ようやく出会えた初恋の君へ 作:君は永遠になった
――和希が倒れた。
電話でそう聞いた時、私はすぐにその意味を理解できなかった。
信じたくなかったと言った方が適切かもしれない。
仕事を切り上げて搬送先の病院まで走り、病室のベッドで横になっている和希を見るまで、どこか現実離れしたことのように考えてしまっていたのだ。
お医者様から症状の説明や入院のことなど色々な説明はあったけど、正直言ってあまり耳に入ってこなかった。
それでも、たった一言だけ、私の耳に残った言葉がある。
和希の命はもう、
7月半ばの今日から数えても、年を越すことは不可能だと言われた。
昨日まで普通に笑って話していた彼が――私の前からいなくなるのだ。
「……ごめんね、七緒。心配、かけちゃったね」
目を覚ました和希は、いつものように優しい顔で謝ってきた。
彼は何も悪くないのに。私が謝らせてしまった。
そのことに腹が立って、私は病室で子供のように泣いた。
和希はそんな私の頭を……やはり優しく撫でてくれた。
泊まりの許可が降りなかったので、その日は1人で家に帰った。
何年ぶりだろうか。1人で夜を過ごすのは。
徹夜で仕事をしていた時でさえ、隣には和希がいてくれた。
どんな時でも、彼は私を支えてくれていた。
それがどれだけ救いになっていたか、改めて思い知らされた気がした。
次の日、私は初めて仕事を休んだ。
と言うより、休まされたと表現した方が正しいかもしれない。当分休みを取ってくださいと、学校のみんなから言われてしまったのだ。
優しい人たちばかりで、少しだけ泣いた。
それからしばらく、和希の様子を見に病院へと通う毎日になったわけだけど、和希の顔色は日が経つごとに悪化。
話すのも辛いだろうに、私に対しては必ず笑顔を向けてくれる。
「和希。私のことはいいから、ゆっくり休んで?」
何度そう言っても、彼は寝ようとしなかった。
私が来ている間は無理をしてでも起きるのだ。
だから私が来ない方が和希にとっては良いのではないか。そんな考えも頭をよぎるようになったけど、和希に会わないなんて選択肢は浮かばなかった。
もし、会いに行かなかった日に和希が死んだら――。
そう思っただけで、体が震え上がった。
夏が進むごとに弱っていく和希を、私は見ていることしかできなかった。
入院している和希よりも、お見舞いに来ている私の方が死にそうな顔をしているのだからおかしな話だ。
流石にずっと仕事を休むわけにもいかないので、和希の側にいられる時間は少しずつ減っていった。
いや、無意識に私の方から会う時間を減らしていたんだろう。
和希はいつ亡くなってもおかしくない。
夜眠りについて、次の日の朝には冷たくなっている可能性だってあるのだ。
それが、怖かった。
「七緒。いつも来てくれてありがとう。君の顔が見られるだけで嬉しい。大好きだよ」
8月に入ると、和希が起きていられる時間が急激に短くなった。
一度眠ってしまえば、半日目覚めないことも珍しくない。
最近では起きているだけで苦しそうだったこともあり、私からすれば穏やかに眠ってくれている方が安心できた。
皮肉にも和希の眠る時間が増えたことで、私が病室にいる時間はまた元通りとなったのだった。
「…………」
まだ50歳を超えてすぐだ。あまりにも早い。
もっと彼といたい。敵わないと頭では分かっていても、そう願わずにはいられなかった。
でも、和希は穏やかだった。
余命を宣告され、もう長くないと理解しているにも関わらず、彼はどこまでも自然体だった。
自分が不幸に見舞われたなど、微塵も思っていないかのように。
「今日はね、職場のみんなが来てくれたんだ。夏祭りには参加できなかったけど、写真をたくさん見せてもらったよ。いい祭りになったみたいで安心した」
楽しそうに話してくれる和希に、私の方が救われていた。
無理に元気良く振る舞っているわけではない。彼とはもう長い付き合いだ。それぐらいは見抜ける。
だからこそ、私は彼の強さに力を貰ったのだ。
当の本人が幸せそうにしているのだから、一番近くにいる私が不幸な顔をしていてはいけない。
残された時間が少ないというなら、和希に見せる顔は笑顔がいい。大好きな人に見てもらうなら、絶対に。
「ありがとう……七緒。……大好きだよ。……いつまでも……ずっと……大好きだ……」
8月の終わり。
和希は……静かに息を引き取った。
最後の瞬間に一緒にいられたことだけは、間違いなく幸運だった。
私の手を力強く握り締めながら、感謝と愛情を伝えて――和希はいなくなってしまった。
多くの人たちが泣いた。
大人も、子供も、島中が涙を流していたと思う。
彼がどれほど多くの人たちに慕われていたのか、改めて思い知らされた。
お葬式には数え切れないほどの人数が集まり、彼の死を嘆いた。
私は……泣かなかった。
まだその時ではないと、和希の妻として恥ずかしくない振る舞いを心掛けた。
全てが終わった日の夜に、彼の布団の中で泣いた。
体中の水分が出し尽くしたのではないかと思うぐらいには泣いた。
和希との思い出を呼び起こすたびに、涙が次々と溢れ出てきたのだ。
彼の温もりが、優しさが、私を寂しさに誘った。
この家にはもう、私1人だ。
おはようも、おやすみも、言う必要がない。それがとてつもなく、寂しかった。
流石に仕事に行ける精神状態ではないと自覚があったので、お葬式の翌日は家で大人しくすることにした。
簡単な食事を済ませて、彼とよく並んで座った縁側で
見上げる空は憎らしくなるほどに青い。
声を掛けられたのは、そんな昼間のことだ。
「先生。これ、和さんから預かった」
突然現れた椿くんに、私はノートと封筒を手渡された。
封筒の方に見覚えはないけど、ノートはすぐに分かった。和希が私に隠れて書いていた物だ。
「自分が死んだら、先生に渡してくれって。……俺、頼まれたんだ」
和希から貰ったと言う
私はそんな彼を抱き締めて、涙ながらにお礼を伝える。和希のお願いを聞いてくれて、ありがとうと。
「――……また、来るから」
椿くんもまだ気持ちの整理がついていないのか、用が済んだらすぐに背を向けて走り出した。次に来てくれた時は、蒸しパンをご馳走しなきゃね。
「…………」
家に入り、椿くんが持って来てくれたノートと封筒を前にする。
まず私が手に取ったのはノートではなく封筒。
開封すると、中には手紙と思われる紙が入っていた。
『七緒へ。
こうして手紙を書くのは初めてなので、少しだけ緊張しています。残された時間が少ないと思うので、元気なうちに筆を取った次第です。
さて、僕はどのようにして死んだのでしょうか。恐らく、病死だと思います。七緒には辛い思いをさせているでしょう。本当にごめんなさい。
しかし、僕には何も後悔がありません。
それは何故か? 七緒にもう一度会えたからです。
君と再会して、同じ時代を生きて、幸せにしてもらえたからです。
僕は2010年を迎えることなく命を落とすと、何となく理解していました。
理由は簡単で、2010年は『月ヶ瀬和希』の生まれる年だからです。
一つの世界に同じ人間は2人も存在しない。
そう考えると、自分が死ぬまでどれぐらいの時間が残されているのか大体予測することができました。
僕は死ぬと聞かされても動じてはいなかったでしょう? これが理由です。
この手紙は椿くんから貰ったよね? ノートも貰ってるはずなので、その説明をしたいと思います。
あのノートは、僕がマレビトとして未来から持ってきた知識を書き記したノートです。内容は主に2027年以降……つまり、高校生だった僕が七緒と別れてからのことが書かれています。超高額の宝くじや、競馬の当選番号なんかも書かれているので、椿くんや信頼できる人たちに協力してもらって、ぜひ回収してください。これに関しては2010年ぐらいから記録してるので、七緒が生きている間にも使用できるはずです。きっと采岐島を盛り上げるための資金になってくれると思います。
七緒と別れてからというもの、僕はこんな妄想をずっとしていました。
……七緒にもう一度会えた時のために、という妄想を。
それがこのノートを生み出したわけです。気持ち悪いよね。自分でも少し引いたよ。
でも、せっかくなので有効活用してやってください。
貴女への愛情が暴走した結果です。棚からぼた餅、程度に思ってくれたら嬉しいです』
そこで一旦、私は手紙から目を離す。
ノートを開いてみると手紙に書かれていた通り、宝くじと競馬の当選番号がずらりと書き記されていた。よくもこんなに覚えていたものだと、愛する夫の執念に少しだけ頬が緩んだ。確かにこれは、気持ち悪いかもしれないと。
目頭を指で押さえ、涙を堪える。
息を整え、気持ちを落ち着かせた。
再び手紙を手に取り、彼が残してくれた文章へと意識を集中させる。
『さて、ノートの説明が終わったので……ここからはマレビトらしく、未来の話をしましょう。
七緒にお願いがあります。16歳、この采岐島にくるであろう月ヶ瀬和希に手紙を残して欲しいのです。
シマ校の卒業生たちが残すタイムカプセル。
ちょうど椿くん……いや、高津さんの代で埋めるタイムカプセルに、高校生の月ヶ瀬和希に手紙を残してあげて欲しい。
僕が死ぬ時期を察知していた理由を知った君なら、既に理解していると思う。
七緒。君は2026年までに必ず死ぬ。
高校生の君が、1974年からタイムスリップしてくるからだ。
多分、高校生の僕とも会うことができないはずだ。
だから僕のところに来る前に、手紙を残しておいて欲しい。そうすれば、その手紙は必ず僕のところへやってくる。
君を……秋鹿七緒を失ったばかりの僕のところに、必ず届くから。
そうなれば、僕はまた必ず神隠しの入り江に飛び込むはずだ。
そしてまた……七緒に出会える。
未来と過去は繋がり、僕たちの歩いてきた人生は永遠になるんだ。
言ってしまえば、僕のわがままだね。
七緒に再会できるなんて奇跡、僕1人だけで味わっていいものじゃない。これから頑張るであろう月ヶ瀬和希にも、同じ幸せをおすそわけしてあげたいんだ。
君と出会ったなら、僕は間違いなく君に恋をするだろうから。
七緒に出会えてよかった。
七緒を好きになってよかった。
七緒のことを忘れないでいてよかった。
僕は幸せ者だ。
誰がなんと言おうと……世界で一番幸せだ。
どこよりも遠い場所にいた君に、もう一度出会えた。
忘れない。
君と過ごした時間を。
忘れない。
君に貰った愛情を。
忘れない。
君と作り上げた思い出を。
大好きだ。
世界で一番、大好きだ。
君と出会えて、本当に良かった。
愛しています。
寂しいけれど、急いで会いに来なくていいからね?
僕はいつまでも、君のことを待っています。
だから残りの人生を精一杯生きて、僕への土産話を用意してください。
君と話せる瞬間を、首を長くして待つことにします。
もっと伝えたいことはあるけど、それは次に会った時のお楽しみということで。
七緒。
僕はいつでも、君のすぐ側にいるから。
ありがとう。またね。
ようやく出会えた初恋の君へ』
涙が、止まらなかった。
それと同じくらい、幸せだった。
和希は私の側にいる。
ずっと私を、見守ってくれている。
それが分かっただけで、嘘のように心が晴れた。
私のやるべきことは決まったので、手紙を大切に折り畳んでから家を飛び出す。
落ち込んでいる暇なんてない。和希に胸を張って再会するために、じっとしている時間はないのだ。
夏がもたらす最後の日差しの下を、私は走った。
あの人と過ごした日々を――心に宿しながら。
2人の男女が、話している。
空へと続く階段を上りながら、楽しそうに。
女性が話をするたびに、男性は穏やかに笑った。
懐かしさを楽しむような顔で、女性に愛おしそうな目向けながら。
2人の間を、ゆっくりとした時間が流れる。
それで良い。急ぐ必要などない。
「和希っ。それでね!」
「うん、聞かせて。七緒」
固く繋がれた手が離れることは――もう二度とないのだから。
これにて完結となります!!
1週間ほどの短い間でしたが、お付き合いしてくださった方々に感謝です!
少しでも多くの人たちに『どこよりも遠い場所にいる君へ』を見てもらいたい思いで書いた二次小説でしたが、完結させられて本当に良かったです!
完結記念によろしければ、『感想』と『評価』をよろしくお願いします!
原作の続編である『また君と出会う未来のために』と『まだいない君に星の舟を』もおすすめなので、ぜひ読んでみてください!
では、読了ありがとうございました!