ようやく出会えた初恋の君へ 作:君は永遠になった
「……久しぶりに来たなぁ。高津さんの家」
広大な敷地に建てられた屋敷を見上げながら、七緒が感慨深そうな声で呟いた。
昔自分がお世話になっていた屋敷を見て、思うところがあったのかもしれない。
「さて、話を聞いてもらいにいこうか」
「……そうだね」
ちょうど門の前に使用人さんがいたらしく、僕達の存在に気付いてもらうまでは早かった。優しそうなご老人だ。
高津家の方にお話があると言ったら、快く中へと入れてくれた。どうやら家主はご在宅のようだ。これまた運が良い。
「――こんにちは。私に話があるそうですな。初めまして、高津と申します」
出迎えてくれたのは、30代前半ぐらいの風貌をした男性だった。
正された真っ直ぐな背筋。穏やかでありながらも隠し切れない芯の強さを感じさせる声をした人物だった。
今いる時代から考えて、椿さんの祖父といったところだろうか。どことなく目つきの鋭さが似ているような気もする。初対面での対応には雲泥の差があるけど。
「初めまして。……月ヶ瀬和希と申します。突然の訪問にも関わらず、お時間を作って頂きありがとうございます」
「小野川七緒です。本土の高校で教師をしております」
頭を下げて名乗った僕に七緒も続く。
高津さんは「これこれはご丁寧に」と返すと、部屋へ上がるように促してきた。
靴を脱ぎ、玄関から家へと入る。
扉を開けた瞬間から分かっていたことだけど、お世話になっていた頃から内装はあまり変わっていない。実家に帰って来たような安心感さえ覚えてしまった。
通された部屋で座布団に正座して、使用人さんに出してもらったお茶を一口含む。
流石は高津家。とても美味しいお茶だった。
「さて、用件を伺いましょうか」
質の良さそうな甚兵衛の首元を正しながら、高津さんは話を聞く体勢を取った。
回りくどい言い方をするつもりはない。お世話になろうとしている相手に腹芸をするなんて、それこそ失礼でしかないのだ。
「僕は――2036年からやって来ました。今より、52年後の未来から」
「…………!」
空気が変わったのを肌で感じ取った。
高津さんの目は見開かれ、僅かな動揺が見え隠れしていた。
それでも取り乱すようなこともなければ、嘲笑するようなこともない。
ただ湯呑みを取って一息入れると、先程までとは違った雰囲気を纏った。
「……冗談、ではないようですね」
「はい。真実です」
「……ふむ。……一つ、お聞きしても?」
頷きを返して了承。
高津さんは腕を組み、難しい問題を考えるような顔で言葉を続けた。
「なんでも構いません。未来で起きる出来事を教えてもらいたい。可能であれば直近に起きることが好ましいですが……いかがかな?」
「分かりました。お答えさせて頂きます」
即答されるとは思わなかったのか、高津さんが「ほうっ」と息を漏らす。
隣で借りてきた猫のように緊張している七緒も驚いていた。可愛い。
「現在は1984年の6月16日。……明後日18日に、この采岐島を軽度の地震が襲います。人的被害はありませんが、揺れの影響によって夏祭りで使う神輿の一部が破損する事故が起こるはずです」
少しの躊躇いもなく、自信を持って断言した。
親切心から神輿を外に出しておいた方が良いですよと言いそうになったが、些細なことでも歴史を変えるとどうなるか分からないのでやめておいた。
そして七緒が本当に大丈夫なのかと小声で囁きながら僕の膝をペシペシ叩いている。可愛い。
「……なるほど。予想していたよりも直近の話でしたな。随分とこの島に詳しいようだ。もしや、この島の生まれですかな?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ、働いていた職場の関係で采岐島については少しだけ詳しいので」
采岐島の抱えている問題を解決するために、過去の資料にはほとんど目を通してある。ジャンルを問わず、ほとんどだ。
今回の地震は日付の近さ的にも満点のケースだろう。夏祭りに関わっていた時に得た知識が役に立ってくれた。采岐島では珍しい地震に関する記事だったから余計に覚えやすかったというのもある。
「分かりました。これで本当に地震が起これば、貴方が未来から来たことの証明となる。……まだ信じることはできませんが、信じてもいいとは思いましたよ。これでも島のまとめ役を担ってきた家の当主ですからね。嘘をついている人間の顔は見慣れています」
「あ、ありがとうございます」
少しだけ表情を柔らかくした高津さんに、安心感を覚える。
やはり、どことなく椿さんを思わせる顔だ。
「して、未来から来た貴方は高津家に何をお望みで? 具体的に言えば、私に何をして欲しいのかお聞きしたい。……最も、直接ここを訊ねてきた時点である程度の推測は立ちますがね」
「話が早くて助かります。僕はもう、2036年に戻るつもりはありません。このままこの時代で生きていくつもりです」
膝の上に置いている両方の拳に力が入った。
「……ですが、そのために必要なものが足りていません。お金どころか、今の僕には戸籍すらない。これでは死んでいるのと同じです」
当然のことながら、この時代に月ヶ瀬和希は存在しない。
僕が生まれるのはまだ20年以上も先のことだからだ。
「高津さんには僕の戸籍を用意して頂きたいんです。この島の住民としての証を、この時代で生きていくための……土台を」
「道理ですな。……神隠しに遭った稀人か。子供の頃から知ってはいましたが、正直に言えば半信半疑でした。まさか私の代で目の前に現れるとはね」
高津さんは再び難しそうな顔をして目を閉じた。
無理もない。無茶なことを言っている自覚は僕にもある。
いくらマイナンバーなどで厳密に管理されていない時代だからって、人間一人の戸籍を新しく用意するなど面倒事以外の何物でもないのだから。
「……最後にもう一つ、お答えしてもらいたい」
「はい。なんでも」
「何故、元の時代には帰らないのですか? 高津家は代々、稀人を保護してきた家ですが、そのほとんどが元の時代に帰っています。もちろん、そのまま残った者もいるらしいですが……その方達は貴方のように自ら望んで残ったわけではないとも聞きました。この時代に残ろうとする理由は一体――」
「大好きな人がいるからです」
無意識に、七緒の手を握っていた。
小さくて繊細なその手を、包み込むようにして握り締める。
高津さんは少し驚いたように僕と七緒の顔を交互に見ると、その数秒後に僅かに口角を上げた。
「ククッ、なるほど。そういう訳がありましたか。……いいでしょう。要望通り、戸籍はこちらで用意します。他にもお力になれることがあれば、私にできる限りは前向きに対応すると約束しましょう」
「……ッ! ありがとうございます……!」
「あ、ありがとうございますっ!」
七緒と揃って頭を下げる。
緊張した。前の時代から数えても一番緊張する話し合いだったと思う。2026年に来てしまった七緒はこんな気持ちだったんだな。部屋に引き篭もってしまうのも分かる気がした。
「それで、その……早速で厚かましいとは思いますが、お願いがあります」
「そう緊張されることはありませんよ。個人的にも、貴方のことは気に入りましたからね。少し肩の力を抜きましょう」
理由は分からないけど気に入られたらしい。
これなら少し、話しやすい。
「仕事を、頂きたいんです。今の僕には収入がありません。ぜひ、お願い致します」
「確かに、それは優先すべき問題ですね。……先程、この島に詳しいのは働いていた職場の影響と言っていましたが、どのような仕事を?」
それから数十分ほどかけて、僕は高津さんに自己アピールを続けた。久しぶりの面接をしたような気持ちになって、また別の意味で緊張した。
満足そうに頷いた高津さんを見て、情けないほどに安堵したものだ。
「――素晴らしい。それ程の経験があるのなら、まずは役所で働いてみてはどうでしょう? もちろん、私が推薦しておきますのでご心配なく。まあ、未来から来た貴方からすれば、まだまだ時代遅れの仕事にはなると思いますがね」
「ね、願ってもないことです! ぜひ、よろしくお願い致します!」
深く頭を下げ、感謝を伝える。
これでひとまず、この時代で生きていくための土台は整えられた。
「慣れないことばかりだと思いますが、頑張ってください。何かあれば私が力になります。……まあ、心配はいらないと思いますがね。どうやら貴方には自分のいた時代を手放してでも、共に生きていきたい相手がいるようですから」
そう言って笑う高津さんは、これまでに見せたどの顔よりも優しい顔をしていた。
七緒に着いて来てもらった意味はあったらしい。
僕は何度、彼女に救われれば気が済むのだろうか。
話し合いが終わり、高津さんに見送られながら高津家を出た。
外に出てみると、日が落ちかける夕暮れ時だった。
橙色の空を見上げながら、七緒の家に戻るため帰路に着く。
「……明後日から働くなんて、急じゃない? もっと休んだ方が……」
「そういう訳にはいかないよ。少しでも早くこの時代の人間になりたいからね」
高津さんに役所の仕事を紹介してもらうにあたって、僕の方から2日後の地震が本当に来てからにして欲しいと条件を出した。
お世話になる立場として、自分の抱えている事情はしっかりと証明しておきたいところだからだ。
七緒はそれが不満なようで、歩き始めてから心配そうに文句を言ってくる。
彼女は、本当に優しい。
「……でも、本当に良いの? 七緒の実家に泊めてもらうなんてさ」
「当たり前でしょ? お婆ちゃんには私から説明するし、遠慮なんてしなくて良いの。……それとも、嫌だった?」
反射的に首を横に振る。
嫌なはずがない。七緒と一緒に居られるのなら、僕にとってはどこだって天国だ。
明日からは高津さんの紹介してくれたアパートに住まわせてもらう予定だし、今日ぐらいは甘えても良いのかもしれない。都合良く、そう思うことにした。
「……七緒は明日、本土に戻るんだよね?」
「…………うんっ」
頷いた彼女の横顔に、陰が落ちる。
僕と同じく寂しさを感じてくれているのだと分かり、少しだけ嬉しくなった。
「ちゃんと働いて、生活が安定したら必ず会いに行くよ。手紙も書く」
「……和希」
欲を言えば一緒に暮らしたい。
でも、僕にまだその力がないのも事実。七緒に負担をかけるなんて論外だ。
大丈夫。絶対に会えない場所にいるわけじゃないんだ。それだけで、いくらでも頑張れる気がした。
「僕は七緒と一緒に生きていく。ちょっと時間はかかるだろうけど、待ってて欲しい。まずは恋人としてのお願い……いいかな?」
「――っ!」
握っていた手を引かれて、七緒の身体に吸い込まれた。
僕を抱き締める彼女の手は震えていて、鼻をすするような音も聞こえてくる。
「……私も、和希と一緒がいい。……絶対、一緒がいい」
その言葉が聞けただけで、胸の中が温かくなった。
やっぱり僕は、七緒が好きだ。
次の日、七緒のお婆ちゃんと一緒に、本土へと帰って行く七緒を見送った。
次に会えるのはいつになるだろうか。教師は中々休みが取れないって話も聞くし、僕から会いに行く方が早いかな。
寂しくないと言ったら嘘になる。
ようやく会えた君と、また距離ができたのだから。
それでも、絶対に会えない距離じゃない。手紙を出せば届くし、夜空を見上げれば同じ月と星を見ることができる。
それから僕は七緒と一緒に暮らすことを目標に働き始めた、
僕の言った通りに地震がきたことで、高津さんから正式にマレビトとして認めてもらうことになり、何の憂いもなく仕事に没頭することができた。
島の人たちは優しく、いきなり現れた僕にも親切にしてくれた。
そのお陰もあって、馴染むのに苦労はしなかった。
七緒のお婆ちゃんはよくアパートまでご飯を届けてくれるし、週に一度は泊まらせてもらっている。
孫から恋人だと紹介された僕を気に入ってくれたのか、よく世話を焼いてくれるのだ。有り難いことこの上ない。
小さい頃の七緒の話なんかも聞けて、本当に楽しい時間を頂いている。
そうして、忙しくも温かい時間を過ごし、この時代に来てから2ヶ月程が経過。
8月になり、暑さが本格化し始めた。蝉が鳴き、太陽は呆れるぐらいに輝いている。
土曜の朝、僕は七緒に送る手紙を郵便局に持って行こうと日差しの下を歩いていた。坂を下り、顔を合わせた人たちと挨拶を交わす。
少しずつ慣れてきた日常の中で、僕の目に飛び込んできたのは――七緒の姿だった。
「――和希っ!」
白いワンピースを靡かせながら、七緒は僕に抱きついてきた。
2ヶ月ぶりの再会にしては熱が入っているけど、逆の立場だったら僕も同じことをしたんだろうなという確信がある。
「な、なんで……? 手紙には来るなんて書いてなかったよね?」
「ふふっ、驚かせようと思って」
悪戯が成功した子供のような顔で笑う七緒に、思わず心が揺れ動く。
可愛い。久しぶりに見た実物の七緒はやはり可愛い。僕の恋人可愛すぎる。
まいったな。これじゃまた別れる時が苦しくなるぞ。……なんて考えていると、七緒は僕の手を取りながら、太陽にも負けないぐらいに輝く笑顔を浮かべた。
「――私、シマ高に異動になったから。これからはずっと、和希と一緒にいられるよっ」
多分その時、僕は夢でも見ているような感覚に陥っていたと思う。
涙を流さなかった自分を褒めてやりたいぐらいだ。
「お待たせっ。和希」
「……本当に、七緒には敵わないなぁ」
僕の恋人の行動力は僕の予想を遥かに上回っていた。
2ヶ月程の別れを経て、僕たちはまた肩を並べて歩き始める。
君と出会ったあの夏と同じように、青い空の下を。