ようやく出会えた初恋の君へ 作:君は永遠になった
神隠しの入り江。
普段は立ち入り禁止とされているその場所に、高校生だった頃の僕はよく忍び込んでいた。
砂浜に座りながらボーッとしているだけで心が安らいだ。この世界に自分だけ取り残されたような感覚がどうにも落ち着いたんだ。
12月の誕生日を過ぎて27歳となった今でも、この神隠しの入り江は僕にとって特別な場所だ。
七緒と出会い、別れた場所。
そして再び――七緒と出会えた場所。
特別にならない訳がない。
この入り江は僕の人生を何度も変えてきた。
今回訪れた理由もまた、ある意味で人生を変えるためだ。
冬の海風が冷たく頬を撫でる。
それでも、青空が広がる昼間ということもあって、体感温度はそこまで低くない。澄んだ空気が肺に流れ込むと、それだけで体が喜んでいるような気がした。
手を動かす。指を踊らせ、鍵盤を叩く。
何度も何度も繰り返してきた動作。
やはり、グランドピアノが砂浜に置いてある光景は異質としか言えない。それなのにどこか懐かしさを感じてしまうのだから不思議なものだ。
椅子に腰を落としながら、できる限りの想いを込めて音色を奏でる。
着慣れない高級スーツで動きは制限されているけど、最大限のパフォーマンスを心掛けた。
目の前で耳を傾けてくれている――七緒のために。
あの時は聞かせられなかった音色を、ようやく届けられる。
約束した一番難しい曲を、君のために弾ける。
そう考えたら、指がどんどん滑らかに動いた。
緊張はどこかへ飛んでいき、より良い音色を奏でるためだけに感覚が研ぎ澄まされていく。
弾いている曲は誰かが作った借り物じゃない。僕が自分で作った曲だ。趣味程度に続けていたピアノだったけど、続けていて本当に良かったと思う。
「――…………」
そこまで長く弾いたわけじゃないのに、手が震えていた。
やっぱり衰えを感じてしまう。全力を尽くした実感はあるから、満足はしているけど。
「七緒」
椅子から立ち上がり、七緒の側に近寄る。
手を取ると、温かさを感じた。僕の手よりもずっと温かい。
「どうだった? あの時の約束は……果たせたかな?」
「……うんっ。……本当に、綺麗な音だった」
七緒は目から大粒の涙を流していた。
何度見ても、彼女の涙は宝石のようだ。
笑って欲しいと願うくせに、泣き顔にも魅力を感じてしまうのだから困ったものだ。
「驚かせたよね。いきなり呼び出してピアノ演奏なんてさ」
「それは……驚いた。……どうして?」
涙を指で払いながら笑う七緒に、僕は片膝をつきながらポケットから取り出した小さな箱を差し出した。
フタを開けると、中には銀色の指輪が入っている。太陽の光を反射し、キラキラと輝いていた。
「――結婚しよう」
この一言を伝えるためだけに、色々と準備をした。
高津さんに協力してもらってピアノを入り江まで運んだり、サプライズを守りながら七緒を呼び出したり、指輪選びに頭を悩ませたり。それはもう大変な時間を過ごした。
そして、とても幸せな時間でもあった。
「君と一緒にいたい。これから先の人生を、一緒に歩いていきたい。……僕と……結婚してください」
多分、今の僕の顔は笑えるぐらい赤くなっていることだろう。
熱くて仕方ない。膝も震え出した。情けない。
それでも、目を逸らすことだけはしたくなかった。
七緒は口に手を当てながら目を閉じると、数秒間停止。
もう一度目を開けると、僕の手を両手で包み込んでくれた。
「……はいっ」
涙が頬を流れ、砂浜へと落ちる。
虹がかかりそうな程に美しい雫だった。
「……よ、良かったぁ。……めちゃくちゃ、緊張しました」
「……すんっ、ひんっ……私の台詞だよ。……もう、泣きすぎて辛い。和希のばかっ」
一世一代のプロポーズは成功に終わった。
自分でも柄じゃないことをしている自覚はあるけど、七緒に気持ちを伝えるためなら何のためらいもなかった。
気持ちを伝えられる距離にいる。
それがどれだけ幸せなことか、僕は身をもって知っているのだから。
「幸せに、なろうね」
「もちろん。世界で一番幸せになるし、七緒のことも世界で一番幸せにするよ」
あの日、君に言われた言葉を思い出す。
何もできない無力感だけが胸に突き刺さった、あの瞬間と共に。
「……和希。泣いてるの?」
こんな幸せで良いんだろうか。
七緒が隣にいる。一緒に生きていける。
そう思うと、涙が溢れてきた。
堪えられる気がしないぐらい、次々と。
「ふふっ、泣き虫になったね。和希」
「……お互い様でしょ」
「そうだね。本当に、涙もろくなっちゃった。――ねぇ、指輪。付けてくれない?」
左手を僕の方に差し出しながら、七緒は優しい笑みを浮かべた。
喜んでと言葉を返し、箱の中に入っていた指輪を取り出す。
七緒の手を取り、薬指に指輪を通していく。
大きさに問題はないようで、指の根本まで綺麗に入ってくれた。
「似合ってる。……綺麗だよ、七緒」
「……ありがとう。……嬉しいっ」
再会してから半年。
僕は七緒と結婚した。
「「――あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」」
暖房の効いた部屋でこたつに入りながら、新年の挨拶。
今日は元旦、1月1日。1985年の幕開けだ。
和希と一緒に新年を迎えられたという事実が、とても嬉しい。
左手を見れば、和希に貰った指輪が輝きを放っていた。
プロポーズされたのが2週間前ぐらいで、その時から仕事以外だとずっと付け続けている。何度見ても飽きないし、見るたびに頬が緩んでしまった。
「後でお婆ちゃんの家にも行かないとね。新年の挨拶」
「そうだね。……あっ、お年玉は期待しないでよ?」
「してないよ。僕たち大人なんだから」
「ふふっ、そうだね。大人だもんね。旦那様」
「そうですよ、奥様」
和希とは既に入籍済みで、もう私たちは立派な夫婦関係だ。
苗字は私の『小野川』を使用しているので、和希も月ヶ瀬和希から小野川和希に名前が変わった。
理由を聞いたら、自分は本来この時代に存在しないはずの人間だからってことらしい。月ヶ瀬という苗字はカッコいいと思っていたので、少しだけ残念に思ったのは秘密だ。
本土にいるお母さんとお父さんに挨拶したのもほんの1週間前の話。
手紙で近況報告はしていたから、和希のことはよく知ってもらえていた。それこそ、初めて会ったのにすぐに仲良くなってしまうぐらいには。
2人とも、快く結婚を認めてくれた。
みんなで食べに行ったご飯、楽しかったなぁ。
「どうしたの? なんか嬉しそうだね」
「お母さんたちに会いに行った時のことを思い出してたの。和希が緊張しすぎてて面白かったなぁって」
「そ、そりゃするよ。男の人生の中でもトップクラスに緊張するでしょ。親御さんとの顔合わせなんてさ。……2人とも優しかったから、凄く楽しかった」
お父さんもそうだけど、特にお母さんが和希のことを気に入ったようだった。
最後の方なんて家に泊まって行きなさいって結構な時間を引き止められたもんなぁ。
私とお父さんが説得して諦めてもらったけど、次行く時は間違いなく泊まりになるはずだ。娘としては嬉しいけど、少しだけ恥ずかしい。
「「いただきます」」
正月ということで、机にはおせちとお雑煮が並べられている。
おせちは昨日和希が高津さんから渡されたもので、言うまでもなく豪勢な中身となっていた。美味しい、箸が止まらない。
「んーっ、この餅、伸びるなぁ」
「あははっ、本当だ。和希、喉に詰まらせないようにね?」
ああ、幸せだ。
体だけじゃなくて、胸の奥まで温かい。
和希の隣にいるだけで、自然と笑顔になってしまう。
こんな時間が、いつまでも続けばいいなと思った。
この人の隣に――ずっといたいと思った。
「結婚したってこと、高校の方には休み明けに伝えるつもり。報告さえしちゃえば堂々と指輪付けられるから楽しみ」
「生徒たちから質問攻めにされるんじゃない? 七緒、大人気だもんね。特に女子生徒から」
「いやぁ、彼氏がいるってことはバレてたから、そこまでいかないんじゃないかな」
女子高生の恋愛に対する熱量は凄まじい。
和希と付き合っていることがバレた日は本当に疲れた。よくもまあ次から次へと質問が出てくるものだと感心させられたぐらいだ。
「やっぱり島ネットワークは恐ろしいね」
「……私としては、和希の方が心配だけど?」
「僕? なんで?」
「だって和希、人気あるみたいだから。役所の王子様だもんね」
「ははっ……お陰様でね。でも、流石にこの歳で王子はやめて欲しいなぁ」
最近だと和希目当てで若い人たちも役所に顔を出してるみたいだ。
別に何も心配はしていないけど、私としては面白くない。
和希は私のなんだから。
「……」
「ん? どうしたの? 急にくっついてきて」
「嬉しい?」
「嬉しいよ。当たり前でしょ」
「……っ! ……そう、ですか」
悔しい。照れてくれると思ったのに。
やっぱり和希は変わった。何と言うか、愛情表現がストレートなのだ。いつも私ばっかりドキドキさせられてる気がする。不公平だ。ずるい。
「ねぇ、七緒。新婚旅行はどこに行こうか」
「い、いきなりだね……んーっ、和希はどこに行きたい?」
「七緒と一緒なら、どこでも楽しいね」
私の旦那様が可愛すぎる。
えっ、この人が私の夫? 最高なんだけど。
「……私も、和希と一緒ならどこでも楽しい」
「ゆっくり決めようか。2人で一緒に、話して決めよう」
私の手を握りながら、和希が微笑む。
……好きだなぁ。何度でも笑って欲しい。
「これからもよろしくね。七緒」
「ふ、不束者ですが……よろしくお願いします」
思わず変な感じに返してしまった。
2人して笑い合う。
繋がれている手が貴方との距離の近さを表しているかのようで――少しだけ、手が熱くなった。
七緒が可愛すぎる……!
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