闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
霧の奥から、硬く澄んだ音が続いていた。細い針が氷を打つ音。
駆け寄るにつれて、霧に霞んでいた形がはっきりしてくる。人の背丈ほどもある長方形の氷の板が、橋の上に半球を描いてぐるりと並んでいた。鏡のように磨かれた一枚一枚に同じ白い面が映り込み、そのどれもが内側を向いていた。
結界、という言葉が思い浮かぶ。
その真ん中に、サスケがいた。
氷越しの輪郭は水の底を覗き込んだように歪んでいる。それでもサスケが危機に瀕していることはすぐにわかった。片膝を突き、肩で大きく息をしていて、腕にも脚にも細い針が何本も突き立ち、黒い服はあちこちが裂けている。額から垂れた汗が、顎の先で白く凍りかけていた。
――まずい
もうサスケは満身創痍で、立ち上がる元気もなさそうだ。私はサスケを呼びかける。意識があるか確かめたかった。
「サスケ!」
呼ぶと、傷だらけの顔がゆっくりとこちらを向いた。
「……来んな」
掠れた声。息を荒くしながら何とか出てきた声は、いつもみたいな余裕たっぷりな声色ではなかった。
「来んなっつってんだ、ウスラトンカチ……。こいつは鏡から鏡に―――ッ」
サスケが言い切る前に、猛攻がサスケを襲った。
鏡のあいだを光が走り、サスケの体が横へ転がる。起き上がろうと突いた腕が、肘のところでがくがくと震えている。
腹の奥がすっと冷えた。このままじゃサスケが危ない。
光の筋は鏡から鏡へ渡っていた。なら相手は、鏡を伝って移りながら打っている。移る先がなくなれば、移れない。中で動けないサスケの代わりに、外から割ればいい。
成功するなんて見通しはしなかった。失敗するかもしれない。
とはいえ、ほかに手は思いつかなかった。思いつかない以上、まずは殴って確かめるしかない。その後は、殴りながら考えればいい。
「影分身の術!」
橋の上が橙色で埋まった。
分身たちが一斉に同じ一枚へ飛び掛かる。拳。踵。クナイの柄。返ってくるのは岩でも殴ったような鈍い手応えばかりで、表面には白い擦り傷が薄く残るだけだった。
5回、10回、
何度も同じ一点を何人もが叩き続けるうちに、皮の剥けた拳が氷に赤い跡を擦りつけていく。
ぴし、と細い音がした。氷の表面に罅が走る。
―――いける。
そう思ったのとほぼ同時に、その鏡の中の白い面がこちらを向いた。
光が、鏡の外へ飛び出してくる。殴っていた分身の一人が煙になった。隣も。その隣も。鏡から鏡へ移るついでのように白い影が腕を振るたび、橙色が一つずつ減っていく。
だが消えた分は出し直せばいい。チャクラの量だけなら誰にも負けない。絞れないのは欠点だが、こういうときには役に立つ。
煙の向こうから新しい分身が飛び込み、また同じ一枚を殴る。ヒビが少しずつ大きくなっていく。
「……やめろ、バカ……!」
氷の向こうでサスケが何か叫んでいる。聞こえなかったことにした。今やめれば、何もかもがダメになる。
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不味いことになりましたね。
白は独りごちる。
外からの邪魔は考えてはいたが、こういうやり方だとは思わなかった。一人で鏡に挑むのではなく、数を揃えて同じ一点だけを叩き続ける。分身はいくら消しても煙の向こうから湧いてくるし、本体が残っている限り、あの娘は殴るのをやめないだろう。
罅の入った一枚を見て、白は面の下で小さく息を吐いた。
分身を相手にしていても切りがない。止めるなら本体だ。命までは取らない。脚と首の後ろに千本を打てば、しばらくは動けなくなる。それで十分だった。
あの娘には悪いけど、しょうがない。
橋の向こうでは、再不斬さんが写輪眼の男と斬り結んでいる。一度は負けた相手だ。ここで子供二人に手間取り、あちらへ加勢できないまま終わるわけにはいかない。
自分は、再不斬さんの道具なのだから。
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ナルコのもとに、白い影が降り立つ。
―――出てきた。
鏡の中にいる限り手は届かない。だが外に出てきたのなら話は別だ。
両脇の分身が左右から。もう一人が背後から。同時に跳び掛かる。三方向。逃げ場はない、はずだった。
跳び掛かった分身が、同じ刹那にまとめて煙になる。
煙が晴れたときには、白い面がもう目の前にあった。咄嗟にクナイを横に払ったが、手応えはない。空振りした腕の内側を、何かがすり抜けていった。
膝の裏に冷たいものが刺さる。右。間を置かずに、左。
突然、脚から、すとんと力が抜けた。
――なんだ、これ、力がはいらない
氷の張った橋板に、膝から落ちる。立とうとしても、膝から下が他人の脚のように言うことを聞かない。刺さったところはどれも浅いのに、脚全体がじんと痺れ、力の入れ方そのものがわからなくなっていた。
「動かないでください。というか、そこに打てば、しばらくは歩けませんけどね」
静かな声。少し上から、白い面がこちらを見下ろしていた。指のあいだには千本。
その声を、ナルコは知っていた。
朝靄の中で、帰りを待っている人がいるんじゃないですか、と言った声だった。
「次で、終わりにします」
狙いは首だろう。わかる。わかるのに、脚が動かない。腕だけで後ろへ下がろうとすると、氷の上で手のひらがずるりと滑った。
影分身を。
印を組みかけた指の甲に、千本が一本突き立つ。指が勝手にほどけた。
白い腕が振り上がる。
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鏡の中で膝を突いたまま、サスケは顔を上げた。
見えた。
さっきまで光の筋にしか見えなかったものが、輪郭を持ち始めている。鏡を出る肩。腕を振る角度。指を離れた千本が宙に描く細い線。そのどれもが、少しずつ遅れて見えた。
目の奥が焼けるように熱い。何が起きたのかは考えるまでもなかった。父も兄も持っていた、うちはの目。待ち望んでいたものが、よりによってこんな場所で手に入った。
ヒビの入った鏡の向こうで、うずまきが膝を突いていた。
脚をやられたらしい。立とうとして立てず、氷の上で手のひらだけが空しく滑っている。その正面に白い影。振り上げた腕。指のあいだの千本。狙いは首。
―――くそ、あいつ、もう逃げられねえぞ。
叫んだところで間に合わない。それだけは、はっきりしていた。
脚に力を込めると、刺さったままの千本が肉の中で軋んだ。膝が笑う。知ったことか。
橋板を蹴る。罅の入った鏡へ、肩から突っ込む。
氷の砕ける音が耳元で弾け、冷たい破片が頬を裂いた。
転がり出た先に、膝を突いた橙色の背中があった。
なぜこんなことをしているのか。自分でもわからない。
オレはあの男を殺すまで死ねない。そう決めて生きてきたはずだった。誰かのために体を張るような真似などするはずがない。ましてや、こいつのためになど。へらへら笑って、復讐から目をそらすようなやつの為になど。
だというのに。
答えが出ないまま、サスケはうずまきと白い影のあいだに体をねじ込んでいた。
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横で、氷が砕ける。
振り下ろされる腕と自分とのあいだに、黒い背中が割り込んでいた。両腕を広げ、こちらに覆いかぶさるようにして。その首に、肩に、背中に、さっきまでなかった千本が突き立っていた。
白い影は、もう鏡の中へ戻っていた。
「……サスケ?」
黒い背中が、ぐらりと傾く。
倒れてくる体を咄嗟に受け止めた。重い。動かない脚では支えきれず、二人揃って氷の上に崩れ落ちる。
腕の中で、サスケの胸がひくりと動いた。喉の奥に引っかかったような荒い息。赤い目が、下からこちらを見上げている。
赤い目。
それがうちはの目だということを、ナルコは知らなかった。知らないまま、その目の中に映っている自分の顔だけを見ていた。笑っていない顔だった。
「なんで……」
「……知るかよ」
ほとんど息だけの声。口の端から細く血が伝っている。
「お前のことなんか……大っ嫌い、だったのによ……」
赤い目が、ゆっくりと閉じていく。
「身体が、勝手に動いたんだよ」