水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
モチベ保てます。
四年前、コズミック・シードは、会社を続けるための時間を失いかけていた。
「承知しました。では、契約終了までの作業範囲と、成果物の引き渡しについて確認させてください」
端末の向こうで、取引先の担当者が頭を下げた。
契約上の手続きに不備はなかった。完成済みの成果物は買い取っていただけるし、未払い分も精算される。
ただし、その先はない。
次期の共同研究も、追加発注も、すべて白紙に戻った。
私は必要事項を確認し、最後まで穏やかに挨拶をして通信を切った。それから資金繰りの表を開き、来月以降の入金予定を削除する。
給与も、設備の維持費も、発注済みの部品代も、そのまま残っていた。
「……こちらも、駄目でしたねぇ」
背後から父上の声がした。
「ええ。共同研究は、今期で終了です」
「理由は?」
「研究計画の見直しだそうです」
父上は何か言いかけ、やめた。
同じような返事を、ここ数週間で何度も聞いていた。
設備を貸してくださるはずだった企業からは、急に空きがなくなったと連絡が来た。融資の相談は、追加資料を提出した後で断られた。共同開発に前向きだった企業も、社内の承認が得られなかったという。
皆さん、申し訳なさそうな顔をした。
そして、最後には協力を断った。
「先方も、うちの技術を面白がっていたんですけどねぇ」
「技術を評価することと、ジェターク社との関係を悪くしてまで協力することは、別なのでしょう」
父上は小さく息を吐いた。
ジェターク社は、我が社の研究部門を欲しがっていた。
技術資産を引き継ぎ、研究員を受け入れ、必要な設備も維持する。グループ全体の効率を考えれば、その方が合理的だという説明だった。
実際、提示された条件には、従業員を守るために受け入れるべきだと思える部分もあった。給与を支払えないまま会社を潰すよりは、よほどよい。
ただし、その後に何を研究するかは、ジェターク社が決める。
父上たちが続けてきた研究も、利益が見込めなければ打ち切られるだろう。不要と判断された技術は、使われないまま保管されるかもしれない。
私はそれを理解したうえで、別の方法を探していた。
資金繰りの表へ目を戻す。
入るかもしれないお金を、いつまでも予定に残しておくわけにはいかなかった。
翌日の会議では、新しい研究の話は出なかった。
何を延期するか。どの発注を止められるか。今ある設備で、どこまで続けられるか。
私は費用の一覧を示し、優先順位を説明した。
「測定装置の更新は延期します。試験も、現在の契約に必要なものを先に進めてください」
「こちらの検証も、止めますか?」
研究員の一人が尋ねた。父上と長く研究を続けてきた方だった。
「止めるとは、まだ決めておりません。ただ、外部設備を使う予定だった部分は、見直しが必要です」
「社内で代替するにも、精度が足りません」
「そこは、僕の方で確認しましょう」
父上が資料を引き寄せた。
「測定方法を変えて、先に確かめられる部分があるかもだし。全部を予定どおりに進めようとするのは、いったんやめよっか」
皆さんが頷く。
誰も、私を責めなかった。
それが、少しだけ苦しかった。
私がもっと早く契約をまとめていれば。別の資金調達先を見つけていれば。ジェターク社が動く前に、会社の体力をつけられていれば。
考えても仕方がないと分かっていても、やめられなかった。
会議を終えた後も、私は席に残った。画面には、まだ返事をいただいていない企業の名前が並んでいる。
そのうちの一社から、連絡が入った。
期待しかけた自分を抑え、通信を開く。
先方は丁寧な言葉で、協力を見送ると告げた。
「アイリス。その画面は、いったん閉じてください」
その夜、父上は私の向かいへ座った。
「もう少しで、整理が終わりますので」
「その前に、少し話をしましょう」
いつもより、はっきりした声だった。
私は端末から手を離した。父上は、しばらく私の顔を見ていた。
「君が経営に入ってから、一年ですね」
「はい」
「その間に、会社の経営は、ようやく形になってきました。研究にいくら使えるのか、いつまでに何を売らなければいけないのか。僕らは、そういうことを随分と曖昧にしてきましたから」
「皆さんが、資料を揃えてくださったおかげです」
「その資料を集めて、仕事に使えるものにしたのは君でしょう」
父上は笑わなかった。
「本来は、僕や、ほかの経営陣が引き受けるべき仕事でした。それを君に任せて、助けられてきた。情けない話です」
「そのようなことは――」
「ですがアイリス、君はまだ十二歳です」
私は口を閉じた。
「君が僕や、彼らの仕事にまで責任を持つ必要はありません。会社を残せなかったとしても、それは君の失敗ではないんです」
諦めを勧めているのではない。
私を、責任の外へ出そうとしてくださっているのだと分かった。
「ジェターク社の条件は、僕らで改めて検討します。受け入れなければならない部分もあるでしょう。ですが、その判断まで君が背負わなくていい」
「私は……」
声が、うまく出なかった。
父上は急かさずに待ってくださった。私は膝の上で手を握った。
「私は、守りたいのです」
「アイリス……」
「父上は、私のやりたいことを、やらせてくださいました」
研究をしてみたいと言ったときも、会社の仕事に関わりたいと言ったときも、父上は、まず話を聞いてくださった。
できるのだからやれ、とは言わなかった。できないのなら価値がない、とも言わなかった。
「やりたくないことは、やらなくていいと、おっしゃってくださいました」
嫌だと伝えれば、それだけでやめてくださった。
理由を求められることも、失望した顔をされることもなかった。
「私が、その言葉にどれだけ救われたか、父上はご存じないでしょう」
父上の表情が、わずかに変わった。
「ですから、守りたいのです。父上や皆さんが、ご自分で研究を選ぶことを。やりたくない仕事を、断れることを」
「……そのために、君が嫌なことを全部引き受けるのでは、同じでしょう」
「同じではありません」
私は顔を上げた。
「私が、選んでいます」
父上は何も言わなかった。
私の生まれ持った能力なら、まだできることがある。
分不相応な身体能力も、情報を処理する速さも、相手の意図を読み取る力も。そして、別の世界で得た記憶も。
何のために作られたものだったとしても、今は私が使う。
この人たちの居場所を守るためなら、全部使えばよい。
「もう一つ、試したい方法があります」
「……どちらへ?」
「デリング総裁です」
父上の指が、机の上で止まった。
「総裁へ、直接交渉したいと思っています」
「技術の説明なら、僕もできます。ただ、あの方が、うちの研究を気に入ったから助けてくださるとは――」
「技術だけのお話ではありません。取引に使えるかもしれないものがあります」
「何ですか?」
「申し訳ありません。それは、お伝えできません」
父上は、すぐには返事をしなかった。
私は続けた。
「父上。これは賭けになります。取引の結果、最悪の場合、コズミック・シードは、吸収でも合併でもなく、潰される可能性があります」
父上の顔から、血の気が引いた。
「……そこまでの話ですか」
「はい。私が何を提示し、何を約束したかも、父上や皆さんへお伝えできないかもしれません。それでも、この会社を守れる可能性があります」
材料は明かさない。条件も知らせられない。失敗すれば、今ある退路まで失う。
それを信じてほしいという、勝手な提案だった。
「ご判断は、父上にお任せします。私だけで、会社の皆さんを賭けるわけにはまいりませんので」
父上は眼鏡を外し、しばらく目元を押さえていた。
やがて眼鏡を戻すと、私をまっすぐに見る。
「……うん。君に任せます」
「よろしいのですか」
「怖いですよ。何をしようとしているか、分からないんですからね」
いつもの軽い調子は、戻っていなかった。
「ですが、君が何も考えずに言っているわけではないことは分かります。それに、僕らも、ほかの方法を見つけられなかった」
父上は背筋を伸ばした。
「今日から、君を代表代理にします。経営陣には、僕から話します。皆も納得すると思いますよ」
私は思わず、父上を見つめた。
「ただし、責任は僕らに背負わせてください」
「ですが――」
「君に任せると決めた僕らにも、責任があります。失敗したときだけ、十二歳の子供が勝手にやったことにするつもりはありません」
父上は、少しだけ笑った。
「僕は、君の親ですから。だから、代表代理。それで構いませんか?」
私は一度、目を伏せた。
返事をするまでに、少しだけ時間が必要だった。
「……はい。承知しました」
デリング総裁は、私たちが挨拶をしても、すぐには顔を上げなかった。
手元の資料を読み終え、端末を置いてから、ようやくこちらを見る。
「座れ」
隣で父上が、小さく息を吸った。
私は一礼し、指定された席へ腰を下ろした。
「コズミック・シード代表代理、アイリス・シードです。本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」
「十二歳の娘を、代表代理にしたのか」
総裁の視線が、父上へ向いた。
「はい。経営に関する実務は、既に多くを担ってもらっています。今回の交渉についても、会社として――」
「責任を持つ、ということだな」
「……はい」
「ならば、始めろ」
私は端末を開いた。
非パーメット技術を用いた制御系、高性能演算装置、独自の機体開発計画。技術上の利点だけではなく、必要な投資と販売先、収益の見通しも示した。
総裁は、資料の途中を指した。
「生産能力が足りん」
「外部設備の利用と、一部工程の委託を想定しています」
「契約は」
「現在、交渉中です」
「断られているのだろう」
父上の肩が、わずかに動いた。
「複数の企業から、協力を見送るという回答をいただいております」
「ならば、この計画は成立していない」
「条件の見直しを進めています。技術的には、既存の設備でも――」
父上が説明しかけると、総裁は視線だけで遮った。
「設備を動かす者が、お前たちのために枠を空けるのかと聞いている」
父上が口を閉じた。
膝の上で組んだ手に、力が入っている。私は資料を送り、確定している契約と、協議中のものを分けて示した。
総裁は最後まで確認し、端末を置いた。
「技術力は認めよう。だが、コズミック・シードは弱い」
「承知しております」
「資本、生産能力、販路。その不足を埋める相手から、条件を示されている。受け入れない理由は何だ」
「研究方針と、技術資産の運用について、自社で判断できる範囲を残したいと考えています」
「そのために、従業員の生活を賭けるのか」
私は黙った。
「会社の名前を残すことと、従業員の仕事を残すことは違う。必要な相手と組め。介入を拒みながら、支援だけを求めることはできん」
父上が、私を見た。額に、薄く汗が浮いていた。
総裁の指摘は正しい。通常の企業交渉では、ここが限界だった。
私は端末を閉じた。
「では、別の条件を提示させてください」
「何だ」
「父上にも、まだお伝えしていない内容です。総裁と、二人でお話しする時間をいただけますか」
「アイリス」
父上の声が硬くなった。
私は総裁を見たまま続けた。うまく微笑むこともできていたと思う。
「クワイエット・ゼロについてです」
総裁の指が止まった。
表情は変わらない。それでも、父上には、空気が変わったことが分かったらしい。
「……総裁。娘は、まだ――」
「席を外せ」
父上の言葉が途切れた。
「この娘には、確認することがある」
父上は立たなかった。私と総裁を見比べ、何かを言おうとしている。
私は父上へ顔を向けた。
「お願いいたします」
父上は、しばらく私を見つめていた。
それから、膝の上の手をほどいて立ち上がった。
「……外で待っています。無理なら、話の途中でも戻ってきてください」
「はい」
扉が閉まるまで、総裁は一言も発しなかった。
「どこで、その名を知った」
「情報源については、お答えできません」
「誰に話した」
「父上にも、先ほど口にした以上のことは伝えておりません。ほかには、誰にも」
「何を知っている」
私は、計画に関わる事柄を短く告げた。
すべてを説明する必要はない。名前だけを偶然に耳にしたわけではないと、理解していただければよかった。
言い終えると、総裁は椅子へ深く身体を預けた。
「それを使って、私を脅そうというのか」
「交渉の材料として、提示しています」
「言い換える必要はない」
「……そうですね」
私は膝の上で手を組んだ。
「公表するつもりはありません。私が求めているのは、コズミック・シードの経営と研究の独立性です」
「拒めば、どうする」
私は答えなかった。
総裁は、こちらの沈黙を待たずに続けた。いつもより一段と低い声だった。
「お前の会社を、明日まで残す必要があるのか」
喉の奥が冷えた。
「ジェタークは、技術と人員を引き取ろうとしている。会社を消すだけなら、そこまでの手間は要らん」
「……承知しております」
「今ある契約まで失えば、何日持つ」
私は、口座に残された数字を思い出した。
あの数字を、総裁も知っているのだろう。
「秘密を口にしただけで、身を守れたと思うな」
声を荒らげる必要すら、なかった。
総裁が方針を示せば、取引を断る企業は増える。融資は止まり、設備は借りられなくなる。既に離れ始めている相手を、こちらへ戻さないだけでもよい。
父上の言葉を思い出した。
失敗したときだけ、子供が勝手にやったことにはしない。
私は、その覚悟ごと、ここへ持ち込んでいた。
「ですから、弊社を残す方が、総裁の利益になる条件を提示したいのです」
「何を差し出す」
「知っていることを明かさないこと。そして、その知識を、計画を妨げるために使わないことです」
総裁は表情を変えなかった。
「お前自身が動かないだけでは足りん。他者へ情報を渡し、代わりに動かすことも認めない」
「……はい」
「計画を阻止するための介入はしない。その条件を守れるか」
記憶の中に、光景が浮かんだ。
制御を奪われる機体。抵抗する手段を失う人々。助けようと手を伸ばしても、届かなくなる距離。
それを知ったまま、何もしないと約束するのだ。
私は、ほかに差し出せるものを探した。技術。利益。将来の協力。
だが、それだけで総裁を説得できるのであれば、父上がこの部屋を出る必要はなかった。
席を立つことは、まだできる。取引をやめ、その後で会社がどうなるかを受け入れることも。
そう考えると、父上の顔が浮かんだ。試験の延期を受け入れた研究員たちも、契約解除を伝えたときに黙り込んだ経理の方も。
私に、好きなことをしてよいと言ってくれた人たちだった。
誰も失わずに済む条件を、私は探していた。だが、そんな条件を、この人は出さない。
「返事をしろ」
私は、組んでいた手をほどいた。
「……計画を妨げるために、私の持つ情報を用いた介入はいたしません」
声は乱れなかった。乱れなかったことが、少しだけ嫌だった。
「お前以外からその名が出た時、事実確認すらも待たず、コズミック・シードを終わらせる」
私は息を止めた。私が漏らしたと確認されてからではない。
関係のないところから漏れたとしても、その責任を負えと言っている。
「既に計画へ関与している方や、総裁が開示を認めた相手は、除かれると理解してよろしいでしょうか」
「当然だ」
「父上も、この場で名称を耳にしています」
「中身は知らんのだろう」
「はい。詳細を知らせず、口外しないよう伝えます。先ほど耳にしたこと自体を、違反とは扱わないでいただきたい」
総裁は短く頷いた。
「ただし、今後漏れた時、お前が関わったかどうかを調べるつもりはない」
「……承知しました」
公平な条件ではない。それでも、拒むのであれば、ここまでのすべてが終わる。
私は端末を開いた。
「弊社への不干渉についても、範囲を確認させてください」
研究方針、人事、技術資産の運用。
他社から求められたときに、何を拒めるのか。グループへ負う責任は、どこまで残るのか。
私は一つずつ確認した。
総裁は私が広く取ろうとした範囲を狭め、無制限の免責につながる表現を退けた。しかし、他社の都合だけで部門を統合され、技術資産を移されることを防ぐ。そのための取り決めは、形になり始めていた。
「独立した判断を認める。だが、結果まで保証するわけではない」
「もちろんです。利益を上げる仕事は、弊社が行います」
「ならば、その結果も見せてもらう」
総裁は、私が最初に説明した事業計画を開き直した。
「二年だ。経営でも結果を示せ」
「二年で、自力で事業を維持できる状態へ移れと?」
「それだけでは足りん」
私は顔を上げた。
「技術はあると自負しているのだろう。グラスレー、ペイル、ジェターク。奴らが勢いづいた時、重しとなれる企業になれ」
「……グループ内で、政治的な均衡を保つ役割を担えと?」
「三社のいずれにも、好きにさせるな。そのための選択肢を作れ」
保護を与える代わりに、働けということだった。
私たちを御三家から守り、その力を使って御三家を牽制する。
「二年で、三社と同じ資本力や生産能力を持つことはできません」
「同じ規模になれとは言っていない」
「特定の技術や供給で、他社が無視できない立場を築く。そのように理解してよろしいでしょうか」
「お前たちと組めば、ほかを選ばずに済む。その判断をさせろ」
私は事業計画へ目を落とした。
御三家の技術がなければ成立しない製品に、代わりの技術を提供する。
一社の条件を受け入れるしかなかった企業へ、別の取引先を示す。
それができれば、御三家は相手を選べなくなるわけではないにせよ、条件を一方的に押しつけにくくなる。
我が社が、今まさに欲しがっている選択肢だった。
「三社から反発を受けますね」
「それを避けるために、私の名を求めたのだろう」
私は口を閉じた。
総裁の通達は、会社を覆う壁ではない。
その後ろへ隠れることを許すためのものではなく、外へ出て仕事をするためのものなのだ。
「採算を度外視して競争すれば、弊社が先に倒れます」
「赤字を出して張り合えとは言っていない。利益を上げ、存続できる事業を作れ。それが重しになる」
「その判断を行うためにも、個別の契約や研究へ、都度承認を求める形にはできません」
「経営は、お前たちが行え。当面の資金は出す」
私は頷いた。
「では、事業判断は弊社が行います。そのうえで、資金状況と契約実績、供給可能な技術について、定期的にご報告します」
「私が求めた時には、説明できるようにしておけ」
「承知しました。ただ、三社の行動そのものまでは、弊社に制御できません。均衡が崩れたという結果だけで、責任を負うことはできません」
総裁の目が細くなった。私は視線を逸らさなかった。
「弊社が何を築き、どのような選択肢を提供できるようになったか。その成果を評価していただきたいのです」
「二年後、残す価値のある企業になっていろ」
総裁は、低い声で言った。
「それができなければ、私にとってのコズミック・シードに価値はない」
評価を誤魔化す余地も、失敗を待っていただく約束もない。
会社を守った後に、何をしなければならないのかが、はっきりした。
「……承知しました。二年で、結果を示します」
答えながら、父上へ説明すべき仕事を頭の中へ並べた。
設備の確保。契約の取り直し。技術の事業化。特定の取引先へ依存しない販路。
猶予をいただいたのではない。
期限を定められたのだ。
「もう一つある」
総裁は事業計画を閉じた。
「お前、歳は十二だったな」
「はい」
「これからの進路を、ミオリネに合わせろ。学生側から、連絡員として情報を送れ」
「御息女と、ですか?」
「母親が死んでからの、あいつの動きは読めん。私の監視下から抜け出そうとする意図は分かる」
「それを防げと?」
「行動を把握し、報告しろ。必要な対応はこちらで決める」
護衛を務めろ、という話ではなかった。
大人の目を避ける娘の近くに、同じ生徒として置ける連絡役。それを、この人は求めている。
「総裁との関係を明かさずに、ですね」
「そうだ」
「親しくなれるとは、お約束できません」
「好かれろとは言っていない。同じ学科へ進み、接触できる立場にいろ」
私は少しだけ目を伏せた。
会社の役割に続いて、私の進路も決まっていく。
いつか出会う少女を、私は既に知っている。
父親へ反発し、自分の進む道を自分で決めようとする人だ。
その隣で、私は彼女の父親へ情報を送る。
「報告の範囲を、確認させてください」
「何だ」
「安全に関わる行動、学園外へ出る予定、総裁の管理から離れるための動き。そうしたものを中心に、必要な情報をお送りします」
「重大と判断したことを、伏せるな。判断に迷えば報告しろ」
「……承知しました」
私は一人の女の子の自由を売り飛ばした。それを冷静に判断できてしまった。
「専門の護衛とは別の役目だ。無謀な真似をする必要はない」
私は頷いた。
「この役目は、私個人が負うものとしてください。弊社の社員を、同じ目的で動かす義務までは負えません」
「お前が果たせばよい」
私は、整理した条件を読み直した。
秘密を守り、知っていることを使って計画を妨げない。
会社を育て、総裁が必要とする均衡のために使える企業へする。
学園で、娘の動きを報告する。
引き受けるものは、最初に考えていたより、ずっと多くなっていた。
それでも、会社は残る。
父上たちは、研究を続けられる。
「以上の範囲であれば、お引き受けします」
総裁は、私の端末へ目を落とした。
「ならば、細部を詰める」
私は背筋を伸ばした。
「よろしくお願いいたします」
執務室を出ると、父上が立ち上がった。
「アイリス」
私の顔を確かめるように近づいてくる。
「お待たせしました」
「……話は?」
「会社の独立性を守るための取り決めができました。グループ内への通達と、具体的な手続きは、これからです」
父上の肩から、わずかに力が抜けた。
しかし、笑いはしなかった。
「君は、何を約束したんですか」
「会社として、二年で経営の結果を示すことを求められました。技術を利益へ変え、自力で事業を続けられるようにしなければなりません」
「……二年」
「はい。仕事は、これからです」
父上は頷いた。
それから、もう一度尋ねる。
「君自身は?」
私は口を閉じた。
父上は、その沈黙を見て目を伏せた。
「話せないんですね」
「申し訳ありません。それと、先ほど私が口にした名称については、誰にもお話しにならないでください。内容を知らなくても、口にするだけで問題になります」
父上の表情が強張った。
「……分かった」
私は大丈夫ですと答えようとした。
けれど、父上の手が少し震えていることに気づいて、声が出なかった。
「僕は、怖かったですよ」
父上が言った。
「総裁の前に座っているだけで、余計なことを言ってはいけないと、そればかり考えていました。君を残して出る時も、これでよかったのかと」
「私が、お願いしたことです」
「僕が認めたことでもあります」
穏やかだが、譲らない声だった。
「代表代理に任せると、僕が決めたんです。そこまで取り上げないでください」
私は父上を見つめた。
「よく、戻ってきてくれました」
頭へ手が置かれた。
その温かさに触れた途端、身体に入っていた力が抜けそうになった。
「……研究を、続けられます」
「はい」
「皆さんにも、戻って仕事をお願いできます」
「ええ。一緒に説明しましょう」
父上は、それ以上を求めなかった。
私は俯き、しばらくそのままでいた。涙がこぼれた。
記憶の中の誰かに、謝ることはできなかった。
まだ起きてもいないことについて、許してもらうことなど、できるはずもない。
私はただ、この手を失わずに済んだことへ、安堵していた。
「今日は帰りましょう」
父上が言った。
「先に、確認しなければならない資料が――」
「続きは明日です」
私は顔を上げた。
父上は、ようやく少しだけ笑った。
「二年で結果を出すのでしょう。初日から代表代理に倒れられては、僕らが困りますからねえ」
「……承知しました」
差し出された手を、私は握った。
結局のところ、私の夢を守り、私の望みを叶えるために、業を背負った。
私を生み出した男と何も変わらない、愛の為に人の人生を見捨て、売り飛ばした一人の人間であると思い知らされたのである。
グラスレー社から戻った日の夜、セセリアは私の隣で、決闘の映像をもう一度見ていた。
「結局、おじいちゃんには、何て答えたの?」
「守秘義務がございます、と」
「便利だねぇ。秘書にも重鎮にも、同じお返事」
「嘘ではありませんよ」
「知ってる。嘘じゃないことだけ言って、何も教えないの、得意だもんね」
私は苦笑した。
セセリアは、総裁との取引を知らない。
四年前に何を引き受け、その後の二年で、何を示さなければならなかったのかも。
あの頃、総裁の通達を受けて、止まっていた話が再び動き始めた。設備を借り、契約を結び直し、父上たちの技術を製品へ変えていった。
独立性を認められても、それだけで収入が生まれたわけではない。
期限を意識しなかった日は、なかった。
「……何?」
セセリアに顔を覗き込まれ、私は映像へ視線を戻した。
「少し、昔の仕事を思い出していました」
「お茶会で昔話して、帰ってきても仕事の昔話?お忙しいねぇ」
「今は、仕事のお話をしておりませんが」
「頭の中でも働いてるじゃん」
彼女は私の肩へ身体を預け、画面を指した。
「代表代理様がいなくても、ちゃんと勝ったところ。よく見てあげないとねぇ」
「拝見しておりますよ」
「うん。さっきから何回も」
私は笑い、映像を戻した。
彼女の隣では、話さずに済むことがある。
そのことに甘えている自覚は、あった。
その後、株式会社ガンダムは事業を進めるための作業へ戻った。
我が社への出資相談も、必要な確認を重ねていった。ミオリネさんは学園の内外を忙しく行き来し、私も自社の仕事へ戻る。
セセリアが引き受ける仕事も、少しずつ増えていた。
「ねえ。あたしを雇ったら、あんたの仕事、減る予定じゃなかった?」
「助かっておりますよ」
「減ったところへ、次を入れてるよね」
「……少々」
「よかった。雇い主が暇になる心配、なさそうで」
そんなやり取りをしながら、日々は過ぎていった。
そしてやはり、プラント・クエタで襲撃事件が起きた。