闇ナルコ 習作   作:ナルコスキー

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お待たせしました。再開します。


白と再不斬

 腕が、温かい。

 

 肘から先が、何かに沈んでいる。柔らかくて温かくて、少しだけ心地いい。風呂の湯に腕を浸けたときに似ていた。

 

 視界の端から、赤が引いていく。

 

 腹のあたりで燃えていた熱が冷めて、尖っていた牙が唇の内側へ縮んでいく。かわりに音が戻ってきた。波の音と、誰かの荒い息。

 

 目の前に、顔があった。

 

 長い黒髪が、白い頬に貼りついている。朝靄の森で、皮の剥けた指に薬草の汁を塗ってくれた男の子だ。

 

 その胸に、自分の腕が刺さっていた。

 

 男の子のすぐ後ろには、大きな刀にすがって立つ男がいる。その男をかばうように、男の子は両腕を広げてナルコの前に立っていた。

 

 細い手が、ナルコの腕をつかむ。押し返すほどの力は、もう残っていないらしい。

 

「……再不斬、さん」

 

 その子は顔をゆがめながら、なんとか声を絞り出した。ナルコの顔を見たまま、背中の男に届くように。

 

 言い終えたところで、目の焦点がふっと外れる。腕をつかんでいた手がほどけて、だらりと垂れた。首がかくんと前に落ちる。男の子は、もう息をしていなかった。

 

 何が起きているのか、頭がついてこない。さっきまで何をしていたのか、どうしてここに立っているのかも、思い出そうとすると何も出てこなかった。手足に重い疲れだけが溜まっていて、膝から力が抜けていく。ナルコは男の子の体ごと、前へ倒れた。

 

 頬を橋板に打ちつけても、痛いとさえ思わない。どかなきゃ、と思っても、覆いかぶさった体はどこも言うことを聞かない。投げ出された自分の手が、目の前でぬらぬら光っている。爪の中まで赤黒い。何日か前には、薬草の汁で緑色に染まっていた指だ。

 

 なんで、赤いんだろう。

 

 転んだ覚えはない。殴られた覚えもない。じゃあ、これは誰の。

 

 考えようとするそばから、目の前が暗くなっていく。誰かが名前を呼んでいた。ずいぶん遠くで呼ばれている気がして、返事をしようにも口がうまく開かない。

 

――何なんだってばよ、これ。

 

 

 

---

 

 カカシの目の前で、ナルコが少年に重なるように崩れ落ちた。

 

 赤いチャクラは、もうどこにも残っていない。爪も牙も、頬に浮いていた黒く太い線も消えて、橋板に伏せているのは、汚れた橙色の上着を着た十二歳の子供だった。その下の少年は、もう動かない。

 

 そばへ寄って膝を突く。写輪眼を使いすぎた左目が痛むのも構わずに、ナルコの首筋へ指を当てる。

 

 脈はある。浅いが、ちゃんと打っている。

 

 勝手に長い息が漏れた。ナルコの肩を抱えて、少年の上から下ろしてやる。抜けた腕が、ぱたりと橋板に落ちた。

 

「……白」

 

 すぐそばで、掠れた声がした。

 

 再不斬が、突き立てた大刀に体を預けて立っている。足元の少年を見下ろしたきり、動かない。裂かれた膝では、もう屈むこともできないらしい。

 

 その背中へ、橋の向こうから声が飛んできた。

 

「ほう。こいつは派手にやられたもんだな、再不斬」

 

 晴れかけた霧の先に、杖を突いた小男が立っている。黒眼鏡をかけて、後ろには刀や槍を手にした男たちをずらりと並べていた。

 

 ガトーだ。

 

「なに、心配はいらんよ。最初からお前に金を払うつもりなどなかった。抜け忍なんぞ、使い捨てるのにちょうどいい」

 

 手下の陰から首だけ伸ばして、こちらを眺めている。自分から近づいてくる度胸はないらしい。

 

「おや、そっちのガキは死んどるのか。ワシの腕をへし折ってくれたガキだな。ふん、くたばってくれて清々したわ」

 

 手下の何人かが、げらげらと笑った。

 

「……再不斬」

 

 思っていたより低い声が出た。

 

「黙れ。……何も言うな」

 

 振り向きもしない。

 

「白は道具だ。オレが拾って、オレが使った。道具が一本壊れた。それだけのことだ」

 

 道具、か。

 

 足元のこの子も、里では器と呼ばれている。

 

「お前の部下は、お前の夢のために自分から飛びこんで死んだ。それを道具と呼ぶなら、好きにしろ。だが――」

 

 言いかけて、やめた。

 

 大刀の柄を握る手が、震えている。顔に巻いた布が、目の下から濡れていく。

 

「……忍も、人間か」

 

 布越しの、くぐもった声だった。

 

「感情のねえ道具になんぞ、なりきれねえもんだな。……テメェに言われるまでもねえ」

 

 両腕は、もう上がらないらしい。再不斬は、寝かされたナルコへ目を落とした。

 

「……あのガキに、起きたら言っとけ。白は、テメェで飛びこんだ。……あいつは、いつもそうだった」

 

 言い終えると、足元に転がっていたクナイを一本、歯で咥える。ナルコの腰の袋からこぼれたものだ。

 

 返事をする暇はなかった。再不斬はもう、ガトーの群れへ走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わるまでに、さほど時間はかからなかった。

 

 両腕の利かない男が、クナイ一本を咥えて数十人の中へ突っこんでいく。

 

 悲鳴が上がり、槍の刺さる鈍い音が続いた。ガトーの甲高い命乞いが途切れると、背中に何本も槍を突き立てられた再不斬が、よろめきながら戻ってくる。

 

「カカシ……」

 

 膝を突いて、少年のほうへ顎をしゃくった。

 

「……あいつの顔が、見てえ」

 

 黙って、その体を抱え上げる。右腕の傷が開いて、袖の中を血が伝った。構わずに運んで、少年の隣に下ろしてやる。

 

 空から、白いものが落ちてきた。

 

 季節外れの細かい雪だった。霧の晴れた空から、ちらちらと降ってくる。少年の頬に載った一片は、いつまでも溶けなかった。

 

「白は、雪の国の生まれだった」

 

 仰向けのまま、再不斬は空を見ている。

 

「……できるなら、こいつと同じとこへ行きてえが。オレは、無理だろうな」

 

 それきり、再不斬は何も言わなくなった。

 

 二人の上に、雪が積もっていく。

 

 少し離れたところに寝かせたナルコの髪にも、同じ雪が落ちていた。払ってやろうと伸ばした手が、途中で止まる。自分の血と、誰のものかわからない血で、指の股まで汚れていた。

 

 五年前の夜にも、この子に手を差し出したことがある。七つの誕生日の路地で、暗部の面をつけたまま。ナルコはその手を取らなかった。血だらけの顔で見上げてきた目を、今でも覚えている。

 

 カカシは手を引っこめた。

 

 橋の向こうで、地響きのような足音がした。雇い主を失った手下たちが、仲間の死体を放り出して逃げていく。かわりに、鍬や鎌を握った島の人たちが何十人も橋を渡ってきた。先頭で、帽子をかぶった小さな男の子が何か叫んでいる。

 

 

 

---

 

 橋のたもとで、私はタズナさんの前に立ってクナイを握っていた。

 

 霧の中は、何も見えない。聞こえるのは氷の割れる音と、金属のぶつかる音と、ときどき上がる誰かの叫び声だけ。サスケ君の声が途切れてからは、クナイの柄が汗で滑りっぱなしで、膝の震えも止まらなかった。

 

 最初に見えたのは、赤い色だった。

 

 霧の向こうで、火のようなものが跳ね回っている。人の形をしたそれが四つ足で橋板を駆けて、カカシ先生に飛び掛かった。

 

 獣の唸り声が、霧を震わせる。低くてざらざらした、人の喉から出るとは思えない声。その合間に、ころす、と言葉のようなものが混じった。聞き覚えのある声だった。

 

 肩に、タズナさんの手が食いこむ。痛いくらいの力だった。

 

 霧が大きく割れて、顔が見えた。

 

 頬の線が黒く太くなって、口の端が耳のほうまで裂けている。目は赤かった。

 

 目が違う。顔つきも違う。それなのに、あれはナルコだった。

 

 気づいた途端、足が勝手に一歩下がって、踵がタズナさんの草履を踏んだ。ごめんなさいの声も出なかった。

 

 大門をくぐってから今日まで見てきたナルコの顔を、思い出そうとする。ご飯をかきこむ顔も、潮風で傷んだ髪を輪ゴムで縛り直す顔も、出てこない。浮かぶのは、いま霧の向こうで吠えている顔だけだった。

 

『あの子に近付いちゃだめよ』

 

 アカデミーに入ったばかりのころ、お母さんに言われた言葉が耳の奥でよみがえる。わけは教えてもらえず、私も聞かないまま、六年、言われたとおりにしてきた。

 

 お母さんは、正しかったのかもしれない。

 

 そう思いかけて、唇を噛んだ。この旅のあいだに、少しずつナルコのいろんな顔を見てきて、やっと向き合いはじめたところだったのに。また、目をそらそうとしている。

 

 霧が閉じる寸前、赤い腕が白い着物の背中を突き抜けるのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サスケ君が目を開けたのは、雪が止みかけたころだった。

 

「サスケ君! サスケ君……っ」

 

 膝の上で、黒い頭が身じろぎする。うっすらと目が開いた。首に刺さっていた千本は、もうカカシ先生が抜いてくれている。仮死にするための場所を狙ってあった、と先生は言っていた。殺す気なら、もっと簡単な場所がいくらでもあったはずだ、とも。

 

 生きている。それだけで、ぽろぽろと涙が出た。

 

「……サクラ」

 

 掠れた声だった。

 

「重い。……どけ」

 

 離れられるわけがない。かえってしがみつくと、サスケ君は顔をしかめたけれど、振り払いはしなかった。

 

 その目が、私の肩越しに橋の上を探している。

 

「……あいつは」

 

 誰のことかは、聞かなくてもわかった。それなのに答えられない。霧の中で見たものを、どう言えばいいんだろう。

 

 サスケ君の目が、橋の先へ動いた。カカシ先生が、ナルコを背負って歩いてくる。だらりと垂れた腕が、一歩ごとに揺れていた。指先は赤黒くて、橙色の上着はあちこちが乾いた血で固まっている。

 

 サスケ君は体を起こそうとして、肘が崩れた。もう一度試しても、また崩れる。

 

「ちょ、ちょっと、まだ――」

 

「どけっつってんだろ」

 

 今度は本気の声だった。気づくと、手を離していた。

 

 肘を突いたまま、サスケ君は先生の背中のナルコを見ている。眉を寄せて奥歯を噛んで、何かを確かめるみたいに。

 

「……生きてんのか、そいつ」

 

「気を失ってるだけだよ」

 

 先生の声が、いつになく疲れて聞こえる。

 

「サスケ、お前も動くな。話はあとだ」

 

 サスケ君は返事もせず、先生の背中を見つめたままだった。

 

 私も、そこから目が離せなかった。先生の右腕から落ちる血が、雪の積もりかけた橋板に、赤い点を一つずつ残していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルコはそれから二日、目を覚まさなかった。

 

 熱が出たわけではない。ときどきうなされるほかは、本当に起きるのか心配になるくらい深く眠っている。チャクラを使いすぎたんだろう、とカカシ先生は言った。それきり、誰が何を聞いても答えてくれない。私も、それ以上は聞けなかった。

 

 ナルコの汚れた手は、ツナミさんが洗ってくれた。爪の中まで、ぬるま湯を何度も替えながら。最後の湯を捨てたあとも、ツナミさんは空の桶を持ったまま、しばらく台所に立っていた。

 

 タズナさんは、あの日からナルコの寝ている部屋に近寄らない。一度だけ、廊下でカカシ先生と話している声が聞こえた。

 

 あの子は何なんじゃ、と。

 

 うちの生徒です、と先生は答えた。ほかには何も言わなかった。

 

 イナリ君は、ときどき障子の前まで来る。中には入らずに、しばらく立っている。夜中にナルコがうなされたときも、廊下に小さな影があった。ごめんなさい、と寝言が聞こえると、その影は足音を殺して離れていった。

 

 サスケ君は、あれからずっとナルコのそばを離れない。

 

 自分も首と肩に包帯を巻いたまま、柱にもたれて。ご飯もそこで食べたし、夜中に私が目を覚ましても、障子の向こうには座ったままの影があった。中には入ってこないし、ナルコの顔を覗きにくるわけでもない。障子一枚向こうで、ただ起きている。

 

「……サスケ君、寝ないの?」

 

「寝てる」

 

 聞くたびに同じ答えが返ってくる。嘘だとわかっていても、それ以上は言えなかった。

 

 ナルコの汗を拭くのは、いつのまにか私の役目になっていた。同じ部屋で寝ているから、なんとなく。うなされるたびに額や首筋を拭いて、目にかかった前髪を払う。

 

 寝ているナルコは、ただの女の子だった。眉間に浅く皺を寄せて、口を半開きにして、ときどき小さく鼻を鳴らす。

 

 それなのに、前髪を払うたびに、霧の中で見たあの目が浮かんだ。

 

 一度、ナルコの手がぴくりと動いたことがある。布団の上で、指が少し曲がっただけ。それだけで、私は手拭いを取り落として、背中が壁に付くまで下がっていた。

 

 指は、それきり動かなかった。寝返りを打とうとしただけなのだろう。

 

 畳に落ちた濡れ手拭いのまわりに、じわじわと水の染みが広がっていく。拾いに戻るまでに、ずいぶん時間がかかった。

 

 寝ている子の指が動いただけで、壁まで逃げた。同じ班の、仲間なのに。

 

――何やってんのよ、私。

 

 二日目の夕方、ツナミさんに頼まれて、ナルコの鞄から着替えを出した。

 

 鞄は軽かった。灰色の古い肌着が一枚と、手拭いが一本。輪ゴムが何本か。底のほうに、丸い手鏡が一つ伏せて入れてある。

 

 櫛は、どこにもなかった。

 

 手鏡を元のとおりに伏せて、鞄を閉じる。

 

 考えてみれば、私はナルコのことをほとんど知らない。

 

 教室の隅でいつも寝ていた子。輪ゴムで髪を縛っている子。へらへら笑って、ってばよと言う子。鬼兄弟に襲われたあと息ができなくなって、それでも自分の手にクナイを突き立てて前を向いた子。夜中にうなされて、誰にともなく謝る子。

 

 どれもナルコなのに、どれとどれが繋がっているのか、私にはさっぱりわからない。霧の中で吠えていたナルコが、そのどこにはまるのかも。

 

 六年間、お母さんに言われたとおり目をそらしてきた。同じ班になってからも、自分から何か聞いたことは一度もない。霧の中であんなナルコを見たら、お母さんの言葉に納得しかけて、今度は寝ている子から逃げた。

 

 だったら、もう目をそらすのはやめる。どうすればいいのかなんて、まだ思いつかない。それでも、何におびえて誰に謝っているのかくらいは、聞いてもいいはずだ。同じ班なんだし。サスケ君だって、ああやってナルコのそばを離れないんだし。

 

 絞った手拭いで、ナルコの額を拭く。指先はまだ少し震えている。そのまま、目にかかった前髪を横へ払った。

 

 

 

---

 

 カカシは、巻き直したばかりの包帯を袖の中へ隠した。

 

 夜の縁側は、昼間より潮の匂いが濃い。奥の部屋からときおり寝言が漏れてきて、柱の陰ではサスケがまだ起きていた。膝を抱えて、暗い海のほうを向いている。

 

「カカシさん、その腕。ちゃんとお医者に見せたほうが……」

 

 台所から出てきたツナミに、袖口の包帯を見られていた。巻いても巻いても、すぐ赤く滲んでくるやつだ。当分は治りそうにない。

 

「大丈夫ですよ。かすり傷です」

 

 言いたいことは顔に書いてあった。それでも口には出さずに、新しい包帯を一巻き置いて奥へ戻っていく。

 

――いてて。こりゃ、ひどいな。

 

 傷は三本、どれも骨の手前まで届いている。

 

 頭の中で、報告書の文面を組み立てる。さっきから、同じところで止まっていた。

 

 赤いチャクラが引いたのは、あの少年の胸を貫いたときだった。何があの子を止めたのか、カカシには見当もつかない。

 

 任務中、うずまきナルコの体より九尾のチャクラの漏出を確認。短時間で鎮静。敵方の忍・白は、桃地再不斬をかばって死亡。

 

 嘘は一つもない。

 

 あの子がカカシに爪を向けたことも、再不斬の膝を裂いたことも、白が誰の腕の前に飛びこんだのかも、抜いてあるだけだ。全部書けば、あの子は根に連れていかれる。暗部にいたころ、同じ書き方を何度もした。

 

 再不斬の言づても、ナルコにはまだ伝えていない。言うかどうか、決めかねている。

 

「……カカシ」

 

 柱の陰から、低い声がした。サスケが、海のほうを向いたまま口を開いている。

 

「あいつ、何があった」

 

「…………」

 

「答えろ。同じ班だ。知る権利ぐらいある」

 

 膝を抱えた手が、自分の袖をきつく握っている。

 

「そうだろうね。……でも、今は言えないな」

 

 間を置かずに返すと、舌打ちが一つ聞こえた。サスケの顔は、もう海のほうへ戻っている。

 

 しばらく、どちらも口を開かなかった。縁側の下で、波が寄せては返していく。

 

 先に腰を上げたのは、カカシだった。

 

「様子、見てくるよ」

 

 サスケは振り向かない。それでも、奥の部屋の前に立つまで、背中に目が向いているのはわかった。

 

 障子を、指一本分だけ開ける。

 

 ナルコは眠っていた。二日前に寝かせたときと同じ向きで、同じ顔をしている。サクラの布団は部屋の反対の壁ぎわに敷かれたまま、空になっていた。当のサクラは、ナルコの枕元で手拭いの桶を膝に抱えて、座ったまま眠りこんでいる。

 

 前髪が一筋、ナルコの目にかかっている。

 

 カカシは手を伸ばしかけて、やめた。障子を閉めて振り返ると、縁側のサスケは、さっきから一度も動いていなかった。

 

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