闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
「おう、いらっしゃい」
「いつもの」
十月に入って、日が落ちるのがぐっと早くなった。学校帰りに一楽の暖簾をくぐる頃には、通りの軒先にもう明かりがともっている。
椅子に腰を下ろして丼を待っていると、背中の暖簾がまた揺れた。
「親父さん、味噌ひとつ」
振り返らなくても、誰だか分かる。
あの日から、一楽に来ると、三回に一度はイルカがいる。偶然にしては多すぎる。でも、わざとにしては別に用があるわけでもないらしい。いつも一つ席を空けた隣に座って、テウチと天気の話をして、ラーメンを啜って帰る。それだけ。……ほんとに、それだけ。何しに来てるんだろ。ラーメン食べにか。
「ナルコ、手裏剣の課題はもう出したか」
「出したってばよ」
「そうか。明日、返すからな」
「うん」
会話なんて、たいていこの程度。授業のこと、課題のこと。イルカが一言聞いて、ナルコが一言返す。続かないし、イルカも続けようとしない。
勘定のときだけは、毎回同じやり取りがある。
「今日はオレが――」
「いい。自分で払う」
はじめのうちは手を伸ばしかけていたイルカも、近頃は財布を出しかけては、苦笑いで引っ込める。もう半分は、お決まりの挨拶みたいなものだ。
変わったことが、ひとつだけある。
イルカが、ナルコの顔を見るようになった。
最初の日は、丼かテウチの手元ばかり見ていたくせに。それが来るたびに、こっちへ向く時間が長くなる。麺を啜る合間に。テウチと話しながら。横から見られているのが、分かる。
大人の目なら、だいたい知ってる。逸らす目。睨む目。腫れ物でも見るみたいな目。どれも、見ればすぐ分かる。
でもイルカの目は、そのどれとも違った。
何を見ているのか分からない。何を思っているのかも分からない。逸らさずに、ただそこにある。……どうにも、落ち着かない。分からないのは、嫌だ。
前髪を指で引っ張って、顔を隠した。
「……なに」
「ん? ああ、悪い。なんでもない」
イルカは慌てて丼へ目を戻した。けれど麺を二口も啜らないうちに、またこっちを見ている。
来なければいい。別の日に来ればいい。そう思うのに、気がつくといつもの時間に、いつもの暖簾の前に立っている。なんでだろう。自分でもよく分からない。
十月九日の晩も、イルカは一楽にいた。
その日は朝から、里の様子がどこか違った。通りの軒先に白い提灯がひとつ、またひとつと吊るされて、大人たちの声も低い。毎年この時期になると、里はこういう顔になる。すれ違う大人の目が、いつもより冷たくなる季節だ。どうしてかは知らないけど、毎年そうなんだから、そういうものなんだろう。
「明日は、学校休みだな」
ラーメンを半分ほど食べたところで、イルカがぽつりと言った。
「……うん」
「お前は、明日――」
言いかけて、イルカは口をつぐんだ。箸を持った手が、宙で止まっている。
前髪の隙間から、その横顔を見た。何か言おうとして、言葉を探して、見つからなかった顔。
明日が、なに。言いかけたんなら言えばいいのに。
「……いや、なんでもない。早く寝ろよ」
「うん」
汁を飲み干して、いつものように自分の勘定を台に置く。イルカも、今日は財布を出そうとしなかった。
暖簾をくぐると、夜風がずいぶん冷たい。
通りの両側の白い提灯が、風に揺れている。その下を、大人たちが言葉少なに行き交う。ナルコとすれ違うたびに、その足がちょっと速くなる。
前髪をいつもより深く引き下ろして、ナルコは提灯の明かりの届かない道の端を、足早に歩いた。