ようやく出会えた初恋の君へ 作:君は永遠になった
「好きな人? いねぇよ、そんなもん」
心底つまらなそうな態度で、少年は僕にそう言い切った。
日焼けした肌に鋭い目つき。生意気な、という文字が頭に付くであろう少年だ。
最近できた僕の友人であり、僕にとってはかけがえのない恩人になる人物でもあった。
今年12歳になる――
「大体、好きな人がいるかどうかなんて関係ねぇだろ。俺はただ、なんか面白いことねぇのって聞いただけだし」
「恋バナは面白いでしょ。椿くんが恋しちゃうような人がいるなら、ぜひとも見てみたいね」
20年前に建てた自慢の一軒家。
お気に入りの縁側に腰を落としながら、庭に咲いている向日葵を眺める。まだ6月の半ばだと言うのに早咲きだ。世話をしている七緒の腕が良いからかな、なんて笑ってみる。
冷たい麦茶を喉に流し込むと、体の中が一気に冷えた。
「そういえば、神隠しの入り江に忍び込んだんだって? お父さんから聞いたよ」
僕の言葉に、椿くんの顔が一気に不機嫌そうなものへ変わった。笑えるぐらい分かりやすく、単純だ。
大人になっても表情に出るタイプの人だったので、子供の頃からそうだったらしい。
「……説教はされた。……和さんも、怒る?」
「いや、怒らないよ。危ないことさえしなければね。子供時代の行動力は宝物なんだから」
「……変な大人」
自分の分のコップを取り、椿くんも麦茶を口に含んだ。
少し照れたな。可愛いやつめ。
マレビトとしてこの時代にやって来た僕がお世話になった高津さん。
つまり、椿くんのお爺さんが亡くなられてからもう10年。
高津家との付き合いは変わらずに続いており、僕の家は椿くんの退屈しのぎによく利用されるようになった。
2009年になったと言っても、采岐島が田舎であることは変わらない。
コンビニはないし、子供が興味を惹かれるであろう娯楽施設もない。
最も、椿くんを普通の子供と扱うには、少しばかり性格が気難しいところだけど。
「……なあ、和さん。またあれ、見せてくれよ」
「いいよ。はい、どうぞ」
小声でお礼を言いながら、椿くんは僕の手から木彫りの鳥を受け取った。
彼にこの
何かの琴線に触れたのだろう。もう片手では数えられないぐらい見ているにも関わらず、どこか楽しそうに眺めている。
「……和さん」
「ダメだよ」
「……まだ何も言ってねぇ」
「いくら椿くんの頼みでも、簡単にはあげられないね。僕の大切なお守りなんだから」
先手を打ってお断りを入れる。
珍しいおねだりだけど、こればかりはね。
「そうだ、じゃあこうしよう。椿くんがこれよりも良い物を作ってくれたら、交換するんだ。椿くん、手先が器用なんだからさ。もうすぐ小学生最後の夏休みに入るでしょ? これを機に何か新しいことを始めてみたらいい」
「……できるかな。俺に」
「できるよ。僕が保証する」
信じてもらえるのなら教えてあげたい。
君は将来、世界的に有名な彫刻家になるんだよって。
「……和さんが教えてくれよ」
「僕? 僕に彫刻は無理だよ」
「でも、ピアノ弾くから手先は器用だろ?」
「畑違いだと思うなぁ。教えるのは無理だけど、椿くんが作った物を見てあげることはできるよ? 友達として、遠慮なくダメ出ししてあげよう」
「……ふっ、なんだそれ」
なにせ、身近にいた彫刻家が凄い人だったからね。
返しもらった番の鳥を見つめながら、椿さんと別れた日のことを思い出した。あの人は元気でやっているだろうか。また固形物を食べずに倒れてやしないだろうか。
随分と遠くに行ってしまった恩人のことを考えて、少しだけ切なくなった。
「……和さん。俺、やってみる。だから……できたら見てくれよ」
「うん、楽しみにしてる。七緒と一緒に厳しく評価してあげるよ」
「先生には……見せない。なんか、うるさそうだから」
「あははっ、七緒は椿くんが可愛くて仕方ないんだよ」
不意にきた笑いでお腹が痛くなってしまった。
乱れた呼吸を整えるのにも時間がかかる。歳はとりたくないもんだ。
51歳って人生まだまだこれからだと思うんだけどなぁ。
「――ただいま〜っ。あれ、椿くんじゃない。また来てたの? 勉強はしてる? 分からないとこがあるなら見てあげようか?」
「げっ、先生……」
軽く咳き込んでしまったのを椿くんに心配されていると、七緒が帰って来た。
椿くんの存在を確認した瞬間からぐいぐいと距離を詰めていく。少し引かれてしまうのも分かる圧力だ。
「おかえり。七緒」
「ただいま。和希」
僕と同じ歳だというのに、七緒は昔と変わらず綺麗だ。
50代には見えない美貌と若々しさ。僕もこういう歳のとり方をしたかった。どこで間違えたのだろうか。
やり直せるなら……いや、やり直す必要なんてないか。七緒と一緒に生きて来た時間が幸せすぎて、やり直すなんてもったいない。
「和さん。俺、帰る。またなっ」
「あっ、椿くんっ。勉強は〜?」
「ちゃんとやるからっ! 先生も、じゃあなっ!」
ひょいっと縁側から飛び上がり、椿くんは出て行った。
よっぽど七緒から逃げたかったらしい。さてはまだ宿題が終わってないな?
「逃げられちゃったね」
「逃げ足が速いんだから。……でもまあ、元気が一番だからね」
七緒はそう言って笑うと、先程まで椿くんが座っていた場所――僕の隣に腰を落とした。
高校から帰って来たばかりなのでスーツ姿だ。暑いからか上着は脱いでいる。
「学校はどうだった?」
「部活の子たちが頑張ってたわよ。夏の暑さにも負けずにね」
「シマ校の生徒数も安定してきたよね。外部からの入学生が増えたお陰でさ」
七緒は僕が知る通り、シマ校の第16代校長に就任していた。
彼女の偉業を自分の目で見ると、本当に感動してしまう。微力ながらお手伝いした身としても、彼女は本当に島の救世主だった。
「今年の碧海祭も近付いてるし、まだまだ忙しくなりそう。和希の方はどう? 祭りに合わせて来る観光客への対応とかさ」
「今日も会議だったよ。この調子ならいい祭りにできると思う。みんな優秀だから、僕は午前で帰ったけどね」
「和希は今までが働きすぎだったんだよ。だからそれで良いの」
こてんっと、七緒が僕の肩に頭を預けてきた。
2人でこうやって過ごす時間が、僕は何よりも好きだ。
「……七緒ともう一度出会ってから、もう20年以上経ったんだね」
「どうしたの? 急に」
「いや、月日が流れたなぁと思ってさ」
「……そうね。和希と一緒にいられて、私は幸せよ」
七緒が手を重ねてきた。
昔のようなスベスベとした手ではなくなってしまったけど、誰よりも愛おしい手だ。刻んできたシワの一つ一つが、並んで年をとってきたことの証なのだから。
「七緒のお陰で采岐島も随分と持ち直した。僕が知っている未来よりも、ずっと良い方向に。流石は七緒だね」
「何言ってんの。和希だって手伝ってくれたでしょ? 和希がいたから……私はここまで頑張れたの。ありがとう」
風が吹き、風鈴が音を鳴らす。
夏だ。どこまでも夏だ。
「……七緒」
「ん? 何?」
「……僕はいま、幸せだよ」
「奇遇ね。私も」
笑い合いながら、僕と七緒は言葉を交わす。
今日の晩ご飯は何しようか。
明日は休みだから、久しぶりに一緒に出かけようか。
こっそり神隠しの入り江に忍び込むのも楽しそうだね。
そんな、いつも通りで、幸せな会話を。
この時代にやってきた日から、僕は全力で生きて来た。
七緒と過ごせる時間を1秒だって無駄にしないために。
でも、人間っていうのは本当に欲深いと思う。
これだけ全力で生きて来て、やりたいことも叶えて、もう何も悔いなんてないってところまできたのに……まだまだ、七緒と一緒にいたいと願ってしまう。
この奇跡のような時間が、永遠に続いて欲しいと思ってしまう。
「和希? 眠たくなった?」
「……そうだね。少し、眠いかな」
七緒が穏やかな笑みを浮かべながら、僕の手を引いた。
そうだね。昼寝でもしようかな。
え? 一緒の布団で眠りたい? 喜んで。
起きたら、2人で一緒に晩ご飯の準備をしよう。
同じ物を食べて、同じ明日を迎えよう。
「七緒。……大好きだよ」
もう何度伝えたか分からない。
飽きられてもおかしくないような言葉を聞いても、七緒は照れたように笑ってくれる。
嬉しそうに目を細めながら、僕にも同じ言葉を返すのだ。
……ああ、好きだなぁ。
愛しても、愛しても、足りる気がしない。
自分でもどうかと思うぐらい、僕は彼女のことが好きだ。
いつまでも、それだけは変わらない。
それから、1ヶ月後のことだった。
僕は倒れた。