闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
タズナの家は、海のすぐそばの、杭の上に建った古い家だった。潮をかぶり続けた板壁は灰色に褪せていて、足を乗せるたびに、桟橋の板がぎいと鳴る。
カカシの左腕を担いだまま、ナルコは最後の階段を上がる。右腕のほうでカカシを抱えているサスケも、さすがに肩で息をしている。濡れた服は道中でいくらか乾いたけれど、まだ脇の下や膝の裏に、じっとりと張りついていた。サクラが先に戸を叩くと、中から慌ただしい足音がして、若い女の人が顔を出した。
「お父さん! ……まあ、この人、どうしたの」
「客人じゃ、ツナミ。わしの命の恩人たちでな。とにかく寝床を頼む」
ツナミと呼ばれた人は、ぐったりしたカカシと、泥だらけの三人を順に見て、それ以上は何も聞かなかった。奥の部屋に布団を敷いて、カカシを寝かせるのを手伝ってくれる。えらく手際のいい手つきだった。
階段の上から、きしりと音がした。
帽子を目深にかぶった男の子が、手すりの陰からこちらを見下ろしている。ナルコたちより、三つか四つ下だろうか。
「イナリ。ご挨拶なさい」
ツナミに言われても、男の子は降りてこない。七班の額当てを一つずつ眺めて、ぼそりと言う。
「……どうせ、みんな死ぬのに」
それだけ言って、二階へ引っこんでしまった。
「ごめんなさいね。あの子、ちょっと……」
困ったように笑うツナミの横で、サクラはむっとした顔で階段を睨んでいる。
どうせ死ぬ、か。ガトーとかいうやつに勝てるわけがない、と言いたいらしい。初対面にしては、ずいぶんな挨拶だ。手すりを握っていた小さな指が、関節が白くなるほど力んでいたのは、少しだけ気になったけれど。
カカシが目を覚ましたのは、その日の夜だった。
「……いやー、参った参った。写輪眼ってのは、使うとこうなるんだよねえ」
布団から起き上がろうとして、全く起き上がれなかったのか、カカシはすぐに諦める。肘をついた腕が、小刻みに震えていた。写輪眼を使いすぎると、チャクラが底をついてこうなるらしい。一週間は動けないそうだ。どうして本人がそんなにのんきなのか、さっぱり分からない。
「でも、もう安心ですね。再不斬は死んだんだし」
ほっとしたように言ったサクラに、カカシは天井を見たまま答えた。
「それが、そうでもないんだよ」
「え?」
「追い忍ってのはね、仕留めた抜け忍の死体を、その場で処理するもんなんだ。わざわざ担いで持って帰ったりしない。それに、あの子が使った千本。首のあそこに打てば、人は死んだみたいに見えるけど、ちゃんと生きてる」
カカシの片目が、ゆっくりと三人を見回す。
「再不斬は、生きてる。たぶん、あの面の子とグルだ」
サクラの顔から、血の気が引いた。サスケは黙って、膝の上で拳を握っている。
枝の上からこっちを見下ろしていた白い面が、頭に浮かぶ。あいつも、敵だったのか。
「ま、向こうもすぐには動けないはずだから。そのあいだに、ちょっと修行しようか」
「しゅ、修行って……先生、動けないんでしょ」
サクラが、布団の上のカカシと、自分の手を見比べる。
「私たちが修行したって、あんな人に勝てるわけ……」
「勝たなくていい。生きて帰れれば、それでいいんだよ」
片目が細くなって、ふと、こっちの左手に止まった。
「ナルコ。手は大丈夫か?」
「……もう、平気だってばよ」
包帯の上から、ぐっと握ってみせた。痛みなんか、もうほとんどない。「そっか」とだけ返して、カカシの目はまた天井へ戻っていく。
翌朝、松葉杖をこつこつ鳴らしながら、カカシは家の裏の林まで三人を連れていった。
「木登りの修行をしてもらう。ただし、手は使わないで。チャクラを足の裏に集めて、それで幹に張りつくんだ」
言いながら、カカシは松葉杖のまま、すたすたと木の幹を歩いて登っていく。枝の裏に逆さまにぶら下がって、こっちを見下ろしてくる。
「な、簡単だろ」
――簡単そうに見せるのが、一番むかつく。
木登りなら得意だ。アカデミーに入る前から、毎朝欠かさずやってきた。手と足で幹をつかんで、枝から枝へ。それなら、目をつぶってでもできる。……足だけ、っていうのは、やったことないけど。
助走をつけて、幹に足をかける。三歩。四歩。五歩目で、足の裏がばちんとはじかれた。
背中から、地面に落ちる。
「いってぇ……」
「チャクラが多すぎ。足の裏に留めておかないと、幹のほうがはじき返しちゃうよ」
頭の上から、のんびりした声が降ってくる。打った背中がじんじんする。分身のときと同じだ。また、多すぎる。絞れ、と言われて絞れたことなんか、一度もない。
隣では、サスケも二歩目でずり落ちていた。登れた高さの幹に、悔しそうな顔でクナイの印を一本。
「え、これでいいの?」
すぐ横の木の上から、サクラの声が降ってきた。見上げると、太い枝に腰かけたサクラが、きょとんとこちらを見下ろしている。一回で、てっぺん近くまで登りきったらしい。
「サクラが一番、チャクラの扱いがうまいみたいだねえ」
褒められたサクラが、真っ赤になる。ちらっとサスケのほうを見て、もっと赤くなった。分かりやすい。
……ふーん。
もう一度、助走をつける。今度は四歩目ではじかれた。さっきより悪い。
隣のサスケも、一度も口をきかずに黙って登り直している。いつの間にか、どっちが先にてっぺんまで行けるかの勝負みたいになっていた。
「二人とも、競争してるわけじゃないんだけどねえ」
何とも言えない顔をして、頭を掻いているカカシ先生の声は、聞こえないことにした。
その晩の夕飯では、サスケと二人して、出されたものを片っ端から平らげていった。
おかわりの茶碗を差し出したのも、ほとんど同時だった。負けるわけにはいかない。向かいで、サスケも同じ顔をしている。三杯目、四杯目。
うっ……
五杯目で、二人そろって縁側へ駆けだした。
「……あんたたち、ばかじゃないの」
背中に、サクラの冷たい声が刺さる。タズナが腹を抱えて笑っていて、ツナミは「まあまあ」と水を持ってきてくれた。吐いたあとの口をすすいでいると、隣のサスケが、げっそりした顔のまま言う。
「……お前が張り合うからだろ」
「そっちが先だってばよ!」
ちゃぶ台に戻ると、イナリの席だけが空いていた。茶碗の中身は、半分も減っていない。
困ったようなツナミの目の先、壁に写真が一枚かかっている。タズナと、ツナミと、小さいイナリ。それから、もう一人いたはずの場所が、乱暴に破りとられていた。
誰の顔が破りとられたのかは、分からない。ただ、写真を見上げるツナミの横顔を見ていると、聞く気にはなれなかった。
吐いてからっぽになった腹をさすりながら、夜の林に戻った。サスケより上に、どうしても行きたい。
月明かりを頼りに、何度も幹を駆け上がる。はじかれるたびに、足の裏で何が起きたのかを考えた。多すぎると、はじかれる。少なすぎると、ずり落ちる。そのあいだのどこかに、ちょうどいいところがある。落ちること数回、ようやく昼間の印より上に、新しい傷を一本刻めた。
息を整えて振り返ると、林の入り口の切り株にカカシが座っていた。松葉杖を膝に立てかけて、手には例の本。いつから見ていたんだか。
「……先生、寝てなきゃだめなんじゃないの」
「んー。夜風に当たりに来ただけ」
本から目を上げずに頁をめくってから、カカシはついでのように聞いてきた。
「外、まだ楽しい?」
分かれ道へ向かう街道で聞かれたのと、同じ言葉だった。
「……べつに」
そっけなく返して、もう一度幹を駆け上がる。はじかれて、尻もちをついた。見上げた先のカカシは、やっぱり本に目を落としたまま。
河原の夜のことは、あれから一度も言われていない。報告書に書いたのかどうかも、聞けずじまいだった。
落ちては登る日が、それから三日続いた。
その二日目の朝、林へ向かう途中で、桟橋に座っているイナリを見かけた。
膝を抱えて、海のほうを見ている。朝の海はまだ灰色で、桟橋の杭に寄せる波が、ちゃぷ、ちゃぷと単調な音を立てていた。帽子のつばの下で、目が赤い。ナルコの足音に気づくと、イナリは顔をそむける。
「……なんで、そんなに頑張るんだよ」
背中を向けたまま、イナリが言った。
「ガトーには、誰も勝てないのに。修行なんかしたって、死ぬだけだ」
「へへっ、やってみなきゃ分かんないってばよ」
イナリが、振り向いた。赤い目が、まっすぐナルコの顔を見る。何か言いかけた口が、ぎゅっと結ばれた。
「……へらへら、すんな」
小さな声だった。それだけ言って、イナリは桟橋を駆けていってしまう。
桟橋の板の上に、ぽつんと取り残された。
へらへらすんな、か。
意地を張っていても、登れないものは登れない。昼の休み、切り株で水筒をあおっていたサクラのところへ、しぶしぶ足を向けた。
「……サクラちゃん。どうやって登ってんの」
「はあ? なんで私があんたに……」
言いかけて、サクラはナルコの手に目をやる。ナルコの手は何度も木から落ちて、包帯の上から皮が擦りむけていた。包帯の白いところは、もうほとんど残っていない。
「……足の裏で、チャクラを薄くのばす感じ。集めるんじゃないの。あと、上を見ちゃだめ。足元だけ」
ぷいと横を向いたまま、早口で教えてくれる。
「……あんた、手。そんなになるまでやらなくてもいいじゃない」
「へへ、丈夫だから平気だってばよ」
サクラは何か言いたそうな顔をして、結局、水筒を押しつけてきただけだった。
夕方、ひとりで幹に印を刻んでいると、背中のほうで足音がした。振り向くと、サスケが立っている。泥だらけの顔で、ナルコの刻んだ印と、自分の木の印を見比べている。ナルコの印のほうが、少しだけ高い。
「……おい」
「なに」
「サクラに、何か聞いてただろ。昼に」
見られてたのか。
「……足の裏で、チャクラをのばす。あと、上は見ないって、サクラちゃんは言ってたってばよ」
昼にサクラから聞いたことを、サスケにも教えてやった。べつに、隠す理由もない。
黙って聞いていたサスケは、礼も言わずに自分の木へ向き直りかけて、そのまま動かなくなった。
夕方の林に、虫の声だけが続く。何か言うのかと待ってみても、背中は黙ったまま。こっちから話すこともないので、クナイを幹に当て直したところで、サスケがぽつりと口を開いた。
「……あの夜。なんでお前、逃げようとしたんだ」
草鞋を手に持って河原を抜け出して、宿場への分かれ道まで走った夜。やっぱり、気づかれてたのか。
「……散歩だって、カカシ先生も言ってたってばよ」
へらっと笑ってみせる。サスケは笑わなかった。黒い目が、じっとこっちを見ている。ごまかしがきいていないのは、聞かなくても分かった。
「……サスケには、関係ないってばよ」
口の端が、うまく上がらない。
「……そうかよ」
それだけ言って、サスケは自分の木に向かって走り出す。今までより、ずっと高いところまで登っていった。
夕飯のあと、流しに積まれた皿を見ていたら、気づけば袖をまくっていた。
汚れの落ちにくい鍋から先に湯につけて、そのあいだに茶碗を片づける。布巾は二枚。拭く用と、台を拭く用。一人暮らしだから、こういうのは得意だ。湯気の向こうで、窓硝子が白く曇っていく。
「あら、上手ねえ。おうちでも、お母さんのお手伝いしてるの?」
手が止まりかけた。
「……へへっ、まあ、そんなとこだってばよ」
ツナミは笑って、ナルコの左手に目をとめる。包帯の端が、湯で濡れてほどけかけている。
「あら、包帯が。ちょっと見せて」
伸ばされた手に、肩がびくりと跳ねた。
腕が、勝手に上がりかける。皿を持ったままの右手で、どうにかそれを押さえつけた。
「……あ、だ、大丈夫だってばよ。自分で巻けるから」
ツナミの手は、宙で止まっていた。それから、そっと引っこめられる。
「そう。……人見知りなのね。ごめんなさい、驚かせちゃった」
新しい包帯が、棚から出てきて台の上に置かれる。ツナミは笑っているだけで、それ以上は何も言わなかった。
人見知り、と言われたのは初めてだった。避けられるのには慣れている。気味悪がられるのも、睨まれるのも。でも、こっちが怖がっているように見られたことは、たぶん一度もない。
台の上の新しい包帯に、しばらく手を伸ばせなかった。
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ツナミさんが貸してくれた部屋は、私とナルコの二人部屋。波の国に着いた最初の晩、ナルコは「端っこがいい」と言って、さっさと壁際の布団を取ってしまった。
寝る前に、少しだけ話した。話した、というより、私が一方的にしゃべっていただけだけど。
「ちょっと、あんた。髪、それで結んでるの?」
「……ん。輪ゴム」
「輪ゴム!? ちぎれるでしょ、髪が!」
「ちぎれてもまた伸びるってばよ」
信じられない。櫛を貸してあげると言ったら、ナルコは「いい」と首を振って、布団にもぐりこんでしまう。ボサボサの金髪が、輪ゴムで縛られたまま枕の上に散らばっていた。
修行が始まって三日目の夜中に、私はふと目を覚ました。隣の布団のほうから、聞き慣れない音がする。
知らない家の天井だ、と思ってから、波の国にいるんだったと思い出した。障子の向こうでは、波の音がずっと続いている。
音の出どころは、ナルコの布団だった。体を小さく丸めて、うなされている。
はっ、はっ、と短い息。月明かりで、横顔が少しだけ見えた。
息を呑んだ。
眉を寄せて、歯を食いしばって、何かから身を守るみたいに、両腕で頭を抱えている。昼間のへらへらした顔とは、まるで別の子みたいだった。
あの子、あんな顔するんだ。
「……ごめんなさい」
寝言だった。小さい、かすれた声。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
何度も、何度も。誰に謝っているのかも分からない声で。
起こしたほうがいいのか分からなかった。伸ばしかけた手を、布団の上で止める。
――あのときと、同じだ。
鬼兄弟に襲われたあと、地面に手をついて、ナルコはこんなふうに息を詰まらせていた。
それでも最後には、自分の手にクナイを突き立てて、また前を向いた。
ナルコが何におびえて、何があの子を追い立てるのか、私には見当もつかなかった。
短い息の音が、少しずつ間遠になっていく。抱えていた腕がほどけて、やがて静かな寝息に戻った。
布団をかぶって、目を閉じる。眠気は、なかなか戻ってこなかった。
次の朝、台所から聞こえてきたのは、いつもの間の抜けた声だった。
「おはよう、ってばよ」
寝ぐせのついた頭で、へへっと笑っている。昨日の夜のことなんか、何もなかったみたいに。
とっさに、返事が出てこない。
「……お、おはよう」
朝ごはんは、ツナミさんの焼いた魚と、甘い卵焼きだった。ナルコはいつもどおりの顔で、いつもどおりにばくばく食べている。
私は、自分の皿の卵焼きを一切れ、箸でつまんだ。
何も言わずに、ナルコの皿に移す。
「……え?」
ナルコが、きょとんとした顔でこっちを見る。鈴取りの日に、蓋の上の卵焼きを見たときと、同じ顔だった。
「……べ、別に。おなかいっぱいなだけよ」
ナルコはしばらく卵焼きと私の顔を見比べていたけれど、やがて「へへ、サンキュー、ってばよ」と笑って、口に放りこんだ。
ナルコが笑うたびに、昨日の夜の顔がちらつく。私はそっと目を逸らして、残りのご飯を口に運んだ。