れかけみたいだけど……チヨダトライブが使ってるやつだよね」
「……!」
「それは流石の俺でもスルーは出来ないかな」
瞬間、僕は走る。けれどそれよりも早くに神谷瞬は僕の前に回り込んだ。勢いのまま拳を突き出され、間一髪で後ろに避ける。
「……っ!?」
目眩。一瞬暗転する程の強いブレ。思わずたたらを踏んだ所に、今度は蹴りが飛んでくる。
腕でガードする訳にはいかない。咄嗟にこちらも足蹴りを繰り出したが、当たりは微妙だ。腹の痛みが増すばかりで、上手く力が入らない。
「逃げよう、カズキくん! 流石に勝てないって!」
ゼロの声がする。彼の言う通りだ。
そう思って足をズラしても、僅かな動きを見切って神谷さんが行く手を封じてくる。
その事が異様に腹立たしい。普段であれば湧き起こらないような闘争心が腹の奥で煮立っていた。勝てないとゼロは言う。その通りではある。けれど、いつものコンディションならば、僕の方が速い。きっと。
だというのに彼はそれを知らず、格下のプレイヤーとみてただ足止めしている。僕と戦うのではなく、仲間がこちらに気がつくまでの時間稼ぎをしているわけだ。
気に食わなくて、僕は真っ直ぐに蹴りを突っ込む。神谷さんはそれを正面から受け止めた。「凄い加速!」と笑う余裕もある。
思わずギリと奥歯を噛むが、いとも簡単に攻撃を弾かれた。
「そんな蹴りじゃ、俺からアウトは取れないぜ。スパイくん!」
弾かれた後、流れに任せるようにして蹴りが追いかけてくる。腕を庇うように身を丸め、その一撃を背中で受けた。とてつもない力だ。
軽く飛ばされ、膝をついて着地する。「う」と呻いた所で、上から肩を抑えられた。
「チェックメイト、かな?」
そうウインクするのは神谷さん。一方、肩を抑えているのは愛海くんだった。見事に時間稼ぎをされ、確保されたらしい。
おっかなびっくり近づいてくるハルくんや、「不審者か?」と興味深げなタイガくんの様子も見えた。
三田くんはこちらを見るなり喧嘩腰。初手から「ああん?」と顔を覗き込まれる。そんな不良まっしぐらな彼を「ダメだよみっちゃん」と諌めたのは神谷さんだった。
「あんまり脅すなって。彼、どうやらチヨダのスパイみたいだよ」
「えっ、チヨダの!?」
驚いた声をあげるのは有栖川さん。遅れて近づいてきた彼女は、警戒した表情のまま取り押さえられた僕を見下ろしてきた。
……というか、彼って僕のことでいいのだろうか。一応今は女の子の筈だけれど。服装のせいか、キツめの下着のせいか、体型が分かりづらくなっているのかもしれない。
訂正すべきかすべきじゃないのかよく分からなくなっていると、ふと視線を感じた。三田くんだ。彼はぎりりと見て分かるほどに歯を食いしばり、「俺はスパイとスカしたイケメンが嫌いなんだよ」と拳を固めている。
アホくさい。はあとため息をついて彼から目を離すと、三田くんはウキー! と憤慨した。しかしそれは、この状況をなんら打破するものでは無い。
「どうするの、カズキくん。スパイだってさ」
そう尋ねてくるのはゼロで、彼も今後の立ち回りについて悩んでいる様子だった。正直、悪い流れではない。
チヨダのスパイ。もしその立場としてミナトトライブに入れるというのならどうだろう。ミナトトライブから見て、僕に一定の価値が産まれることになる。それに実際にはスパイでなくとも、チヨダの情報は持っているので、それを餌にかれらと交渉ができるかもしれない。
ただし、それは捕虜の立場ではなれなかった。あくまでも対等か、僕が優位でなくてはならない。どんな方法でもいい。僕を殺せばチヨダの忍が押し寄せるだとか、そんな大ボラでも。
とにかく、ここで接触してしまったのだ。この勘違いを存分に活かす必要があるだろう。
僕はにこりと笑う。目の前の三田くんにあえて「イケメンでゴメンね」などと謝れば、彼は更にヒートアップした。神谷さんすら「まあまあ」と諌めるほどに。
……これでいい。後は僕がどれ程情報を持っていて、使い道があるかと示すだけだ。そうすれば、お人好しのかれらは僕を警戒しつつも生かすしかなくなる。その間に取り入ればいい。僕の目的は、とにかくミナトトライブに合流することなのだから。
にしても三田くん怒りすぎだろう。スカしたイケメンというなら神谷さんもそうだろうに。彼だけは例外的にオッケーなのだろうか。まさかイケメン判定から外れる訳でもないだろうし……。
僕は愛海くんに取り押さえられたまま、やいやいと鼻息を荒くする三田くんを観察する。「こんなに近くで動物が見られる動物園も珍しいね」とつい口から出ていたが、それに対する苦言は三田くん以外から飛んでこなかった。
ギャーギャーと怒る彼を放置して、有栖川さんと神谷さんが話している。「彼、君のストーカーでもあるらしいよ。自称ファンらしいけど」と余計な事を吹き込んでいた。有栖川さんは呆れている。
「……まったく。とりあえず、店に戻るわよ? 話を聞くにしてもここじゃ人目があるし」
鶴の一声というのだろう。遠巻きに見ていたハルくんやタイガくん、神谷さんが連れ立って離れていく。三田くんはギリギリまで僕を睨んでいたが、有栖川さんに「三田!」と一喝され、しぶしぶ離れていった。
残ったのは愛海くんと有栖川さんだ。有栖川さんは愛海くんに「つれて行くわよ」と告げたが、愛海くんは動かない。彼は困ったような顔をして、「さおりん」と弱々しく名前を呼んだ。
「この人、両腕折れてるみたい」
「嘘……」
「神谷のやつ」と有栖川さんは顔を引き攣らせたが、愛海くんは首を横に振る。「元からだと思う」と付け足すと、彼女の顔色が変わった。
地面に座ったままの僕を、彼女が見下ろしてくる。「立てる?」と聞かれたので、とりあえず立つことにした。
とんでもない目眩だ。途中で視界が途切れ途切れになる。高速で電気のスイッチをつけたり消したりでもしているような感覚だ。
頭の上で声がする。「多分男の子でもないし……」という愛海くんの声をBGMにそれでも何とか立ち上がり、有栖川さんと向き合った瞬間だった。彼女は見るからにぎょっとして、「ちょっと!」と声を荒らげる。あまりにも大声だったので、先を歩いていた神谷さん達も足を止めていた。
驚く彼女の目線を追う。それは僕のズボンに向けられていた。黒いズボンでは分かりづらい。しかし、確実にじわじわと何かが漏れ出している。ズボンの裾から足首へと伸びた赤い一本の筋がその答えだった。血だ。
「え」
絶句する。怪我をしたのは腕で、その際ほとんど出血は無かった。それなのに何故ズボンから染み出るほどの血が出ているのか。
そして同時に思い至る。時折襲い来る目眩。あれは貧血だったのだと。ズボンを重たくしている分、全てが血なのだとしたら納得だ。
しかし、納得したところでどうだと言うのか。呆然として見下ろすしかできない。ぽかんとしていると、有栖川さんがいきなり上着を脱ぎ出した。そのまま僕の腰にぐるりと巻き付けてくる。
そんなことをしたら血がついてしまうだろう。慌てて「血が」と止めようとすると、彼女は「いいから」と僕に喋らせなかった。
あっという間に腰巻きになった上着。頭がついていかないままでいると、今度は愛海くんに担がれる。思わずぐえと唸ると、有栖川さんが慌てて「あああダメダメ! お腹押さないで!」と声を上げた。
愛海くんに担ぎ直され、有栖川さんに「大丈夫よ、私もたまにあるし」と謎に励まされ、そこに来てやっと僕はある可能性に思い至る。
どうして意味もなく泣けてくるのか。イライラするのか。腹が痛むのか。その答えはひとつだ。それについて深く思考することも出来ず、僕はただ「痛い」という感想に震えていた。