幼馴染と俺、またはボク 作:※作者に幼馴染はいません
「ねーねー、今日の授業でさあ」
「小学生の頃から相変わらずですね。まだそんな落ち着きがないんですか。私を見習った方が良いですよ」
「そういう貴方も人の事を言えないと思うけれど」
幼馴染たちが三人、俺の前を並んで歩く。それを俺は二歩離れた後方からそれを眺めていた。
俺を含むこの4人の関係は遡る事3年前から始まった。最初に幼稚園で俺と一人の幼馴染が友達になり、その後小学生1年生に上がってすぐにもう一人の幼馴染と友達の友達を経由して友達になって、小学3年生になって最後にまたもう一人幼馴染が増え友達となり、今のグループが出来上がった。
その頃から俺は
「ねー次郎くんもさー孤高を気取ってないでこっち来て話そうよー」
「やめとけやめとけ!最近の次郎は付き合いが悪いんですよ。『物思いに耽る俺かっこいい...』とか考えちゃうお年頃なんですよきっと」
「痛痛しいわね。羞恥心が湧いてくるからやめなさい」
実に心地の良い関係性だ。女子間のいじめあるある筆頭の無視をされているわけでもない。かといって過度に馴れ馴れしいわけでもない。俺が「話す話題がないだけだ」と言えば「気にせず会話に混ざればいいのに」というだけでそれを咎める事無く三人は会話に戻っていく。"カラオケ中にスマホを触ってはいけない"のような息苦しさを感じる不文律も存在しないこのグループはやはり完成されていると俺は感じる。
だからこそ不純物たる俺の存在が際立ち、疎外されなければと、義務感のような何かが俺の思考を漂っていた。
♢♢♢
分かれ道、俺は用事があるといって早めに幼馴染たちから離脱する。実際、余っていた図書カードを利用して本でも買おうかと思っていたところだ。無論、グループから離れるという主目標を達成することを目論んでのことだが。
何故そんなにも疎外感を感じてしまうのか。何故そんなにも自分が幼馴染たちと共に会話をし、行動することに違和感を感じてしまうのか。三年続く俺と幼馴染たちとの間に、勝手に俺が亀裂を付け始めてしまうのか。
その理由もう自覚している。俺が客観視を持ち始めてきたことが故である、と。
3年前と今を比べて、俺には様々な変化が生じていた。
いや、正確には俺含め周囲の人間には、だろう。
成長し、性差による線引きがはっきりと分かれ、自意識が成長し、客観視が芽生えた。
俺を含め、幼馴染たちと周囲が思春期と呼ばれる思考の転換期に入り始め、明らかに周囲の視線に変化があった。いや、変わったのは周囲の目線だけでなく周囲の目線を気にするようになった俺の思考もだろう。
性別の違う者と交友を図るだけで嘲笑に満ちた視線と言葉に襲われ、周囲の関係性は小学1年生の頃のそれとは別のものへと変容していた。
変化しなかったのは俺と俺の幼馴染たちの関係性だけだった。
幼馴染だけでなく周囲に知り合いができ、俺に友達がいる現状になったからこそわかることだが、きっと彼女たちは俺という性別の違う人間と付き合うだけで今もなお何かに襲われ続けているのだろう。
しかし俺にはわからなかった。その類のものは周囲との関係性が薄かったがために知らなかったし、周囲に繋がりができた今も幼馴染が大事であるがためにそれを努めて無視することができている。友達に揶揄されることは何度かあるが俺の行動を歪めるほどに心を動かすことはなかった。
そう、俺にはわからないのだ。彼女たちが感じる苦痛、苦難、煩悶が。どれだけ傷付きながら俺を"幼馴染"として振る舞ってくれているか。俺にはわからない。
そしてこれは本能的な問題だけでなく理性的な問題でもある。対価なしに苦難を退けられる者はいない。
むしろ、苦難の原因を取り除くことにこそ対価が支払われるだろう。それが最も合理的であり最も理性的な判断だからだ。
けれど、彼女たちはきっと躊躇うだろう。俺を排除すると決心してなおきっと躊躇するだろう。なぜなら俺は幼馴染たちが優しいということを知っているから。
ならば、俺ができることは一つだけだ。
「待ちなさい」
躊躇いなく決心を固めた俺は、しかし背後から聞き覚えのある声にその足を止められる。
幼馴染である
実際性別の違う幼馴染と友達でい続けるってかなり難易度高いと思う