闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
「次、うちはサスケ」
名簿を手にしたイルカに呼ばれて、窓際の黒髪の少年が立ち上がった。椅子を引く音もしない。
その日の授業は、分身の術の実技だ。ひとりずつ教壇の前に出て、イルカの目の前で術を見せる。合否はその場で決まる。入学から三月、初めての実技の試験とあれば、教室がいつになく張り詰めているのも無理はない。開け放した窓の外では、鳴きはじめたばかりの蝉が途切れ途切れに声を上げていた。
教壇の前に立つなり、サスケは迷いもせずに印を結んだ。
ぼん。軽い音とともに、小さな煙が三つ。晴れたあとには、寸分違わず同じ顔をした少年が三人、行儀よく並んでいる。
「……よし。合格だ」
イルカが名簿に丸をつけるのと同時に、教室のあちこちで女子の甲高い声が上がる。
「さすがサスケくん!」
「一回で三人も出してる……」
当のサスケはといえば、得意そうに鼻をひとつ鳴らしただけで、さっさと分身を消して席に戻った。
「次、うずまきナルコ」
その名前が呼ばれた途端、ざわついていた教室の声が、すっと低くなった。
目の下まで垂れた前髪を払いもせずに席を立って、のろのろ教壇へ向かう。輪ゴムからはみ出した毛先は今日もあちこち跳ねているし、袖を二回折り返した灰色の古着も入学式の日と同じだ。だって、ほかに持ってないし。
「うわ、次あの子だ」
「なんでいつも同じ服なんだろ」
「しっ、聞こえるって」
「だってうちのお母さん、あの子には近づいちゃだめって言ってたもん」
前の方の席で、女子たちが顔を寄せ合っている。聞こえないように話しているつもりらしい。……全部、聞こえてるけど。
近づいてほしいなんて、こっちだって頼んでない。
気にせず、黙って印を結んだ。
ぼん、と煙がひとつ。
煙が晴れると、隣に、もう一人のナルコ。
――が、どうにも様子がおかしい。輪郭がぼやけているのである。水の底から見上げた景色みたいに全体がゆらゆら滲んでいて、髪と服の境目すらはっきりしない。顔のあたりは特にひどかった。どこが目で、どこが鼻なのか、まるで見分けがつかない。
「うわ、なんだそれ! 幽霊じゃん!」
最前列で、子犬を頭に乗せた男子が素っ頓狂な声を上げる。つられて、教室のあちこちから笑い声が起きた。
幽霊って。失礼なやつ。……でもまあ、ちょっと幽霊っぽいかもしれない。
「キバ、静かにしろ」
犬塚キバをひと睨みで黙らせてから、イルカは名簿に目を落とした。
「……ぎりぎり合格だ。もう少しチャクラを練る練習をしておけ」
「はい」
印を解くと、ぼやけた分身は煙になって、跡形もなく消えた。
一番後ろの席に戻る。隣の机では、シカマルが腕を枕にして突っ伏し、すうすう寝息を立てていた。入学してすぐの席決めで、なぜかイルカがこいつをナルコの隣に座らせたのだ。文句ひとつ言わなかったのは、席替えを頼みに行くのも面倒だったからだろう。たぶん、そう。こいつはそういうやつだ。
自分の番が回ってくると、シカマルはいかにも面倒くさそうに教壇へ出て、分身をひとつだけ出して、さっさと戻ってきた。そしてまた寝た。
昼休みになると、教室はいくつかの輪に分かれる。
女子は机をくっつけて弁当を広げ、男子は我先にと外へ駆け出す。どっちの輪にも入らずに、ナルコは自分の席でひとり、パンをかじった。
朝、来る途中のパン屋で買ったやつだ。店のおばさんはナルコの顔を見るなり、値札の倍の値段を言った。黙って払った。言い返したって、売ってもらえなくなるだけだし。この里では、いつものことだ。
ぱさぱさのパンを食べ終えて、包み紙を捨てに立つ。屑籠は窓際の、ちょうどサスケの席の真後ろにある。よりによって。
サスケの机のまわりには女子が何人か集まっていて、山中いのと春野サクラの姿もあった。
「ねえサスケくん、さっきの分身どうやったの?」
「どうって、普通にやっただけだ」
「えー、教えてよー」
「……そのうちな」
まんざらでもなさそうな顔で、サスケはぷいとそっぽを向く。
女子たちの後ろを回り込もうとしたところで、後ずさりしてきたサクラの背中と、とん、とぶつかった。
「あっ、ごめんなさ……」
慌てて振り返ったサクラは、相手がナルコだと分かると、言いかけた言葉を飲み込んだ。気まずそうに目を逸らす。
「サクラ、こっち」
いのに腕を引かれて、サクラは逃げるように輪の向こうへ引っ込んだ。
謝りかけたんなら、最後まで言えばいいのに。別に、謝られたって嬉しくないけど。
その小さな騒ぎに気づいたのか、サスケがちらりとこちらを見た。前髪の隙間からのぞく目と、黒い目が、一瞬だけ合う。
何の色も浮かばない顔だった。それだけ見て、サスケはすぐにいのの方へ向き直った。
教室の机か何かを見るのと、変わらない目だ。ナルコがそこにいようがいまいが、どうでもいいんだろう。
道ですれ違う大人とも、さっき笑っていた男子とも違う。あれは、見てないだけの目だ。
そっちの方が、いくらか楽だった。
包み紙を屑籠に放り込んで、ナルコは誰とも目を合わせずに席へ戻った。
放課後は、いつものように教室から人の気配がすっかり消えるのを待ってから、裏口を抜けた。
校庭の隅では、サスケがまだひとりで手裏剣を投げていた。刃が的の真ん中に突き立つたびに短く息を吐いて、次の一本を構える。誰に見せるわけでもないのに、一本ごとにやけに真剣な顔だ。あんなに当たってるのに、まだやるんだ。
森へ向かう道は、正門の前をちょっとだけ通る。
その正門の柱に、黒い髪を後ろでひとつに束ねた少年がもたれていた。ナルコたちより五つか六つは上だろうか。
「兄さん!」
校庭の方から弾んだ声がして、サスケが一目散に駆けてきた。手裏剣を拾うのも忘れたらしい。両手が空っぽだ。
「今日、分身の術の試験だったんだ。オレ、一回で三人出せた」
「そうか。すごいな、サスケ」
「兄さんは、最初のとき何人出せた?」
「……五人だったかな」
「……じゃあオレ、次は六人出す」
「そうか」
少し離れた木の陰で足を止めて、ナルコはサスケの顔を眺めた。
昼間、女子に囲まれて澄ましていたのとは、まるで別人だ。口の端は上がりっぱなしで、目はくるくるよく動くし、声まで一段高い。兄の顔を見上げたまま、片時も目を離そうとしない。
……誰、あれ。
兄はそんな弟の頭に軽く手を置いて、柱から背を離した。背中には、サスケと同じ団扇の家紋が染め抜かれている。すぐさま隣に並んだサスケが、まだ何やら熱心に話しかける。
と、兄の方が首だけでこちらを振り返った。
黒い瞳が、木陰のナルコを捉える。冷たくはない。目を逸らす気配もない。ただ、ほかの誰よりもちょっと長く、こっちを見ていた。どういう目なのか、ナルコには分からなかった。
「兄さん?」
「……いや。帰ろう」
兄はすぐに弟の方へ向き直った。夕方の道を、二つの背中が肩を並べて遠ざかる。
兄弟というのは、ああいうものらしい。
二人の影が長く伸びて、角の向こうへ見えなくなるまで、ナルコはそこに立っていた。
その夜、古いアパートの狭い部屋で、もう一度だけ分身の術を使ってみた。
ぼん。ぼやけたナルコが現れる。裸電球の頼りない明かりの下でも、昼間と同じにゆらゆら滲んでいる。
座れ、と念じると、分身はぎこちなく膝を折って、すり切れた畳の上に正座した。向かい合って、ナルコも腰を下ろす。
これだけ近くで見ても、顔はぼやけたまま。どこが目で、どこが口なのか。いくら覗き込んでも分からない。
手を伸ばして、前髪をかき上げてみようとした。指先は何にも触れずに、するりと向こう側へ抜ける。そうだった。分身の術で出てくるのは、実体のない、ただの幻だ。
「……なんか言ってよ」
分身は何も言わない。当たり前だ。言われたって、たぶん困る。
そのまま向かい合っていたけど、結局、黙って印を解いた。煙が薄く部屋に広がって、晴れたあとには、ナルコがひとりで座っていた。
この部屋には、鏡がない。
布団にもぐり込んで、目を閉じる。
自分がどんな顔をしていたのか思い出そうとしてみたが、どうしてもうまく思い出せなかった。