闇ナルコ 習作 作:ナルコスキー
窓の外を、喪服の親子が通り過ぎる。
母親に手を引かれた小さな男の子が、こっちの窓を見上げた。目が合う。一瞬だけ。母親はすぐに気づいて、男の子の頭を自分の方へ向け直して、足を速めた。
窓辺から離れて、膝を抱えた。
軒先という軒先に、白い提灯が吊るされている。遠くで鳴る鐘の音は、朝からずっと、低く長く続いている。
十月十日。
ナルコの、七つの誕生日だった。
おめでとう、と言ってくれる人はいない。
知っている。
去年も、その前の年も、そうだったから。別に、言われたって何て返せばいいか分かんないし。
変化して出歩く気には、なれない。この日だけは、誰の顔を借りていても無駄だ。大人たちの冷たい目が、皮膚を透かして骨まで沁みる。
日が暮れてから、部屋を抜け出した。
いつもの森の、いつもの木。春先には何度も滑り落ちた幹も、今なら目をつぶってでも登れる。一番上の枝に腰を下ろすと、里が見渡せた。
白い提灯の明かりが、家々の軒先にどこまでも連なっている。風が吹くたび、それがいっせいに揺れる。どこからか、読経の声が途切れ途切れに聞こえた。
七年前の今夜、たくさん人が死んだ。だから、あの提灯がある。それくらいは知ってる。自分が生まれた、その夜に。
あの光の数だけ、誰かが泣いている。
膝を抱えて、光の海を眺めた。どれだけ眺めても、自分の居場所は、見つからなかった。
森を出た頃には、すっかり夜が更けていた。
近道をしようと、家々の裏手の細い路地へ入る。提灯の明かりもここまでは届かない。足元さえおぼつかない暗がりだ。
角を曲がったところで、人影にぶつかりそうになった。
男が三人、道を塞いで立っている。喪服の襟をだらしなく緩めて、手には酒の徳利。むっとする酒の匂いの中に、線香の残り香が混じる。
黙って顔を伏せ、道の端へ寄った。
「……おい」
一人が身をかがめて、ナルコの顔を覗き込んだ。前髪の隙間から、頬の三本線が見えてしまったらしい。赤らんでいた男の顔から、すっと血の気が引いた。
「こいつ……あれだろ。九尾の……」
その一言で、残りの二人の目つきが変わった。
「こんな日に、よくも平気な面して出歩けるもんだな」
何も答えずに、男たちの脇をすり抜けようとした。
その腕を、太い指が鷲掴みにした。
酒臭い息が、顔にかかる。
「お前が生まれた夜に、うちの親父も兄貴も死んだんだ。瓦礫の下で、朝まで呻いてた。オレは、ただ聞いてることしかできなかった」
男の声は震えている。怒っているのか、泣いているのか、ナルコには分からなかった。
「なのに、なんでお前だけが、のうのうと生きてやがる」
掴まれた腕が、ぎりぎりと捻り上げられる。骨が軋む。顔が歪んだ。
「い……っ、は、離し、て……」
「離してだあ?」
頬に、焼けるような衝撃が走った。
世界が、ぐるりと回る。
気がつくと、冷たい地面に頬を押しつけていた。口の中に、鉄の味が広がる。
起き上がろうとした背中を、靴の底が踏みつけた。
「お前さえ、いなけりゃ」
脇腹を蹴られる。
息が詰まる。
背中に、肩に、腕に、鈍い衝撃が落ちてくる。何度も。何度も。何度も。
土の匂い。酒の匂い。自分の血の匂い。
両腕で頭を抱えて、体を小さく丸めた。
『あの子に近寄っちゃいけません』
『化け狐』
『どうしてあんなのが生きてるんだか』
今まで浴びせられてきた声が、落ちてくる靴の音に重なって、頭の中でわんわんと鳴り響く。
痛い。
怖い。
どうして。
わたしが、何をしたの。何もしてない。してない、はず。だって今日は木に登ってただけで、誰にも――
ごめんなさい。
何が悪いのかも分からないのに、唇が勝手に動いていた。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
四つのとき、三代目に聞いた。わたし、どうしてひとりなの、と。大きくなったら教えてやる、と三代目は言った。五つのときにも聞いた。答えは同じだった。
六つになって、聞くのをやめた。
気がつくと、目から熱いものが溢れていた。
泣いたのなんて、いつ以来だろう。思い出せない。一度溢れ出したものは、もう止まらなかった。引きつった嗚咽が、勝手に漏れる。
「泣けば済むと思ってんのか、化け物が」
振り上げられた足が、月明かりを遮った。
ぎゅっと目を閉じた。
七つになったその夜に、ナルコは生まれて初めて、誰かに助けてほしいと思った。
けれど、助けを呼ぶ名前を、ナルコはひとつも持っていなかった。
衝撃は、いつまで経ってもやってこなかった。
代わりに、鈍い音。男の短い悲鳴。
おそるおそる目を開ける。涙で滲んだ視界の中――ナルコと男たちのあいだに、誰かが立っている。
黒い装束に、胴当て。月明かりを受けて、銀色の髪が光る。顔には、獣を象った白い面。暗部の面だ。
「……ここまでにしておけ」
怒鳴りもしない。凄みもしない。なのに、その一言で男たちは冷や水を浴びせられたように動きを止めた。足を払われて転がった一人が、慌てて這い起きる。
「あ、暗部が、なんで……こんなガキのために」
「二度は言わない。行け」
男たちは顔を見合わせると、徳利を放り出して、もつれる足で路地の向こうへ逃げた。転がった徳利から、酒がとくとくと地面に零れる。
路地には、ナルコと面の男だけが残された。
振り返った男が、地面に転がったままのナルコの前に膝をついた。
「立てるか」
差し出された手を、見なかった。
震える腕で地面を押して、体を起こそうとする。脇腹に鋭い痛みが走って、また崩れ落ちた。歯を食いしばって、もう一度、腕に力を込める。
男は手を差し出したまま、何も言わずに待っている。
ナルコは、その手を取らなかった。
代わりに、顔を上げた。
涙はまだ、止まっていない。頬は腫れ上がり、切れた唇の端から細く血が伝う。乱れた前髪の隙間から覗く顔は、どこもかしこも泥と血に汚れていた。
それでも、その青い目だけは、瞬きひとつせずに白い面を射抜いていた。
涙に濡れた目の底で、どろりと濁ったものが渦を巻いていた。
面の男は、何も言わなかった。
手を差し出したまま、面の奥から、ナルコの目を見返していた。逸らしもせず、長いこと、黙って。
結局、自分の足では立てなかった。
面の男は、暴れるナルコを有無を言わさず抱え上げた。下ろせと言っても、聞かない。拳で胸を叩いても、びくともしない。……全然効いてない。白い提灯の並ぶ夜の通りを、そのまま運ばれた。すれ違う人々が、何事かと振り返る。その視線から逃げるように、男の胸に顔を背けた。
連れていかれた先は、里の病院だ。
夜勤の医療忍者は、面の男が抱えてきた子供の顔を見るなり、表情を強張らせた。それでも暗部の手前、黙って処置台へ寝かせ、傷を診る。手つきは事務的で、ナルコの目は見ようとしない。
切れた唇。腫れた頬。脇腹の打ち身。ひとつずつ確かめていた手が、そこで止まった。
「……もう、塞がりかけてる」
つい今しがたまで血を流していた唇の傷が、薄い皮膜に覆われはじめている。腫れていた頬も、目に見えて引いていく。
医療忍者の顔に浮かんだのは、安堵ではなかった。気味の悪いものに触れてしまったかのように手を引っ込めて、一歩、身を引く。
「……朝まで寝かせておけ。火影様には、オレから知らせる」
面の男がそう言い残して病室を出ていくと、医療忍者も逃げるようにその後を追った。閉まりきらなかった扉の隙間から、廊下の低い声が漏れてくる。
「……やっぱり、普通じゃない」
「よりによって、今日に……」
足音が遠ざかって、白い部屋にナルコ一人が残された。
消毒液の匂い。硬い寝台。窓の外で揺れる、白い提灯の明かり。
ここにいる理由なんか、ない。いたって、さっきみたいな目で見られるだけだ。
痛む体を起こして、寝台から降りた。素足の裏に、床の冷たさが刺さる。窓の錠を外し、音を立てないように身を乗り出した。二階の高さなら、木から落ちるよりずっとましだった。
どうやって帰り着いたのかは、よく覚えていない。
白い提灯の下を、素足のまま歩いた気がする。どこかの家の窓から、死者を悼むすすり泣きが聞こえていた気もする。気がつくと、アパートの部屋で、布団を頭から被って丸くなっていた。
体のあちこちが、まだ鈍く痛む。その痛みも、もう薄れはじめている。傷が勝手に治る。いつもそうだ。転んでも、擦りむいても、ナルコの傷は誰よりも早く消える。
まるで、最初から何もなかったことにされるみたいに。
殴られたことも、泣いたことも、助けてほしいと思ったことも。朝になれば、体には何も残らない。
布団の中で、自分の袖を握りしめた。
古着の右袖が、肘のあたりから大きく裂けている。路地で引きずられたときに破れたんだろう。体の傷はもう消えかけているのに、その裂け目だけは、塞がらない。
ずっとずっと深いところから、何か熱いものがせり上がってきた。
憎い。
あの路地で渦巻いたものが、ぐらぐらと煮え立つ。消えかけの熾火に誰かが油を注いだみたいに、みるみる膨れ上がる。
――憎め。
――憎め。この里を。お前を踏みつけた人間どもを。
あの男たちが憎い。目を逸らす大人たちが憎い。ひそひそと囁く子供たちも、白い提灯で埋め尽くされたこの里も、何もかもが憎い。憎い。憎い。
ナルコは布団の中で、裂けた袖を握りしめたまま、ただ、憎み続けた。
どこかで、何かが低く笑った。
その夜、猿飛ヒルゼンが最後に訪ねたのは、里のはずれにある小さな家だった。
七年前、夫と一人息子を一度に亡くした老婆が、今もひとりで暮らしている。煤けた仏壇には、褪せた写真が二枚。線香をあげて、手を合わせた。
朝から、ずっとこうしている。慰霊碑の前で名を読み上げ、式で弔辞を述べ、日が傾いてからは遺族の家を一軒ずつ回った。七年前から、この日の火影の務めは変わらない。
老婆は茶を淹れながら、毎年と同じ話をした。息子が下忍になった日のこと。夫が縁側で居眠りばかりしていたこと。それから、あの夜のこと。
「……あの狐の子は、今年も生き延びたんでしょうねえ」
湯呑みを差し出す皺だらけの手が、震えている。
「火影様。あたしはね、毎年この日になると、あの子が死んどってくれたらと思うんですよ。そう思わんと、どうにもやりきれんで」
湯呑みを受け取ったまま、ヒルゼンは何も言わなかった。言えることなど、何もない。
懐の奥で、小さな包みが硬い音を立てる。
昼のうちに、式の合間を縫って買い求めた。今年こそは、日のあるうちに届けてやるつもりだった。去年も、そのつもりだった。その前の年も。
ぬるくなった茶を、黙って飲み干した。
老婆の家を辞して表へ出ると、暗がりから暗部が一人、音もなく膝をつく。
「火影様。……九尾の子が、路地で酔った男たちに。今は病院におります」
白い提灯の並ぶ夜道を、ヒルゼンは喪服の裾も構わずに駆けた。
あの子のことは、カカシに頼んであった。今夜だけは目を離すなと。自分が行けない、その代わりに。
――代わりに、か。
病室の寝台は、空だった。
開け放たれた窓から夜明け前の風が吹き込み、薄いカーテンを揺らしている。シーツには、乾きかけた血が、点々と残っている。
窓辺に、白い面の男がひとり佇んでいる。
「……カカシ」
「申し訳ありません」
はたけカカシは、面を外さないまま深く頭を下げた。
「目を離した隙に、窓から。追えば追えましたが……」
「よい」
寝台に歩み寄って、シーツに残った窪みに触れた。ぬくもりは、もう残っていない。
「追わんでくれて、よかった」
追われて、捕まって、また連れ戻される。あの子にとって、それがどういうことか。それくらいは、この老いぼれにも分かる。
カカシが低く言った。
「……手を、取ろうとはしませんでした」
ヒルゼンは答えなかった。乾いた血の跡から、いつまでも目を離せずにいた。
アパートの階段が、一段ごとに軋む。
扉の前に立ったまま、動けなかった。この部屋をあてがったのは自分だ。合鍵も、懐にある。開けようと思えば、いつでも開けられる。
四つのとき、あの子は聞いた。わたし、どうしてひとりなの、と。
大きくなったら教えてやる、とヒルゼンは答えた。五つのときも、同じ答えを返している。
六つになると、あの子はもう何も聞かなくなった。
あのとき自分は、胸を撫で下ろしたのではなかったか。
合鍵には触れないまま、ヒルゼンは扉を叩いた。
「ナルコ。わしじゃ」
扉の向こうの掠れた声を、ナルコは布団にくるまったまま聞いていた。
天井を見上げる。立ち上がろうとは思わなかった。返事をしようとも思わなかった。
長い沈黙のあとで、もう一度だけ声がした。
「……すまなんだ」
何かを床に置く、かすかな音。それから、階段を下りていく足音。
それが、途中でふっと止まる。
それきり、何の音もしなかった。
ナルコは、天井を見つめたままだった。
それから足音は、一段ずつ、遠ざかった。
一晩中煮え立っていたものが、夜明けとともに、少しずつ、少しずつ、引いていく。
からっぽになる。
涙も、もう出なかった。
体の傷は、もうどこにも残っていない。裂けた右袖だけが、昨夜のことを覚えていた。
扉の外には、小さな包みがひとつ、誰にも開けられないまま置かれていた。
窓の外では、夜通し灯されていた白い提灯の最後の一つが、明け方の風に揺れて、ふっと消えた。