水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
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ブリオン寮の屋上からは、学園の被害がよく見えた。
建物の間を繋いでいた通路が、途中からなくなっている。外壁を失った校舎には、教室の机が傾いたまま残されていた。消火を終えた区画でも、焼けた壁の色は遠くから分かった。
見慣れていた場所を探すたび、その手前にあるはずのものが欠けていることに気づく。
私は手すりへ指を置き、眼下の通路を見下ろした。
瓦礫を避けて、物資を積んだ台車が進んでいた。その後ろを、寝具を抱えた学生たちが歩いている。迂回路の角では、腕章をつけた方が行き先を案内していた。
「届いてるみたい」
隣でセセリアが言った。
「はい。使えなくなった入口の分は、別の区画へ回せたそうです」
「炊き出しの場所も増やせるって。水と電源が使えるところ、見つかったみたい」
彼女が端末をこちらへ傾けた。
ファンクラブの皆さんから届いた報告だった。集まれた人数と、これから必要になる物が記されている。学園側の担当者と調整し、ほかの学生にも手伝っていただいているという。
「……皆さん、よく動いてくださっています」
「頼まれたの、嬉しかったんじゃない?」
「それでも、ご自身も被災されているのですから」
「そこは担当が見てるよ。休憩も交代も、決めたんでしょ」
「ええ」
私は頷き、通路へ視線を戻した。
台車の一台が止まり、積んでいた箱を下ろし始めた。受け取りに出てきた方が、運んできた学生へ頭を下げている。
準備していたものが、使われていた。
物資を分けて置いたことも、搬入口を複数確保していたことも、助けをお願いする相手を決めていたことも、無駄にはならなかった。
その向こうで、救助用の車両が止まった。
人が集まり、瓦礫を除く作業が続いている。遠すぎて、その手元までは見えなかった。
私は手すりを握り直した。
隣で、セセリアが端末を閉じる。
「降りる?」
「……はい」
彼女はそれ以上尋ねず、手を差し出した。
その手を取ると、指が絡んだ。
横顔へ目を向けた時、額の白い被覆材が見えた。昨日のものは取り替えられ、血も滲んでいない。それでも目が留まると、セセリアはすぐに気づいた。
「大丈夫だって。傷、昨日よりましだよ」
「……痛みは?」
「少し。触らなければ平気」
答えてから、片眉を上げる。
「何回目だっけ、その確認」
「気になってしまうのです」
「いいけど。そんなに見たいなら、もう少し近くで見たら?」
からかう声に顔を上げると、彼女は私の手を軽く引いた。
「ほら」
私は握った手へ少しだけ力を込め、彼女と一緒に屋上を後にした。
襲撃後の学園の生活は、使える場所を繋ぎ合わせるようにして続いていた。
崩れた通路には立ち入りを禁じる表示が出され、遠回りになる経路へ案内が増えている。無事だった教室や集会室には寝具と荷物が並び、授業の予定に代わって、給水や設備の復旧状況が掲示されていた。
学園を離れる準備をしている方もいた。迎えを待つ方も、帰る先との連絡がつかない方もいる。
避難者を受け入れている区画へ向かうと、入口で物資を仕分けていた学生がこちらへ気づいた。
「あ、アイリス様!」
抱えていた箱を台車へ載せ、駆け寄ろうとする。私は手を上げ、その場で構わないと伝えた。
「追加の衛生用品、届いています。食事は向こうで配っていますので」
「ありがとうございます。交代で休めていますか?」
「はい。今、次の担当に引き継ぐところです」
示された一覧には、担当と休憩の時間が記されていた。
ファンクラブの皆さんだけではなかった。説明を受けて腕章を借りた方が、別の方へ荷物の置き場を教えている。学園側の担当者へ確認しながら、足りない場所へ人を回していた。
「皆さんも被災されているのですから、無理はなさらないでください。人数が足りなければ、できる範囲へ減らして構いません」
「分かりました」
返事を聞いて歩き出すと、隣のセセリアがこちらを見た。
「代表代理様にも、同じこと言ってあげてよ」
「……私も、昨夜は休みました」
「あたしが寝かせたんでしょ」
否定できずにいると、彼女が満足そうに笑った。
奥の配膳場所では、大きな鍋から湯気が上がっていた。温かい食事を受け取った方々が、空いた席を探して移動している。
寝具を広げる場所は、まだ窮屈だった。水を使える設備も限られている。それでも、何がどこへ届き、次に何を待てばよいのかを知らせる掲示があり、尋ねれば答えてくださる担当者がいた。
配膳を手伝っていた学生が友人へ何かを言い、短い笑い声が上がった。
私はその声を聞きながら、現地の責任者へ次の搬入について尋ねた。
その区画を離れ、搬送用に空けられた通路を通った時だった。
担架を運ぶ方々が見えた。
私は端へ寄り、道を空けた。近くに設けられた一時的な安置場所には、既にいくつもの袋が並んでいた。
運び込まれた担架が下ろされる。
職員の一人が屈み、袋の口を整えた。
中にいたのは、生徒だった。
制服の襟と、動かない横顔が見えた。
誰なのか、分からなかった。
私と同じ授業へ出たことがあるのかもしれない。廊下ですれ違い、食堂で近くの席に座ったことが、あったかもしれない。
職員の手が動いた。
ファスナーが引かれ、制服が隠れ、顔も見えなくなった。
その音が、妙にはっきり聞こえた。
私は足を止めたまま、閉じられた袋を見ていた。
報告にあった死者の人数を覚えている。負傷者の搬送先も、追加で必要な物資も、確認していた。
だが、今、目の前で顔を覆われた方について、私は何も知らなかった。
名前も、昨日どこにいたのかも、誰と過ごしていたのかも。
ただ、この学園へ通っていた。
今日も生きていれば、食事を受け取り、誰かと話し、壊れた寮の代わりに眠る場所を探していたはずだった。
もっと早く出ていれば。別の区画を先に守っていれば。
けれど、この方がどこで亡くなったのかさえ、私は知らない。
繋いでいた手が、僅かに動いた。
セセリアが隣にいた。
彼女も何も言わず、運ばれていく袋を見ていた。
私は小さく頭を下げた。
担架が持ち上げられ、私たちの前を通り過ぎていく。邪魔にならないよう、もう一歩だけ壁際へ寄った。
しばらくして、セセリアが私を見た。
「……行こ」
「はい」
歩き出してからも、閉じられる直前の横顔が目に残っていた。
次の角を曲がると、食事を運ぶ台車とすれ違った。大きな容器からは、まだ湯気が上がっている。
私はその台車へ道を譲り、運んでいる方へ会釈した。
スレッタさんを見かけたのは、避難区画の入口だった。
腕に毛布を抱え、一人ずつ声をかけて配っている。受け取った方が何か尋ねると、掲示を確かめ、担当者のいる場所を教えていた。
「水星ちゃん」
セセリアが呼ぶと、彼女は顔を上げた。
「あ、セセリアさん。アイリスさんも」
「休んでる?」
「はい。さっき、ご飯をいただきました」
そう答えた顔には疲れがあった。それでも、以前のように、何をすればよいのか分からずに立ち尽くしてはいなかった。
セセリアが彼女を眺める。
「……変わった?」
スレッタさんは少し考え、それから小さく笑った。
「たぶん」
その腕に残った毛布を、私は見た。
「お運びするのでしたら、私も」
「ありがとうございます。でも、これで最後なので。向こうで待ってる方に渡してきます」
「そうですか」
「はい。それじゃ、また」
彼女は頭を下げ、自分の向かう先へ歩いていった。
私はその背中を見送った。
目の前に必要なことがあり、自分にできるから動いている。
その姿が、少し眩しかった。
宇宙議会連合のグストンさんから面会の依頼が届いたのは、それから間もなくのことだった。
会社宛ての連絡だったが、正式な技術協議の申し入れではなかった。まず個人的に会い、相談したいことがあるという。
私は内容を読み直し、セセリアへ端末を渡した。
「今回の襲撃のことかなぁ?」
「その可能性は高いと思います」
「断らないんだ」
「お話を伺います。何をお約束できるかは、その後です」
「ん。じゃ、あたしも行く」
彼女は予定を確認し、指定された場所への経路を開いた。
案内された場所には、グストンさんとベルメリアさん、それに地球寮の皆さんが集まっていた。
スレッタさんがこちらへ顔を向ける。
「待っていた。急に呼び出して、すまない」
グストンさんが空いている席を示した。
「いえ。お話の途中でしたか」
「スレッタ・マーキュリーに、協力を求めていたところだ。プロスペラ・マーキュリーを止めるために」
私はセセリアと並んで腰を下ろし、机に表示された資料へ目を向けた。
「こちらの機体は?」
「ガンダム・キャリバーン。ヴァナディース事変の際に、議会連合が押収した機体だ」
ベルメリアさんが、その説明を引き継いだ。
「データストームのフィルターが、一切ありません。パイロットの安全を守る仕組みを持たない機体です」
私は資料から顔を上げ、スレッタさんを見た。
「それに、搭乗されるのですか」
「……はい」
膝の上で手を握りながらも、彼女は頷いた。
「私、エリクトと話したいんです。お母さんとも、もう一度」
私はその名前について説明を求めた。
スレッタさんは少しためらい、それから話してくださった。エアリアルの中にいるエリクトさんのこと。プロスペラさんが彼女のために何をしようとしているのか。そして、自分が何のために生まれたと聞かされたのか。
私は口を挟まずに聞いた。
記憶にあることと重なっていても、目の前にいる彼女の言葉を先回りしたくはなかった。
「危険なのは、分かっています」
スレッタさんは資料へ目を落とし、それから顔を上げた。
「でも、私にできることがあるなら、やりたいです」
私は頷いた。
グストンさんが、こちらへ向き直る。
「君にも、協力してほしい。パンドラなら、パーメットを介した制御を受けずに動けるだろう?」
「はい。機体の制御とドラグーンへの指示に、パーメットは使用しておりません」
「クワイエット・ゼロへ接近する手段になるかもしれない。スレッタだけでなく、君の力も借りたい」
私は机の上で手を重ねた。
ここへ来る前から、何を求められるのかは想像していた。
それでも、実際に言葉にされると、その先にあるものがはっきりと形を持った。
エアリアル。
エリクト・サマヤさん。
私が、この世界で作り上げたものを向けてみたいと願ってきた相手だった。
「承知しました。パンドラと、私の力をお貸しします」
隣で、セセリアの指が僅かに動いた。
私はその気配を感じながら、言葉を続けた。
「出発までに、会社側の手続きと、既存の取り決めに関する確認は済ませます。ただし、機体の限界についても、お伝えしておかなければなりません」
「ああ。聞かせてくれ」
私は端末から、パンドラの制御系統を表示した。
「パーメットによる制御を受けないからといって、ほかの機体をすぐ同じ方式へ変更できるわけではありません」
「設計から変える必要があるんですか?」
ニカさんに尋ねられ、私は頷いた。
「はい。各部の状態をどう把握し、動きをどう合わせるか。その仕組みから用意しなければなりません。既存機からパーメットを取り除けば済む、というものではないのです」
「操縦する側も、変わるんですね」
「ええ。パーメットを使わない機体制御がどうなるか、お分かりでしょうか。慣れた機体から、当然のように返ってきた情報が失われる。目をつぶって操縦するようなものです」
「アンタはできてるじゃねえか」
チュチュさんに言われ、私は少し考えた。
「……むしろ、私しかできないのでは?」
オジェロさんが妙な顔になった。
「えーっと……操縦が難しいってこと?」
「十一基のドラグーン、それぞれの座標と向きを常に意識しながら、操作に対する反応の遅いモビルスーツを操縦する、とお考えください」
「……十一基、全部?」
「はい。母機も端末も移動しますから、位置関係は変わり続けます。もちろん、相手も動きますし、攻撃もしてきます」
画面の中で、十一基がそれぞれ異なる軌道を描いた。
「射撃する時点で目標がどこにいるか。その位置へ砲口を向けるために、いつ、どの方向へ端末を動かすか。それを考えながら、母機も回避させます」
ニカさんが表示を目で追った。
「その間も、ほかの端末は動かすんですよね」
「ええ。一基の射撃を待ってから次を動かしていては、包囲が崩れてしまいますので」
「支援用のAIが入ってるんだろ?」
オジェロさんに尋ねられ、私は頷いた。
「姿勢の維持や、指定した位置への移動は支援しています。ただ、配置や目標の選択、射撃の判断までは任せておりません」
「じゃあ、それを全部、自分で?」
「はい。周囲に味方がいれば、その位置も考慮します」
オジェロさんは、しばらく画面を見つめていた。それから顔を上げ、私を見た。
「何でできんだよ」
どう説明したものかと考えた。
端末の位置は分かる。必要な射線も、そのために動かす順序も掴める。だが、それをほかの方にも扱える手順として説明しようとすると、途端に難しくなる。
「まあ、私ですので?」
「何で本人が疑問形?」
私は隣へ目を向けた。
セセリアは、こちらを見ていた。いつもなら、ここで何か言う。私の答え方をからかい、皆さんの反応を面白がるはずだった。
けれど、彼女は黙っていた。
目が合うと僅かに口元を動かしたが、笑みにはならなかった。
「……セセリア?」
「聞いてるよ。続けて」
静かな声だった。
私は頷き、資料へ視線を戻した。
「他の奴が乗ること、考えて作ってねえのかよ」
チュチュさんの指摘に、私は素直に頷いた。
「パンドラは、私が動かせれば試験できましたから。汎用性は皆無ですね」
「欠点だろ。何でそんな堂々と言うんだよ」
「試験機として、必要な成果は得られておりますので」
ニカさんが制御図へ目を向けた。
「これから、その判断をどこまで機械へ任せられるか、調べていくんですね」
「はい。ただ、今回に間に合うものではありません」
私は配置図を閉じ、グストンさんへ向き直った。
「現状でご提供できるのは、パンドラ一機と、それを操縦する私です」
「短期間で数を揃えることはできない、というわけだな」
「はい。その前提でお願いいたします」
「技術者として、もう一つ申し上げます」
私はエアリアルとクワイエット・ゼロの資料を並べた。
「この二つは、この世界の技術的特異点と言えるものです。既存機の性能を少しずつ伸ばした先に、そのまま置いて考えられる相手ではありません」
制御を奪われずに動ける。
それは、相手から攻撃される中で、自分の意思で動くことができるというだけだった。
「破壊するつもりで全力を尽くして、ようやく辿り着けるかどうか。制御されないから勝てる、とはお考えにならないでください」
スレッタさんが唇を結んだ。
私は彼女へ向き直った。
「エリクトさんと話すために行かれることは、理解しています。ですが、攻撃を止めるために、エアリアルを破壊することはあります。必要なら、頭部も撃ちます」
「……はい」
「中枢を狙って撃破するつもりはありません。ただ、無傷で止めることも、損傷の影響を完全に限定することも、お約束できません」
曖昧な言葉で安心していただき、戦場で違うものを見せることはしたくなかった。
スレッタさんは俯き、少し考えてから頷いた。
「私も、止めに行きます。エアリアルが攻撃してきても、そのままにはできません」
「はい」
その答えを聞いてから、私は別の資料を開いた。
「接近するための追加装備も、用意しています」
表示した映像を見て、オジェロさんが机へ身を乗り出した。
「……何だ、これ」
宇宙艇の格納庫で、巨大な装備が固定されていた。
中央に設けられた支持部。その左右へ張り出す本体と推進器。前方へ伸びる二本の砲身が、格納庫の照明を鈍く反射している。
「父上のおもちゃです」
「おもちゃ?」
チュチュさんの声が低くなった。
「名称はミーティア。パンドラ用の大型武装ユニットです。上部へ母機を固定し、追加の推力と火力を得ます」
私は接続状態の図へ切り替えた。
パンドラの下へ、大きな装備が収まる。ニカさんが背部と腰部の周囲を拡大した。
「機体を中へ収めるんじゃなくて、上に乗せる形なんですね」
「はい。ドラグーンの展開と帰還に必要な空間を残すため、支持部を調整してあります」
私は前方の二本の砲身を示した。
「可動する左右のアームには、百二十センチ高エネルギー収束火線砲を一門ずつ。本体左右には、九十三・七センチの砲を二門装備しています」
「モビルスーツに持たせる大きさじゃねえだろ」
「持たせるのは難しいので、こちらへ載せました」
「そういう話してねえよ」
私は前方アームの図を拡大した。
「こちらには、MA―X200ビームソードも二基搭載しています。大きな刃を形成できますので、接近された場合や、構造物の切断が必要な場合に使用します」
図の中で、前方へ長い光の刃が伸びた。
オジェロさんが椅子へ座り直す。
「砲だけでも十分だろ……」
「射撃だけで、すべてに対応できるとは限りませんから。それから、各部に六十センチのエリナケウス対艦ミサイル発射管を備えています」
「まだあんのかよ」
「はい。突入の初動で火力を集中し、敵の配置を崩すための装備です」
グストンさんが、映像から私へ視線を移した。
「その装備で、最後まで戦うのか」
「いいえ。必要な火力を出した後は、戦闘中に切り離します。その先はパンドラ単独で戦います」
ニカさんから接続部について尋ねられ、別の図を開いた。支持部にかかる負荷と、切り離しの手順を説明する。
話しているうちに、試験中のことを思い出した。
思うように動かなかった機構。設計を変えるたびに、作り直してくださった部品。ようやく予定どおりに展開した時、父上から届いた、随分と長い報告。
作ったものについて話すのは、やはり楽しかった。
顔を上げると、またセセリアと目が合った。
彼女は伏せ気味の目で、私を見ていた。資料ではなく、説明する私の顔を見つめている。
その眼差しに気づくと、私は少しだけ言葉を切った。
「……装備については、以上です」
セセリアは、小さく頷いただけだった。
まず向かうのは、ベネリットグループの本社フロントだった。
キャリバーンへの搭乗と、スレッタさんが機体を扱えるかどうかの確認。それから、ミオリネさんとの面会。
クワイエット・ゼロへ向かうのは、その先になる。
私は移動の予定を確かめ、必要な資料の送付先を記した。
スレッタさんが、ミオリネさんへの面会について尋ねている。
その横顔を見ながら、私もまた、彼女へ伝えなければならないことを考えていた。
面会を終え、皆さんが席を立ち始めたところで、私はスレッタさんへ声をかけた。
「少し、お時間をいただけますか。二人だけで、お話ししたいことがございます」
「あ、はい。大丈夫です」
セセリアへ目を向けると、彼女は私を見ていた。
「外で待ってる」
「ありがとうございます」
皆さんを見送り、扉が閉まるのを待った。
私は机の表示を閉じ、スレッタさんへ向き直った。
「突然、申し訳ありません」
「いいえ。……なっ何ですか?」
私は一度、息を整えた。
「ミオリネさんに、私がしていたことについてです」
「私は、ミオリネさんを監視していました」
スレッタさんの表情が止まった。
「会社を守るための取り決めに従い、ご本人に知らせず、行動を調べて報告を受けていました」
「……ミオリネさんは、知ってるんですか」
「はい。そのことで、私を責められました」
私は彼女を見たまま、言葉を続けた。
「その際、私はミオリネさんへ、貴女を守るためだと言いながら、貴女の望みを確かめず、将来を決めようとしているのではないかと申し上げました」
スレッタさんの指が、膝の上で動いた。
「ミオリネさんが、貴女をプロスペラさんから離すために、嫌われる覚悟で行動していたことは知っていました。……その際、私は彼女を責めました」
彼女は何も言わず、続きを待っていた。
「初めは、忠告のつもりでした。守るために秘密を抱えれば、後から明かすことも難しくなる。それは、私自身が知っていることでしたから」
私は重ねていた手を握り直した。
「ですが、途中からは違いました。ミオリネさんだけが私を責める側にいることに、耐えられなくなったのです。貴女も、大切な人のためなら同じことをするのだと、認めさせたかった」
言葉にすると、あの時の自分が何を求めていたのか、改めてはっきりした。
「彼女の判断に問題があったとしても、私が監視していた事実は変わりません。それなのに、似ているところを探しては言葉を重ねました。彼女の覚悟を知りながら、傷つけるために、貴女との関係まで持ち出しました」
スレッタさんが目を伏せた。
私はその顔を見つめた。
「ミオリネさんを傷つけました。そして、貴女が大切に思う方を傷つけたことについて、貴女にも謝らなければならないと思いました」
私は頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
しばらく、何も聞こえなかった。
顔を上げると、スレッタさんは膝の上で手を握っていた。
「……ミオリネさんにも、話してください」
「はい」
「私が代わりに、いいですって言えることじゃないです」
「ええ。そのとおりです。ご本人へ、改めて謝罪します」
彼女は小さく頷いた。
それから少し迷うように唇を動かし、私を見た。
「でも……なんで、私にも謝ってくれたんですか?」
私は彼女を見つめた。
「花嫁を傷つけたのです。花婿にも謝らなければならないのは、道理でしょう」
スレッタさんが瞬きをした。
「でも、私、今はホルダーじゃ……」
「私は、ミオリネさんの花婿は貴女しかいないと、ずっと、そう思っておりますよ」
彼女の目が、僅かに見開かれた。
私は言葉を続けた。
「ホルダーが代わったからといって、貴女へお話ししなくてもよくなったとは、思えませんでした」
スレッタさんはすぐには答えなかった。
やがて、膝の上で握っていた手を少し緩めた。
「……私、ミオリネさんと話したいです」
「はい」
「まだ、分からないことも、いっぱいあるので。ミオリネさんがどう思ってるのかも、私、ちゃんと聞きたいです」
私は頷いた。
彼女がどのような答えを聞き、何を選ぶのか。そこまで私が決めることではなかった。
「私も、お時間をいただけるか伺います」
スレッタさんが顔を上げた。
「ですが、先ほど協力をお受けしたことを、謝罪の代わりにするつもりはありません。ミオリネさんへしたことは、それとしてお話しします」
「……はい」
「そのうえで、クワイエット・ゼロへ向かう際には、私も力を尽くします。キャリバーンへ余分な負担をかけずに済むよう、露払いはお任せください」
彼女は少しだけ背筋を伸ばした。
「ありがとうございます」
その返事を聞いて、私は頷いた。
廊下へ出ると、セセリアは壁際で待っていた。
端末をしまい、こちらを見る。
「終わった?」
「はい。お待たせしました」
スレッタさんも部屋から出てきた。
「それじゃ、私、皆のところに戻ります」
「ええ。また、準備のことでご連絡いたします」
「はい」
彼女を見送ると、セセリアが私の袖を掴んだ。
「アイリス。あたしも、話したい」
「……はい」
人の行き来から外れた場所まで歩き、壁際のベンチへ腰を下ろした。
セセリアは隣へ座ったが、すぐには口を開かなかった。膝へ置いた端末の画面を消し、両手で挟むように持っている。
私も端末をしまい、彼女へ向き直った。
「……さっき、楽しそうだったね」
「装備の説明でしょうか」
「うん。それも。エアリアルと戦う話も」
私は少し黙り、それから頷いた。
「はい」
「アイリスの全力を出せる相手だって、思ってる?」
「……その可能性は、高いと思います」
セセリアは私を見た。
「ごめん。あたしは、行ってほしくない」
声は、先ほどよりはっきりしていた。
「危ないから、無茶しないでねって送り出せると思ったんだけど。説明を聞いてたら、無理だった」
彼女の指が、端末の縁を握った。
「破壊するつもりで戦って、辿り着けるかどうかなんでしょ。あれだけの装備を使っても、勝てるか分かんないんでしょ」
「はい」
「だったら、やめてよ」
言葉が胸へ落ちた。
セセリアは目を逸らさなかった。
「水星ちゃんのために必要なのは、分かった。アンタが行けば、できることが増えるのも分かった。でも、それでアンタが帰ってこなかったら、あたしは?」
「……セセリア」
彼女の声が僅かに揺れた。
「アタシが傷ついて、アイリスは取り乱したよね?私も同じ」
私は膝の上で手を重ねた。
戦闘中、彼女は私のすぐそばにいた。
私が見ていたのは敵機と、その先にある射線だった。その隣で、セセリアがどのような顔をしていたのか、私はほとんど見ていなかった。
「帰ってきて、あれだけ離れたくないって言ったのに。今度は、自分から行くんだ」
「……はい」
「ずるいよねぇ」
彼女は笑おうとした。
けれど、うまく笑えてはいなかった。
「あたしには、ここにいてほしいって言うくせに」
私は答えられなかった。
セセリアが端末を脇へ置き、こちらへ身体を向けた。
「ねぇ、アイリス。行かないで」
今度は、頼む声だった。
「アンタにできることがあるのは分かった。でも、できること全部、やらなきゃ駄目?」
私は彼女を見つめた。
ここで頷けば、彼女は安心するだろうか。
行きませんと答え、そばに残ることを選べば。その選択を後から彼女のせいにしないでいられるだろうか。
考えてから、私はゆっくり口を開いた。
「すべてを、私がしなければならないとは思っていません」
「うん」
「それでも、私は行きたいのです」
彼女の目が僅かに伏せられた。
胸が痛んだ。それでも、ここだけを曖昧にはしたくなかった。
「プロスペラさんとエリクトさんを止めるために、力をお貸ししたい。それは、本当です。ですが、そのためだけに出撃したいわけではありません」
私は重ねていた手を解いた。
「私と父上、そして皆さんで作った機体で、挑んでみたいのです」
何度も書き直した設計を思い出した。
思うように動かなかった端末。試験の途中で止まった制御系統。原因を探し、部品を作り直し、ようやく予定した軌道を描いた時、皆さんと一緒に画面を見つめていた。
「私が扱えればよいという、身勝手な試験機です。それでも皆さんは、私の考えたものを動く形にしてくださいました。父上も、あの装備を作ってくださった」
私はセセリアを見た。
「それが、どこまで届くのか。あのエアリアルを前にして、私とパンドラに何ができるのかを、確かめたいのです」
「……死ぬかもしれなくても?」
私はすぐには答えられなかった。
その問いを軽く扱えば、今、彼女が何を話しているのかを聞かなかったことになる。
「死にたいとは、思っていません」
「うん」
「貴女のところへ、帰りたいです。これからも一緒に暮らして、お話をして……まだ、してみたいことが、たくさんあります」
声が少し掠れた。
「ですが、危険があるから挑まずに残ることを、今の私は選べません」
セセリアは、長い間、何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐いた。
「……止められないよねー」
私は唇を結んだ。
彼女は私を見て、少しだけ眉を下げた。
「ほらね、アイリス。大切な人を守りたいって思いって、やっぱり大切な人の意見とぶつかるんだよ」
手が伸びてきた。
私はその手を取った。
「私だって、そうなんだから」
指が重なった。
「危ないこと、させたくない。できれば、ここに置いときたい。帰ってこないかもって考えるくらいなら、つまんない顔されても、そばにいてほしい」
セセリアは繋いだ手を見つめた。
「今、結構、そんなこと考えてる。それが普通なんだよ」
ミオリネさんへ投げた言葉が、胸の奥で戻ってきた。
守りたいからと、相手の望みを退けること。その気持ちを批判しながら、私も同じことを求めていた。
セセリアも今、私を引き留めたいと思っている。
その願いを、身勝手だと片づけることはできなかった。
「……はい」
ようやく答えると、彼女が顔を上げた。
「でも、行くんでしょ」
「はい」
「じゃあ、あたしも船まで行く」
「セセリアには、学園で待っていていただきたいのです」
「嫌」
返事はすぐだった。
「貴女まで、危険に近づいていただく必要はありません」
「必要かどうかの話、してないよ」
セセリアの手が、私の手を握り直した。
「あたしは、ついていきたい」
「ですが……」
「ここで連絡だけ待つのは嫌。出ていくところくらい、自分の目で見たいし、帰ってきた時には、すぐ会いたい」
私は視線を落とした。
昨日のコックピットで、彼女を抱き締めた時の温かさを覚えている。
あの温かさを失うかもしれない場所へ、連れていきたくなかった。けれど、彼女も同じ思いで、私を止めていた。
「機体に乗せろって言ってるんじゃないよ。整備の船で待つ。それくらいは、聞いてくれない?」
私はしばらく黙っていた。
やがて顔を上げると、セセリアは私を見たまま待っていた。
「……分かりました」
彼女の肩から、僅かに力が抜けた。
「出撃する際には、船で待っていていただけますか」
「うん」
「そして、戻った時には、最初に貴女にお会いしたいです」
セセリアの眉が、少しだけ下がった。
「そのためについてくって、言ってるじゃん」
私は繋いだ手を両手で包んだ。
「……ありがとうございます」
「お礼は、帰ってから」
軽く手を引かれ、私は彼女の肩へ額を寄せた。
セセリアの手が、私の背中へ回った。
「行ってほしくないのは、変わらないからね」
「はい」
私は頷いた。
その手の温かさを、しばらく確かめていた。
通信が入ったのは、セセリアと一緒に立ち上がろうとした時だった。
父上からだった。
私は彼女と顔を見合わせ、通話を繋いだ。
「父上。ちょうど、ご相談したいことが――」
『婚約おめでとぉ〜』
言葉が止まった。
画面の中で、父上が満面の笑みを浮かべていた。
隣で、セセリアの指が私の手を強く握った。
「……どなたから、お聞きになったのですか」
『ん?整備班のみんな』
父上は嬉しそうに答えた。
『機体の帰投報告にしては、随分たくさん連絡が来るなあと思ったんですよ。開いてみたら、どれも同じお話で』
「皆さん……」
格納庫にいた五人の顔が浮かんだ。
私は空いている手で口元を覆った。セセリアは顔を逸らしていたが、耳まで赤くなっている。
『二人から聞けるのを待とうかとも思ったんですけれど、顔を見たら、つい』
「改めて、ご報告するつもりでした」
『ええ。ですから、詳しいお話は、その時に』
「詳しいって、何をですかぁ……」
セセリアの声が、いつもより小さかった。
父上は彼女へ目を向け、少しだけ笑みを和らげた。
『アイリスと一緒にいたいと、言ってくださったそうですね』
セセリアが、ゆっくり画面へ顔を戻した。
『ありがとうございます。僕も、嬉しいです』
「……はい」
短く答えた彼女の手を、私は握り返した。
父上はしばらく私たちを見ていたが、それから何か思い出したように背筋を伸ばした。
『それで、もう一つ。
来ちゃいました』
私は瞬きをした。
「……どちらへ、ですか?」
『今、船に乗っています。そちらへ派遣した、整備用の宇宙艇です』
言われて初めて、背後が研究室ではないことに気づいた。
整備用の架台が並び、見覚えのある作業服の方が通り過ぎていく。その向こうには、大きな砲身の一部が映っていた。
「父上が、ですか」
『はい。頑張る娘を送り出すのですから、父親としても、顔くらい見せておこうと思いまして』
私は画面を見つめた。
会いに来てくださったことは、嬉しかった。
ただ、父上の手には作業用端末があり、画面の端には、開いたままの工具箱まで映っていた。
隣からセセリアが身を寄せる。
「おもちゃで遊びに来たようにしか見えないんですけどぉ」
『んー。ソンナコトナイヨ』
「父上?」
父上の笑顔が、少しだけ固まった。
『……接続部の確認も、少々』
「整備班からは、確認済みと伺っておりますが」
『ええ。皆さんの仕事は確かですよ。ただ、実際に使うのであれば、こちらでも一度、見ておきたいところがありましてね』
「使用直前の変更は、試験が間に合いません」
『大きな変更はしませんよ。表示の整理を、もう少し――』
「父上」
『はい』
父上は口を閉じた。
隣で、セセリアが小さく笑った。
「ほんとに親子だねぇ」
「私は、必要な確認をお願いしているだけです」
「お父様も、必要な確認をしに来たんだって」
返す言葉がなくなった。
画面の向こうで、父上が困ったように笑っていた。
先ほどまで、セセリアが船に乗るというだけで、あれほど話し合ったばかりだった。その船に、父上までいらっしゃる。
私は一度、息を吐いた。
「……本当に、私を送り出すために?」
『もちろんです』
今度は、迷いのない返事だった。
父上は作業用端末を脇へ置いた。
『機体のことも、会社のことも、通信では話せます。でも、出発する前に、会っておきたかったんです』
私は画面を見つめた。
『娘が遠くへ行くのでしょう。顔を見て、いってらっしゃいくらいは言いたいですよ』
胸の奥が熱くなった。
父上は私を止めなかった。けれど、心配していないわけではないのだと、いつもより丁寧な言葉から分かった。
「……ありがとうございます」
『はい』
私は隣のセセリアを見た。
「セセリアも、ご一緒させていただきたいのです。出撃する際には、船で待っていてくださいます」
父上は私たちを見て、静かに頷いた。
『そうですか。では、一緒に迎えましょう』
私は一瞬、言葉を失った。
『帰ってきたアイリスを』
セセリアが、私の手を握った。
「そうですねぇ。説明したいこと、いっぱい持って帰ってくるでしょうし」
『それは、楽しみですね』
「長くなったら、お父様にお願いします」
『ええ。いくらでも聞きますよ』
「お二人とも……」
困ったような声になった。
父上が笑い、セセリアも僅かに口元を緩めた。
私はその顔を見てから、頷いた。
「では、後ほど伺います。まずは本社フロントへ向かいますので、そちらでお会いできるように」
『分かりました。待っていますよ』
父上は嬉しそうに答え、それから少しだけ身を乗り出した。
『ああ、アイリス。実物を見るのでしたら、前方アームの展開を――』
「父上?」
『……来てからにしましょう』
通信を終えても、セセリアは私の手を握っていた。
「お父様も、会いたかったんだね」
「……はい」
「おもちゃの方も、嘘じゃなさそうだけど」
「そちらも、否定はできませんね」
小さく笑ってから、私は彼女へ向き直った。
「セセリア」
「何?」
「止めてくださったことを、忘れずに行きます」
彼女の表情が静かになった。
「貴女が、行ってほしくないと仰ったことも。帰ってくるのを待っていると、仰ってくださったことも」
「……うん」
「挑んでみたいという気持ちは、変わりません。ですが、それで頭をいっぱいにして、貴女のお話を聞かなかったことにはしたくありません」
セセリアは私を見つめた後、ゆっくりと息を吐いた。
「帰ってきたら、ちょっと怒るかも」
「はい」
「心配した分くらいは、文句言わせてよね」
「伺います」
私は頷いた。
セセリアはまだ私の手を握っていた。少しだけ笑っているのに、その目には不安が残っている。
私は空いている手を、彼女の頬へ添えた。
「……アイリス?」
こちらを向いた彼女へ、そっと顔を近づける。
セセリアの視線が私の目元から唇へ落ちた。頬へ添えた手に彼女の指が触れ、それから、僅かに顎が上がった。
唇を重ねた。
触れた瞬間、繋いでいた手が強く握られる。私も目を閉じ、ほんの少しの間、その柔らかさを確かめた。
離れると、セセリアは赤くなった顔で私を見ていた。
「……こんなところで、何してんの」
「死ぬつもりは、ありません」
私の声も、思っていたより小さかった。
それでも、目を逸らさずに続けた。
「貴女と、これ以上のことをするつもりなんですから」
セセリアの唇が、何か言いかけたまま止まった。
その反応を見て、私も急に顔が熱くなった。けれど、今さら言い直すつもりはなかった。
セセリアは私の胸元へ額を押しつけた。
「……ばか」
「はい」
「ほんっとに、ばか」
制服を掴む手へ、力がこもる。
「そんなこと言われたら、余計、帰ってきてほしくなるじゃん」
私は彼女の背中へ腕を回した。
「帰ってきます」
セセリアはしばらく黙っていた。それから顔を上げ、赤いままの頬で私を睨む。
「その先は、あたしにも決めさせてよね」
「……はい。もちろんです」
「だったら、続きは帰ってから」
そう言って、彼女は私の襟元を軽く引いた。
今度は彼女の方から、短く唇が触れた。
私は瞬きもできずに、その顔を見つめた。
「何、その顔」
「いえ……嬉しくて」
「自分からしたくせに」
セセリアは困ったように笑い、私の手を握り直した。
「ほら。行くよ。まずは本社でしょ」
「……はい」
彼女が立ち上がるのに合わせ、私も腰を上げた。
スレッタさんには、ミオリネさんへ伝えたいことがある。私にも、謝らなければならないことが残っている。
クワイエット・ゼロへ向かうのは、その後だった。
まだ唇に残る温かさが気になって、うまく顔を見られなかった。隣のセセリアも前を向いたままだったが、繋いだ指をほどこうとはしなかった。
お気に入りや評価でなんとかモチベ続いてはります。あざます。