[第一章]
全員と仲が良く、全員を大事に思っているが、果たしてこの関係性の中で俺は必要なのだろうか。
ボクは夢の実現のため予断を許さない
ボクは夢の実現のため暇を許さない質だった。お昼寝の時間を宣告しボクたち幼稚園生を寝かせにかかる先生たちの手をかわし外に逃げ目を盗んで砂場をほじくり返すのは夢の実現のため当然に行う。またエネルギー補給のため昼飯はしっかりと食べさせていただくが必ず5分以内に食べ終えることを己に誓っている。お歌の時間?ふざけているのだろうか。将来の夢が世界一の歌手だといつボクが主張しただろうか。
しかし、こんな性分が故にボクには友達どころか知り合いすら一人もいなかった。シャベルで砂をほじくり返すことに全ての時間を費やしているボク。それに対し周囲の園児たちは周りとの協調性を図ってサッカーやドッチボールをしている。おままごとや読書を行っている者もいるがいずれにせよ友達らしき人物と共にそれらを行っているのは注視せずとも解る事だ。
正直、羨ましかった。ボクは協調性を不要な感性だと唾棄しているわけではない。むしろ重視すべきものだと認めている。もし仮に、ボクと同じ夢を持つ友人を一人でも持てていたら、作れていたら、いや、同じ夢など持っていなくともいい。ただただ親しいだけの友人を一人でも持てていたらボクのこの夢はもっと早く叶えることができただろう。
それは砂をほじくり返してくれる労働者が増える、という意味ではない。人間は非常に多様な生物だ。物理的にも、精神的にも。
ボクは頭が良くない。思考を深く沈ませることはできるが広く物事を見ることができない。更に言うなら突然まったく別の個所に思考を置くこともできない。
どうやったらボクが園児の間に砂場の砂を全て使った泥だんごを作れるだろうかと考えた時に「全ての時間を泥だんご作りに費やす」という解しか出てこなかった身だ。コツコツ、と言えば聞こえはいいが愚直な作業しか思いつかない人間が一人いて何ができるだろうか。
しかし、人間は多様だ。もし友人が一人いたとして、その人間はボクとはまったく違った解答を出せるだろう。具体的には思いつかないが何かボクには思いつかないアイデアを出してくれることだけは確かだ。
しかし、ボクには友達がいなかった。ボクは夢の実現のため予断を許さない質だったからだ。ましてや己は幼稚園児の身。砂場が全てと言ってもいい己にとって協調や交友は足元の蟻にすぎなかった。蟻たちの生を尊重しようが偶然踏みつぶそうがどうでもよかった。もし仮に尊重したとて「全ての時間を泥だんご作りに費やす」という手段を取った以上友人を作る時間など取れるはずがなかった。
そしてもっと単純な話、ボクが脳内で何を考えていようと砂をほじくり返す行為をしているだけのボクに誰が声をかけるだろうか。夢の実現を謳っているがその実何も成し遂げた事の無い男に誰が声をかけるだろうか。
照りつく太陽に身を焼かれ足元に一つのみ射影される。ボクには友達がいなかった。じんわりと手元の泥だんごが形を崩していく。形を作る段階で余計な水分が入ったからだ。
「ねえ、君も一緒に遊ぼうよ!」
「君の名前は?」
ボクには友達がいなかった。しかし今は昔の話である。
◇◇◇
尻に敷いていたクッションを鞄に詰め、帰宅の準備をする俺は7年前の出来事を思い出していた。
俺の名前は名前は田中次郎。年齢12歳。職業中学生。趣味はゲーム。夢はなし。
7年前と今を比べて、俺には様々な変化が生じていた。
例えば一人称。他人からどう見られているかを考えることができるようになった俺は意識的に一人称を俺にすることを覚えた。ファーストインプレッションは重要だ。別にボクを自称する人間が異常だとかおかしいだとかそういう話ではない。おかしさを抱える俺が見た目だけでも一般的だと認識されるよう努力した結果である。
例えば身体。あの頃と比べ俺は非常に背が伸びた。今も伸び続けている。さらに力も増し手も大きくなった。もし今泥だんごを作ろうと思えばあの頃の3倍以上の速さで作ることができるだろう。
例えば、交友関係。
あの頃と比べ俺は知り合いが増えた。一日に挨拶をする数が0から両の手に収まらない数にまで増えている。泥だんごに熱中していたあの頃の俺に言っても信じられないだろう。
そして友達も増えた。昼休みに昨日のテレビの話題を話す友達がクラス内に5,6人はいる。ギャハハと笑い合える友人の存在は俺の日常に彩りを与えている。少なくとも泥一色だったあの頃とは雲泥の差だろう。
「次郎くん!」
そして、俺には友達の他に"幼馴染"と言われる存在が出来ていた。正確に言えば幼馴染は作るものではないので存在していたが正しいが、俺に幼馴染ができると誰が想像できるだろうか。12になった今でも信じられない話だ。
それも、三人。
「早く帰ろうよ。皆外にいるよ!」
「うん」
軽く頷き、鞄を背負う。そして隣に位置する友達に帰宅することを伝えて教室を出た。
廊下に出ると俺達を二人の人影が出迎える。どちらも幼稚園時代にできた幼馴染だ。
「随分遅かったわね。釈明を今すぐしなさい」
「そーですよ。ぬくぬく座ってたあなたがたと違ってこっちはたちっぱだったんですから。言い訳
「ごめーん!」
俺の幼馴染が俺の幼馴染と会話をする。そんな単純な事に俺は心を満たされていた。
なんだろうか。こたつで食うアイス、敵キャラ同士の戦闘描写、謎解きの最後の大番狂わせ。
そんなの良いに決まっていると誰もが言うそれら。自分の好きなモノと好きなモノが共に会話をしている光景なんてその典型だろう。
「次郎くんも謝らないと不味いよ、二人とも怒ってる時の顔してる…!」
冷や汗をかいて焦る幼馴染が俺に謝罪を促してくる。私は怒っていますと主張する二人の幼馴染の表情を見ても本気で怒っているような気迫は感じない。コミュニケーションの一環、からかいが多分に含まれているように見える。
「待ってくれてありがとう」
感謝を告げると二人はしょうがないなーとでもいうかのような素振りをし、玄関に向かって歩き出す。三人の、俺の幼馴染は並んで会話をし始めた。後ろから追う俺は後ろから眺めつつ、自分が楽しい日常を送れていることに満足していた。それもこの三人の幼馴染がいたからこそであろう。
先ほどの独白で俺は一つ、言っていないことがある。友達を作るメリットを自身の夢の実現が早くなるということのみに焦点を当てていたことだ。
実際はそれだけではない。極めて本能的に、俺はただただ、友人が欲しかったのだ。友人との日常の交換を楽しむ一般的な感情を欲していた。得られた体験の感動を共有する一般的な行動に憧れていた。幼稚園時代では情緒が育っていないが故に視界に入っていなかったその感情に、俺はいま強烈に満たされていた。
しかし、前を並んで歩く輝かしい彼女らを見てふとこう思う。
完成され切ったと感じる彼女ら幼馴染たちは関係性は、俺が消えて初めて完璧になるのではないか。そんな思考が俺は拭えずにいた。