水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~   作:一般通過クルーゼさん

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第13話

 四年前、コズミック・シードは、会社を続けるための時間を失いかけていた。

 

「承知しました。では、契約終了までの作業範囲と、成果物の引き渡しについて確認させてください」

 

 端末の向こうで、取引先の担当者が頭を下げた。

 

 契約上の手続きに不備はなかった。完成済みの成果物は買い取っていただけるし、未払い分も精算される。

 

 ただし、その先はない。

 

 次期の共同研究も、追加発注も、すべて白紙に戻った。

 

 私は必要事項を確認し、最後まで穏やかに挨拶をして通信を切った。それから資金繰りの表を開き、来月以降の入金予定を削除する。

 

 給与も、設備の維持費も、発注済みの部品代も、そのまま残っていた。

 

「……こちらも、駄目でしたねぇ」

 

 背後から父上の声がした。

 

「ええ。共同研究は、今期で終了です」

 

「理由は?」

 

「研究計画の見直しだそうです」

 

 父上は何か言いかけ、やめた。

 

 同じような返事を、ここ数週間で何度も聞いていた。

 

 設備を貸してくださるはずだった企業からは、急に空きがなくなったと連絡が来た。融資の相談は、追加資料を提出した後で断られた。共同開発に前向きだった企業も、社内の承認が得られなかったという。

 

 皆さん、申し訳なさそうな顔をした。

 

 そして、最後には協力を断った。

 

「先方も、うちの技術を面白がっていたんですけどねぇ」

 

「技術を評価することと、ジェターク社との関係を悪くしてまで協力することは、別なのでしょう」

 

 父上は小さく息を吐いた。

 

 ジェターク社は、我が社の研究部門を欲しがっていた。

 

 技術資産を引き継ぎ、研究員を受け入れ、必要な設備も維持する。グループ全体の効率を考えれば、その方が合理的だという説明だった。

 

 実際、提示された条件には、従業員を守るために受け入れるべきだと思える部分もあった。給与を支払えないまま会社を潰すよりは、よほどよい。

 

 ただし、その後に何を研究するかは、ジェターク社が決める。

 

 父上たちが続けてきた研究も、利益が見込めなければ打ち切られるだろう。不要と判断された技術は、使われないまま保管されるかもしれない。

 

 私はそれを理解したうえで、別の方法を探していた。

 

 資金繰りの表へ目を戻す。

 

 入るかもしれないお金を、いつまでも予定に残しておくわけにはいかなかった。

 

     

 

 

 

 

 翌日の会議では、新しい研究の話は出なかった。

 

 何を延期するか。どの発注を止められるか。今ある設備で、どこまで続けられるか。

 

 私は費用の一覧を示し、優先順位を説明した。

 

「測定装置の更新は延期します。試験も、現在の契約に必要なものを先に進めてください」

 

「こちらの検証も、止めますか?」

 

 研究員の一人が尋ねた。父上と長く研究を続けてきた方だった。

 

「止めるとは、まだ決めておりません。ただ、外部設備を使う予定だった部分は、見直しが必要です」

 

「社内で代替するにも、精度が足りません」

 

「そこは、僕の方で確認しましょう」

 

 父上が資料を引き寄せた。

 

「測定方法を変えて、先に確かめられる部分があるかもだし。全部を予定どおりに進めようとするのは、いったんやめよっか」

 

 皆さんが頷く。

 

 誰も、私を責めなかった。

 

 それが、少しだけ苦しかった。

 

 私がもっと早く契約をまとめていれば。別の資金調達先を見つけていれば。ジェターク社が動く前に、会社の体力をつけられていれば。

 

 考えても仕方がないと分かっていても、やめられなかった。

 

 会議を終えた後も、私は席に残った。画面には、まだ返事をいただいていない企業の名前が並んでいる。

 

 そのうちの一社から、連絡が入った。

 

 期待しかけた自分を抑え、通信を開く。

 

 先方は丁寧な言葉で、協力を見送ると告げた。

 

     

 

 

 

 

 

「アイリス。その画面は、いったん閉じてください」

 

 その夜、父上は私の向かいへ座った。

 

「もう少しで、整理が終わりますので」

 

「その前に、少し話をしましょう」

 

 いつもより、はっきりした声だった。

 

 私は端末から手を離した。父上は、しばらく私の顔を見ていた。

 

「君が経営に入ってから、一年ですね」

 

「はい」

 

「その間に、会社の経営は、ようやく形になってきました。研究にいくら使えるのか、いつまでに何を売らなければいけないのか。僕らは、そういうことを随分と曖昧にしてきましたから」

 

「皆さんが、資料を揃えてくださったおかげです」

 

「その資料を集めて、仕事に使えるものにしたのは君でしょう」

 

 父上は笑わなかった。

 

「本来は、僕や、ほかの経営陣が引き受けるべき仕事でした。それを君に任せて、助けられてきた。情けない話です」

 

「そのようなことは――」

 

「ですがアイリス、君はまだ十二歳です」

 

 私は口を閉じた。

 

「君が僕や、彼らの仕事にまで責任を持つ必要はありません。会社を残せなかったとしても、それは君の失敗ではないんです」

 

 諦めを勧めているのではない。

 

 私を、責任の外へ出そうとしてくださっているのだと分かった。

 

「ジェターク社の条件は、僕らで改めて検討します。受け入れなければならない部分もあるでしょう。ですが、その判断まで君が背負わなくていい」

 

「私は……」

 

 声が、うまく出なかった。

 

 父上は急かさずに待ってくださった。私は膝の上で手を握った。

 

「私は、守りたいのです」

 

「アイリス……」

 

「父上は、私のやりたいことを、やらせてくださいました」

 

 研究をしてみたいと言ったときも、会社の仕事に関わりたいと言ったときも、父上は、まず話を聞いてくださった。

 

 できるのだからやれ、とは言わなかった。できないのなら価値がない、とも言わなかった。

 

「やりたくないことは、やらなくていいと、おっしゃってくださいました」

 

 嫌だと伝えれば、それだけでやめてくださった。

 

 理由を求められることも、失望した顔をされることもなかった。

 

「私が、その言葉にどれだけ救われたか、父上はご存じないでしょう」

 

 父上の表情が、わずかに変わった。

 

「ですから、守りたいのです。父上や皆さんが、ご自分で研究を選ぶことを。やりたくない仕事を、断れることを」

 

「……そのために、君が嫌なことを全部引き受けるのでは、同じでしょう」

 

「同じではありません」

 

 私は顔を上げた。

 

「私が、選んでいます」

 

 父上は何も言わなかった。

 

 私の生まれ持った能力なら、まだできることがある。

 

 分不相応な身体能力も、情報を処理する速さも、相手の意図を読み取る力も。そして、別の世界で得た記憶も。

 

 何のために作られたものだったとしても、今は私が使う。

 

 この人たちの居場所を守るためなら、全部使えばよい。

 

「もう一つ、試したい方法があります」

 

「……どちらへ?」

 

「デリング総裁です」

 

 父上の指が、机の上で止まった。

 

「総裁へ、直接交渉したいと思っています」

 

「技術の説明なら、僕もできます。ただ、あの方が、うちの研究を気に入ったから助けてくださるとは――」

 

「技術だけのお話ではありません。取引に使えるかもしれないものがあります」

 

「何ですか?」

 

「申し訳ありません。それは、お伝えできません」

 

 父上は、すぐには返事をしなかった。

 

 私は続けた。

 

「父上。これは賭けになります。取引の結果、最悪の場合、コズミック・シードは、吸収でも合併でもなく、潰される可能性があります」

 

 父上の顔から、血の気が引いた。

 

「……そこまでの話ですか」

 

「はい。私が何を提示し、何を約束したかも、父上や皆さんへお伝えできないかもしれません。それでも、この会社を守れる可能性があります」

 

 材料は明かさない。条件も知らせられない。失敗すれば、今ある退路まで失う。

 

 それを信じてほしいという、勝手な提案だった。

 

「ご判断は、父上にお任せします。私だけで、会社の皆さんを賭けるわけにはまいりませんので」

 

 父上は眼鏡を外し、しばらく目元を押さえていた。

 

 やがて眼鏡を戻すと、私をまっすぐに見る。

 

「……うん。君に任せます」

 

「よろしいのですか」

 

「怖いですよ。何をしようとしているか、分からないんですからね」

 

 いつもの軽い調子は、戻っていなかった。

 

「ですが、君が何も考えずに言っているわけではないことは分かります。それに、僕らも、ほかの方法を見つけられなかった」

 

 父上は背筋を伸ばした。

 

「今日から、君を代表代理にします。経営陣には、僕から話します。皆も納得すると思いますよ」

 

 私は思わず、父上を見つめた。

 

「ただし、責任は僕らに背負わせてください」

 

「ですが――」

 

「君に任せると決めた僕らにも、責任があります。失敗したときだけ、十二歳の子供が勝手にやったことにするつもりはありません」

 

 父上は、少しだけ笑った。

 

「僕は、君の親ですから。だから、代表代理。それで構いませんか?」

 

 私は一度、目を伏せた。

 

 返事をするまでに、少しだけ時間が必要だった。

 

「……はい。承知しました」

 

     

 

 

 

 

 

 

 デリング総裁は、私たちが挨拶をしても、すぐには顔を上げなかった。

 

 手元の資料を読み終え、端末を置いてから、ようやくこちらを見る。

 

「座れ」

 

 隣で父上が、小さく息を吸った。

 

 私は一礼し、指定された席へ腰を下ろした。

 

「コズミック・シード代表代理、アイリス・シードです。本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」

 

「十二歳の娘を、代表代理にしたのか」

 

 総裁の視線が、父上へ向いた。

 

「はい。経営に関する実務は、既に多くを担ってもらっています。今回の交渉についても、会社として――」

 

「責任を持つ、ということだな」

 

「……はい」

 

「ならば、始めろ」

 

 私は端末を開いた。

 

 非パーメット技術を用いた制御系、高性能演算装置、独自の機体開発計画。技術上の利点だけではなく、必要な投資と販売先、収益の見通しも示した。

 

 総裁は、資料の途中を指した。

 

「生産能力が足りん」

 

「外部設備の利用と、一部工程の委託を想定しています」

 

「契約は」

 

「現在、交渉中です」

 

「断られているのだろう」

 

 父上の肩が、わずかに動いた。

 

「複数の企業から、協力を見送るという回答をいただいております」

 

「ならば、この計画は成立していない」

 

「条件の見直しを進めています。技術的には、既存の設備でも――」

 

 父上が説明しかけると、総裁は視線だけで遮った。

 

「設備を動かす者が、お前たちのために枠を空けるのかと聞いている」

 

 父上が口を閉じた。

 

 膝の上で組んだ手に、力が入っている。私は資料を送り、確定している契約と、協議中のものを分けて示した。

 

 総裁は最後まで確認し、端末を置いた。

 

「技術力は認めよう。だが、コズミック・シードは弱い」

 

「承知しております」

 

「資本、生産能力、販路。その不足を埋める相手から、条件を示されている。受け入れない理由は何だ」

 

「研究方針と、技術資産の運用について、自社で判断できる範囲を残したいと考えています」

 

「そのために、従業員の生活を賭けるのか」

 

 私は黙った。

 

「会社の名前を残すことと、従業員の仕事を残すことは違う。必要な相手と組め。介入を拒みながら、支援だけを求めることはできん」

 

 父上が、私を見た。額に、薄く汗が浮いていた。

 

 総裁の指摘は正しい。通常の企業交渉では、ここが限界だった。

 

 私は端末を閉じた。

 

「では、別の条件を提示させてください」

 

「何だ」

 

「父上にも、まだお伝えしていない内容です。総裁と、二人でお話しする時間をいただけますか」

 

「アイリス」

 

 父上の声が硬くなった。

 

 私は総裁を見たまま続けた。うまく微笑むこともできていたと思う。

 

「クワイエット・ゼロについてです」

 

 総裁の指が止まった。

 

 表情は変わらない。それでも、父上には、空気が変わったことが分かったらしい。

 

「……総裁。娘は、まだ――」

 

「席を外せ」

 

 父上の言葉が途切れた。

 

「この娘には、確認することがある」

 

 父上は立たなかった。私と総裁を見比べ、何かを言おうとしている。

 

 私は父上へ顔を向けた。

 

「お願いいたします」

 

 父上は、しばらく私を見つめていた。

 

 それから、膝の上の手をほどいて立ち上がった。

 

「……外で待っています。無理なら、話の途中でも戻ってきてください」

 

「はい」

 

 扉が閉まるまで、総裁は一言も発しなかった。

 

     

 

 

 

 

 

 

「どこで、その名を知った」

 

「情報源については、お答えできません」

 

「誰に話した」

 

「父上にも、先ほど口にした以上のことは伝えておりません。ほかには、誰にも」

 

「何を知っている」

 

 私は、計画に関わる事柄を短く告げた。

 

 すべてを説明する必要はない。名前だけを偶然に耳にしたわけではないと、理解していただければよかった。

 

 言い終えると、総裁は椅子へ深く身体を預けた。

 

「それを使って、私を脅そうというのか」

 

「交渉の材料として、提示しています」

 

「言い換える必要はない」

 

「……そうですね」

 

 私は膝の上で手を組んだ。

 

「公表するつもりはありません。私が求めているのは、コズミック・シードの経営と研究の独立性です」

 

「拒めば、どうする」

 

 私は答えなかった。

 

 総裁は、こちらの沈黙を待たずに続けた。いつもより一段と低い声だった。

 

「お前の会社を、明日まで残す必要があるのか」

 

 喉の奥が冷えた。

 

「ジェタークは、技術と人員を引き取ろうとしている。会社を消すだけなら、そこまでの手間は要らん」

 

「……承知しております」

 

「今ある契約まで失えば、何日持つ」

 

 私は、口座に残された数字を思い出した。

 

 あの数字を、総裁も知っているのだろう。

 

「秘密を口にしただけで、身を守れたと思うな」

 

 声を荒らげる必要すら、なかった。

 

 総裁が方針を示せば、取引を断る企業は増える。融資は止まり、設備は借りられなくなる。既に離れ始めている相手を、こちらへ戻さないだけでもよい。

 

 父上の言葉を思い出した。

 

 失敗したときだけ、子供が勝手にやったことにはしない。

 

 私は、その覚悟ごと、ここへ持ち込んでいた。

 

「ですから、弊社を残す方が、総裁の利益になる条件を提示したいのです」

 

「何を差し出す」

 

「知っていることを明かさないこと。そして、その知識を、計画を妨げるために使わないことです」

 

 総裁は表情を変えなかった。

 

「お前自身が動かないだけでは足りん。他者へ情報を渡し、代わりに動かすことも認めない」

 

「……はい」

 

「計画を阻止するための介入はしない。その条件を守れるか」

 

 記憶の中に、光景が浮かんだ。

 

 制御を奪われる機体。抵抗する手段を失う人々。助けようと手を伸ばしても、届かなくなる距離。

 

 それを知ったまま、何もしないと約束するのだ。

 

 私は、ほかに差し出せるものを探した。技術。利益。将来の協力。

 

 だが、それだけで総裁を説得できるのであれば、父上がこの部屋を出る必要はなかった。

 

 席を立つことは、まだできる。取引をやめ、その後で会社がどうなるかを受け入れることも。

 

 そう考えると、父上の顔が浮かんだ。試験の延期を受け入れた研究員たちも、契約解除を伝えたときに黙り込んだ経理の方も。

 

 私に、好きなことをしてよいと言ってくれた人たちだった。

 

 誰も失わずに済む条件を、私は探していた。だが、そんな条件を、この人は出さない。

 

「返事をしろ」

 

 私は、組んでいた手をほどいた。

 

「……計画を妨げるために、私の持つ情報を用いた介入はいたしません」

 

 声は乱れなかった。乱れなかったことが、少しだけ嫌だった。

 

「お前以外からその名が出た時、事実確認すらも待たず、コズミック・シードを終わらせる」

 

 私は息を止めた。私が漏らしたと確認されてからではない。

 

 関係のないところから漏れたとしても、その責任を負えと言っている。

 

「既に計画へ関与している方や、総裁が開示を認めた相手は、除かれると理解してよろしいでしょうか」

 

「当然だ」

 

「父上も、この場で名称を耳にしています」

 

「中身は知らんのだろう」

 

「はい。詳細を知らせず、口外しないよう伝えます。先ほど耳にしたこと自体を、違反とは扱わないでいただきたい」

 

 総裁は短く頷いた。

 

「ただし、今後漏れた時、お前が関わったかどうかを調べるつもりはない」

 

「……承知しました」

 

 公平な条件ではない。それでも、拒むのであれば、ここまでのすべてが終わる。

 

 私は端末を開いた。

 

「弊社への不干渉についても、範囲を確認させてください」

 

 研究方針、人事、技術資産の運用。

 

 他社から求められたときに、何を拒めるのか。グループへ負う責任は、どこまで残るのか。

 

 私は一つずつ確認した。

 

 総裁は私が広く取ろうとした範囲を狭め、無制限の免責につながる表現を退けた。しかし、他社の都合だけで部門を統合され、技術資産を移されることを防ぐ。そのための取り決めは、形になり始めていた。

 

「独立した判断を認める。だが、結果まで保証するわけではない」

 

「もちろんです。利益を上げる仕事は、弊社が行います」

 

「ならば、その結果も見せてもらう」

 

 総裁は、私が最初に説明した事業計画を開き直した。

 

「二年だ。経営でも結果を示せ」

 

「二年で、自力で事業を維持できる状態へ移れと?」

 

「それだけでは足りん」

 

 私は顔を上げた。

 

「技術はあると自負しているのだろう。グラスレー、ペイル、ジェターク。奴らが勢いづいた時、重しとなれる企業になれ」

 

「……グループ内で、政治的な均衡を保つ役割を担えと?」

 

「三社のいずれにも、好きにさせるな。そのための選択肢を作れ」

 

 保護を与える代わりに、働けということだった。

 

 私たちを御三家から守り、その力を使って御三家を牽制する。

 

「二年で、三社と同じ資本力や生産能力を持つことはできません」

 

「同じ規模になれとは言っていない」

 

「特定の技術や供給で、他社が無視できない立場を築く。そのように理解してよろしいでしょうか」

 

「お前たちと組めば、ほかを選ばずに済む。その判断をさせろ」

 

 私は事業計画へ目を落とした。

 

 御三家の技術がなければ成立しない製品に、代わりの技術を提供する。

 

 一社の条件を受け入れるしかなかった企業へ、別の取引先を示す。

 

 それができれば、御三家は相手を選べなくなるわけではないにせよ、条件を一方的に押しつけにくくなる。

 

 我が社が、今まさに欲しがっている選択肢だった。

 

「三社から反発を受けますね」

 

「それを避けるために、私の名を求めたのだろう」

 

 私は口を閉じた。

 

 総裁の通達は、会社を覆う壁ではない。

 

 その後ろへ隠れることを許すためのものではなく、外へ出て仕事をするためのものなのだ。

 

「採算を度外視して競争すれば、弊社が先に倒れます」

 

「赤字を出して張り合えとは言っていない。利益を上げ、存続できる事業を作れ。それが重しになる」

 

「その判断を行うためにも、個別の契約や研究へ、都度承認を求める形にはできません」

 

「経営は、お前たちが行え。当面の資金は出す」

 

 私は頷いた。

 

「では、事業判断は弊社が行います。そのうえで、資金状況と契約実績、供給可能な技術について、定期的にご報告します」

 

「私が求めた時には、説明できるようにしておけ」

 

「承知しました。ただ、三社の行動そのものまでは、弊社に制御できません。均衡が崩れたという結果だけで、責任を負うことはできません」

 

 総裁の目が細くなった。私は視線を逸らさなかった。

 

「弊社が何を築き、どのような選択肢を提供できるようになったか。その成果を評価していただきたいのです」

 

「二年後、残す価値のある企業になっていろ」

 

 総裁は、低い声で言った。

 

「それができなければ、私にとってのコズミック・シードに価値はない」

 

 評価を誤魔化す余地も、失敗を待っていただく約束もない。

 

 会社を守った後に、何をしなければならないのかが、はっきりした。

 

「……承知しました。二年で、結果を示します」

 

 答えながら、父上へ説明すべき仕事を頭の中へ並べた。

 

 設備の確保。契約の取り直し。技術の事業化。特定の取引先へ依存しない販路。

 

 猶予をいただいたのではない。

 

 期限を定められたのだ。

 

    

 

 

 

 

「もう一つある」

 

 総裁は事業計画を閉じた。

 

「お前、歳は十二だったな」

 

「はい」

 

「これからの進路を、ミオリネに合わせろ。学生側から、連絡員として情報を送れ」

 

「御息女と、ですか?」

 

「母親が死んでからの、あいつの動きは読めん。私の監視下から抜け出そうとする意図は分かる」

 

「それを防げと?」

 

「行動を把握し、報告しろ。必要な対応はこちらで決める」

 

 護衛を務めろ、という話ではなかった。

 

 大人の目を避ける娘の近くに、同じ生徒として置ける連絡役。それを、この人は求めている。

 

「総裁との関係を明かさずに、ですね」

 

「そうだ」

 

「親しくなれるとは、お約束できません」

 

「好かれろとは言っていない。同じ学科へ進み、接触できる立場にいろ」

 

 私は少しだけ目を伏せた。

 

 会社の役割に続いて、私の進路も決まっていく。

 

 いつか出会う少女を、私は既に知っている。

 

 父親へ反発し、自分の進む道を自分で決めようとする人だ。

 

 その隣で、私は彼女の父親へ情報を送る。

 

「報告の範囲を、確認させてください」

 

「何だ」

 

「安全に関わる行動、学園外へ出る予定、総裁の管理から離れるための動き。そうしたものを中心に、必要な情報をお送りします」

 

「重大と判断したことを、伏せるな。判断に迷えば報告しろ」

 

「……承知しました」

 

 私は一人の女の子の自由を売り飛ばした。それを冷静に判断できてしまった。

 

「専門の護衛とは別の役目だ。無謀な真似をする必要はない」

 

 私は頷いた。

 

「この役目は、私個人が負うものとしてください。弊社の社員を、同じ目的で動かす義務までは負えません」

 

「お前が果たせばよい」

 

 私は、整理した条件を読み直した。

 

 秘密を守り、知っていることを使って計画を妨げない。

 

 会社を育て、総裁が必要とする均衡のために使える企業へする。

 

 学園で、娘の動きを報告する。

 

 引き受けるものは、最初に考えていたより、ずっと多くなっていた。

 

 それでも、会社は残る。

 

 父上たちは、研究を続けられる。

 

「以上の範囲であれば、お引き受けします」

 

 総裁は、私の端末へ目を落とした。

 

「ならば、細部を詰める」

 

 私は背筋を伸ばした。

 

「よろしくお願いいたします」

 

     

 

 

 

 

 

 執務室を出ると、父上が立ち上がった。

 

「アイリス」

 

 私の顔を確かめるように近づいてくる。

 

「お待たせしました」

 

「……話は?」

 

「会社の独立性を守るための取り決めができました。グループ内への通達と、具体的な手続きは、これからです」

 

 父上の肩から、わずかに力が抜けた。

 

 しかし、笑いはしなかった。

 

「君は、何を約束したんですか」

 

「会社として、二年で経営の結果を示すことを求められました。技術を利益へ変え、自力で事業を続けられるようにしなければなりません」

 

「……二年」

 

「はい。仕事は、これからです」

 

 父上は頷いた。

 

 それから、もう一度尋ねる。

 

「君自身は?」

 

 私は口を閉じた。

 

 父上は、その沈黙を見て目を伏せた。

 

「話せないんですね」

 

「申し訳ありません。それと、先ほど私が口にした名称については、誰にもお話しにならないでください。内容を知らなくても、口にするだけで問題になります」

 

 父上の表情が強張った。

 

「……分かった」

 

 私は大丈夫ですと答えようとした。

 

 けれど、父上の手が少し震えていることに気づいて、声が出なかった。

 

「僕は、怖かったですよ」

 

 父上が言った。

 

「総裁の前に座っているだけで、余計なことを言ってはいけないと、そればかり考えていました。君を残して出る時も、これでよかったのかと」

 

「私が、お願いしたことです」

 

「僕が認めたことでもあります」

 

 穏やかだが、譲らない声だった。

 

「代表代理に任せると、僕が決めたんです。そこまで取り上げないでください」

 

 私は父上を見つめた。

 

「よく、戻ってきてくれました」

 

 頭へ手が置かれた。

 

 その温かさに触れた途端、身体に入っていた力が抜けそうになった。

 

「……研究を、続けられます」

 

「はい」

 

「皆さんにも、戻って仕事をお願いできます」

 

「ええ。一緒に説明しましょう」

 

 父上は、それ以上を求めなかった。

 

 私は俯き、しばらくそのままでいた。涙がこぼれた。

 

 記憶の中の誰かに、謝ることはできなかった。

 

 まだ起きてもいないことについて、許してもらうことなど、できるはずもない。

 

 私はただ、この手を失わずに済んだことへ、安堵していた。

 

「今日は帰りましょう」

 

 父上が言った。

 

「先に、確認しなければならない資料が――」

 

「続きは明日です」

 

 私は顔を上げた。

 

 父上は、ようやく少しだけ笑った。

 

「二年で結果を出すのでしょう。初日から代表代理に倒れられては、僕らが困りますからねえ」

 

「……承知しました」

 

 差し出された手を、私は握った。

 

 結局のところ、私の夢を守り、私の望みを叶えるために、業を背負った。

 

 私を生み出した男と何も変わらない、愛の為に人の人生を見捨て、売り飛ばした一人の人間であると思い知らされたのである。   

 

 

 

 

 

 

 グラスレー社から戻った日の夜、セセリアは私の隣で、決闘の映像をもう一度見ていた。

 

「結局、おじいちゃんには、何て答えたの?」

 

「守秘義務がございます、と」

 

「便利だねぇ。秘書にも重鎮にも、同じお返事」

 

「嘘ではありませんよ」

 

「知ってる。嘘じゃないことだけ言って、何も教えないの、得意だもんね」

 

 私は苦笑した。

 

 セセリアは、総裁との取引を知らない。

 

 四年前に何を引き受け、その後の二年で、何を示さなければならなかったのかも。

 

 あの頃、総裁の通達を受けて、止まっていた話が再び動き始めた。設備を借り、契約を結び直し、父上たちの技術を製品へ変えていった。

 

 独立性を認められても、それだけで収入が生まれたわけではない。

 

 期限を意識しなかった日は、なかった。

 

「……何?」

 

 セセリアに顔を覗き込まれ、私は映像へ視線を戻した。

 

「少し、昔の仕事を思い出していました」

 

「お茶会で昔話して、帰ってきても仕事の昔話?お忙しいねぇ」

 

「今は、仕事のお話をしておりませんが」

 

「頭の中でも働いてるじゃん」

 

 彼女は私の肩へ身体を預け、画面を指した。

 

「代表代理様がいなくても、ちゃんと勝ったところ。よく見てあげないとねぇ」

 

「拝見しておりますよ」

 

「うん。さっきから何回も」

 

 私は笑い、映像を戻した。

 

 彼女の隣では、話さずに済むことがある。

 

 そのことに甘えている自覚は、あった。

 

     

 

 

 

 

 

 その後、株式会社ガンダムは事業を進めるための作業へ戻った。

 

 我が社への出資相談も、必要な確認を重ねていった。ミオリネさんは学園の内外を忙しく行き来し、私も自社の仕事へ戻る。

 

 セセリアが引き受ける仕事も、少しずつ増えていた。

 

「ねえ。あたしを雇ったら、あんたの仕事、減る予定じゃなかった?」

 

「助かっておりますよ」

 

「減ったところへ、次を入れてるよね」

 

「……少々」

 

「よかった。雇い主が暇になる心配、なさそうで」

 

 そんなやり取りをしながら、日々は過ぎていった。

 

 そしてやはり、プラント・クエタで襲撃事件が起きた。

 

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