水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
私という存在を言葉で表すのなら。
人の夢。
人の望み。
そして――人の業。
その果てに生まれた、本来ならばこの世界に生まれ落ちてはならなかった命。それが、私だ。
だからといって、お行儀良く死んでやるつもりもない。せっかく二度目の生を得たのだ。ならばせめて、この世界で私らしく生きていきたい。
こんな呪われた私にだって、それくらいは許されてもいいと思うのだ。
アスティカシア高等専門学園には、少し変わった規則がある。
決闘。
生徒同士の争いを、モビルスーツによる戦闘で解決する制度だ。金銭、謝罪、名誉、そして時には婚約者まで、賭けられるものは実にさまざまである。学園の正式な制度として認められているのだから、なかなかに恐ろしい。
もっとも、この制度については、私も思うところがないわけではない。
決闘の勝敗を左右するのは操縦者の技量だけではなく、機体の性能や整備環境、ひいては後ろ盾となる企業の資金力まで含まれる。公平な競争を標榜しながら、参加者が同じ条件に立つことは最初から想定されていないのだ。
つまり、学園の決闘制度とは、ベネリットグループという巨大な企業連合の縮図なのである。力のある者が勝ち、勝った者が正しさを手にする。それを教育と呼んでよいものかは、少々疑問だった。
まあ、私自身もこの制度を利用している以上、偉そうなことは言えないのだけれど。
そんなことを考えながら、私は授業を終えた生徒たちで賑わう廊下を歩いていた。
ふと、壁面に設置された姿見に自分の姿が映る。足を止め、軽く身だしなみを確かめた。
鏡の中には、アスティカシア高等専門学園の制服を身にまとった一人の少女が立っている。
もうすっかり見慣れた姿だ。
それでも、時折こうして自分の姿を眺めると、不思議な気分になることがある。
かつての私とは、何もかもが違う。 顔も、身体も、生まれも、育ちも。
人間の適応力とは、なかなか侮れないものだ。もっとも、今の私が純粋な意味で人間なのかと問われれば、少々返答に困るのだけれど。
「……まあ、悪くありませんね」
鏡の中の少女に向かって、小さく微笑む。少なくとも、今はこの容姿を嫌ってはいない。
むしろ、気に入っていると言ってもいいだろう。
生まれ方に問題があったからといって、生まれてきた自分自身まで嫌いになる必要はない。
そう考えられるようになるまでには、それなりの時間が必要だった。
私は制服の襟元を整え、再び歩き出す。そのときだった。
「あら」
授業を終えて廊下を歩いていた私は、壁面ディスプレイに表示された決闘結果に足を止めた。
勝者、グエル・ジェターク。
敗者、パーカー・イースコット。
どうやら、つい先ほど終了したばかりらしい。
グエル・ジェタークはジェターク寮の寮長にして、現在のホルダー。学園の決闘において頂点に立つ生徒であり、ジェターク・ヘビー・マシーナリーの御曹司でもある。
対するパーカー・イースコットは、彼に挑戦した数多くの生徒の一人だ。結果自体に驚きはない。むしろ、私が気になったのは、その組み合わせだった。
グエル・ジェタークとパーカー・イースコット。この時期、この対戦カード。グエル先輩の戦績二十四勝零敗一引き分け。
記憶が正しければ、いよいよ始まるのだ。
水星から来た一人の少女が、この学園の秩序をひっくり返す物語が。
「ようやくですね」
自然と口元が緩んだ。
私には、この世界の人々が知らない記憶がある。かつて、別の世界で見た物語の記憶だ。
もっとも、知っているからといって、何もかもが思い通りになるわけではない。私という存在が加わった時点で、ここはすでに記憶の中の世界とは異なっている。それでも、これまでの出来事はおおむね私の知る流れに沿って進んできた。ならば、今日もそうなる可能性は高い。
ガンダム・エアリアル。
あの機体が、ついに姿を現す。そう考えるだけで、胸が躍った。
かつて画面越しに見た機体が、現実の兵器として、私と同じ物理法則の下で動く。その光景を目にする機会が、とうとう訪れたのだ。
せっかくなら、一般向けの中継だけでなく、可能な限り詳細な戦闘記録を確保したい。特にエアリアルの機動と遠隔操作兵器の挙動については、複数の視点から解析する必要がある。
そうなると、行き先は一つしかない。決闘委員会のラウンジである。
私は端末を取り出し、慣れた手つきで連絡先を開いた。
セセリア・ドート。
発信すると、数回の呼び出し音の後、聞き慣れた声が耳元に届いた。
『はーい。アイリス?』
「ごきげんよう、セセリア」
『ごきげんよう。何、その改まった挨拶。今からお見合いでも始まるわけ?』
「いつも通りのご挨拶ですよ」
『知ってるけどさ。で、どうしたの?』
「今、ラウンジにいらっしゃいますか?」
『いるよー。今日も来るの?』
「ええ。少し決闘を見たくなりまして」
『ああ、またお嬢様のご趣味ね。じゃ、いつものよろしくぅ』
「まだ何も頼まれていませんが?」
『言わなくても分かるでしょー? 長い付き合いなんだしー』
「はいはい、お菓子ですね」
『飲み物もねー』
思わず笑ってしまった。
セセリアに会いに行く際、何かしらの菓子を持参するのは、いつの間にか習慣になっていた。彼女の好みも、今ではすっかり覚えてしまっている。
「随分と遠慮がなくなりましたね」
『今さら何言ってんの? あ、今日はちょっといいやつがいいなー』
「いつも十分良いものを買っているつもりですが」
『アンタッチャブルのお嬢様なんだから、もっと頑張れるでしょ?』
「セセリア」
『冗談だって。そんな怖い声出さないでよー』
まったく悪びれた様子のない声だった。
とはいえ、私も本気で怒っているわけではない。彼女はそれを承知しているからこそ、こうして遠慮なくからかってくる。
『それで?』
「はい?」
『ほかに用事ないの? わざわざ電話してきたんでしょ?』
私は少し考えた。
決闘を見るだけなら、わざわざ連絡する必要はなかった。セセリアがラウンジにいることなど、普段の行動からおおよそ分かっている。
「お声が聞きたかったものですから」
『あー、出た出た』
「何がでしょう?」
『そういうの、よく恥ずかしげもなく言えるよねー。ほかの子に言ったら勘違いされるよー?』
「ほかの方には申しませんよ」
『……あっそ』
ほんのわずかな間があった。
『で、何分くらいで来るの?』
「購買に寄りますので、十分ほどでしょうか」
『了解。待ってるねー。お菓子忘れないでよ?』
「忘れませんよ」
『アンタが来るのは歓迎だけど、手ぶらだったら入場料取るから』
「決闘委員会には、そのような権限もあるんですか?」
『今作った』
「職権乱用ですね」
『じゃ、またあとでー』
通話が切れた。私は端末をしまい、購買施設へ向かって歩き出した。
私が彼女を好いていることを、セセリアはよく知っている。それが単なる友情ではないことにも、薄々気付いているのかもしれない。
だからといって、彼女は私の好意を大げさに扱わない。いつものように受け取り、いつものように軽口で返す。その気安さが、私は好きだった。
決闘委員会のラウンジには、もう何度も足を運んでいる。
委員会の所属ではないものの、セセリアに会うために立ち寄ることは珍しくない。授業の合間に雑談をしたり、彼女が仕事を終えるのを待ったり、ときにはそのまま二人で食事へ出かけたり。今では、すっかり通い慣れた場所だった。
扉を開くと、見慣れた光景が広がっていた。
壁面には複数のディスプレイが並び、中央には決闘委員会用のコンソール。奥にはソファーが配置され、その一角で白髪の少女が足を組んでいる。
セセリア・ドート。
褐色の肌に、柔らかな白髪。人をからかうことを何より楽しんでいるような、悪戯っぽい笑み。
私の大切な友人だ。彼女は私の姿を認めると、片手を上げた。
「アイリスー、こっち」
「お待たせしました」
「んー、十二分。二分遅刻じゃん」
「ずいぶん厳しいですね」
「お嬢様相手だからねー。時間にはうるさくしないと」
「では、次からはもう少し余裕を持って参ります」
「そこは『許してください』ってお願いするとこじゃない?」
「お願いすれば許してくださるんですか?」
「内容によるかなー」
私が笑いながら彼女の隣へ向かうと、別のソファーから声がかかった。
「やあ、アンタッチャブル。今日もセセリアに貢ぎ物かい?」
シャディク・ゼネリ。
グラスレー寮の寮長にして、決闘委員会の中心人物。整った顔立ちに人当たりの良い笑みを浮かべた青年は、今日も相変わらず胸元を大胆に開いた制服姿だった。
実に風通しの良さそうな服装である。
「ごきげんよう、シャディク先輩。貢ぎ物ではありませんよ」
「そうなのかい?」
「ええ。友人への差し入れです」
「毎回ずいぶん気前のいい差し入れだね」
「セセリアが喜んでくださるので」
「ほら、貢ぎ物じゃないか」
「言い方の問題ですね」
シャディク先輩は楽しそうに笑った。
彼が私をアンタッチャブルと呼ぶようになったのは、いつからだっただろうか。
私が代表代理を務める企業、コズミック・シード。
ベネリットグループに所属しながら、総裁デリング・レンブランとの特別な取り決めによって、グループ内の他企業からの介入を受けない特殊な立場にある企業。
通常の系列企業とは異なるその立ち位置を揶揄して、いつしか付けられた通称が『アンタッチャブル』だった。私個人にもその呼び名が使われるようになったのは、代表代理として表に出る機会が増えてからだ。
シャディク先輩は、どうやらこの呼び名を気に入っているらしい。最初に訂正したときも、二度目に訂正したときも、彼は笑って聞き流した。今では私も、訂正することを諦めている。
「シャディク先輩、あんまりアイリスいじめないでくださいねぇ」
セセリアが横から口を挟んだ。
「せっかくお菓子持ってきてくれたんですから。機嫌損ねて帰っちゃったらどうするんです?」
「君が困るのは、お菓子が食べられなくなることだろう?」
「もちろん。それ以外に何かあります?」
「ずいぶん正直だね」
「私、嘘つけない性格なんで」
よく言う。
私は二人のやり取りを聞きながら、いつもの席へ腰を下ろした。
セセリアの隣。
特に取り決めがあるわけではないが、私が来ると彼女は自然にそこを空けてくれる。
「はい、どうぞ」
紙袋を差し出すと、セセリアは早速中身を覗き込んだ。
「おっ、これ好きなやつ。しかも結構あるじゃん」
「今日は少し多めに買いました」
「なになに、そんなに私に会いたかった?」
「ええ。お会いできて嬉しいですよ」
「またそうやって。アンタ、私が何言っても喜ぶんじゃない?」
「そんなことはありませんよ」
「じゃあ、嫌いって言ったら?」
「悲しいですね」
「へー。泣いちゃう?」
「そうかもしれません」
「うわ、重っ」
セセリアはそう言いながら、楽しそうに笑った。
彼女が本気で私を嫌うなど、考えたくもない。もっとも、そんな言葉を軽々しく口にする人ではないことも、私は知っている。
「ほんっと、私のこと好きだよねー」
「ええ。大好きですよ」
「知ってる。だからって、毎回言わなくてもいいんだけど」
「お嫌ですか?」
「別にー。言うだけならタダだし?」
「随分と現実的ですね」
「費用対効果は大事でしょ?」
彼女は菓子を一つ取り出し、得意げに笑った。私はその横顔を眺めながら、つられて微笑んだ。こういう何でもないやり取りが、私は好きだった。
「アイリスも食べる?」
「では、一ついただきます」
「自分で買ったんじゃん」
「セセリアに差し上げたものですから」
「じゃあ、特別に一個あげる。感謝してよねー」
「ありがとうございます」
「素直でよろしい」
菓子を受け取り、口へ運ぶ。上品な甘さが広がったところで、私は少しだけ彼女へ身体を寄せた。
「セセリア。肩をお借りしても?」
「ん? いいけど。何、疲れてんの?」
「少しだけ」
「アンタも大変だねー。お嬢様って、もっと暇そうな仕事だと思ってた」
「それは偏見ですよ」
「だって、私の知ってるお嬢様って、授業受けて、お茶飲んで、誰かに仕事押し付けてるし」
「随分と具体的ですね。まるでセセリアみたいです」
「誰とは言ってないから」
私は笑いながら、彼女の肩へそっと頭を預けた。
セセリアは一瞬だけこちらを見たものの、特に嫌がることもなく菓子へ視線を戻す。
「ほら、食べる?」
差し出されたのは、小さな焼き菓子だった。
「いただきます」
「はい、あーん。なんてね」
冗談めいた口調。いつもの、彼女の悪戯だ。
私は少しだけ顔を上げ、そのまま差し出された菓子を口にした。少しだけ唇と指先が触れてしまう。
セセリアの手が止まった。
「美味しいですね」
「いや、アンタさぁ」
「はい?」
「普通、ちょっとは恥ずかしがったりしない?」
「セセリアが食べさせてくださったので」
「それ、理由になってなくない?」
「そうでしょうか?」
「ほんっと、そういうとこだよねぇ」
呆れたように言いながらも、彼女はもう一つ菓子を取り出した。
「ほら、もう一個」
「よろしいんですか?」
「特別サービス。お嬢様限定ね」
「ありがとうございます」
今度は少しだけ意識して、彼女の指先に触れないように菓子を受け取った。
「アンタ、たまに猫みたいだよね」
「猫、ですか?」
「普段は澄ました顔してるくせに、懐いた相手には遠慮なく甘えてくるとこ」
「セセリアが甘やかしてくださるので」
「私のせい?」
「ええ」
「うわー、責任転嫁まで覚えちゃった」
「では、責任を取っていただけますか?」
「何の責任だっての。……まあ、五分くらいならいいけど」
そう言って、彼女は私の頭を軽く撫でた。
心地よい。
何も考えず、ただこうしていられる時間。私にとっては、それだけで十分に贅沢だった。
「君たち、本当に仲がいいね」
不意に、シャディク先輩の声がした。
顔を上げると、彼が何やら面白そうにこちらを見ている。
「そうでしょうか?」
「少なくとも、セセリアが誰かをそんなふうに甘やかしているところは珍しいよ」
「えー? そうですかぁ?」
セセリアは肩をすくめた。
「アイリスが勝手に甘えてくるだけですよぉ。私、被害者なんで」
「被害者のわりには楽しそうだけど?」
「お菓子もらってますから。これくらいはサービスしないと」
「なるほど。やっぱり貢ぎ物だったわけだ」
「先輩、そういうのは言わない約束でしょー?」
二人が顔を見合わせて笑う。私は少し考え、セセリアへ視線を向けた。
「では、次回からは差し入れを控えましょうか」
「えっ」
反応は早かった。
「いや、待って。何でそうなるの?」
「私がご迷惑をおかけしているようですので」
「かけてないかけてない。ほら、アイリスって普段頑張ってるじゃん? 息抜きも大事でしょ?」
「お優しいですね」
「でしょ? だから次もよろしくねー」
シャディク先輩が声を立てて笑った。
まったく、調子のよい人である。もっとも、その調子のよさに救われることも少なくないのだから、私は何も言えない。
「それで、アンタッチャブル」
ひとしきり笑った後、シャディク先輩が話題を変えた。
「今日は決闘を見に来たんだったね?」
「ええ。少し、記録を取らせていただきたくて」
「閲覧用の複製なら構わないよ。ただし、委員会の管理領域には手を出さないでくれ」
「承知しています」
「君の『承知しています』は、少し信用しづらいんだけどね」
「心外ですね。その程度の分別はありますよ」
「どうだろう。君の会社の技術力を考えれば、慎重にもなるさ」
私は小さく肩をすくめた。
コズミック・シードはモビルスーツのOSと機体制御システムに強い企業だ。しかし会社規模が大きくなった今は、具体的に何を研究しているのか、その全貌を知る者はグループ内でも少ない。だからこそ、余計な警戒を招くこともある。
とはいえ、今日の目的は単純だ。これから始まるはずの決闘を、できるだけ詳細に記録する。ただ、それだけである。
私はラウンジに設置された決闘用コンソールへ向かった。
ここからモビルスーツの出撃管理や、決闘に使用する各種学園設備を操作することができる。当然、現在はロックがかかっており、決闘委員会所属者の生体認証なしには触れない。
「シャディク先輩。ロックを解除していただいても構いませんか?」
「さすがに、まずは用件を聞いてからかな」
「ある生徒の決闘記録が欲しいんです。それも可能な限り全てのカメラから。操作は横で見ていただいて構いませんよ?」
「へえ。気になる生徒がいるんだ?」
「まあ、そんなところです」
シャディク先輩は私の顔をしばらく眺め、それからコンソールへ歩み寄った。
「いいよ。ただし、俺の見ているところで頼む」
「ありがとうございます」
生体認証が行われ、コンソールのロックが解除される。表示されたインターフェースを一瞥した。
ベネリットグループの施設で広く採用されている規格をベースに、学園用へ多少カスタマイズしたものだ。これなら、さほど難しくない。
「ここから過去の決闘記録にアクセスできて……」
シャディク先輩が操作方法を説明し始める。
私は頷きながら、端末のスクリーン上で指を走らせた。
「って、ちょっと待ってくれ。何をしてる?」
「少々プログラムを弄っています」
「待て待て。何をどう弄っているのか、先に説明を――」
「大丈夫です。終わりました」
「……えぇ」
シャディク先輩が珍しく間の抜けた声を漏らした。私はコンソールから手を離す。
「今後行われる決闘について、複数のカメラ映像を自動収集し、私の端末へ転送するようコマンドを追加しました。気になった試合があるたびに、いちいちこちらへ取りに来るのも面倒ですから」
「それを、この短時間で?」
「既存の機能を組み合わせただけですよ。管理者権限を必要とする領域には触れていません」
「そういう問題かな……」
シャディク先輩は深いため息を吐いた。その横で、セセリアが愉快そうに笑っている。
「うわー、またやってる。先輩、だから言ったじゃないですかぁ。アイリスに端末触らせるときは気をつけた方がいいって。この子、簡単なプログラミングなら朝飯前ですからねぇ」
「君は止めてくれなかったけどね」
「だって、面白かったんで」
「セセリア?」
「何、アイリス? 褒めてるんだよ?」
「そうは聞こえませんでしたが」
「気のせい気のせい」
シャディク先輩は苦笑し、少し離れた席にいた少年へ声をかけた。
「ロウジ。あとで追加されたプログラムを確認しておいてくれ」
「分かりました」
ロウジ・チャンテは手元の端末から顔を上げ、短く答えた。
「何も仕込んでいませんよ?」
「念のためだよ。君の『何もしていない』を、そのまま信じるには少し勇気がいる」
「信用がありませんね」
「信用しているから、目の前で操作を許したんだ。そこは分かってほしいな」
なるほど。そう言われてしまうと、反論しづらい。
「それで?」
シャディク先輩がコンソールへ寄りかかる。
「好き勝手したんだ。気になる相手くらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「別に隠すほどのことでもありませんよ」
私は片手を上げ、一本ずつ指を折った。
「グエル先輩」
「うん」
「エラン先輩」
「へえ」
「シャディク先輩」
「おっ。俺まで入っているとは光栄だね」
セセリアが口元を歪める。
「何それ。ついにアンタッチャブルのお嬢様も御三家に興味津々? もしかして婿探し?」
「技術的な興味ですよ」
「ちぇ、つまんなーい。ちょっとくらい色恋沙汰でも持ってきなよ」
「残念ながら、今のところその予定はありません」
「お嬢様は研究が恋人ってわけね」
「むぅ、そう言われると否定したいのですが……。あぁ、あともう一人――」
私は一拍置いた。ずっと待っていた名前を口にする。
「スレッタ・マーキュリー」
『おい、シャディク! 決闘だ!』
その瞬間だった。ラウンジに、ここにはいないはずの男子生徒の声が響いた。
グエル・ジェターク。現在のホルダーにして、ジェターク社の御曹司。
同時に、コンソールへ新たな決闘申請が表示される。
グエル・ジェターク。
そして――スレッタ・マーキュリー。
シャディク先輩が画面を見つめたまま、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「……君、今、何て言った?」
「スレッタ・マーキュリー、です」
「いや、それは聞こえたけど」
「何か問題でも?」
セセリアが私と画面を交互に見比べた。
「うわ、何それ。怖っ。アンタ、未来でも見えてんの?」
「まさか」
私は笑った。
「偶然ですよ」
「その偶然、ちょっと出来すぎじゃない?」
「私の日頃の行いが良いのでしょう」
「自分で言うんだ、それ」
セセリアは呆れたように肩をすくめた。私は表示された少女のプロフィールへ目を向ける。
赤い髪。
見覚えのある顔。
知っている。ずっと前から知っている。けれど、こうして現実に見るのは初めてだった。
「彼女が、水星から来た編入生です」
胸の奥が、わずかに高鳴る。
「おそらく、この学園を変える台風の目になりますよ」
「編入初日の生徒が?」
シャディク先輩が興味深そうに問い返す。
「ええ」
「ずいぶん高く評価しているんだね。何か根拠でも?」
「私の勘です」
「君の勘、か」
彼は小さく笑った。
「それは……無視しづらいな」
私は返事の代わりに、画面へ視線を戻した。
さあ、始まる。
水星から来た魔女のデビュー戦。どうなるかなんて知っているけれど、応援していますよ、スレッタ・マーキュリー。
そして、グエル先輩。大変申し訳ありません。
数日前、我が社が保有していたジェターク社の株式は、私の判断でかなり整理させていただきました。
だって仕方ないでしょう。
これから三連敗。
対外的な印象がスプラッシュマウンテンである。
もちろん、学園内の決闘結果だけで巨大企業の株価が決まるわけではない。それでも、御曹司の評判やグループ内での力関係は、決して無関係ではないのだ。それに、いずれ起こる出来事を知っている以上、経営判断に反映しない理由もない。
でも、大丈夫です。
別の次元では、これから多くの人々があなたを応援するようになります。
だから頑張ってください。
それはそれとして。
私は端末を操作し、学園内でひそかに流通している決闘賭博の倍率を確認した。
ホルダーであるグエル・ジェタークと、入学したばかりの無名の編入生。当然、倍率は極端に偏っている。
「あらあら、まあまあ」
思わず声が漏れた。
隣からセセリアが画面を覗き込む。
「ちょっとぉ。決闘委員会のラウンジで、非合法な決闘賭博するのやめてくれますぅ?」
「見ているだけですよ。それに、委員会も黙認しているのでしょう?」
「してないしてない。少なくとも、私は知らないことになってるから」
「随分と都合の良い立場ですね」
「大人の事情ってやつ?」
「まだ学生でしょうに」
「細かいこと言う子には、お菓子あげないよー?」
「それは困りますね」
私は笑って端末を閉じた。
今すぐ賭けるつもりはなかった。この決闘は、いずれ無効になる。金額を入れるとしたら、再決闘のときだろう。
とはいえ、ここまで倍率が偏っているのなら、少々惜しい気もする。
「アンタッチャブル」
シャディク先輩が声をかけてきた。
「君は、あの編入生が勝つと思っているのかい?」
「少なくとも、面白い決闘にはなると思いますよ」
「へえ。ホルダー相手に?」
「ええ」
私は画面に映る赤髪の少女を見つめた。
「期待していますから」
「何に?」
「彼女たちの可能性に、です」
当初計画は、女版ラウル・クルーゼ主人公がヒャッハーする話だったんだけどなぁ。
何がどうしてこうなった。