ようやく出会えた初恋の君へ 作:君は永遠になった
「――……希」
声が、聞こえる。
「……希」
誰かが、呼んでる。
「――和希ッ!」
必死な声だ。
体も揺れてる。目を開けなきゃ。
……上手く、呼吸できなかった。
すごく息苦しくて、もう一度まぶたを閉じようとしたら――何か、
「――……げほっ! げほげほっ!!」
勢いよく体を起こして水を吐く。
海水の塩味に表情を歪めながらも、何度か咳き込んだことで落ち着きを取り戻していった。
呼吸が楽にできる。酸素を求めている肺に向けて、空気を何度も吸い込んだ。
自分がどうなったのか。
生きている以外のことを確認するために周りを見ようとした瞬間、僕の体は激しい衝撃に襲われた。
「――
この声を、僕は知っている。
忘れるはずがない。僕の耳は覚えている。
あり得ないと頭では分かっていても、現実が僕を夢へと誘った。
抱きついてきた人物に視線を向けて息を呑む。
紺色のワンピースを着た女性だった。青みがかった黒髪に、太陽光を跳ね返してしまいそうな白い肌。大粒の涙を流している目元には泣きぼくろ。
僕の服を両手で強く握り締めながら、その人は大声で泣いていた。
「――……七緒?」
最愛の人の名前を、僕は口にする。
それを聞いた女性は涙を流したまま、小さく頷いた。
「…………ははっ、そっか……
七緒を抱き締め返しながら、泣きたくなるほど青い空を見上げた。
白い雲は悠々と散歩しており、浜辺に打ち付ける波は学生時代に聴いていたものと何ら変わらない。
「……和希っ! ……和希っ!」
少し、大人びただろうか。
まず間違いなく、目の前にいる七緒は高校生ではない。
つまり、僕は1974年に来た訳じゃないってことになる。
……まあ、別にどの時代でもいいさ。
こうしてまた七緒に会うことができたんだから。
「――七緒。……顔を、よく見せて?」
「……っ。……う、うんっ」
髪は少し短くなっているけど、相変わらず綺麗だった。
流れ落ちる涙はダイヤモンドみたいに輝いている。
こんなに泣いてもらえて嬉しい、なんて言ったら怒られそうだ。
「……会いたかった。君に、会いたかったんだ」
「――ッ。……私も、会いたかった。会いたかったよっ。……でも、なんで? どうして和希が……?」
「…………えーっと」
事情を話したら怒られるよなぁ、なんて考えていると、七緒に頬をつねられた。力加減はされてるから痛くないけど、向けられている視線は刃物のように鋭い。
昔、僕のためにモンスターペアレントと化してたあの瞬間を思い起こさせる目をしていた。
嘘はつかない。いや、元々つくつもりはない。僕は七緒に嘘をつくために会いに来たわけじゃないんだから。
「……飛び込み、ました」
「――……〜〜〜ッ!!! ……はぁ、そうだよね。……私の前にいるってことは……そういうことだよね」
「お、怒らないの?」
「怒ってますけどっ!? そんな危ないことしてっ! 和希が死んじゃったらどうするのっ!!」
「……ごめんっ」
必死に怒りを飲み込もうとしていたように見えたから許してもらえるのかなって思ったら、やっぱり怒られた。
七緒は複雑そうな表情を見せた後でこつんと、僕の胸板に頭を預けた。
「……でも、会えて嬉しいのは本当だよ。……まさか、また和希に会えるなんて……思わなかったから」
「……七緒。……僕も、本当に嬉しい」
顔を上げた彼女と、どちらかともなくキスをした。
一瞬にも、永遠に思える時間だった。
「……和希。立てる?」
「うんっ。七緒に会えたからかな。めちゃくちゃ元気です」
「……ばかっ」
七緒に手を取ってもらい、砂浜に立つ。
吹き抜けた潮風が気持ち良い。良かった、季節が夏みたいで。冬だったら間違いなく風邪を引いてたな。
「……」
「……それは? ……紙?」
ポケットに手を入れて、手紙だった物を取り出す。
七緒に貰った手紙は海水に揉まれて破け、バラバラになってしまったようだ。これではもう手紙どころか紙ですらない。
大半は海に流れてしまったようで、僕の手のひらの上には一欠片しか残っていなかった。その一欠片すらも、風に攫われて飛んでいく。
「……あっ、いいの?」
「……うんっ。いいんだ。もう十分、助けてもらったから」
もしかしたら、あの手紙が僕と七緒を引き合わせてくれたのかもしれない。
きっとそうだ。何も証拠はないけど、そう思うことにした。
「……よかった。こっちは無事だった」
「それって、鳥の木彫り? ……か、可愛いっ」
「高津さんに貰ったんだ」
「ええっ!? た、高津さんに!? どういうことっ!?」
「詳しい話は後にしようよ。取り敢えず、何か飲み物でも買いに行かない? 喉乾いちゃってさ。……ここって西暦何年なんだろう。自販機とかあるかな? あっ、やばっ、財布ないや」
「ちょっ、ちょっと! 和希っ! 勝手に歩き出さないでよっ! ……頭とか、痛くない? 病院行かなくても平気?」
「平気だよ。ありがとう、七緒」
七緒は砂浜に放ってあった鞄を拾ってから僕の体を支えるようにして左腕に抱き付いてきた。
確かな体温を感じて、彼女が本当に生きていることを実感する。
彼女の支えもあったからか、僕は躓くこともなく神隠しの入り江から出ることができた。
そして坂を上って見慣れた車道に出た頃には、倦怠感も大分マシなものへと変わる。七緒にお礼を言ってから、自分の力だけで歩き始めた。
「ほ、本当に大丈夫なの……? 嫌だよ、和希に何かあったら」
「ははっ、大丈夫。自分でも驚くぐらい元気なんだよね。七緒に会えたからテンションが上がって、アドレナリンが大量に出てるのかも」
冗談めかして言ったけど、多分当たってると思う。
七緒に会えたって分かってからというもの、心臓の鼓動が自分でも分かるぐらいに速い。子供みたいだな、僕。
「だとしたら病院に行くべきっ! 分かった。連れて行きます」
「おわっ、ごめんごめんっ! 本当に大丈夫だからっ!」
病院に行って入院なんてことになったら不味い。
スマホも財布も置いてきたから身元を証明できるものはないし、何よりせっかく再会できた七緒とまた離れ離れになってしまう。
それだけはもう、絶対に嫌だ。
「……少しでも体調が悪くなったら言って。もし嘘なんてついたら……埋めるっ」
「は、はいっ! ――ふふっ」
「何を笑って……もうっ、本当に埋めるからねっ。絶対に無理しないこと。約束して?」
どうして僕が笑ったのか察したようで、七緒は困った顔になりながらピンッと立てた小指を向けてきた。
背景に広がる青い海がまた美しい。やっぱり七緒には海がよく似合う。
「早く、指出して」
「うん。分かったよ」
それにしても指切りか。
子供の頃、親として以来だな。久しぶりに誰かとこういった形で約束を結べて、少しだけ新鮮だった。
「嘘ついたら針千本のーますっ。あと埋めるっ。指切った」
「……なんか罰が多い気がするんだけど」
「ふふんっ、これで破れないでしょ? 和希、すぐ無理するんだからっ」
……まいったな。
七緒が心配してくれることが嬉しくてたまらない。愛おしくてたまらない。
歩道側を歩いている七緒の手を引いて、思いっきり抱き締めた。
「か、和希……!? あ、あの……この道、車は少ないけど、通らないって訳じゃないから……誰かに見られると……」
「――七緒。大好きだ。愛してる」
「ひゃっ!? ……あ、あの……それは私も、そうなんだけ、どぉ」
こうして抱き締めていると分かる。
細くて、か弱い体だ。腕に力を込めたら、それこそ折れてしまいそうな程に。
「……ずっと、こうしたかった」
「……和希」
ダメだ。七緒に会えて、僕の涙腺は崩壊したみたいだ。
これ以上は彼女の言う通り迷惑になってしまうかもしれない。涙を抑え込んで、体を離す。それから一分もしないうちに、少ないと言っていた車が横を通った。ギリギリセーフだったみたいだ。
「ごめん。七緒が可愛くて、つい」
「……和希。……なんか、変わった?」
「それはそうだよ。僕いま26歳だし、もう絶対に会えないと思ってた相手と10年ぶりに会えたんだから。七緒は綺麗になったね。前よりずっと、ずっと綺麗だ」
「わ、私の知ってる和希じゃない……」
赤くなった顔を手で隠しながらも、七緒は僕と繋いでいる手を離そうとはしなかった。
僕達は肩を並べて、同じ歩幅で前に進んだ。
失った時間を、少しでも早く取り戻すかのように。
「はい、タオル。お風呂沸かすから、ちょっと待っててね」
「うんっ、ありがとう」
神隠しの入り江から歩くこと20分。七緒の実家に到着し、中に入れてもらった。
今は祖母が一人で住んでいるらしく、中々に歴史を感じさせる外観だ。どうやら家主である祖母は外に出ているようで、顔を見ることはできなかった。帰って来たらちゃんと挨拶がしたいところだ。
「……はぁ、本当に夏で良かった」
七緒から渡されたタオルで頭と体を拭いていく。――とは言っても、ここに歩いてくるまでに結構乾いていたので、そんなに濡れてはいない。
髪が海水で濡れたから少しだけ固まっているけど、それ以外で特に問題はなさそうだ。
「……あの、和希?」
「ん? なに?」
タオルで顔を拭き終わってから一息つくと、七緒が少しだけ気まずそうにこちらを見ていた。
何かしてしまっただろうか? 反射的に謝ろうとした僕に、彼女は繋いでいた手を持ち上げながら口を開いた。
「あの……手、離してくれない?」
「……あっ。……ご、ごめんっ。そうだよね。気付かなかった」
当たり前のことを指摘されて恥ずかしくなる。
七緒は僕のためにお風呂を沸かそうとしてくれているのに、これでは身動きが取れない。
「……あっ、あれ? ……なんか、変だな」
「和希、落ち着いて。大丈夫。――私は、和希の隣にいるから」
「七緒……」
繋いだ手を離せないでいる僕に、七緒が優しくそう言った。
手を離してしまったら、また彼女が遠くに行ってしまうんじゃないか。そんな不安をすぐに見抜かれてしまったようだ。情けないことこの上ない。
「……ごめんっ」
「謝らなくていいの。じゃあ、和希は座って待っててね? 冷蔵庫の中に麦茶が入ってるから、良かったら飲んで?」
僕を気遣いながら、解放された七緒は部屋の奥へと消えていった。
思わず手を伸ばしそうになったけど、子供のようなわがままは許されない。僕はもう、いい歳をした大人なのだから。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、七緒はすぐに戻ってきた。
当たり前のようにまた手を繋いでくれる。
本当に敵わないな。この子には。
用意してもらったお風呂に入り、熱いお湯に浸かる。
外の明るさからして時刻はまだ昼前といったところだろう。こんな時間に入るお風呂も悪くないと思えた。
寒さなんて感じていなかったけど体の芯は冷えていたみたいで、湯船に浸かっていると幸せな気持ちになれた。
「あっ、お帰り。ちゃんと温まった?」
「うん。いいお湯でした。ありがとう」
服はまだ微妙に乾いていなかったので、七緒が持っているジャージを貸してもらった。少しだけキツイけど着られる。男に見えないと言われ続けてきた細い体に感謝したのは初めてだ。
「どういたしまして。……うんっ、元気そうだね」
僕の顔を覗き込みながら、七緒は嬉しそうに笑った。
やはり、顔色が悪かったんだろうか?
……まあ、それもそうか。あんな高さから海に落ちて無事だっただけでも、十分に奇跡だったはずだ。怪我もしていなければ、体調に問題もない。
「取り敢えず、ご飯にしない? うどん茹でたから一緒に食べよ?」
ちゃぶ台に並べられたうどんを見て、高津さんの家で3人で食べたうどんを思い出した。あの時と比べれば具材は少ないし、お世辞にも豪華とは言えないけど……涙が出るほど美味しかった。
泣いている僕に、七緒は何も言わなかった。
「――さて、お腹も一杯になったことだし……和希、少し横になる? 疲れてるでしょ?」
彼女はどこまでも僕のことを気遣ってくれていた。
僕が七緒を大切に思っているように、七緒も僕を大切に思ってくれている。それだけで、頬が緩むのを止められなかった。
「大丈夫だよ、ありがとう。……それより、
これは今の僕にとって、何よりも優先すべきことだった。
僕は本来、今の七緒が生きている時間には存在しなかった人間だ。
情報を集める必要があった。出来るだけ多く、細かな情報が。
「そ、そっか……そうだよね。うん、分かった。説明する」
ちゃぶ台の上に広げられた紙へ、七緒が僕の質問に対しての答えを書いていく。
今いるのは西暦1984年の采岐島。日付は6月16日だった。海へ飛び込んだ日と全く同じだ。
僕がいた時代は2036年だったので、どうやら52年前にタイムスリップしたらしい。半世紀近くも時を遡ったという事実に少しばかり手が震える。
七緒はこの時代のことを説明した後で、僕に自分が元の時代に帰ってから何をしたのかを話してくれた。
彼女が残してくれた手紙を暗記できるほどに読み込んでいたから大体は知っていたけど、彼女本人の口から聞けるとなれば願ってもないことだ。
僕は時折り麦茶を口に含みつつ、コロコロと表情を変えながら楽しそうに話す七緒の言葉に耳を傾けた。
母親の再婚をきっかけに本土へ引っ越し、苗字が『秋鹿』から『小野川』に変わったこと。
今年26歳になって、今の僕と同い年であること。
これまでに一度も恋人を作ってはいないことなどなど、本当に色々話してくれた。
特に最後の情報は重要で、情けなくも安心してしまった。
女々しいと分かっていても、七緒が僕以外の男と関係を持つのは嫌だったのだ。気持ち悪いので彼女には絶対言えないけども。
「それでね、私いま本土の高校で教師やってるんだ。大変だけど、毎日楽しいよ」
「……そっか。うん、きっといい先生になれるよ」
「えへへっ、ありがと」
七緒が後にシマ校の教師となり、あの伝説と呼ばれる第十六代校長に就任することを僕は知っている。
廃校寸前だったシマ校を救い、采岐島の繁栄にも多大な貢献をした英雄だ。自分のことじゃないにも関わらず、とても誇らしかった。
「……でも、本土の高校で働いてるのにどうして采岐島に?」
「それは……元々休みだったから、お婆ちゃんの顔を見に来る予定だったの。島に戻って来たのも今日の朝だったし。……それで、なんか胸騒ぎがしたって言うか。……気付いたら、神隠しの入り江に行ってた。そこで、倒れてる和希を見つけたの」
七緒は目を伏せながら、動揺を抑え込むようにして答えてくれた。
どれだけ驚かせたんだろうか。もう二度と会えたいと思っていた人間がいきなり目の前に現れて、動揺するなと言う方が無理な話だ。
「泣かないで。七緒」
「……ごめんっ。なんかまだ、夢を見てるみたいで」
「ははっ、僕もだよ。――でも、僕はここにいる。七緒の隣にいるよ」
さっきの僕に七緒がしてくれたように、机の上に置かれている七緒の手を握る。冷たい手だ。
少しでも熱が伝わればいいなと思いながら、強く握り締めた。
「僕はもう、自分の時代に帰らない。だから……もし、七緒が良かったらなんだけどさ……これから先も、ずっと一緒にいて欲しい」
「……和希」
「もう、君と離れたくない。君が……好きだから」
七緒の目を見て、ハッキリと言葉にする。
照れや恥ずかしさで想いを伝えられないなんてもう御免だ。
もう一度出会えたこの奇跡に、僕は絶対に甘えない。
「……うんっ。……私も、和希と一緒にいたい。……貴方が、好きです」
涙を流していても、七緒の笑顔は綺麗だった。
それこそ、あの時一緒に見た、虹よりも。
この時代で――七緒と一緒に生きていく。
ここまでが目的だ。
その目的を達成するためには、色々と準備が必要になってくる。
用意しなければならないものがとにかく多いのだ。
しかもそれらは僕一人の力だけでは手に余るものばかり。
僕には、
「……よし。まずはあそこに行かないとな」
「和希……? どこかに行くの? 今日はもう寝た方がいいよ。しばらく休んで、それからでも……」
「大丈夫だよ。それに、早く行動しておかないと七緒に迷惑をかけることになる」
「そんなの、気にしなくていいのに……」
「気にするよ。僕は七緒と……幸せになるためにこの時代に来たんだからさ」
――『世界で一番幸せになってください』という彼女からの言葉を、実現させるために。
「……でも、やっぱり一人だと不安だね。迷惑じゃなければ、七緒にも一緒に来て欲しいんだ。せっかくの休みを潰しちゃってる時点で、迷惑はかけてるんだけどさ」
「そんなことないっ! ……頼ってくれて、嬉しい。一緒に行くよ? 和希と一緒に行く」
「……ありがとう」
胸に込み上げてくる温かい気持ち。
七緒を失ってから久しく感じていなかったものだ。やはり、心地良い。
「でも、どこに行くつもりなの?」
「僕は今、『神隠し』で別の時代に飛ばされてきた人間。つまり――『
七緒も僕がどこに向かおうとしているのか理解したようで、目を見開いた。
この時代でも、前の時代と同様に助けてもらうことになりそうだ。
不甲斐ないけど、他に頼りもいないのが現実。
僕は七緒と共に、一筋の希望の糸を掴むために家を出た。
「行こう。――高津家へ」