闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
入学式と火影岩
「入学祝いじゃ。何か欲しいものはないか」
「ない」
肩にかかるくらいの金髪を輪ゴムで適当に縛った少女――うずまきナルコは、受け取った封筒をポケットに押しこみながら首を横に振った。跳ねた毛先が、その動きに合わせて揺れる。
火影の執務室。月に一度、生活費を受け取りに来る場所で、ナルコは伸びっぱなしの前髪の隙間から机の向こうを見上げた。三代目火影が、パイプをくわえたまま固まっている。
「……遠慮せんでいい」
「してない」
「鞄はどうじゃ。お前のそれ、だいぶくたびれとるぞ」
「まだ使える」
ずり落ちかけた鞄の紐を、パーカーの袖ごと肩にかけ直す。灰色のパーカーは古着屋の隅で一番安かったやつで、袖を二回折らないと手が出てこない。紐の付け根は自分で縫い直したから、糸の色が合っていなかった。
「筆入れは」
「ある」
「甘いものは」
「いらないってばよ」
三代目は黙ったまま、火の点いていないパイプを口から外して、またくわえた。困っているときの癖だ。毎月この部屋に来ていれば、そのくらいは覚える。
「なら、これはどうじゃ」
引き出しから出てきたのは、布にくるんだ細長い包みだった。布の中から古いクナイが一本のぞく。刃はよく磨かれているのに、柄に巻いた布だけがやけに新しい。
「ワシが若いころに使っておったものじゃ。店で買ったもんではないから、誰に何を言われることもあるまい」
ちらりと見ただけで、ナルコは首を横に振った。
「いらない」
「なぜじゃ」
顔をしかめた三代目に、そのまま返す。
「火影のクナイなんか持ってたら、盗んだって言われるってばよ」
三代目は何か言いかけて、口を閉じた。実際そうなるのだから、言い返しようがないのだろう。
うずまきナルコは、木の葉の里の嫌われ者である。
理由は知らない。物心ついたときには、もうそうだった。
商店街に行けば、ナルコの分だけ値段が高い。公園に行けば、ほかの子はみんな親に手を引かれて帰ってしまう。道ですれ違う大人はだいたい目をそらすし、たまにそらさない大人がいても、そっちのほうがよっぽど嫌な目をしている。
そんなナルコが、火影のクナイなんかぶら下げて歩いたら? 考えるまでもない。
クナイを包み直していた三代目の手が、そこで止まった。皺だらけの指の先にあるのは、ナルコの手だ。
「……その手はどうした」
言われて見下ろすと、両手は絆創膏だらけだった。貼りきれなかった擦り傷が、手のひらに赤く残っている。
「木登り」
「木登り?」
「森のとこの。高いやつ」
「……なぜそんなことを」
「忍って、木の上走るんでしょ。登れなかったら困るってばよ」
三代目はしばらく黙って、その手を見ていた。
「毎日やっとるのか」
「だいたい。朝ちょっと走って、そのあと登る」
「誰かに教わったのか」
「ううん」
三代目の眉が、少し下がった。何か言いたそうな顔だ。言われる前に帰りたい。
「……ナルコ。お前、なんで忍になろうと思った」
「外に出られるから」
「外?」
「任務で里の外、行けるんでしょ」
パイプをくわえたまま、三代目が目を細める。
「……里を出たいのか」
「……別に」
三代目は何も言わなかった。何か言ってほしかったわけでもない。聞かれたから答えただけだ。
「帰る」
「ナルコ」
「なに」
「困ったことがあったら、ここへ来い」
「来ないってばよ。用事ないし」
重い扉を背中で押して閉め、長い階段を下りる。
途中で、書類を抱えた中忍とすれ違った。ナルコに気づくなり、男は黙って壁際へ寄る。道を空けたつもりなのだろうが、こっちを見る目は冷たいし、抱えた書類をナルコから遠いほうの腕に持ち替えたのも見えていた。
紙の束なんか盗んで、どうしろというのか。
いつものことだ。振り返らずに、残りの段を下りた。
猿飛ヒルゼンは、包み直したクナイを引き出しに戻した。
柄の布は先週、馴染みの職人に巻き直させたばかりだ。子供の手でも握りやすいように少し細めに、と注文までつけた。結局、触りもされなかった。
水晶玉に手をかざすと、階段を下りる小さな背中が映る。壁際の中忍の横を、ナルコは顔色ひとつ変えずに通り過ぎていった。
あの子が毎朝、誰ともすれ違わない道を選んで走っていることを、ヒルゼンは知っている。森の奥で何度も木から落ちては、黙って起き上がっていることも。
知っていて、見ているだけだった。
――あの子はもう、聞かなくなってしもうたな。
前は、ここへ来るたびに一つだけ、同じことを聞いて帰ったものだ。
『わたし、どうしてひとりなの?』
初めは四つのとき。大きくなったら教えてやる、とヒルゼンは答えた。五つのときにも、同じ答えを返した。
六つになった今年は、もう聞いてこない。
答えを待つのを、やめたのだろう。誰かが助けてくれることも、この里で何かが変わることも、あの子はもう当てにしていない。
九尾のことを口外するな、と里に命じたのはヒルゼンだ。親が子に偏見を植えつけないように。ナルコが人柱力としてではなく、ただの子供として育つように。
両親の名も伏せた。四代目には敵が多すぎた。岩隠れをはじめ、あの男を恨む者は他里にいくらでもいる。その娘だと知れたら、それだけでナルコの命が危うい。
どちらの判断も、間違っていたとは思わない。
だが大人たちは、口を閉じただけ。目までは閉じなかった。
理由も知らされずに冷たい目を浴びつづけた子供は、問うことすらやめて、誰にも頼らない、何も受け取らない子になってしまった。
あのとき、せめて一言でも言ってやれていれば。
すべては話せずとも、お前のせいではない、と。それだけでも伝えていれば、あの子は今日も同じことを聞いていったのだろうか。
三つのころは、まだこの膝によじ登ってきた。小さな指が髭をつかんで、なかなか放さなかった。ずいぶん痛い思いをしたものだ。
いつなら、まだ取り戻せたのか。
わからない。火影の仕事にかまけているうちに、気づけばああなっていた。それが、一番情けない。
ミナトは死の間際、この子を里を救った英雄として見てほしいと言い遺した。その願いを、まだ一つも叶えてやれていない。
クシナが見たら、間違いなく怒鳴りこんでくる。あの娘は、自分の大事なものを粗末に扱われるのを何より嫌った。頭の一つや二つ引っぱたかれても、文句は言えまい。
「……おい」
声をかけると、部屋の隅の影から暗部が一人現れる。
「アカデミーのうみのイルカを呼べ。明日の式の前に話がある」
「はっ」
暗部が消えると、ヒルゼンはようやくパイプに火を点けた。
積み重なっていく後悔を噛みしめることだけが、この老いぼれにできることだとは、思いたくなかった。
翌日。忍者学校の入学式。
講堂には新入生が百人ばかり並び、後ろの壁際には保護者がずらりと立っている。朝から、なかなかの賑わいだ。母親たちのおしろいの匂いがこもって、講堂の中はむっとしていた。
列の一番端で、ナルコは壁にもたれて欠伸を噛み殺した。人が多い。うるさい。早く終わればいい。
「おい」
横から声がした。振り向くと、頭のてっぺんで髪を一本に括った男子が立っている。目が半分しか開いていない。眠いのか、元からこういう顔なのか、見ただけではわからない。
「そんなとこにいていいのかよ」
「いい」
「じゃあオレも」
「やだ」
「ケチだな」
ぶつぶつ言いながら、そいつは結局ナルコの隣に並んで、壁に背中を預けた。目を閉じたと思ったら、もう寝息が聞こえてくる。
――立ったまま寝てる。
「……変なヤツ」
うみのイルカは、壇の脇から新入生の列を見渡した。
昨日の夕方、三代目に呼び出された。何事かと身構えて行けば、用件は一つだけ。うずまきナルコを気にかけてやってほしい、と。
断れる話ではないし、断る気もない。ただ、気は重かった。
六年前の九尾の夜、イルカは両親を亡くしている。あの子のせいじゃないと、頭ではわかっている。だがそれですっぱり割り切れるほど、イルカはまだできた人間ではなかった。
列の端の金髪は、探すまでもなく見つかった。
サイズの合わない灰色のパーカーの子が、壁にもたれて立っている。周りがみんな親に買ってもらった新しい服を着ているせいで、かえって目立っていた。
絆創膏だらけの指で、退屈そうに前髪をいじっている。その隙間から、頬の三本線がのぞいた。
保護者席の後ろからは、クラスを分けてもらえないのかしら、なんて声まで聞こえてくる。イルカは眉をひそめた。
当の本人は、保護者席を眺めていた。ぼんやり見ているのではない。端から順番に、一人ずつ顔を確かめている。
不意に、ナルコがこちらを向いた。前髪の隙間の青い目が、まっすぐイルカをとらえる。何も言わず、表情も変えずに、こてんと首を傾けた。
思わず名簿に目を落としてから、自分のほうが先に目をそらしたのだと気がついた。
――何やってんだ、オレは。
昨日あれだけ三代目に頼まれておいて、これだ。
溜息をついて顔を上げ直したときには、ナルコはもう、こっちを見ていなかった。
式が終わり、教室での説明も済むと、新入生たちは親と一緒にぞろぞろ帰りはじめた。
教室の一番後ろで、ナルコはのろのろと鞄に荷物を詰める。親子連れに混じって廊下を歩くと、人の列が自分のところだけ割れていく。それが面倒で、いつも人がいなくなるのを待ってから帰ることにしている。
「お前、帰んねーの」
顔を上げると、さっきの眠そうな男子がいた。
「……なんでいんの」
「母ちゃんが先生と話しこんでんだよ。あれ長ぇんだ」
「ふーん」
机の端に腰を引っかけて、そいつはナルコの手の絆創膏に目をやった。
「それ、なんだよ」
「木登り」
「なんで」
「忍になるから」
そいつの眉が、ちょっとだけ上がる。
「まだなってねーだろ」
「なるってばよ」
「めんどくせー」
「あんたがめんどくさがることじゃないでしょ」
「見てるだけでめんどくせーんだよ」
睨んでやったのに、相手はもう欠伸をしている。
「シカマル! 帰るわよ!」
「へーい」
廊下から飛んできた声に気の抜けた返事をして、そいつはひらひらと手を振った。
「じゃーな」
「……二度と話しかけんな」
「考えとく」
シカマルというらしい。出ていったあとも、ナルコはしばらく閉じた扉を眺めていた。
考えとく、は、たぶん考えないという意味だ。
鞄を肩にかけて、いつものように裏口から出た。
帰りに森へ寄って、いつもの木に登る。
樹皮のでこぼこに指をかけるたびに絆創膏が引っぱられて、とうとう一枚はがれて、また新しい擦り傷ができた。構うもんか。一番上の枝までよじ登ると、里が見渡せた。
日が傾いて、家々に明かりがつきはじめている。
どこかの家から、焼き魚の匂いが流れてきた。子供の笑い声と、それを叱る母親の声もする。講堂にいた親子連れも、今ごろはああいう家で、入学祝いのごちそうでも囲んでいるのだろう。
膝を抱えて、それを眺めた。
顔を上げると、里の向こうに火影岩が見える。
岩肌に彫られた四つの顔が、夕日に赤く染まっていた。一番端の新しい顔は、四代目火影のものだ。里を九尾から救って死んだ英雄だと、なにかの本に書いてあった。
ナルコはその顔を、しばらく見上げていた。
別に、何か思うところがあったわけではない。ただ、なんとなく目が離せなかった。
やがて日が沈み、岩の顔は暗がりに溶けて見えなくなった。