水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
総裁選への対応を決める会議で、私は中立を維持する方針を伝えた。
「コズミック・シードは、いずれの陣営とも組みません。当然ながら、私自身も立候補いたしません」
既存の取引は継続する。ただし、選挙への協力を条件とする新たな約束は結ばない。判断に迷う依頼は窓口へ集め、会社として回答する。
各部門から確認は出たものの、方針そのものに異論はなかった。最後の質問へ答え、皆さんが資料を閉じ始めたところで、私は伝え忘れていたことを思い出した。
「そうそう、皆さん。仮に今回の騒動で、ベネリットグループが解散した場合に備えて、事業継続計画の作成をお願いします」
資料を片づける音が、一斉に止まった。
顔を上げると、皆さんがぎょっとした目で私を見ていた。通信画面の向こうでも、同じように動きが止まっている。
隣のセセリアまで、端末からゆっくりと顔を上げた。
「……冗談だよね?」
「最悪の事態は、想定しておかなくてはなりませんから」
「アンタが言うと怖いんですけどー」
会議にいる全員が頷いた。
「それほどでしょうか」
「代表代理様が、会議の最後に思い出したみたいに言う話じゃないでしょ。誰とも組みません、グループがなくなった場合も考えましょうって。議事録、書いてる方の気持ちも考えてよ」
「なくなると決まったわけではありません。あくまで備えです」
「よかったですねぇ、皆さん。まだ確定情報じゃないそうですよー」
誰も安心した顔にはならなかった。
私は資料を開き直し、グループ内の取引先を表示した。
「解散に至らなくても、グループ全体の信用が揺らげば、資金調達や受注へ影響が出ます。共同で利用している設備や物流、他社から供給を受ける部品についても、今までどおりとは限りません」
営業部門の責任者が、端末を手元へ戻した。
「まずは、グループ内取引が止まった場合の影響を洗い出す、ということでしょうか」
「はい。受注の減少、入金の遅れ、供給の停止は分けて検討してください。何が止まれば、いつ、どの事業に影響が出るのか。その確認からお願いします」
財務担当者から手元資金の確認について提案があり、生産部門からは代替の利かない設備を優先して調べるという返事が出た。
担当と報告の時期を決めてから、私は念を押した。
「現段階では、社内での検討に留めてください。この想定を、そのまま取引先へ持ち出すことのないように」
セセリアが、すぐに記録へ書き加える。
「グループが潰れた後のお付き合い、今からご相談しないでくださいねー。代表代理様は、そこまで頼んでませんので」
「そのような言い方はしておりませんが」
「そう受け取られるのを心配してるんでしょ?」
「ええ。それは、そのとおりです」
何人かが小さく笑い、ようやく会議室の空気が緩んだ。
今度こそ会議を閉じると、セセリアが私の予定表を開いた。
「中立って、もっと静かにしてるものかと思ってた」
「会社を続ける準備まで、止めるわけにはいきませんから」
「うん。皆さん、よく分かったと思うよ。誰を応援するか考えてたら、選挙の後に会社をどう残すかまで宿題にされたんだもん」
「備えが無駄になれば、それが一番です」
彼女はしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……ほんと、無駄になるといいね」
私は頷き、次の予定へ目を向けた。
ミオリネ・レンブランさんとの面会。
会社を通した相談ではなく、私個人への依頼だと伺っている。その目的には、おおよその見当がついていた。
「スレッタと決闘してほしいの」
挨拶を終えて席に着くなり、ミオリネさんはそう切り出した。
「ホルダーを代わってほしい。もう時間がないの」
「私がホルダーになった後は、どうなさるおつもりですか」
「その後のことは、私が何とかする」
私は彼女の表情を確かめ、膝の上で手を重ねた。
「申し訳ありませんが、お引き受けできません」
「条件も聞かずに?」
「貴女たちから、決闘で得たいものがあるわけではありません。それに、コズミック・シードは今回の総裁選で中立を維持します。私がホルダーとなれば、その方針と切り離して扱うことは難しくなるでしょう」
「会社として支援しろって話じゃない。あんた個人に頼んでるの」
「私個人の行動が、会社と無関係に受け取られる立場でもありません」
ミオリネさんは肘掛けを掴み、一度、息を吐いた。
「……スレッタを、あの母親から離したいの」
私は続きを待った。
「あの子、母親の言うことなら何でも正しいと思ってる。人を殺すことだって、あの女に言われれば、間違ってないって信じようとする」
肘掛けを握る指に、力がこもった。
「エアリアルも、決闘も、ホルダーも。あの子が母親に利用される理由をなくしたい。そのために、私が総裁になる」
「プロスペラさんと、お話をされたのですね」
「ええ。私が総裁になれば、スレッタを解放するって」
私は重ねていた手を解いた。ミオリネさんが、その動きを見つめる。
「貴女が総裁にならなければならない理由が、とある計画の場合。私が関与するのは、デリング総裁との契約に抵触する可能性があります」
「……知ってるの?」
「はい」
「アンタ、クワイエット・ゼロに関わっているの?」
私は答える前に、隣へ顔を向けた。
「セセリア。席を外してください」
セセリアは、立ち上がらなかった。
クワイエット・ゼロ。
その名前を、彼女は知らない。だが、デリング総裁との関係を疑われた途端に退出を求められた以上、ただの事業の話ではないのだろう。知ってしまうこと自体、避けるべき類なのかもしれなかった。
アイリスの声は静かだった。いつものように丁寧で、頼み方にも乱れはない。それでも、膝の上では、自分の指を握り込んでいる。
その手を見た時、本社で聞いた代表の言葉が蘇った。
『会社にいると、格好いい代表代理になってしまいますからねえ。僕らも、つい頼ってしまうんですよ』
皺の寄った白衣姿で、困ったように笑っていた人。
『君には、パートナーとして、そばにいてほしいんです』
ここで立ち去れば、アイリスはいつもの顔で会話を続けるだろう。終わる頃には表情も身なりも整え、何事もなかったように自分を呼ぶ。
今日は、それを見過ごしたくなかった。
「……セセリア?」
返事を待っていたアイリスが、もう一度呼んだ。
「今からの会話は、聞かれたくありません」
「それでも、あたしが聞きたいんだけど?」
「貴女が知る必要のないお話です」
「そうかもね」
セセリアは否定せず、端末の画面を消した。
「でも、今のあんたを一人にしたくないのは、あたしの都合なんで」
アイリスの唇が僅かに動く。その言葉が出るより先に、セセリアは続けた。
「私は大丈夫だから。ここにいる」
アイリスはしばらくこちらを見つめていたが、やがてミオリネへ向き直った。
「セセリアを同席させても、よろしいですか」
「私は、あんたの答えを聞ければいい」
短い返事を受け、アイリスは頷いた。それから、もう一度だけ隣を見る。
「……記録は、取らないでください」
セセリアは端末を伏せ、頷き返した。
「むしろ、関われなくなっているのです」
私は、ミオリネさんの問いに答えた。
「十二歳の時、ひょんなことから、その計画を知りました。当時のコズミック・シードは、他社からの介入によって、会社を残せるかどうかというところまで追い詰められていた。私は計画の情報を使い、総裁へ取引を持ちかけました」
「秘密を握って、脅したの?」
「はい。ですが、秘密を知っていることと、対等に交渉できることは別でした」
隣にセセリアがいる。そのことを意識しながら、私は言葉を続けた。
「当時の弊社など、総裁がその気になれば、いつでも潰せたのです。会社を守るには、私の方も条件を受け入れなければなりませんでした」
「それが、特別扱いされてる理由?」
「ええ。研究方針や技術資産への介入を制限していただく代わりに、私は計画について沈黙する。知っていることを使って、その実現を妨げるために動かない。他者を通じた介入も含めてです」
「だから、スレッタを母親から離すことにも協力できないって?」
「貴女の依頼が、計画を続けるための取引に組み込まれている以上、無関係な決闘として引き受けることはできません」
ミオリネさんは、しばらく私を見つめていた。
「私が総裁になったら、その契約を変えればいい」
「その時に、交渉する余地はあるでしょう」
「だったら――」
「ですが、まだ成立していない約束を根拠に、今、動くことはできません」
「私は本気よ」
「承知しています。私とその取引をなさりたいのであれば、総裁になってから、改めてお話をいただく必要があります」
「それじゃ遅いって言ってるの!」
声を強めた後、彼女は唇を結んだ。
私は少し待ってから、尋ねた。
「計画については、どこまで伺っているのですか」
「ラジャンから、母さんが何を考えていたのかは聞いたわ」
「引き継ぐよう、求められたのですか」
「違う。自分の心で決めろって言われた。続けることを条件にしたのは、プロスペラよ」
「では、計画そのものを望んで、引き受けるわけではないのですね」
「今は、スレッタを解放することが先よ」
私は頷いた。
「正しく使うことができれば、兵器を用いた争いを、強制的に止める力にはなるでしょう。ただ、何を争いと見なし、誰の武器を止めるのかは、それを使う方が決めることになります」
「分かってる。あの女の好きにさせるつもりはない」
「プロスペラさんにも、計画を使って叶えたいことがあるはずです。そのために、貴女の協力を必要としている」
「だから、私が総裁になるのよ。何もできないままでいるつもりはない」
ミオリネさんは身を乗り出した。
「事情は分かった。でも、あんたは会社を守ってもらったんでしょ。今は、私がスレッタを守ろうとしてる。そのために必要なことなの」
「……申し訳ありません」
彼女の顔が、険しくなった。
「結局、それなのね」
私は答えずにいた。
しばらくして、ミオリネさんが尋ねた。
「その契約、ほかには何があるの」
「会社としては、経営でも結果を示すことを求められました。御三家のいずれかへ力が偏った時、重しとなれる企業になることです」
「それだけ?」
その問いに、指を重ね直した。
ミオリネさんは、私の返事を待っている。隣のセセリアも、何も言わずに座っていた。
「……私個人にも、条件がございました」
「何よ」
私は、すぐには答えなかった。
彼女へ伝えなければならないことがある。その言葉をどう切り出せばよいのか、考えていた。
ミオリネさんが、苛立ったように息を吐いた。
「何を差し出したのか知らないけど、私だって、ただ助けてもらおうとしてるんじゃない。総裁になるために必要なことはする。あの子を母親から離せるなら、その後、嫌われたって構わないわ」
私は彼女を見た。
「あの子が自由になれるなら、それでいい」
その言葉を聞き、四年前の自分を思い出した。
父上たちさえ無事ならば、それでよい。後で何を思われても、会社さえ残せるなら構わない。
そう考えていたはずだった。
「その道を選ぶと、引き返せなくなりますよ」
ミオリネさんの眉が寄った。
「……どういう意味?」
「経験者として申し上げております」
隣にセセリアがいる。
その気配を意識しながら、私は言葉を続けた。
「守るために必要だったと、一度決めてしまえば、その後も同じ理由で黙ることになるのです。知らせた結果、そんなことは望んでいなかったと言われるのが、怖くなりますから」
「私は、いつまでもスレッタを騙すつもりじゃない」
「私も、いつかは話せると思っていました」
会社が安定したら。総裁との条件を見直せるようになったら。
そのたびに、今ではない理由を見つけた。やがて、何も知らずに笑っている父上たちを見ることが、黙っているための理由になった。
「父上も社員たちも、私が一人の少女の自由を奪ってまで、会社を守ったとは思いたくはないはずです」
「……自由を奪われた少女?」
ミオリネさんが、訝しげに私を見た。
私は一度、息を吸った。
「いませんでしたか? 貴女と不思議と同じ環境にいた女が。十二歳の時から、今日に至るまで、進む学園も学科すら同じだった女が」
彼女の視線が、私の顔に止まった。
それから、少しずつ表情が変わっていく。
「……まさかアンタ、私を監視していたの?」
「はい。それがデリング総裁から私個人に課せられた条件です。貴女がデリング総裁の管理下から逃げ出そうとした場合、報告するようにと」
隣で、セセリアが息を呑んだ。
私はそちらを見なかった。
「その役目を果たせるよう、進路を貴女に合わせることも、条件に含まれていました」
「……私が、この学園に来たから?」
「はい」
「経営戦略科を選んだのも?」
「私自身、経営を学ぶ必要はありました。ですが、貴女と同じ学科へ進むよう求められていたことも、事実です」
ミオリネさんは動かなかった。机の上では、端末を握る指が白くなっていた。
「私が、あのクソ親父から離れたいって話してた時も、聞いてたのね」
「はい」
「それで、報告してた?」
私は彼女の目を見た。
「脱出の手配に繋がる動きを知った時には、報告しました。貴女の学園脱出が上手くいかなかった原因の一部は、私にもあります」
椅子が床を擦った。
ミオリネさんが立ち上がり、机を回り込んでくる。私は動かずに、その姿を見ていた。
「……よくも」
胸元を掴まれ、制服が引かれた。引き寄せられるまま腰を上げると、すぐ近くに彼女の顔があった。
「よくも、私の前で、自分で選べなんて言えたわね」
セセリアが立ち上がりかけた。
私は彼女へ片手を向け、無言で首を横に振った。その目が私の胸元を掴む手へ落ちる。それでも、もう一度首を振ると、彼女は唇を引き結んで動きを止めた。
「あんた、自分が何をしてたか、分かってるの?」
「はい」
「私があの男から逃げたがってるのを知ってて、話を聞いて、裏で渡してたのね」
「……はい」
「会社の相談に乗ってた時も? 出資して、こっちの話を聞いてた時も?」
「報告する役目を隠していたことは、変わりません」
襟元を掴む力が強くなった。
私はその手から、彼女の目へ視線を戻した。
「申し訳ありませんでした。会社を守るために、貴女について報告する役目を引き受けました。それを、今日まで隠していました」
「謝れば済むと思ってるの!?」
「いいえ」
「だったら、せめて協力しなさいよ……!」
ミオリネさんの声が震えた。
「私が逃げる邪魔をしたなら、スレッタがあの母親から離れる手伝いくらい、しなさいよ!」
私は、胸元を掴んでいる彼女の腕へ手を伸ばした。
引き剥がすことはせず、ただ、その腕を握り返す。
「貴女がスレッタさんを守りたいように、私にも守りたいものがあります」
彼女の目が見開かれた。
「父上と、社員たちです。私が引き受けた条件を破った結果を、あの方々へ負わせることはできません」
「……アンタの大事なものが無事なら、それでいいって?」
私は握った指を動かせずにいた。
四年前、会社を残すために差し出したもの。その中には、確かに私自身の自由もあった。
けれど、私の自由を差し出すと決めたのは私だ。
彼女には、それを選ぶ機会さえ与えなかった。
「自分のことばっかりじゃない」
「……はい」
それだけは、否定できなかった。
ミオリネさんは荒い息をつき、私を睨んだ。
「だったら、私がスレッタを助けることに、口を出さないで」
私は返事をしなかった。
「何を失うか、後でどうなるかなんて、私だって考えてる。あの子を騙したくて、やろうとしてるんじゃない」
「承知しています」
「本当に分かってる? 話したら母親に伝わるかもしれないのよ。あの女が何を言って、またスレッタを引き戻すか分からない。だから、今は話せないの」
私は彼女を見つめた。
話せば、守れなくなる。
その理由が必要になることを、私は知っている。だからこそ、先ほどの忠告を口にした。
「……デリング総裁も、貴女を守るために、貴女の自由を奪いました」
ミオリネさんの表情が変わった。
「それを、あんたが言うの?」
「ええ。その手伝いをした私が、申し上げています」
「私は、あの男と違う!」
「貴女が同じことを望んでいるとは思いません。ただ、貴女も今、本人には知らせず、その人のためになると信じたことを決めようとしている」
「じゃあ、スレッタが母親の元にいたいって言えば、そのままにしろっていうの?」
「私には、それが正しいと申し上げることもできません」
「だったら!」
「ですが、彼女が望むことを、すべて認められるわけではないのでしょう」
ミオリネさんが唇を結んだ。
私は、その顔を見ていた。
彼女には理由がある。プロスペラさんがスレッタさんをどのように扱ってきたかも、知っている。単純に、本人の意思を尊重すれば済む話ではない。
それでも、胸の底では、別の感情が動き始めていた。
私がしたことは許せない。けれど、自分がしようとしていることには、そうするだけの理由がある。
彼女がそう言っているように聞こえてしまう。
事情の違いを理解していながら、彼女だけが私を責める側に立っていることが、次第に堪らなくなっていった。
「私は、あの子に感謝してほしいわけじゃない」
ミオリネさんが言った。
「母親に使われずに、自分で生きていけるようになってほしい。それだけよ」
「私も、父上に感謝されたくて、取引をしたのではありません」
視界の端で、セセリアの手が動いた。
ここで、終わらせるべきだった。
私は既に、彼女を傷つけている。自分が何を失ったかまで語って、そのうえで彼女へ何を求めるつもりなのか。
「……一緒にしないで」
ミオリネさんの声に、胸の奥が冷えた。
「私は、スレッタの自由を売るんじゃない。自由にするためにやるの」
分かっています、と答えればよかった。
私が彼女へしたことは、彼女の行動で帳消しになるわけではない。似たところを見つけたからといって、許されるわけでもない。
分かっているのに、もう、そう言いたくなかった。
「貴女も、私と同じですよ」
口にした瞬間、僅かに息がしやすくなった。
そのことが、自分でも恐ろしかった。
「相手に話せば、止められるかもしれない。自分が必要だと考えたことを、選んでもらえないかもしれない。ですから、知らせずに決める」
「私は、あの子の望みをどうでもいいと思ってるわけじゃない!」
「私も、父上のお気持ちを、どうでもよいと思ったことはありません」
言葉が、少しずつ速くなっていた。
「父上は、私に無理な約束をしないよう仰いました。それでも私は約束をした。父上が何を望まれるかより、父上と会社を失いたくないという、自分の気持ちを優先したのです」
「だから、私もそうだって?」
「貴女も、スレッタさんが傷つくと分かっていながら、決闘に負けさせようとしている。嫌われても構わないと仰った。それでも、母親から離す方がよいと判断されたからでしょう」
「そうよ。ほかに方法があるなら、教えてよ!」
私は答えなかった。
ミオリネさんは、胸元を掴んだまま私を睨んでいる。
「何もしないくせに、私のやり方を責めるのね。自分には守るものがあるからって断って、私には、あの子を傷つけるなって言うの?」
その言葉は正しかった。
私は彼女に協力しない。それでいて、彼女が選んだ方法を責めている。
認めて謝るべきだと思った。けれど、口元には、僅かな笑みが浮かんだ。
「……ええ。身勝手でしょう」
「分かってるなら――」
「ですが、身勝手だと分かっていても、選べてしまうのです」
自分の声が、ひどく滑らかに聞こえた。
「守りたいものが関われば、正しくないと承知していることにも、手を伸ばせる。私は貴女へ嘘をついた。貴女はスレッタさんへ、何も知らせずに決闘を進める。自分には、そうするだけの理由があると思えるからです」
隣で、椅子が小さく鳴った。
見ないでください、セセリア。
もう、忠告ではなかった。
彼女も同じなのだと認めさせたい。そのために、今、彼女が抱えている恐れも、覚悟も、自分に都合のよい言葉へ変えている。
「……私まで同じだって言って、安心しようとしないで」
呼吸が止まった。
ミオリネさんは、私から目を逸らさなかった。
「あんたが私にしたことと、私がスレッタにしようとしてることは、別の話よ。私が間違ってたって、あんたが正しくなるわけじゃない」
「正しいとは、申し上げておりません」
声が硬くなった。
「私が申し上げているのは、正しくないと分かっていても、守りたい相手の望みを退けることはできるということです」
「だからって、人の気持ちまで決めつけないで!」
その言葉に、白い部屋の記憶が重なった。
私のためだと告げる声。
嫌だと答えれば、まだ分かっていないのだと繰り返された言葉。
私は、彼女の腕を握る自分の指へ目を落とした。
セセリアを守りたいと願った時、私も彼女へ何も知らせなかった。機体を持ち込み、戦う準備をして、私が安全だと思う場所へ行ってほしいと願った。
彼女がどう思うのかを、尋ねる前に。
胸の奥で、何かが軋んだ。
同じではない。
そう思ったはずなのに、顔を上げた私の口からは、逆の言葉が出た。
「私たちは、自分が選ばせてもらえなかった時には、その身勝手さを憎む。ですが、自分が守る側になれば、相手に選ばせることさえ恐ろしくなるのですね」
ミオリネさんが、私を睨んでいた。
「望まない答えを聞くくらいなら、今は話せないと思いたくなる。分かってもらうために話すのではなく、分かってもらえないから話さないと決める」
喉の奥が痛かった。
セセリアがいる。これ以上は、聞かせたくない。
そう思いながら、言葉だけが続いた。
「人間とは、しょせん、そんなものなのでしょう。愛する者の望みでさえ、自分が守りたいものとぶつかれば、退けられる。その人のためだと、本気で信じたまま」
「……もう、やめて」
「私も、貴女も。きっと、貴女の御父上も」
ミオリネさんの表情が強張った。
私は、それを見ていた。
見ていながら、止まれなかった。
「これが愛だと信じ、わかってもらえないと逃げ、知らず、聞かず」
記憶の中の男と、目の前の彼女と、自分自身が、ひどく近くに見えた。
「その果てへと突き進む」
「自分の話をしなさいよ!」
ミオリネさんが、私の襟を強く引いた。
「私を巻き込まないで! あんたが誰に何をしたのかも、それをどう思ってるのかも、あんたが話せばいいでしょ!」
私は口を閉じた。
「人間はそういうものだからって、それで終わらせるつもり!? 私が同じだって認めたら、あんたがしたことは、仕方なかったことになるの!?」
胸元を掴む手より、その言葉の方が、深いところへ届いた。
ならない。
そんなことは、分かっていた。
彼女が何を認めようと、私がしたことは変わらない。隣でセセリアが聞いていることも、私が今、何を言おうとしたのかも。
「……仕方がなかったとは、思っておりません」
ようやく、それだけを答えた。
「私は会社を守る方を選びました。貴女へしたことの責任も、私にあります」
「だったら、少しくらい後悔しなさいよ」
四年前の執務室が、不意にはっきりと蘇った。
会社を残すために、条件を一つずつ受け入れた席。
あの選択を悔やみ、やり直したいと願えば、何を手放すことになるのか。私は、その時から知っていた。
「……そんな感情、四年前に捨てさせられましたよ。貴女の御父上に」
ミオリネさんが息を呑んだ。
言い終えてから、卑怯な言葉だと思った。
総裁に求められた。従わなければ、会社は終わった。それでも、条件を受け入れたのは私だ。
「ですが、受け入れたのは私です。総裁に求められたから、責任がないとは申し上げません」
「……本気で、後悔してないの」
私は隣を見ないまま、頷いた。
「同じ状況に戻っても、私は会社を守る方を選びます」
「私が、どうなっても?」
「貴女に恨まれることになっても、その選択を変えることはできません」
ミオリネさんは、しばらく私を見つめていた。
やがて、胸元から手が離れる。
私も、彼女の腕を放した。
「……本当に、自分のことばっかり」
「はい」
それだけは、否定しなかった。
ミオリネさんが机の向こうへ戻り、端末を取り上げた。
私は乱れた襟元へ手をやりかけ、そのまま下ろした。
「本日のご依頼は、お受けできません。お引き取りを、ミオリネさん」
「言われなくても帰る」
彼女は扉へ向かい、その手前で足を止めた。
「今回の話、スレッタには言わないで。私が頼みに来たことも、これからしようとしていることも」
「承知しました」
「勘違いしないで。あんたを信用して頼んでるんじゃない。今、あの子に知られたくないからよ」
「……はい」
ミオリネさんは、こちらを振り返った。
「スレッタは、あんたのことも信じてる。相談すれば、ちゃんと聞いてくれる人だと思ってる」
私は彼女を見つめた。
「私も、そう思ってた」
胸元の布が、呼吸に合わせて動いた。
「でも、もう、何を話していいか分からないわ」
扉が閉まった。
遠ざかる足音を聞きながら、私はその場に立ち尽くしていた。
貴女も私と同じだ。
そう言った時、確かに、少しだけ楽になった。彼女の行動に自分と似たところを見つけるたび、もう一つ言葉を重ねたくなった。
最初は忠告のつもりだった。
けれど、いつからか、彼女が自分とは違うと言うことを、許せなくなっていた。
隣で、セセリアが動いた。
私は、その方を向くことができなかった。彼女が席を立たなかったことに、会話の途中、何度も救われていたはずなのに、今は、その沈黙が怖かった。
見ないでください。
声にできないまま、閉じた扉を見つめ続けた。
ここでクルーゼ要素をひとつまみ