水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
株式会社ガンダムから、正式な事業計画が届いた。
ブリオン寮のラウンジで端末を開いた私は、紅茶を片手に資料を読み進めていた。最初の製品候補は医療用義肢。既存の研究成果を使い、試作と評価を段階的に進め、医療機関を通じて必要とする方へ届ける。
開発の区切りも、資金の使い道も、先日よりはっきりしている。よく考えられた計画だった。
私は評価を書き込み、次のページへ進んだ。
見積もりの有効期間を確認。再試験が遅れた場合の費用が未計上。保守の担当者が開発要員と重複。
画面の余白が、少しずつ埋まっていく。
「ふふ」
「何、楽しそうにしてんのー?」
顔を上げると、セセリアが菓子の袋を片手に、こちらを見ていた。
「株式会社ガンダムから、事業計画が届いたんです」
「へえ。ミオリネ社長、ちゃんと作ったんだ」
「ええ。よくできていますよ」
「その割に、画面すごいことになってるけど。元の文章、どれ?」
「黒字の部分です」
「親切だねぇ。赤い方を避ければ読めるんだ」
彼女は私の肩へ身体を寄せ、端末を覗き込んだ。
「ご説明を伺えば、解消するものもあるでしょう」
「じゃあ、楽しみなんだ。ミオリネ社長が、どこまで答えてくれるか」
「ええ」
否定はしなかった。
前回は、何をする会社なのかを決めるところだった。今度は、彼女が何を選び、何を見込んで、この計画を作ったのかを伺える。
「ご説明をお願いしようと思っています。セセリアも、ご一緒していただけますか?」
「いいよ。勉強になりそうだし」
「ありがとうございます。それと、一つお願いが」
「……嫌な予感」
「まだ何も申し上げておりませんが」
「その前置き、実績あるからねぇ」
彼女が菓子の袋を膝へ置いたので、私も端末から手を離した。
「今度は、質問を重ねても、先日のようには止めないでいただきたいのです」
セセリアの目が、少しだけ細くなる。
「ミオリネ社長が、ちゃんと作ってきたから?」
「ええ。方針を考えている段階と、出資を求める計画として提出された段階では、伺うことも変わります」
「褒めに行くんじゃないんだ」
「努力は評価します。ただ、努力と、計画が成立していることは別ですから」
私は彼女と目を合わせた。
「一出資者として説明を受ける間は、私にお任せいただけますか。貴女の雇い主として、お願いいたします」
セセリアはしばらく私を見ていたが、やがて袋の口を折って閉じた。
「分かった。計画を確かめるための質問なら、止めないよ。ただし、あんたが意地になったら別だからね」
「ええ。そのときは、お願いいたします」
「ん。じゃ、その赤いの、先に送ってあげたら? 向こうも答えを探せるでしょ」
「そういたしましょう」
「よかったねぇ。秘書、ちょっと働いたよ」
私は笑い、確認事項を送付用の資料へまとめ始めた。
説明の約束をした日、地球寮の談話室には、私が送った確認事項まで表示されていた。
ミオリネさんは私を見るなり、自分の端末を持ち上げる。
「読んだわよ。先に確認するけど、今日は個人出資者としての話? それとも、コズミック・シードへの出資相談?」
「まずは個人出資者として伺い、そのうえで、我が社へ紹介できる内容か判断したいと思っています」
「分かった。資料を会社へ回すときは、先に開示する相手と範囲を確認して」
「承知しました」
返事をしても、彼女の表情は緩まなかった。
デリング総裁との取引で、特殊な立場を得た企業。その代表代理が、娘の会社へ顔を出しているのだ。警戒される理由には、心当たりがあった。
私はそれについて触れず、勧められた席へ着いた。セセリアも隣へ腰を下ろす。
「今日は途中で止めなくていいって頼まれてるんで。ごゆっくりどうぞー」
オジェロさんが、私たちを交互に見た。
「……それ、先に聞きたくなかったんだけど」
「親切でしょ。心の準備できて」
ミオリネさんは二人を一瞥しただけで、資料を開いた。
「始めるわよ」
説明は簡潔だった。
医療用義肢を最初の候補とし、初期の研究では接続と制御の検証へ対象を絞る。その結果を、次の開発と資金調達の判断材料にする。量産設備は、最初から取得しない。
ミオリネさんは確認済みのことと、まだ見込みにすぎないことを分けて説明した。ニカさんが技術面を補足し、リリッケさんが費用の内訳を表示する。
私は最後まで聞いてから、最初の注記を開いた。
「この市場規模についてですが――」
「義肢を必要とする人が、全員買えるとは思ってないわよ」
ミオリネさんが先にページを送った。
「全体の需要と、最初に接触できる販売先は分けてある。医療機関を通じて導入する想定よ」
「費用を負担する方の調査は、これからですね」
「そう。だから販売台数には幅を持たせてる。開発費の回収と、製造開始後の採算も分けた」
私は資料を見直し、注記を一つ消した。
「失礼しました。こちらですね」
「質問が来そうなところは、直したから」
「ええ。そのようですね」
隣でセセリアが、私の画面を覗く。
「消えるんだ、その赤いの。増やす機能しかないのかと思ってた」
「ご説明をいただけましたから」
「よかったですねぇ、ミオリネ社長。ちゃんと答えれば減るって」
ミオリネさんは少しだけ顎を上げた。
「で?」
私は口元を緩め、工程表を開いた。
「再試験の費用は計上されていますが、すぐに実施できる前提になっていますね。協力先の設備が空くまで待つ場合、その間の支出はどうなりますか?」
ミオリネさんは工程表と資金繰りを並べ、少し考えた。
「……試験の費用だけじゃなくて、待つ間の人件費と設備費も増える。予約枠と、試作の進捗を合わせて管理する必要があるわね」
「ええ。見積もりの有効期間も確認してください。発注する時点で、価格や納期が変わる可能性があります」
「分かった。そこは先方へ確認する」
「それから、次の資金調達を、成果が出てから始める予定になっていますが」
「成果が遅れれば、調達を始める時期まで遅れる。交渉している間の支出も必要ね」
彼女は資金計画へ印をつけた。
「手元資金の残高から逆算して、相談を始める時期を決め直すわ」
「お願いします」
隣では、リリッケさんが何度も画面を行き来している。
「……リリッケ、今、どこを直すことになったの?」
マルタンさんが小声で尋ねた。
「試験までの予定と、その間のお金と、次のお金を集める時期です」
「……それ、全部じゃない?」
セセリアが、カップの陰で笑った。
「資金について、もう一つ伺います」
私が顔を上げると、ミオリネさんも指を止めた。
「兵器としてなら、早い段階で出資や研究協力を得られるでしょう。それでも、なぜ遠回りの医療なのです? 出資者に説明できますか?」
「方針は、前に説明したでしょ」
「ええ。人を助けるためにGUNDを使いたい。そのお考えは伺いました。では、利益を求める相手には、どう説明しますか?」
「医療への投資を考える相手に、この計画を見せる。全員に出してもらう必要はないわ」
「その方々も、理念への賛同だけでは出資できません」
「だから、事業として成立させるために調べてるのよ」
私は資金計画を示した。
「投資した以上の見返りがあれば、医療でも兵器でも構わない方はいます。その相手に、時間がかかり、不明な点も多い道を選ぶ理由を説明する必要があります」
「完成品をすぐ売れるわけじゃないって言ったの、あんたでしょ。兵器なら明日から儲かるみたいな話はしないで」
「はい。ただし、製品の売上と、研究資金を得ることは別です。量産できなくても、共同研究へ出資する相手はいます」
「医療でも、それを探してるのよ」
「ただ、協力先も、必要な評価も、兵器開発と同じではありません。そこから準備する時間が必要になります」
「だったら、時間をかけるしかねえだろ!」
チュチュさんが机へ身を乗り出した。
「人を殺すものを作るために、会社始めたんじゃねえんだよ!」
「ええ。では、その時間を支える資金が集まらなかった場合は?」
「他を探せば――」
「どこを?」
私が尋ねると、彼女は言葉に詰まった。
オジェロさんが、険しい顔で口を開く。
「金が出るなら、何でもいいってことですか?」
「出資する側には、そう考える方もいるでしょう」
「自分の金で、人が死ぬかもしれないのに?」
「その兵器を必要とする顧客がいて、利益が見込めるなら、投資は成立します」
「……だから、それがおかしいって言ってんだよ」
私は頷いた。
「おかしいと思っていても、お金は動きます」
ニカさんが、机の上で手を握った。
「兵器を作るためのお金は集まるのに、人を助ける研究には集まらないんですか?」
「必要とされていることと、支払う方がいることは別です。義肢を必要とする方が一万人いても、費用を負担できる相手が見つからなければ、売上にはなりません。一方で、兵器を十機だけ欲しいという顧客に支払う力があれば、そちらの契約は成立します」
「困ってる人の方が多くても?」
アリヤさんの問いに、私は頷いた。
「ええ」
「それじゃ、ずっと同じじゃないですか」
リリッケさんの声にも、力が入った。
「お金がない人に必要なものは、いつまで経っても作れないんですか?」
「ですから、費用を負担する相手まで含めて調べる必要があります。医療機関なのか、支援する組織なのか。ご本人が購入できないのであれば、届けるための仕組みも事業に含まれます」
「でも、探している間も金は減る」
ヌーノさんが、画面を見たまま言った。
「そういう話ですよね」
「ええ」
彼は短く息を吐き、オジェロさんを見た。
「俺が言ってたの、それだよ。兵器が好きだから売ろうって話じゃない」
「分かってる。でも、それで地球がまた――」
「分かってるなら、金の方も考えろよ」
二人の声が重なりかけたところで、セセリアがカップを置いた。
「いい会社だねぇ。みんな、人を助けたいんだ」
チュチュさんが彼女を睨む。
「何だよ」
「そのために誰がいくら出すかは、これから。社員のお給料も研究費も、善意で待ってくれるといいですねぇ」
「待たせるなんて言ってねえ!」
「うん。だから、お金は必要なんでしょ?」
セセリアは涼しい顔で続けた。
「出す方だって、好きに捨てていいお金ばっかりじゃないしね。人助けのためなら損してもいいでしょ、って言われて、はいそうですかとはならないんじゃない?」
私は、彼女の置いたカップから皆さんへ視線を戻した。
「それに、皆さんは軍事利用を、人を助けることと対立するものとして捉えていらっしゃるようですが」
「違うって言うのかよ」
チュチュさんの問いに、私は静かに答えた。
「考えようによっては、医療に限定するより、多くの方を救えるかもしれませんよ」
ミオリネさんが眉をひそめた。
「……どういうこと?」
「戦争は発明の母、とも申します。軍事目的で開発された技術が、後に生活を変え、人を救うために使われることはあります」
「だから、戦争にもいいところがあるって?」
「研究を加速させるだけの資金と人材が集まる、というお話です」
私は開発工程を指した。
「GUND―ARMの共同研究によって、接続や制御、安全性の解析が進む。その成果を医療へ利用できれば、医療だけで研究していたのでは間に合わなかった方を、救えるかもしれません」
ニカさんが、画面へ目を向けた。
私は続けた。
「資金がないために十年かかる研究を、十分な設備と人材を集めて五年で進められるかもしれない。その五年間に技術を必要とする方々へ、早く届けられる可能性があります」
「そのために作った兵器で、誰かが腕や脚をなくすかもしれねえだろ!」
チュチュさんの声が響いた。
「はい。その危険もあります」
私は否定しなかった。
「救えるかもしれない方がいることと、傷つく方が出ること。その両方を考えなければならない選択です」
「都合のいい方だけ実現するとは限らないわよね」
ミオリネさんが口を挟んだ。
「軍事の研究が、そのまま医療に使える保証はない。人材も予算も、出資した相手が欲しがる性能へ向かう。成果を医療へ使う権利だって、契約次第でしょ」
「そのとおりです」
「だったら、早く人を助けられるかもしれないって、それだけじゃ出資の根拠にならない。医療だけでは遅いって言うのと、同じくらい検証が必要な話よ」
私は頷いた。
「ええ。ですから、比較する価値のある選択肢だと申し上げています」
「比較したうえで、断ることもできるのね?」
「もちろんです。ただし、軍事利用を退けることが、そのまま最も多くの方を救う選択になるとは限りません。それは、ご承知いただきたい」
ミオリネさんは、少しだけ唇を結んだ。
セセリアが、気怠げに口を開く。
「嫌な話だよねぇ。綺麗な方を選んだら、結果まで綺麗になるとは限らないんだって」
「……あんたたちは、兵器を作りたいだけだろ」
チュチュさんが低く言った。
私は彼女から目を逸らさずに答えた。
「我が社には、その事業があります。ですから、具体的なご提案もできます」
ミオリネさんの目が細くなった。
「父上はGUNDに大変興味を持っております。兵器としての共同研究なら、既存事業と直接つながります。条件次第では、私の権限で至急案件とし、事後審査を前提に出資を先行させることも検討できます」
「だったら、それが本題かよ!」
チュチュさんが立ち上がりかけた。
「結局、あーしらに兵器作らせに来たんじゃねえか!」
「チュチュ、座って」
ミオリネさんが言った。
「でも――」
「聞いてるから」
彼女は私から目を逸らさなかった。
「そのお金を受けたら、こっちは何をするの?」
「共同研究の条件を定め、その成果を出していただきます」
「医療だけを続けるわけにはいかない」
「兵器の研究へ出資するのであれば、そうなります」
「なら、同じ条件の資金じゃない。事業方針を変える取引でしょ」
「そのとおりです」
「だったら、早く出るってだけで比べるわけにはいかないわ」
ミオリネさんは地球寮の皆さんを見渡した。
「兵器をやるなら、残らない人もいる。研究の目的も、協力する相手も変わる。それで本当に早く医療の成果が出るかは、別の話よ」
「ええ。ただ、医療を続ける資金がなくなった場合も、人は離れます」
「だから、続けるための計画を作ってるのよ!」
彼女の声が、室内に響いた。
「簡単だなんて、一度も言ってない。あんたが出せるお金を受けるために、会社の方針を変える方が簡単だとも思わない」
「でしたら、その判断を守れるだけの資金を確保しなければなりません」
私は資金計画を表示した。
「資金とは、会社の体力そのものです。余裕があれば、条件の悪い提案を断れます。別の相手を探し、研究のやり直しを待つこともできる。しかし、明日の支払いにも困るようになれば、選べる条件は変わります」
ミオリネさんは、黙って私を見ていた。
「酷い言い方をすれば、私なら、さほど苦労せずに御社からガンダムを買収できますよ。このまま、必要な資金を確保できずに進めば、ですが」
椅子の脚が、床を擦った。
「……何ですって?」
「給与も設備費も払えなくなったところへ、支払いと研究員の受け入れを引き受ける。その代わりに、機体と技術を譲っていただく。断れば会社が止まる状況で、どこまで交渉できるでしょうか」
「そんなの、他の企業が黙って――」
「我が社は、アンタッチャブルですので」
ミオリネさんの言葉が途切れた。
「通常のグループ内の牽制で、取引を止められるとは限りません。御社が売却に応じる理由まで揃っていれば、なおさらです」
「あ、あの……」
スレッタさんが、引きつった声を出した。
「何で、ガンダムを欲しがるんですか?」
「父上が欲しがっていますので」
「そ、そんな理由で……?」
「そんな理由で買収されますよ? このままでは」
彼女の顔から、表情が消えた。
「買う側の動機が、皆さんの納得できるものである保証はありません。手に入れるだけの資金があり、売る側に断る余裕がなければ、交渉は進みます」
「ふざけんな!」
チュチュさんが立ち上がった。
「人の会社を、何だと思ってんだ!」
「ですから、そうならないための計画を――」
「脅しておいて、助言のつもり?」
ミオリネさんが、私の言葉を遮った。
「こっちが何を選ぶか聞きに来たんじゃないの? 金が尽きたら買えるって、あんたが言ったら、ただの仮定じゃ済まないでしょ」
「御社の弱点として、具体的にお伝えしています」
「聞いてるわよ。何度もね!」
「では、開発費が予定を超えた場合、どこで支出を止めますか。資金調達が遅れた場合は? 何を残し、何を――」
「あーもう、わっかんないかなぁ?」
セセリアの声が、私の言葉に重なった。
彼女は頬杖をついたまま、地球寮の皆さんを見ていた。
「アンタたち、こんなに弱いんだって、わざわざ教えてやってるってのに」
「……あんたまで」
「本当に欲しいだけなら、黙って待ってればいいじゃん。お金なくなって、誰かに助けてほしくなるまで。どこを直せば断れるようになるかなんて、教えなくてもいいんだから」
誰も、すぐには答えなかった。
セセリアは、そこで私へ顔を向けた。
「アンタも、熱入りすぎ」
「必要な確認です」
「だったら、答え待ちなよ。一個答えようとしたら次の質問。ミオリネ社長が考える前に、先に潰してるじゃん」
私は口を閉じた。
机の向こうで、スレッタさんが膝の上の手を握っている。ミオリネさんは私を睨み、チュチュさんは立ったままだった。
セセリアが、小さく息を吐く。
「この子はねぇ。本当に頑張ってきたんだよ。このグループの中で」
私は彼女を見た。
「何回説明しても断られて、資料直して、また別の相手に話して。帰ってきても、まだ仕事してた。あたしが見てた分だけでもね」
「……苦労したから、何を言ってもいいって?」
ミオリネさんが尋ねた。
「まさか。今、熱入りすぎって言ったじゃん」
セセリアはあっさり返した。
「だから、ちゃんと話せば? ミオリネ社長も、アイリスも。答えを聞く気があるなら、少し待ちなよ」
私は一度、息を吐いた。
「……失礼しました。買収のお話は、脅しと受け取られても仕方のない伝え方でした」
ミオリネさんは答えなかった。
「危険があるという判断は変わりません。ただ、ご回答を待たずに質問を重ねたことは、お詫びします」
彼女はしばらく私を見つめ、それから隣へ顔を向けた。
「チュチュ、座って。まだ終わってない」
「……分かってるよ」
椅子が戻されるまで待ってから、ミオリネさんは資金計画を開いた。
「最初から、販売までのお金を全部使うつもりはないわ」
彼女は試作段階の到達目標を指した。
「ここで成果を確かめて、次へ進む価値があるか判断してもらう。届かなければ、検証の範囲を絞る。それでも足りなければ、開発を止める」
「停止に必要な支出も、残すということですね」
「ええ。人に支払いをして、設備と資料を整理する。お金が完全になくなったら、止めることもできない」
彼女は顔を上げた。
「今、必要だと思ったの。最初から分かってたふりはしないわ」
「承知しました」
「軍事の研究で、医療も早く進むかもしれない。それは否定しない。でも、そのために何を引き受けるかは、私たちが決める」
ミオリネさんは周囲へ目を向けた。
「この方針だから、一緒にやる人がいる。協力先にも、そう説明する。それを資金が足りないからって変えれば、失う信用もある」
「……あーしは、医療ならやるって言った」
チュチュさんが低い声で続けた。
「地球の連中に、あの技術を使ってもらいたいからだ」
ニカさんも頷いた。
「私もです。軍事の研究で得られるものがあっても、その仕事を続けられるかは、別だと思います」
「金は欲しいけどさ。そのために、何でもやれるわけじゃないんだよ」
オジェロさんが言うと、ヌーノさんが端末を置いた。
「だったら、続ける方もちゃんと考えようぜ。金がなくなったら、何も作れないんだから」
ミオリネさんは皆さんの言葉を聞いてから、私へ向き直った。
「医療機関や使う人と長く関わって、調整も修理も続ける。一回売って終わりじゃない事業にする。そのために、何を自分たちで持って、誰に協力してもらうかを決める」
私は、今度は最後まで待った。
「人助けだから利益が出なくても認めろ、なんて言ってない。利益を出す方法を、医療の中で作るって言ってるの。その途中で何を確かめるか、投資家にも判断してもらえるようにする」
「ええ。その説明であれば、相手も参加すべき案件か判断できます」
「だったら、計画の足りないところを直す。兵器に変えるんじゃなくてね」
「承知しました」
スレッタさんが、ためらいながら手を上げた。
「計画を直せたら、アイリスさんの評価も変わるんですか?」
「もちろんです」
彼女は小さく息を吐き、ミオリネさんを見た。
「私も、調べます。必要なこと、ちゃんと」
セセリアが、カップを手に取った。
「よかったですねぇ、ミオリネ社長。次は、いつまでに何をするかも揃うといいね。気持ちが一緒でも、請求書は待ってくれないんで」
「分かってる。だから、書き直す」
その後は、具体的な業務の確認へ移った。
研究員が製造や導入支援、保守まで兼ねる計画には、人手の重複があった。自社で行う場合と、外部へ委託する場合の費用を比べ、技術をどこまで渡せるか、取得する権利も確認する必要がある。
ミオリネさんは私の指摘を聞きながら、組織図と資金計画を行き来した。
「全部自社が駄目なんじゃなくて、全部自社でできる根拠がないってことね」
「はい。委託すれば必ず得になるわけでもありません。比較したうえで、何を自社に残すか決めてください」
「分かった」
私は組織図の中央を指した。
「もう一つ。担当者は分かれていますが、決裁権限がミオリネさんへ集中しています」
「重要な判断は、私が見るわよ」
「ええ。ただ、この規定では、日々の業務まで貴女の返事を待つことになります。欠品した部品を、同じ価格の代替品へ変える場合も、承認が必要ですね」
「予算が変わらなくても、性能に影響するかもしれないでしょ」
「そこは技術の責任者に確認していただくべきでしょう。その判断を受けて、貴女は何を確認するのですか?」
ミオリネさんは規定を読み直し、小さく息を吐いた。
「……私が見るべき変更と、担当者に任せる変更を分けろってことね」
「はい。すべてを確認しようとして、判断を待つ仕事が積み上がっては困りますから」
「はーい、アイリスせんせー」
隣から、気の抜けた声がした。
セセリアが頬杖をついたまま、片手を上げている。
「コズミック・シードは、代表代理に権限が集中しすぎでは?」
ミオリネさんの視線が、すぐに私へ戻ってきた。
「……そうなの?」
「日常の業務は各部門へ任せておりますよ。ただ、私が直接判断している案件も、少々多いですね」
「少々ねぇ。あんたの承認待ち、端末にずらっと並んでるけど」
「まあ、私は処理できますし、最悪、父上もいますから」
答えた途端、ミオリネさんの眉が上がった。
「何よ。私にはできないっていうの?」
「んー……お勧めはしませんよ。自分の時間が減りますし」
「能力の話をしてるんだけど」
「処理できることと、ご自分で処理すべきことは別です。私が抱えている仕事にも、任せ方を見直せるものはあるでしょうね」
「忙しいとき、本当に忙しいもんねー。仕事が恋人って感じ」
セセリアが、わざとらしく溜息をついた。
「食事中まで端末見てるし。呼んでも返事だけで、目はこっち向かないし」
「あら?」
私は彼女へ向き直った。
「セセリア。寂しいのですか?」
「今の話、そこ拾うんだ」
「仕方ありませんねぇ。セセリアとの時間を確保するためにも、組織改革を進めましょう」
「そんなんで仕事増やされる部下の身にもなってねー」
「仕事だけ押しつけるつもりはありませんよ。必要な権限と人員も含めて、見直します」
「じゃ、あたしの名前出さないでよ。部下の皆さんに恨まれそうだから」
「貴女との時間を大切にしたいという、私の都合ですので」
「……あんたねぇ」
セセリアは呆れた顔をしたが、私から目を逸らした。
向かいで、ミオリネさんが端末を指先で叩く。
「自分にも必要な改革を、こっちに勧めてるわけね」
「ええ。実際に時間がなくなると存じておりますので」
「説得力はあるわね。褒めてないけど」
私は苦笑し、組織図へ視線を戻した。
「貴女が不在の場合の代理も必要です。判断を一人へ集めるほど、その方が動けないときに止まる仕事が増えますから」
「仕事ごとに分けるわ。私の代わりを一人置けば済む話じゃないものね」
「はい。事前承認が必要なものと、担当者が判断して報告するものを整理してください」
「……任せた結果の責任も、私に残るのよね」
「代表者としての責任は残ります。ですから、任せる範囲と、報告を求める条件を決めるのです」
ミオリネさんは少し考え、組織図へ書き込んだ。
その手元を眺めながら、セセリアが口元を緩める。
「よかったですねぇ、ミオリネ社長。忙しくなってからじゃ、隣の人に怒られるまで気づかないらしいんで」
「覚えておくわ」
今度は、私が口を挟む番ではなかった。
確認が終わる頃には、皆さんの端末に随分と書き込みが増えていた。
「本日、こちらから伺いたいことは以上です」
マルタンさんが椅子の背へ身体を預けた。スレッタさんも、握っていた手を緩める。
ミオリネさんだけは、資料を閉じなかった。
「計算し直せばいいところと、相手に聞かないと分からないところがあるわね」
「はい。確認に時間がかかるものは、回答の時期を分けていただいて構いません」
「全部揃うまで、出さない方がいい?」
「何が未確認で、いつ確認できるかが分かれば、その前提で評価できます」
「分かった。次は、これより減らして返してもらうから」
彼女が赤字の並んだ画面をこちらへ向けた。
私は頷いた。
「期待しております」
地球寮を出てから、私は隣のセセリアへ声をかけた。
「止めていただいて、ありがとうございました」
「止めるなって言った人が、それ言うんだ」
「意地になったら別、でしたね」
「覚えてたんだ。じゃあ、自分で気づいてくれると助かるんだけど」
私は苦笑した。
セセリアは、しばらく私の顔を見てから、腕へ手を添えた。
「ミオリネ社長も、結構返してきたじゃん」
「優秀な方ですから。研究資金の条件も、すぐに確認されましたね」
「だからって、あんたも張り合わなくていいのに」
「……そのように見えましたか?」
「見えたよ。分かってほしいのか、言い負かしたいのか、途中で怪しくなってた」
私は少しだけ視線を落とした。分かっていただきたかった。
会社の口座に残った数字を眺めながら、明日入るかもしれないお金まで当てにしたくなる夜を、彼女たちに迎えてほしくはなかった。
「次は、気をつけます」
「うん。あたしも、また止めるの面倒だし」
そう言いながらも、セセリアは腕を離さなかった。
後日届いた改訂案には、確認事項への回答一覧が添えられていた。
費用、工程、体制へ分け直され、変更が他の項目へどう影響するかまで示されている。未確認の箇所には担当者と確認時期が記され、決裁権限も整理されていた。
資金計画には、開発を縮小する判断と、停止する際の支出が加わっている。
私はそのページをしばらく読み、評価を書き込んだ。
「……赤いの、減った?」
隣からセセリアが覗き込む。
「ええ。私個人からの確認は、一区切りにできそうです」
「じゃ、次は?」
「先方の承諾をいただいてから、我が社の担当部門へ紹介したいと思います」
「出資?」
「審査の相談です。医療事業としての評価は、私だけではできませんから」
紹介に関する説明のため、再び地球寮を訪れると、ミオリネさんは私の話を聞き終えてから頷いた。
「審査へ進める価値はある。でも、出資の判断はこれから。そういうことね」
「はい」
「開示先と資料の範囲を、先に一覧で送って。必要なら、担当者へ直接説明する」
「承知しました」
スレッタさんが、私たちを交互に見る。
「あの……喜んでも、いいんですか?」
「一つ進んだのは確かよ。まだ、お金は入ってないけどね」
ミオリネさんが答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「紹介した後も、あんたが審査するの?」
「必要に応じて意見は述べます。ただ、専門分野の評価を、私の判断で置き換えるつもりはありません」
「代表代理の持ち込み案件じゃ、断りにくいんじゃない?」
「私の顔色を見て、不適切な投資を勧める担当者では困ります」
セセリアが、面白そうに眉を上げた。
「生意気な部下、好きだねぇ」
「必要な反対意見を述べてくださる方は、貴重ですから」
「じゃ、あたしの待遇もよくなる?」
「ご不満が?」
「この前、結構働いたじゃん。雇い主が熱くなったら止めるって、ちゃんと」
「……あんたたちの話、後にして」
ミオリネさんに促され、私は姿勢を戻した。
「失礼しました。私が紹介したからではなく、御社へ出資する価値があると判断していただく必要があります」
「分かってる。その入口を借りるわ」
私は頷いた。
「ただ、既に御社が示したものもありますよ。質問へ回答し、未確認のことを調べ、計画の不足を修正した。その仕事も、信用になります」
ニカさんが、静かに頷く。
「……もう、始まっているんですね」
「ええ。今回の改訂も、その一つです」
ミオリネさんは少し黙り、それから端末を持ち直した。
「次に必要なものを送って。審査、受けるから」
「承知しました」
「あの……一つ、聞いてもいいですか?」
帰り支度をしていると、スレッタさんが手を上げた。
「コズミック・シードは、どうだったんですか? アイリスさんが、会社を立て直したって聞いたので……」
私は少し考え、微笑んだ。
「我が社は特例ですから、参考になりませんよ」
「ええっ。どうしてですか?」
「デリング総裁との直接取引だもんねぇ」
セセリアが横から言った。
ミオリネさんの目が、私へ向く。
「その取引をする前は? 最初から、クソ親父に話を持っていったわけじゃないんでしょ」
「ええ。ほかの方法を探しました」
私は持ち上げかけた鞄を、椅子へ戻した。
「我が社は、ジェターク社に吸収される寸前までいきました」
室内が静かになった。
「私も抗いました。技術を評価してくださる企業を探し、出資や提携をお願いしました。話が進んだ相手もいたのですが、皆、撤退していきました。ジェターク社の圧力には勝てなかったのです」
「……助けるより、手を引いた方が損をしないから?」
ヌーノさんが尋ねた。
「ええ。少なくとも、そう判断されたのでしょう」
私は机の端へ指を添えた。
「断られるたびに、別の相手を探しました。ですが、その間も給与と設備費は必要です。技術の価値を理解していただけても、支払いに使えるお金が入るとは限りませんでした」
マルタンさんが、俯いた。
「結局は、資金力でした。こちらがどれほど抗っても、待てる時間が違ったのです」
「だから、クソ親父と取引したのね」
ミオリネさんの問いに頷く。
「はい。まず、デリング総裁とのアポイントが取れること。こちらは、ミオリネさんなら難しくないでしょう」
「会うまでの手間は、省けるでしょうね」
「そして、デリング総裁と交渉できる武器があること。その二つが必要でした」
「取引の材料、ということですか?」
スレッタさんに頷くと、ミオリネさんが後を引き取った。
「クソ親父が必要としていて、他では簡単に手に入らないもの。それを、あんたは持っていた」
「ええ」
「何を差し出したかは、話さないのね」
「申し上げられません。ただ、大きな代償を払いました」
ミオリネさんは、私をじっと見ていた。
その視線を受け止めながら、私は続けた。
「会社を守れたことは、後悔していません。それでも、ほかに方法があったならと、考えることはあります」
セセリアが、何も言わずにこちらを見ていた。
「この前、買収できると申し上げたのは、私がそうされかけたからです。断りたい条件でも、断れば会社が止まる。そこまで追い込まれてからでは、選べるものは多くありません」
チュチュさんは、机の資料へ視線を落とした。
「皆さんには、こうなってほしくはありません」
私はミオリネさんへ向き直った。
「医療を選ぶのであれば、その方針を守れるだけの余力を残してください。困ってから差し出されるお金には、今なら断れる条件がついているかもしれませんから」
彼女は、しばらく黙っていた。
やがて、開いたままだった資料を閉じる。
「……あんたの言うことを、全部受け入れるつもりはないわ」
「ええ」
「クソ親父との取引を、真似するつもりもない」
「その方がよいと思います」
「その取引で、会社の問題を全部片づけたわけでもないんでしょ」
「はい。介入を避けられるようになっても、売り物と顧客は必要でした」
「クソ親父が給料を払ってくれるわけじゃないものね」
「ええ。会社を守るための取引と、利益を上げる仕事は別でした」
ミオリネさんは、机に並んだ自分たちの資料を見た。
「だったら、私たちはこっちを進める。自分たちで選んだ方針のまま、資金を集められるようにするわ」
私は頷いた。
「必要な資料を、ご連絡します」
地球寮を出ると、セセリアが私の隣へ並んだ。
「ずいぶん話したねぇ」
「少し、話しすぎたかもしれません」
自然に、歩調が揃った。
「審査、通ると思う?」
「まだ分かりません」
「気に入ってるのに?」
「気に入っていることと、会社として出資すべきかは別です」
個人のお金ならば、私が負う危険として選べる。けれど、会社の資金には、私以外の人々の仕事と暮らしが関わっている。
セセリアは、しばらく私を見ていた。
「じゃあ、次はあんたも聞かれるんだ。何で、この会社を紹介したんですかーって」
「ええ。その説明は必要ですね」
「ミオリネ社長に教えてあげようかな。代表代理様も、帰ったら宿題だって」
「そのお話は、明日にしていただけますか」
私が笑って答えると、セセリアは口元を緩めた。
「仕事、終わり?」
「ええ。貴女とのお約束がありますから」
「じゃ、今日は何食べる?」
私は端末を取り出しかけ、先に彼女を見た。
「セセリアは、何を召し上がりたいですか?」
「質問、一個だけ?」
「今のところは」
「よかった。食事の計画書まで赤くされたら、困るし」
私たちは顔を見合わせて笑った。
審査に必要な説明は、明日から用意すればよい。
今夜は、隣の秘書との約束を守ることにした。