森で修行を始めて、3カ月が経った。
どうやら、母上が三人目の子を妊娠していたらしい。
すでに出産間近だという。毎日同じ屋敷にいたのに、昨日まで気づかなかった。
家族が増えるのは喜ばしいことだが、折悪く父上には王都への出張命令が下った。
「この時期に領地を離れろなんて、絶対に王都からの嫌がらせだ」
出発する直前まで、父上はそう愚痴っていた。
とはいえ、屋敷にはニャンシーをはじめとした使用人たちがいる。
王級武人である母上も、妊娠したからといって急に弱くなるわけではない
僕がそばにいても、できることはない。
特に、夜は。
というわけで、現在の僕は月明かりに照らされた森の中にいる。
夜の修行は素晴らしい。
人の目を気にせず魔術を試せるうえ、暗闇での戦闘訓練にもなる。前世から短い睡眠には慣れているため、二時間ほど眠れば翌日の生活にも支障はない。
この一か月で、魔術も随分と進歩した。
魔術を理解出来たら魔力を多めに込めたり、操作することで新しい魔術は無理でも無理矢理強化できることが分かった。
最近完成させたのは、風を一点に集めて圧縮し、一気に解放する魔術だ。普通に風を放つよりも威力は格段に高い。
ただし、圧縮に五秒かかる。
実戦で五秒も棒立ちになっていれば、敵に「どうぞ攻撃してください」とお願いしているようなものだ。使い方には工夫が必要だろう。
身体強化にも、前世で学んだ武術をなじませている。
魔力によって強化された筋力を、そのまま振り回すだけでは芸がない。
足運び、重心移動、呼吸、脱力。前世で身につけた技術へ魔力を組み込むことで、単純な身体能力以上の力を発揮できるようになった。
剣と魔術が存在する異世界で、前世の武術がどこまで通用するのか。
ぜひとも実戦で確かめたい。
だが、一つだけ問題があった。
「魔物がいない……」
『超魔物辞典』によると、魔物は虚から生まれ、人や家畜を襲う害獣として討伐対象に指定されているらしい。
ところが、街に近い森は定期的に冒険者や兵士が巡回しているため、魔物の姿がほとんどない。一か月も探し続けたというのに、見つけたのは普通の鹿や兎ばかりだった。
彼らに罪はない。
修行相手にするわけにもいかないだろう。
「今日は、もう少し奥まで行ってみるか」
木々を伝い、街の明かりが見えなくなるまで森の奥へ進む。
しばらくして、複数の濁った魔力を感じた。
枝の上から様子をうかがうと、三体の小さな人影が見えた。緑色の皮膚、尖った耳、醜く歪んだ顔。
ゴブリンだ。
「ぐっぎゃ、ぐっぎゃ!」
三体は笑い声を上げながら、地面に横たわる何かへ石を投げつけていた。
人間だった。
すでに息はなく、その傍らには荷物を荒らされた跡がある。
ゴブリンの一体が握っているショートソードも、体格に合っていない。おそらく、倒れている男から奪ったものだろう。
本に書かれていたとおりだ。
魔物は人を襲う害獣であり、討伐対象。
ならば、遠慮する必要はない。
異世界に来て五年。
ようやく出会えた、愛しき魔物だ。
ちなみに、僕はまだ木の上にいる。
三体はこちらに気づかず、死体へ石を投げ続けていた。気配を消したまま仕留めることもできるが、それでは修行にならない。
初めての魔物との戦闘だ。
華々しく始めようではないか。
枝を蹴り、三体の中央へ飛び降りる。
「やあ、ゴブリン君。こんばんは」
「ぎゃっ!?」
突然現れた僕に驚き、ゴブリンたちが飛び退く。
だが、逃げることはなかった。
人間の子どもだと気づいた途端、醜い笑みを浮かべて僕を取り囲む。
さすが、異世界における定番の魔物だ。
「さあ、僕が次の獲物だよ」
手招きすると、ショートソードを持った一体が激昂した。
剣を振り上げ、真っすぐ突っ込んでくる。
めちゃくちゃ遅い。あくびが三回はできてしまう。
武器の大きさが身体に合っておらず、振るたびに重心がぶれている。
攻撃というより、剣に振り回されているようなものだ。
「どうしたの?それじゃあ当たらないよ」
二度、三度と剣をかわす。
動きは見切った。
「攻撃というのは、こうするのさ」
肩の力を抜き、呼吸を整える。
前世で学んだ八極拳。
全身の力を一つにまとめ、踏み込みと同時に拳へ伝える。
そこへ、五割の身体強化を重ねた。
踏み込んだ足が地面へ沈む。
次の瞬間、僕の拳がゴブリンの腹へ突き刺さった。
小さな身体が地面と平行に飛び、背後の木へ激突する。幹が大きくへこみ、ゴブリンはそのまま動かなくなった。
「……やりすぎた」
五割でこれなら、全力を出せばゴブリンなら粉砕しかける。
実戦になると、どうにも気分が高揚してしまう。反省しなければ。
残った二体は、仲間の末路を見て背を向けた。
勝てないと悟った瞬間に逃げる。良い判断だ。
ただし、人を殺した魔物を逃がすわけにはいかない。魔物は人を殺すことでその力を奪うと書かれていた。
腰を落とし、地面を蹴る。
正面から押し寄せる風を魔術で左右へ逃がすと、身体が一気に加速した。
逃げる二体へ追いつき、それぞれの頭を両手でつかむ。
「捕まえた」
そのまま勢いを殺さず、二体を地面へ叩きつけた。
森に鈍い音が響く。
今度は力を抑えたつもりだったが、二体が起き上がることはなかった。
「もう少し練習が必要だな」
初めての魔物戦は、あっけなく終わった。
倒れている人間の遺体へ目を向ける。
名前も故郷も知らないが、このまま魔物の餌として放置するわけにもいかない。
せめてもの弔いとして、火葬することにした。
火は風よりも慣れていないから圧縮に時間がかかる。手のひらへ集めた炎を十分に圧縮してから、遺体へ向けて解き放つ。
炎が一瞬にして遺体を包み込んだ。
周囲の木々へ燃え移らないよう、風魔術で炎を内側へ閉じ込める。やがて火が消えたとき、そこにはわずかな灰だけが残っていた。
僕は両手を合わせる。
「南無阿弥陀仏」
この世界ではイグノアス教が主流だが、こっちの方がまだしっくりくる。
しかし、このまま帰るのは少し味気ない。
せめて、熊くらいの強敵とは戦ってみたい。
そこで使うのが、僕の開発した魔力感知法である。
魔力を持つ生物には、身体の周囲へ漏れ出した魔力がある。
父上や母上からはほとんど感じられないため、強者ほど魔力を抑える技術に優れているのだろう。
僕は自分の魔力を薄く引き伸ばし、霧のように周囲へ広げてみた。
魔力が木々の隙間へ染み込み、地面を這い、森を満たしていく。触れていないはずの草木や小動物の輪郭が、頭の中へ淡い反応として浮かび上がった。
名付けて、魔力センサー。
普段は相手に気づかれない濃度まで薄めているが、今回は違う。
より強い何かを呼び寄せるため、意図的に濃度を上げていく。
これは探知ではない。
僕の魔力で作った、獲物を誘い込む網だ。
「さて、何がかかるかな。僕としては大きければ大きいほど嬉しいな~」
◇
夜明け前の森を、三人の男が歩いていた。
全員が月明かりさえ吸い込みそうな黒いローブをまとい、足音を殺して木々の間を進んでいる。
「本当にやるのか?」
最後尾の男が、不安げに口を開いた。
「ここまで来て何を言っている。コソワール様からの依頼だぞ」
「だが、狙うのは影の魔術師の屋敷だ。本人は王都へ出ているとしても、剣姫が残っている」
「妊娠中の女一人を恐れてどうする。俺たちは三人とも上級武人だ」
「その妊娠中の女が、王級の剣姫なんだろうが」
先頭の男も足を止めた。
言葉では強がっていたが、恐れているのは彼も同じだった。
「屋敷へ忍び込み、長男をさらうだけだ。正面から戦う必要はない。成功すれば、一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る」
「コソワール様が、本当に金を払う保証はあるのか?」
「任務を終えた途端、俺たちまで消されるんじゃないか?」
「それは……」
「これだから素人は困る」
頭上から、知らない声が降ってきた。
三人が一斉に武器を抜く。
太い枝の上に、一人の男が立っていた。
漆黒のローブ。片目を覆う眼帯。そして、右腕を幾重にも覆う薄汚れた包帯。
「誰だ、貴様!」
「あいにく、名乗る名を切らしている」
男は枝から飛び降り、音もなく地面へ着地した。
「今は名がないから、ナナシ。それで十分だろう?」
ナナシが包帯に覆われた右腕を三人へ向ける。
「俺の依頼は、チューニ家の長男の誘拐」
「貴様もコソワール様からか、なら協力者というわけか」
「ハハハ、それは違う。俺の依頼はプラスお前らの抹殺だ」
「な、なぜだ。コソワール様からの依頼を受けた者同士がなぜ殺し合う必要がある」
「悪いな。俺はコソワールに雇われたわけじゃない。だが、最終的に責任を負うのは、コソワールとお前たちだ」
「ふざけるな。三人を相手に勝てるとでも――」
「喰らえ――《
包帯が内側から弾け飛んだ。
露わになった腕から、黒い触手が一斉に伸びる。剣を振るう暇もなく三人へ絡みつき、その身体を闇の中へ引きずり込んでいく。
「う、うわあああっ!」
悲鳴は長く続かなかった。
触手が腕へ戻ったとき、そこに三人の姿は残っていなかった。
「ああ、まずい。怯えているだけの人間は、どうにも味が薄いな。やはり、食べるなら若い女だな」
ナナシは口元を拭い、チューニ家の屋敷がある方角へ顔を向けた。
「まあいい。あとはガキを一人さらうだけだ」
一歩踏み出そうとした、そのときだった。
冷たい何かが、ナナシの皮膚を撫でた。
反射的に飛び退き、周囲を見回す。
敵の姿はない。しかし、薄く広げられた何者かの魔力が、森全体を覆っている。
「なんだ、この気色の悪い魔力は……」
魔物ではない。
魔物なら、これほど静かに、森のすべてへ溶け込むことはできない。
もっと邪悪で、得体の知れない何か。
「こんな怪物がいるなんて、聞いてないぞ」
「やあ、お兄さん。迷子かな?」
背後から、子どもの声がした。
ナナシは振り返るより先に、前方へ跳躍した。
着地と同時に向き直り、声の主へ右腕を構える。
そこにいたのは、五歳ほどの少年だった。
「いつから、そこにいた」
「ついさっきだよ」
「なぜ、この時間の森に子どもがいる?」
少年は楽しそうに笑った。
「網に獲物がかかったから、見に来たんだ」
直後、ナナシの肌を鋭い殺気が貫いた。
考えるより先に、身体が左へ動く。
鋭い何かが、ナナシの横を通過した。
轟音が森に鳴り響いた。
背後に並んでいた木々が、まとめてへし折られる。
「へえ。今のを避けるんだ」
少年の声が弾む。
それは純粋な少年の心からの笑顔だった。
普段であれば、無視する子供の笑顔、されどこの場においては不気味さを感じざるを得なかった。
「ゴブリンより、ずっと楽しめそうだね」
「何者だ、お前……」
ナナシには、目の前の光景が信じられなかった。
小さな子どもの身体から、自分を優に超える魔力があふれ出している。その魔力は夜の森を覆い、逃げ道さえも塞いでいた。
少年は胸へ手を当て、丁寧な動作で一礼する。
「僕はね――狩人さ」
言ってみたかったセリフ16位を言えたことでテンションが100%の主人公。
さて、0PVと思えた今作も多くは無いですが、意外と見てくれている読者の皆様がいることに誠に感謝します。
それではまた、次回!