闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
下忍になって二日目の朝。昨日カカシに言われたとおり、ナルコは何も食べずに第三演習場へ向かっていた。貯金にお金を回した週は昼まで何も入れないのがいつものことだし、別に朝を一回抜いたくらいで困りもしない。
第三演習場は里の東の外れに位置しており、木の柵に囲まれた広場に丸太が三本立っていて、その向こうはもう深い森になっている。
柵をくぐると、先に来ていたサクラと目が合った。何か言いかけたその口が、ナルコの顔を見たまま閉じる。少し離れた丸太には、サスケがいつものように目をつぶってもたれていた。
先生は、いつまで経っても来ない。日が高くなるにつれてサクラのお腹が鳴りはじめ、そのたびにサクラは顔を真っ赤にして、つい目を向けてしまうナルコを睨んでくる。
銀色の頭が木の陰からひょっこり現れたのは、それからさらに一時間は経ったころだ。
「やー、諸君おはよう。今日はね、道に迷っちゃって」
「嘘つけ!」
サクラの隣で、ナルコも「遅いってばよ」と口を尖らせた。
カカシは気にした様子もなく、丸太の上に目覚まし時計を置いた。それから腰に下げた鈴を二つ、指先でつまんで鳴らしてみせる。
「ルールは簡単。昼までにオレからこの鈴を取れたら合格。取れなかったやつは、アカデミーに逆戻り」
「三人なのに、二つ……?」
「そ。最低でも一人は落ちる。それと、途中で捕まった子は昼まであの丸太に縛っとくから。弁当もなしね」
足元に、包みが三つ並んでいる。サクラがそれを見て、もう一度お腹を押さえた。
「手裏剣でもクナイでも、なんでも使っていいよ。殺すつもりで来なさい」
殺すつもりで、と言われても困る。
でも、ちょうどいい。上忍がどれくらい強いのか、一度確かめてみたかった。屋根の上から自分を見張っている白い面のやつらも、たぶんこの人と同じくらい強い。この人に少しでも通用するなら、いつかあいつらだって振り切れるかもしれない。
「よーい……はじめ」
サクラとサスケがぱっと茂みに消え、ナルコも反対側の木に跳んだ。枝の上から見下ろすと、カカシは広場の真ん中に突っ立ったまま、懐から小さな本を出して読みはじめている。表紙は橙色で、自分の上着と同じ色なのがなんだか腹立たしい。
本なんか読んでいて、一見すると隙だらけだ。でも、重心はどっちの足にも偏っていないし、神経を集中させているのがこの距離でも伝わってくる。わざと隙だらけに見せているだけだ。
木から木へ跳ぶのは慣れている。アカデミーに入ってから、誰もいない朝のうちに里を走って、裏山の木に登るのを一日も欠かしたことがない。手のひらの絆創膏は、何度も替えた。
枝を蹴って、一番速く走れる道を選んで背中側へ回り込み、最後の枝から真上に跳んで、落ちる勢いのままクナイを振る。
くそっ、当たらない。
カカシは本から目も上げずに、半歩ずれただけだった。着地したナルコの横を、頁をめくる音がのんびり通り過ぎていく。二度、三度と角度を変えても速さを変えても同じで、クナイの先はいつも、さっきまでカカシがいたはずの空気を切った。
「速いねえ」
本から顔も上げずに言われて、ナルコは返事の代わりに茂みへ飛び込んだ。
正面からじゃ、だめだ。
息を整えて、桃色の髪と広いおでこ、それからさっきお腹を押さえて睨んできた目を思い浮かべる。印を結ぶと、煙の向こうで視界が少しだけ低くなった。そのまま、茂みからよろよろと出ていく。
「せ、先生……足、くじいちゃって……」
声も歩き方も、さっき見たとおりに真似た。サクラが右足をかばうなら、きっとこんなふうに左肩が下がる。
カカシは本を閉じて、心配そうに眉を下げた。
「あらら、大丈夫? どれどれ、見せてごらん」
しゃがみこんで、くじいたほうの足首にそっと手を添える。腰の鈴が、すぐ目の前で揺れていた。
今だ。
鈴の紐に指が届く寸前、足首に添えられていた手に、ぐっと力がこもった。
視界がひっくり返る。足首をつかまれたまま、ナルコは逆さまに吊り上げられていた。
「上手いねえ。声も歩き方も、そっくりだ」
逆さまの景色の中で、カカシがのんびり目を細めている。
「でも、本物の春野はね、さっきからあっちの木の陰にいるのが丸わかりだぞ」
ぼん、と煙が上がって、変化が解けた。そのまま丸太まで運ばれて、ぐるぐる巻きにされるまで、あっという間だった。
「はい、一人目」
カカシは縄の結び目を確かめると、ついでのように聞いた。
「化けるの、誰に教わったの」
「……べつに。見てれば分かる」
「はいはい、いじけない。お昼までそこで待機ね」
カカシはもう背を向けていて、本の続きを読みながら森の方へ歩いていく。縄は、どれだけもがいても緩まなかった。
しばらくして、森の奥からサクラの悲鳴が聞こえてきた。そのあとで、何かが燃えるような音と、地面が崩れるような音。ナルコは縛られたまま、それをただ聞いていた。
一度も、本から目を離させられなかった。走る速さだけなら勝ってた気がするけど、気がするだけかもしれないし、化けたのだって一目で見抜かれた。あの人は、本物のサクラがどこにいるかなんて最初から知ってたんだ。白い面のやつらも、たぶん、あのくらいはできる。
――こんな強いなんて、やってらんないってばよ。
見上げた空は、腹が立つくらい晴れていた。
日が真上に来て、目覚まし時計がやっと鳴った。戻ってきたサクラは髪に葉っぱをつけたまま疲れきった顔をしているし、サスケは首から下が土まみれで、二人とも鈴は持っていなかった。
「三人とも、アカデミーに戻るかどうかは午後に決める。もう一回だけ機会をやるから、それまでに弁当を食べておきなさい」
カカシは包みを二つ、サクラとサスケの前に置いた。
「うずまきには食べさせないこと。食べさせたやつは、その場で失格ね」
それだけ言い残して、カカシは姿を消した。
サクラが包みを開くと、きれいに巻かれた卵焼きが覗いた。サスケは黙って箸を取り、二口、三口食べたところで手を止めている。ナルコは二人を見ないようにした。見たら、お腹がもっと鳴る。
足音がしたかと思うと、サスケが丸太の後ろに回って、縄の結び目に手をかけていた。ぐい、と引っ張られて、右腕の分だけ縄が緩む。
「……食え」
目の前に、食べかけの弁当が突き出された。
「ちょ、ちょっとサスケくん! 先生が、食べさせたら失格って……」
「午後に腹を空かせたやつがいたら、足手まといになる。それだけだ」
サクラは口を開けたり閉じたりしながら、自分の弁当とサスケの顔を何度も見比べて、それから小さく言った。
「……サスケくんがあげるなら、私だって」
卵焼きが一切れ、サスケの弁当の蓋の上に乗せられる。
「……え?」
差し出された蓋を、ナルコはすぐには受け取れなかった。
「ほら、早くしなさいよ。先生が戻ってきちゃうじゃない」
サクラに急かされて、やっと右手が動く。
「あ……うん。へへ……サンキュー、ってばよ」
冷めたご飯と焼いた魚を口に運んで、最後に卵焼きをかじった。
「お前らあああ!」
突然空が暗くなって、雷みたいな声と一緒にカカシが目の前に降ってきた。サクラが悲鳴を上げ、サスケが身構える中、ナルコは蓋を持ったまま固まっていた。
「……合格」
カカシは、にっこりと目を細めた。
「ルールを破ってでも、仲間を放っておかない。忍に一番大事なのは、そこだからね」
サクラは「え……え?」とサスケとカカシを交互に見ていて、サスケは小さく息を吐いて構えを解く。ナルコは頬を揉もうとしたところで、右手にまだ蓋を持っていることに気づいて、慌てて叫んだ。
「やったー! ……って、だから縄ほどけってばよ!」
「はいはい」
解散したのは夕方で、アパートに帰り着いたときには日はもう沈んでいた。靴を脱いで、そのまま床に寝転がる。
口の中に、まだ甘いのが残っている気がした。卵焼きって、あんな味だったっけ。前に惣菜屋で一度だけ買ったのは、もっとしょっぱかったし、そんなに美味しいと感じるほどのものでもなかった。
魚も、塩が多めに振ってあって、ご飯によく合った。
昼食べたどれもが驚くほど美味しかった。
そんなのはどうでもいいことだ。
……でも
どうでもいいはずなのに、天井を見ていると、弁当を差し出すサスケと、蓋に卵焼きを乗せるサクラの姿が浮かんでくる。
……何なんだってばよ。
言いようのない感情に蓋をするように、ナルコは手鏡を伏せたまま眠りへと入った。