水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
上空へ出ると、被害の広がりが分かった。
建物の一角が崩れ、通路には瓦礫が落ちている。避難区画へ向かう人の列が見え、その頭上をガンヴォルヴァが横切った。
私は学園の警備回線へ識別情報と現在位置を送り、避難経路の表示を視界へ重ねた。
敵機は、ルブリス・ソーンとガンヴォルヴァ三機。
別々の区画へ散った無人機が、警備部隊を引きつけながら校舎へ射撃を加えている。その間にも、ソーンは避難する人々のいる方向へ進んでいた。
私は展開中のドミニコス隊へ通信を繋いだ。
『所属と目的を申告しろ』
「コズミック・シード代表代理、アイリス・シードです。機体名パンドラ。学園内の敵性機体への対処と、避難支援を行います」
『……学生か?』
「はい。現在、無人機三機と、その制御機と思われるガンダムを確認しています」
『こちらでも把握している。下には生徒がいるんだ。撃ち落とせば済む場所じゃないぞ』
聞き覚えのある声だった。
ケナンジ・アベリーさん。
私は中央通路へ進むガンヴォルヴァと、その下を移動する人々の位置を確かめた。
「承知しています。そちらで把握されている退避状況を共有していただけますか。こちらの情報も送ります」
通信の向こうで、短い間があった。
『……カテドラル、ドミニコス隊司令ケナンジ・アベリーだ。こちらの識別と指示には従ってもらう。無茶だと判断すれば下がらせるぞ』
「承知しました」
『まずは学園から敵を離せ。下手に撃墜するなよ』
「対応します」
右腕の大型ビームライフル――ユーディキュームを持ち上げる。
同時に、背部の大型ドラグーン三基と小型二基、腰部の小型六基を分離した。
背部の端末は上へ。腰から離れた六基は脚部を避けて外へ抜け、左右へ広がる。
一機のガンヴォルヴァが、こちらへライフルを向けた。
私は母機を左へ滑らせ、射撃を外す。敵機が砲口を追従させる間に、小型二基を左右へ回した。
右の端末から一射。
ガンヴォルヴァが回避へ移り、校舎の並びから離れる。その先へ左の端末を入れ、進路を塞いだ。
敵機が上昇する。
背後から校舎が外れたところで、ユーディキュームの引き金を引いた。
光条が胸部を貫く。
推進力を失った機体が無人の演習区画へ落下したのを確かめ、警備回線へ報告した。
「一機を排除しました。退避を進めてください」
『こちらでも確認した。……その遠隔兵器、全部君が動かしてるのか?』
「はい。残る二機へ向かいます」
パンドラを前進させながら、端末の配置を変える。
大型一基を高い位置へ残し、小型四基を西側へ先行させた。別の二基には学園の上空を監視させ、残る端末をソーンの動きに合わせて移動させる。
十一基すべてを、一機へ向ける必要はなかった。
西側では、警備機が遮蔽物の陰へ追い込まれていた。
ガンヴォルヴァが射撃を続け、その脇を抜けようとする。警備機が追えば、避難する人々のいる方向へ撃つことになる位置だった。
「西側の警備機、そのまま遮蔽物の陰へ下がってください。こちらで対応します」
『了解!』
小型端末を敵機の背後へ送り、左右から射線を通す。
ガンヴォルヴァが振り返る。
その動きに合わせて母機を上昇させ、ユーディキュームを構えた。敵機のライフルがこちらへ向くより先に、小型端末で右肘を撃ち抜く。
砲口が逸れ、光が路面を削った。
推進器を噴かして退こうとする機体の上へ、大型ドラグーンを下ろす。
上方からの射撃を避けた先に、ユーディキュームの照準を置いた。
引き金を引く。
二機目のガンヴォルヴァが、学園から離れた路面へ崩れ落ちた。
『……おいおい。まともに撃ち合う暇も与えないのか』
ケナンジさんの声を聞きながら、私は照準を解いた。
「西側の一機を排除しました。残る一機とソーンを確認します」
『了解。警備機は退避の護衛へ回れ』
味方機が地上へ下がっていく。
私は母機の姿勢を戻し、次の目標周囲の映像を拡大した。
最後のガンヴォルヴァは、建物の陰へ入っていた。ソーンからの射撃も続いている。双方を監視できる位置へ端末を散らし、パンドラを前へ進めた。
「セセリア。周囲の敵機は排除しました。そちらの状況を」
『退避、進んでるよ。今、次の一団を出したところ』
彼女の声の向こうに、学生たちを誘導する声が聞こえた。
『……ずいぶん派手にやってるみたいだねぇ、代表代理様』
「少々、機体が目立ちますので」
『機体だけのせいにするんだ』
私は僅かに口元を緩め、残る一機を追った。
敵機を減らしても、壊れた建物や落ちた瓦礫は残る。
セセリアから届く報告には、通れなくなった経路と、まだ移動できていない人々の情報が増えていた。
『東側の通路、閉鎖。今、別の区画へ回してる』
「そちらの退避は?」
『最後の一団を送ったところ。あたしとロウジも、これから――』
通信の向こうで、大きな音がした。
ソーンから放たれた射撃が、建物の間を抜けていた。ラウンジへ続く通路の接続部が崩れ、土煙が上がる。
「セセリア?」
『……平気。こっちは、大丈夫』
返事はあった。それでも、続いた咳に、操縦桿を握る指へ力が入った。
『ロウジ、そっち通れる?』
『下の通路は、生徒がいます。僕、先に合流してきます』
「お二人の位置を送ってください」
届いた表示を見る。
ロウジさんは階段の手前、セセリアは決闘委員会のラウンジ側にいた。間の通路が一部崩れている。
『あたし、戻って別の出口へ行く。先に皆を――』
建物の陰から、最後のガンヴォルヴァが現れた。
ラウンジへ進みながら、ライフルを持ち上げる。
私は小型二基を先行させた。一基を敵機の前へ出し、もう一基を右側へ回す。
正面からの射撃を避け、ガンヴォルヴァが建物へ砲口を向けた。
右腕を撃ち抜くのと、敵機が発砲するのは、ほとんど同時だった。
光が外壁を削り、ラウンジの窓が砕ける。
「セセリア!」
返事がない。
私は母機を加速させながら、敵機の進路へ大型端末を入れた。
ライフルを失ったガンヴォルヴァが、残った腕を前へ出す。腰を捻り、端末を避けてこちらへ向き直ろうとした。
その背後から、小型二基で推進器を撃つ。
機体が傾く。
ユーディキュームを向け、建物と重ならない角度から胸部を貫いた。
最後の一機が、通路脇の空き地へ落ちる。
「ガンヴォルヴァ三機、すべて排除しました」
報告しながら、既に外部カメラをラウンジへ向けていた。
崩れた天井と、散乱した机や椅子が映る。
「セセリア! セセリア! 無事ですか!?」
呼びかけながら、瓦礫の間へ視線を走らせる。返事を待つ間にも、カメラの倍率を上げていた。
どうして、答えてくださらないのですか。
つい先ほどまで、声が聞こえていた。私をからかい、避難の状況を伝えてくれていた。その声が、もう二度と聞けないかもしれない。
操縦桿を握る指が強張った。
私の秘密を知っても、隣にいると答えてくれた人だった。明日も、その先も、一緒に過ごしたいと思えるようになったばかりなのに。
崩れた天井の下へ目が向く。そこに彼女がいたらと思った瞬間、息が詰まった。
「お願いです……返事を、してください」
机の陰で、白い髪が動いた。
『……うっさい。聞こえてるって』
掠れた声が返った途端、詰めていた息が漏れた。
セセリアが机へ手をつき、ゆっくりと身体を起こす。生きている。その姿を確かめても、胸の動悸は収まらなかった。
額から、血が流れていた。
「怪我を……動けますか?」
『たぶん。ちょっと、待って』
彼女は足元を確かめてから、出口へ目を向けた。
『……あー、通路、また落ちた』
内側から救助へ入るには、崩れた通路を越えなければならない。だが、外壁の欠けたラウンジには、こちらから近づける。
「迎えに行きます。窓際から離れていてください」
『……分かった』
私はソーンの位置を確認し、そちらへ大型端末を二基向けた。
校舎へ向けられた砲口の前へ一射。ソーンがこちらを向いたところで、別方向から撃つ。
敵機が回避へ移る間に、パンドラをラウンジへ寄せた。
残る端末に周辺を監視させ、機体の手を足場にしてセセリアを胸部まで運ぶ。ハッチを開き、彼女の腕を掴んでコックピットへ引き入れた。
足が床へついたのを確かめた途端、私はその身体を抱き締めていた。
「……よかった」
制服越しに、温かさが伝わってくる。
背中へ回した腕に力がこもった。彼女がここにいることを、自分の身体で確かめずにはいられなかった。
「よかった……ご無事で」
「……うん。助かった」
セセリアの手が、私の背中へ触れた。
その手まで無事に動くことに安堵し、もう少しだけ強く抱き寄せる。
「ちょっと。そんなに抱きついたら、動けないんだけど」
「……申し訳ありません」
口ではそう答えても、すぐには離れられなかった。
彼女は一度、背中を撫でてくれた。それから、肩を軽く叩く。
「アイリス。まだ、外」
警告表示が視界の端で点滅していた。
ソーンが移動している。こちらへ戻した端末を避け、別の射線を探していた。
私は息を整え、腕を緩めた。
「……はい。補助席へ」
今は、彼女を安全に連れて帰らなければならない。
緊急用の座席を引き出し、セセリアを座らせる。近くで見ると、袖にも埃と血がついていた。
「額以外に、怪我は?」
「ちょっと切ったくらい。ほかは……今のところ、平気」
「気分が悪くなったら、すぐに仰ってください」
応急処置用の被覆材を渡し、固定具へ手をかける。セセリアは額を押さえながら、私の指を見た。
「震えてるよ」
「……貴女を失うかと、思いました」
そう答えると、彼女の手が一瞬だけ重なった。
「うん。あたしも、怖かった」
セセリアは私の手を軽く握り、それから離した。
「だから、ちゃんと帰ろ」
「はい」
固定具を確かめ、ハッチを閉じる。
操縦席へ戻った私は、ケナンジさんへ通信を入れた。
「損傷した建物から、一名を救出しました。現在、機内へ収容しています」
『怪我は?』
「意識は明瞭です。額に負傷がありますが、出血は多くありません」
『了解。残るガンダムは、こちらでも追っている。無理に接近するな』
「承知しました」
私はブリオン寮へ戻る経路を確認した。
その前方へ、ソーンが降りてきた。
着地した脚部が路面を砕く。
長い右腕が持ち上がり、ライフルの砲口が避難する人々のいる通路へ向いた。
私はユーディキュームを撃ち、敵機の足元を抉った。同時にドラグーンを射出する。
ソーンが機体を跳ねさせ、こちらへ向き直る。
その姿を見た瞬間、崩れたラウンジと、瓦礫の陰から起き上がるセセリアが脳裏へ浮かんだ。
額から流れていた血。呼びかけても返事のなかった時間。
あのガンヴォルヴァを操っていたのは、この機体だ。
「よくも!よくも!セセリアを!」
叫んだ瞬間、周囲が静かになった気がした。
警告音も、通信の声も遠のいていく。代わりに、視界がひどく鮮明になった。ソーンの砲口が動く角度も、装甲を伝って落ちる砂埃も、推進器の光が強まる瞬間も、はっきりと見えた。
頭の中から、迷いが消えていた。
十一基のドラグーンが、どこにあるのか分かる。
表示を確かめる必要はなかった。それぞれの向きも、母機からの距離も、射撃位置へ届くまでの時間も、自分の手足のように掴めていた。
私はパンドラを前へ出した。
ソーンの右腕が持ち上がる。
その動きより早く、小型二基を左右へ開き、大型一基を上方へ回した。残る端末も高度を変えながら散開し、敵機を囲む位置へ入る。
最初の光が、ソーンの右側を塞いだ。
ノレアさんが機体を捻り、左へ逃れる。その先へ二基目の射線を通すと、ソーンは推進器を噴かして急上昇した。
速い。
だが、どこへ動こうとしているのかは見えていた。
頭上の大型端末から撃つ。
ソーンが姿勢を崩しながら降下する。着地するはずの場所へ小型端末を差し向け、さらに後方から一射を重ねた。
敵機は地面へ脚をつける直前に推力を上げ、横へ跳んだ。
私は母機を追わせず、端末だけを動かした。
逃れた先に一基。その一基へライフルを向けようとすれば、背後から別の端末が撃つ。振り返る間もなく、上から、下から、異なる角度で光を通した。
ノレアさんは躱した。
機体を傾け、身を捻り、建物の陰へ入ろうとする。そのたびに私は射線を変え、逃げ込む先から追い出した。
左腕の兵装が持ち上がりかける。
その正面へ一射を置くと、ソーンは腕を引き、胴体を反らして避けた。
攻撃させるつもりはなかった。
こちらを狙う余裕も、避難する人々へ向かう時間も、与えたくなかった。
『――っ、お前……!』
通信に声が響いた。
私は答えず、十一基の位置を更新した。
ソーンが急降下し、土煙の向こうへ沈む。小型端末を低く滑らせ、その両側へ大型二基を回した。
次に上がってくる位置は、分かっていた。
光を交差させる。
ソーンが土煙を突き破り、辛うじて射線の間を抜けた。その右腕が、こちらへ向く。
初めて、ライフルの砲口がパンドラを捉えた。
私は母機を動かさなかった。
発砲と同時に、側方のドラグーンへ射撃を指示する。敵の光条へ斜めから撃ち込み、軌道を逸らした。
光はパンドラの肩を外れ、何もない上空へ抜けていった。
それを見届ける前に、別の端末から撃つ。
ソーンの頭部が弾けた。
敵機が大きく仰け反る。姿勢を戻そうとする動きへ、左右から二射。
右腕がライフルごと飛び、遅れて左腕も肩から離れた。
『あああっ!』
悲鳴が聞こえた。
私は射撃を止めなかった。
推進器を噴かし、なおも退こうとするソーンの下へ、小型端末を二基回す。右膝を撃ち抜き、傾いた身体を支えようとした左脚にも光を通した。
両脚を失った機体が、路面へ落ちる。
装甲が擦れ、火花が散った。頭部も、両腕も、両脚もない胴体が、瓦礫を押しのけながら止まった。
十一基のドラグーンは、その周囲に留まっていた。
『殺してやる……!』
ノレアさんの声が聞こえる。
『お前らなんか、みんな……!』
ソーンの背部で、推進器が断続的に光った。だが、胴体が路面を擦るだけで、もう、こちらへ武器を向けることはできなかった。
それでも、その声は止まらなかった。
セセリアを傷つけた。
私から奪うところだった。
私はユーディキュームを持ち上げ、倒れたソーンへ向けた。
照準が胸部へ重なる。
「ちょっと、殺す気?!」
すぐ近くで、セセリアの声がした。
その声を理解するより先に、別の機体が射線へ飛び込んだ。
『やめろ、アイリス・シード! もうノレアは戦えない!』
ルブリス・ウル。
両腕を広げ、ソーンを庇うように立ち塞がっていた。
エラン先輩の声に、息が止まった。
その向こうで、ソーンが横たわっていた。頭部も、両腕も、両脚も失い、残された推進器で路面を擦ることしかできない。
もう、戦えない。
その事実が、急にはっきりと目に入った。
私は何を、撃とうとしていたのか。
引き金に触れていた指を見下ろす。つい先ほどまで、ためらいはなかった。セセリアを傷つけた相手だと思うだけで、その先を考える必要などないように感じていた。
憎しみの目と心と、引き金を引く指しか、その時の私にはなかった。
自分が何をしようとしていたのかに気づき、背筋が冷えた。
私は引き金から指を離した。
エランさんの声だった。
『武器も手足も、全部壊しただろ! それ以上、何をするつもりだ!』
視界の中央に、ウルの胸部があった。
その向こうには、私が撃ち続けた機体が倒れている。
もう、戦えない。
私はそこへ、ライフルを向けていた。
「アイリス」
セセリアの声が、今度ははっきりと聞こえた。
顔を向けると、彼女は補助席から私を見ていた。片手で固定具を掴み、もう片方の手をこちらへ伸ばしている。
「あたし、ここにいるよ」
私は彼女を見つめた。
額の被覆材に血が滲んでいる。その傷を見て、また胸の奥が熱くなりかけた。
けれど、彼女の目は傷ではなく、自分を見るよう求めていた。
「助けてくれたでしょ。……だから、こっち見て」
息を吸うと、胸が痛んだ。
音が戻ってきた。
機器の作動音。通信越しのノレアさんの声。自分の呼吸が、思っていたより速いことにも気づいた。
私はセセリアの手へ視線を落とした。
コックピットへ引き入れた時、自分で握った手だった。抱き締めて、温かいと確かめた。その人が今、私へ手を伸ばしていた。
「……はい」
声が掠れた。
ライフルの砲口を下げる。胸部へ重ねていた照準を外し、ドラグーンを後退させた。
十一基とも、指示どおりに動いた。
先ほどまで身体の延長のように感じていた端末が、画面の中でそれぞれの位置へ戻っていく。
『……止まったのか』
エランさんの問いに、私は正面へ向き直った。
「はい」
ウルはまだ動かなかった。
私がユーディキュームを下げ切るまで、ソーンとの間に立ち続けていた。
当然だった。
攻撃を止めるべき相手として、今、彼が見ているのは私だ。
「……申し訳ありません」
誰へ向けた言葉なのか、自分でも定まらなかった。
セセリアが、伸ばしていた手をゆっくりと引いた。
「その話は後。今は、ちゃんと止まって」
「はい」
私はもう一度答え、操縦桿を握り直した。
『パンドラ、状況を報告しろ』
ケナンジさんの声がした。
「ソーンの武装と四肢を破壊しました。現在、射撃を停止しています。ウルが間に入っていますが、こちらへの攻撃行動はありません」
『確認した。現状を維持しろ。こちらも接近する』
「了解しました」
私は二機から距離を取った。
ドラグーンを外側へ散らし、周辺を監視する。倒れたソーンの胸部には、もう照準を置かなかった。
ウルが慎重に向きを変え、ソーンへ身を屈める。
『ノレア。聞こえるか』
『……うるさい』
『君まで死ぬ必要はないだろ』
荒い呼吸が、通信に混じっていた。
『だったら、どうしろっていうの……!』
ノレアさんの声が震えた。
『あなたみたいに逃げて隠れていればいい?! 何をされても見ないふりをして、生き残れば、それで満足なの?!そんなの死んでるのと同じ!』
ソーンの推進器が一瞬光り、胴体が路面を擦った。
ウルがその肩口を押さえる。
『ソフィは生きてた!あなたとは違う!!』
『当たり前だ!君もソフィじゃない!スケッチにあった風景画。それが君だろ!』
その一言に、ノレアさんが黙った。
『不安で、死ぬことに怯えて、殴り書くことでしか逃げられなくて!』
通信に、荒い呼吸が響く。
『お前に何がわかる!』
『僕と来い!』
エランさんは声を落とした。
『生き方がわからないなら一緒に探してやる。怖いなら隣にいてやる』
その言葉を聞きながら、私は隣を見た。
『生きていいんだって、証明させろよ!!』
『……一緒に来いとか、連れてけだの馬鹿なのあなた』
先ほどまで、この声を聞く時間さえ奪おうとしていた。
ノレアさんが何を叫ぼうと、もう関係がないと思っていた。セセリアを傷つけた相手だということだけで、引き金へ指をかけた。
私は手を握り直し、通信へ意識を戻した。
ソーンの推進器が止まった。
ウルは手を離さず、その返事を待っていた。
『……あなたと行ったって』
やがて、掠れた声が返ってきた。
『また、誰かが死ぬかもしれない』
『そうかもしれない』
エランさんは否定しなかった。
『でも、まだ起きてないことまで、ここで決めるなよ。僕は君に、生き残ってほしい』
長い沈黙の後で、ノレアさんが小さく息を漏らした。
『……勝手な人』
『今さらだろ』
『自分でも行き方が分からないくせに、人を誘って』
先ほどまでとは違う声だった。
怒りが消えたわけではない。それでも、誰も彼もを拒むための言葉ではなくなっていた。
エランさんが何か答えようとすると、彼女はそれを遮った。
『だったら……あなたのことも聞かせて……』
『僕の?』
『本当の名前……』
ウルが動きを止めた。私は二機を見つめた。
戦いの後にする話を、彼女が口にした。
エランさんと一緒に機体を降り、その続きを聞くつもりでいる。
その声を聞いて、ようやく、自分の肩から僅かに力が抜けた。
ノレアさんの言葉が、不意に途切れた。
通信に、喉を詰まらせたような音が混じる。
『ノレア?』
エランさんの声が変わった。
ソーンの推進器が、再び断続的に光った。だが、逃げようとしている動きには見えなかった。
「ノレアさん。聞こえますか。機体との接続を切ってください」
返事がない。
浅い呼吸と、抑えきれない呻きだけが聞こえてくる。
激しい戦闘と、三機のガンヴォルヴァの制御。その間、彼女はガンドフォーマットへ接続し続けていた。
「操縦者に異常があります。救護班をお願いします」
『手配する。機体は動くのか』
「推進器が断続的に作動しています。こちらで保持します」
ケナンジさんへ答える隣で、セセリアも端末を操作していた。
「学園側にも場所を送った。近くの班が向かうって」
「ありがとうございます」
『ノレア、接続を切れ! もう動かさなくていい!』
エランさんが呼びかける。
やがて、ソーンの推進器が止まった。
私はパンドラを近づけ、ウルと反対側から胴体を支えた。胸部を圧迫しない位置を選び、機体の傾きを止める。
「こちらで保持します。ハッチを開けられますか」
ウルのハッチが開いた。
姿を現したエランさんは、こちらを見ることもなくソーンへ渡っていった。足場を探して装甲を降り、コックピットの外側を何度も操作する。
『……開けよ』
掠れた声が、通信に残ったままだった。
『早く……!』
ハッチが動いた。
エランさんが身体を滑り込ませる。私はカメラの角度を変え、内部を確かめた。
操縦席で、ノレアさんが小さく身を折っていた。
顔や首に赤い光が浮かび、呼吸に合わせて肩が細かく震えている。エランさんが固定具を外し、彼女の身体を抱き起こした。
『もう切れてる。大丈夫だ。出よう、ノレア』
返事はなかった。
彼は一度足を止め、彼女を抱え直した。座席から離れたその手が、力なく落ちる。
私は救護班の到着位置を確認した。
まだ、来ていない。
「救護班は――」
「向かってる。ここの通路が崩れてて、回ってるって」
セセリアの返事に、私は配置図を開いた。
別の経路はないのか。パンドラで運べる位置まで出ていただけば、間に合うのではないか。
搬送先を探している間に、ノレアさんの声が聞こえた。
『……ねえ』
私は手を止めた。
エランさんが、すぐに顔を寄せる。
『何?』
彼女の唇が動いた。
言葉は、聞き取れなかった。
『……ああ』
エランさんが、小さく頷いた。
『名前、だったな』
彼は彼女の耳元へ口を寄せた。
何を伝えたのかは、こちらまで届かなかった。けれど、ノレアさんの指が僅かに動き、彼の制服へ触れた。
口元が、ほんの少し緩んだように見えた。
『……ノレア?』
エランさんが呼んだ。
彼女は答えなかった。
制服へ触れていた指が離れ、腕が落ちた。エランさんは慌ててその手を掴み、自分の胸元へ戻した。
『おい』
彼女の顔を覗き込む。
『聞こえてるんだろ。……今、教えたじゃないか』
私は二人を見つめていた。
ノレアさんの肩が、動かない。
先ほどまで苦しげに繰り返されていた呼吸が、聞こえなくなっていた。
『……まだ、何も』
エランさんの声が震えた。普段の彼から出るとは思えない絶叫が、回線に乗った。
彼は彼女を抱き寄せたまま、もう一度、その名を呼んだ。
ノレアさんは、彼の腕の中で動かなかった。
救護員が到着してから、私はソーンの胴体を地面へ安定させ、パンドラを退かせた。
処置のためにエランさんが離れるよう求められる。彼はすぐには手を放さず、何度か声をかけられてから、ようやく腕を緩めた。
私はその先を見続けることができず、周辺の映像へ目を移した。
攻撃は止まっていた。
黒煙の向こうを、救助車両が走っている。避難区画の入口では、運び込まれた物資を受け渡す人々が動いていた。
私の画面には、まだ生きている人たちが映っている。
それなのに、手が止まっていた。
『パンドラ』
ケナンジさんの声に、私は顔を上げた。
『現場はこちらで引き継ぐ。ブリオン寮の格納庫は使えるんだな』
「……はい。帰投可能と、連絡を受けています」
『収容した負傷者を連れて戻れ。君も一度、機体を降りろ』
「承知しました」
返事をしてから、二人のいる場所へ目を戻した。
ノレアさんのそばに、エランさんが座っている。
誰かが話しかけても、顔を上げなかった。
私は通信を開きかけ、指を止めた。
今、何を申し上げればよいのか、分からなかった。
「……アイリス」
隣から呼ばれ、セセリアを見る。
彼女は端末を膝へ置いたまま、固定具を掴んでいた。
「帰ろ」
私は頷いた。
セセリアは、それ以上何も言わなかった。