水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
刃を合わせたまま、エアリアルが噴射を変えた。
正面にいた白い機体が、パンドラの左側へ流れる。私は左腕を引き、サーベルを滑らせながら母機の姿勢を戻した。その間へユーディキュームを向けたが、撃つ前にビットが割り込んでくる。
ライフルの光が、青い防壁を打った。
その向こうで、エアリアルは離れていった。
追おうとして、私は推力を落とした。右上方の大型ドラグーンが、二基のビットに挟まれていた。
一基が前から撃ち、もう一基が回避先へ回っている。大型端末を下へ逃がし、近くの小型端末を援護へ向けた。
その小型端末にも、別のビットがついていた。
砲口を返せば、撃たれる。
私は母機のライフルを上げた。だが、そこへエアリアルが踏み込んでくる。光の刃を防盾で受け、押し流されないよう噴射を加えた瞬間、大型端末の表示が赤へ変わった。
映像の隅で、装甲が弾けた。
まだ接続は生きている。損傷した側の噴射を止め、反対側へ補正を加えた。端末を回転させながら、使える砲門を追ってくるビットへ向ける。
撃つより早く、もう一基が側方へ入った。
二射目が端末を貫いた。
砲口が不自然な方向へ跳ね、接続表示が消える。大型ドラグーンが回転しながら遠ざかっていった。
私はエアリアルの刃を押し返し、母機を下げた。
一本、射線が消えた。
その場所へ小型二基を送り、残る大型端末を回した。
左側の小型端末を、二基まとめて退かせた。
先行する一基から後方へ撃ち、追ってくるビットの進路をずらす。その間にもう一基を反転させ、側方から射線を通した。
ビットが加速した。
二つの光の間を抜け、先行していた端末へ距離を詰めてくる。私はその端末を上へ逃がし、もう一基から別の砲門を撃たせた。
今度は、避け切られなかった。
ビットの端を光が削る。噴射の向きが乱れ、傾いた機体へ追撃を重ねると、中央付近から破片が散った。
推進の光が消える。
私はその一基から照準を外し、次の相手へ端末を向けた。
その瞬間、こちらの小型端末も光に貫かれた。
別のビットだった。
撃ち終えた端末が次の姿勢へ移る、その短い間を狙われていた。外装が開くように砕け、砲口を収めた部分が本体から離れる。
残る一基を引いた。その側面にも光が触れた。
推進器の一部が失われ、予定した軌道から外れていく。残る噴射口で姿勢を整え、母機へ戻す進路を与えたが、ビットはその背後を追わなかった。
戻ろうとする先へ回り、砲口をこちらへ向けていた。
私はユーディキュームを振った。
間に合わない。
光が走り、小型端末が弾けた。
唇を噛んだ。
向こうは、こちらの端末をただ追っているのではなかった。
どの砲門から撃ち、次にどちらへ向くのか。援護へ入るために、どの端末が姿勢を変えるのか。母機から離れる時も、戻る時も、その先を押さえられていた。
残る大型端末を回し、小型端末をその射線の近くへ寄せる。離していた配置を狭めると、エアリアルもそれに合わせて進路を変えた。
『もう、さっきみたいには撃てないね』
「……まだ、撃てますよ」
ユーディキュームを構える。
エアリアルへ放った光をビットが遮り、その外から別の一基がこちらを狙った。防盾を上げて一射を受けながら、大型端末に撃たせる。
ビットが離れた。
その背後へ小型端末を送ろうとしたが、また別の砲口が向いた。
私は端末を引き戻した。
四十三あった砲門が、減っていく。
援護へ回せる端末が少なくなるほど、一基へ負担が集まった。撃たせれば、その後の向きを狙われる。退かせれば、その間に別の端末へ距離を詰められた。
私は射撃の間隔を変えた。
大型端末の中央から撃つと見せ、外側の砲門へ切り替える。ビットが避けた先へ小型端末を回し、さらに別の角度から光を通した。
相手は進路を上へ変えた。
その先を狙える大型端末が、右側にある。
照準を与えようとした時、そちらにもビットが迫っていた。端末を動かしながら撃たせたが、相手は光条の外へ滑り、そのまま砲口を返してくる。
大型端末の先端が弾けた。
残る砲門を一斉に撃たせ、ビットを遠ざける。損傷した端末を母機へ寄せ、その後ろを小型端末で覆った。
正面から、エアリアルが来た。
ライフルを向ける。白い機体は光条を外しながら左へ流れ、その肩越しからビットが撃った。
母機を捻ると、その一射が背後の小型端末へ届いた。
表示が消えた。
そこへ向けていた意識だけが、取り残される。
私は息を吐き、次の入力を送った。
見えている。
次にどこから撃たれるのかも、どの端末が危ないのかも分かる。
それでも、動かせるものが足りなかった。
母機の周囲へ戻した端末は、迎撃に使わなければならない。外側へ出せるものを減らすほど、エアリアルへ向けられる射線も減った。向こうは、その薄くなった場所から入ってくる。
私は損傷した大型端末を、再び前へ出した。
残る砲門へ別々の射角を与え、まず一射を通す。ビットが外へ避けたところで、その進路へ二本目を置いた。
相手が噴射を止める。
姿勢を返してこちらを狙う、その位置へユーディキュームを向けた。
引き金を引く。
ビットの側面が砕けた。向きを変えようとした機体へ大型端末の射撃を重ねると、中央を光が抜け、推進の光が途切れた。
だが、大型端末も逃れられなかった。
反対側から来た一射が、その胴を貫いた。
複数の砲門の表示が、まとめて消える。
私は母機を加速させた。端末を失った空間へビットが入るより先に通り抜け、残る小型端末へ帰還を指示する。
一基が、戻る途中で撃たれた。
次の一基は回避できた。だが、姿勢を変えた先へ別のビットが待っていた。
私はライフルを撃った。
相手を退かせることはできたが、その間にエアリアルが近づいていた。振り下ろされる刃を防盾で受け、押し込まれる力に合わせて母機を流す。
その先へ、細い光が走った。
小型端末の接続が、また一つ消えた。
生きている表示を数え直した。
大型一基、小型三基。
いずれにも損傷があった。小型の一基は噴射を変えるたびに軌道がずれ、大型端末もすべての砲門を使える状態ではない。
それでも、まだ動いていた。
四基を母機の近くへ寄せ、接続位置へ導く。ユーディキュームでエアリアルを牽制しながら、小型端末を一基ずつ収めていった。
ビットが追ってきた。
左腕の刃を振り、近づく一基を退かせる。その外から来た射撃を防盾で受けると、傷ついた表面から装甲片が剥がれた。
母機を右へ動かし、戻ってくる大型端末のために進路を空ける。追撃へ回ろうとするビットをライフルで押さえ、その間に背部へ収めた。
四基すべての補給が始まった。
『もう終わりだよ』
エアリアルが、正面にいた。
その周囲へ残る九基のビットが戻っている。傷ついたものもあったが、母機を守りながらこちらを囲むだけの数が残っていた。
私は補給の表示を確かめ、それからパンドラの状態へ目を移した。
左肩の装甲が失われ、防盾にも亀裂が広がっている。推進器の温度は上がり、機体を動かすたびに、先ほどまでとは違う補正が必要になっていた。
呼吸は、まだ整わなかった。
それでも、エアリアルの輪郭ははっきり見える。
「……そうですね」
息を吸った。
「これで、最後にいたしましょう」
四基へ、分離の指示を送った。
母機を加速させた。
大型ドラグーンを上へ、小型二基を左右へ送る。残る小型一基は、パンドラの下に留めた。
ユーディキュームを撃つ。
エアリアルの前へビットが寄り、防壁が広がる。その光へ向かって、私はパンドラを進めた。
大型端末から、使える砲門を順に撃たせる。左右の小型端末も、母機を挟むように光を通した。
ビットが散った。
一基が大型端末を狙う。私は端末を退かせず、その相手へ砲口を向けた。
先に中央から撃ち、相手が側方へ避けたところで、残していた砲門を撃たせる。ビットはさらに進路を変えながら、こちらへ砲口を残していた。
光が交差した。
大型ドラグーンの外装が弾けた。同時に、ビットも中央付近を撃ち抜かれ、姿勢を失う。
大型端末の表示が消えた。
私は左右の小型端末を、さらに前へ出した。二基を離し、エアリアルがどちらへ退いても射線が残るよう、砲口を向ける。
エアリアルが下へ移動した。
その先へ母機のライフルを合わせると、ビットが防御へ入った。私は撃ち、小型端末からも同じ場所へ射撃を重ねた。
青い面が白く膨らむ。
防御を担う一基が位置を変えようとした。その外へ光を通し、もう一基の小型端末を母機の側方へ回す。
ビットが追った。
私はそちらへユーディキュームの照準を移した。
光が、防壁の端を抜けた。
ビットの一部が砕け、推進の光が消える。その脇を、別の一基が抜けてきた。
パンドラの左腕へ向かっていた。
私は防盾を上げた。
光が突き刺さった。
今までとは違う衝撃が、左腕を跳ね上げた。複合兵装防盾の中央が裂け、刃を形成していた光も消える。割れた装甲と内部の部品が飛び散り、その下からパンドラ自身の前腕が露わになった。
私は腕を引いた。
まだ動く。
左腕は残っている。
ユーディキュームを構え直した瞬間、右側からビットが入った。
砲口を向けるより、近かった。
光がライフルの側面を貫いた。
表示が赤へ変わる。私は出力を切り、右手を開いた。損傷した武器を離すと、次の瞬間、その内部から光が膨らんだ。
ユーディキュームが、目の前で弾けた。
爆発の光の中へ、パンドラを進ませた。
左右の小型端末が、まだ撃っていた。その一基へビットが回り込む。私は端末を反転させ、逃がす代わりに相手へ砲口を向けた。
一つ目の砲門から進路を塞ぎ、二つ目をその外へ向ける。相手が射線の間を抜けようとしたところで、最後の砲門を撃たせた。
ビットの一射が、端末を貫いた。
こちらの射撃も、その機体へ届いていた。
ビットが傾き、推進の光が途切れる。
もう一基の小型端末には、二方向から光が向かっていた。一射目を避けさせ、母機の近くへ引いたが、その動きに合わせて二射目が通る。
表示が消えた。
残ったのは、パンドラの下にいた一基だけだった。
私はそれを、エアリアルの背後へ送った。
同時に、左手を伸ばした。
エアリアルがサーベルを振る。私は砕けた防盾の残骸ごと前腕を差し入れ、その刃の根元へ押しつけた。
装甲が裂ける。
左腕の警告が視界へ広がった。
噴射を加えた。
刃を受けた腕を押し出し、エアリアルが離れようとする向きへ機体を寄せる。足りない分を背部の推進器で補い、右腕を頭部へ向けた。
エアリアルが後退した。
その背後から、最後のドラグーンが撃った。
直撃はしなかった。白い機体が姿勢を変え、光を外す。だが、その分だけ、こちらから離れる動きが止まった。
私は右手を伸ばした。
ビットの射撃が、脚部へ届いた。
右脚の先が飛び、続いて左脚にも衝撃が走る。機体が傾きかけたが、姿勢を戻そうとはしなかった。その回転を残したまま、右腕を振り抜く。
指先が、エアリアルの頭部へ触れた。
アンテナを掴む。
噴射を加えた瞬間、背後で何かが砕けた。バックパックの表示が失われ、座席へ身体が叩きつけられる。
それでも、右手は離さなかった。
エアリアルの頭部が僅かに引かれた。
次の瞬間、白い破片が視界を横切った。
折れたアンテナを、パンドラの指が握っていた。
エアリアルが離れた。
最後のドラグーンへビットが向かう。私は撃たせようとしたが、端末が姿勢を変えるより早く、光が中央を貫いた。
接続表示が消えた。
私は息を吐いた。
操縦桿を動かしても、機体は思うように向きを変えなかった。脚部の損傷に加え、背部の推進器も失われている。残る噴射口で回転を抑えようとしたが、入力に対する応答が揃わなかった。
正面へ戻ってきたエアリアルの頭部で、アンテナの片側が欠けていた。
『決闘なら、勝ってたかもね』
私はその顔を見た。
声を出そうとして、息だけが漏れた。笑いたかったのか、言い返したかったのか、自分でも分からなかった。
残る六基のビットが、パンドラを囲んだ。
一基が右側へ回り、砲口を向ける。腕を引こうとした、その付け根を光が通った。
操縦桿へ込めた力とは関係なく、表示の中で右腕が離れる。折れたアンテナを握ったまま、右手が遠ざかっていった。
続いて、左腕を撃たれた。
サーベルで裂かれていた箇所から骨組みが断たれ、防盾の残骸ごと腕が離れる。衝撃が座席を揺らし、身体を固定するベルトが肩へ食い込んだ。
損傷した脚部にも、別々の方向から光が入った。辛うじて繋がっていた装甲と骨組みが断たれ、残っていた脚が回転しながら流れていく。
私は歯を食いしばった。
胴体には、来なかった。
四肢を失ったパンドラが、緩く回転していた。姿勢制御へ入力を送るたび、応答できない箇所が警告で示される。
正面の映像を、エアリアルが横切った。その周囲に残るビットが、砲口をこちらへ向けている。
十一基のドラグーンの表示は、すべて消えていた。
「……ここまで、ですか」
自分の声が、ひどく掠れて聞こえた。
頭の中に広げていた位置関係が、急に狭くなっていく。動かせる端末も、向けられる砲門も、もうなかった。
操縦桿を握ったまま、座席へ背を預けた。
息が整わない。
それでも、エアリアルから目を離せなかった。
その横を、太い光条が抜けた。
エアリアルが噴射し、ビットが一斉に向きを変える。私は視線を動かし、新たに入ってきた機体を捉えた。
長いライフル。その後端で広がる、四基の推進ユニット。
キャリバーン。
『アイリスさん!』
声が、コックピットへ飛び込んできた。
新たな呼び出しの表示へ指を動かし、回線を開く。その間にキャリバーンがパンドラの前へ入り、ライフルをエアリアルへ向けた。ビットの射撃を避けながら、こちらとの間へ身を滑り込ませる。
『聞こえますか! アイリスさん!』
「……はい。聞こえて、おります」
返事をすると、喉が痛んだ。息を整えようとしたが、胸が忙しく上下するばかりで、うまくいかなかった。
『怪我は!?』
「大丈夫です。機体の方は……ご覧のとおりですが」
表示へ目を落とす。
十一基のドラグーンは、すべて失われていた。ユーディキュームも、複合兵装防盾もない。腕も脚も切り離され、背部の推進器まで破壊されている。
その一方で、コックピットを収めた胴体には、致命的な損傷がなかった。
狙わなかったのだ。
最後まで、私を殺さずに止められるだけの余裕が、向こうにはあった。
「……手加減されたうえで、これですか」
笑おうとして、息が漏れた。
「完敗、ですかね。腕や脚の一本くらいは、持っていけると思っていたのですが」
私は座席へ背を預けた。
エアリアルの頭部で、折れたアンテナの基部が見えた。あそこまで近づき、残ったものをすべて使って、ようやく掴めたものだった。
悔しかった。
砲口を向ける順序も、端末を動かす位置も、違うものがあったはずだ。考え始めれば、まだいくつも浮かんでくる。
けれど、動かせる機体はもうなかった。
キャリバーンが姿勢を変えた。
その背中を見て、私はようやく、スレッタさんを待たせていたことを思い出した。
「……お待たせ、いたしました」
白い機体の向こうから、エリクトの声が届いた。
『スレッタ』
『エリクト!もうやめて!』
スレッタさんの声は、はっきりしていた。
試験の時、苦痛を堪えていた呼吸を覚えている。今も、平気なはずはない。それでも彼女はエアリアルを見つめ、自分の言葉で呼びかけていた。
私は操縦桿から、指を離した。
ここからは、主人公に任せましょうか。
私が応援していた、水星の魔女に。
目の前のキャリバーンが、推進の光を強める。
私はその背中を、見送った。
エアリアルのビットが左右へ開き、キャリバーンの進路へ光を通した。
スレッタさんは機体を傾け、ライフル後端の推進ユニットを振る。長い武器に引かれるように白い機体が弧を描き、交差する射線の間を抜けていった。
その先へ、エアリアルが踏み込んだ。
振り抜かれるサーベルを、キャリバーンが抜いた刃で受ける。二機は弾かれるように離れたが、姿勢を戻すまでの時間さえ、次の攻撃に使っていた。
ビットがキャリバーンの背後へ回る。
スレッタさんは振り返らずに噴射を変え、その射線から機体を外した。ライフルをエアリアルへ向けながら、左手のサーベルで接近を拒む。エアリアルは光条を避け、その刃の外へ回り込んだ。
また、光がぶつかった。
記憶にある、激しい攻防だった。
ただ、そこへ至るまでに私が壊したものは、映像の中にも残っている。
エアリアルの頭部ではアンテナが欠け、その周囲を飛ぶビットも、十一基は揃っていなかった。遠くには、推進の光を失ったガンドノードが流れている。
私の存在は、少しはスレッタさんの負担を減らせたのでしょうか。
ライフル後端の推進器が光る。キャリバーンは機体を横倒しにしたまま加速し、上下から迫るビットの射線を外した。その動きに合わせてエアリアルも向きを変え、二機はクワイエット・ゼロの外壁に沿って遠ざかっていく。
結果を確かめるには、まだ早かった。
私はその戦いを、四肢を失ったパンドラの中から見ていた。
随分な特等席だった。
残った噴射口で機体の回転を抑え、外部映像を広く取る。自分が動かすものがなくなった分、二機の挙動を細かく見ることができた。
キャリバーンがビットの射撃を避ける。
機体の向きと、実際に進む方向が一致していない。ライフルの推力で身体を引き、母機の噴射で姿勢を返す。その途中でエアリアルへ砲口を向け、撃ち終えるより先に次の回避へ入っていた。
エアリアルも、追いかけるだけではない。
母機を動かすのと同時にビットを散らし、キャリバーンが抜けられる場所を狭めていく。だが、スレッタさんは残された隙間へ機体を通した。開いた推進ユニットが向きを変え、追ってきた光を置き去りにする。
先ほどまで、私はその中にいた。
それでも今、二機を見ていると、自分の戦いとの差が分かった。
同じように動かそうとしても、パンドラではどこかで反応が遅れる。間に合うよう先に入力すれば、その先の変化へ応じる余裕を失う。
スレッタさんは、それを次々と繋いでいた。
人が操縦していると知っていても、その手順を思い描くことが難しい。ガンダム同士の戦いは、私の知る機体の動きから、さらに先へ進んでいた。
「……悔しいですね」
キャリバーンが射線を抜け、エアリアルへ迫る。その動きを追ううちに、私は膝に置いていた手を持ち上げていた。
いつかは、やがていつかは、と。
飛び交う光へ、手を伸ばす。
指先が触れたのは、コックピットの冷たい表示面だった。その向こうで二機の刃がぶつかり、離れていく。私は手を下ろせず、次の動きを待っていた。
パンドラの反応を、もう少し速くできれば。端末を失ったあの瞬間、別の一基を先に動かしていれば。
考えるたびに、試したいことが増えていく。
負けたばかりなのに、もう一度、あの中へ戻りたかった。
頭の奥には痛みが残り、伸ばした指も僅かに震えていた。それさえ、次にはどこまで耐えられるのかと考えかけて、私は小さく笑った。
向上心という甘い毒が、戦いを終えた思考へ染み渡っていく。
私はまだ、飛び交う光から目を離せずにいた。
その時、視界の端で通信表示が点滅していることに気づいた。
セセリアだった。
私は手を引き、慌てて回線を開いた。
『……やっと出た』
声を聞いた途端、背筋が伸びた。
「セセリア。申し訳ありません、少々――」
『怪我は?』
言葉を遮られた。
「ありません。身体の方は、無事です」
『本当に?』
「はい。頭痛と、疲労はございますが……出血などは、しておりません」
通信の向こうで、長く息を吐く音がした。
私は口を閉じたまま待った。
『何回、呼んだと思ってんの』
「……申し訳ありません」
『回線、開かないし。機体はどんどん壊れるし。最後、手も足もなくなってるし』
言葉の間に、小さく息を吸う音が挟まる。
『そっちの映像しか見えないんだから。アンタがどうなってるか、分かんなかったんだけど』
私は自分の胸元を見下ろした。
固定具は締まったままで、スーツにも損傷はない。身体を揺さぶられた痛みはあったが、指も、腕も、自分のものは動いていた。
セセリアには、それが見えていなかった。
「……ご心配を、おかけしました」
正面の映像で、キャリバーンが大きく旋回した。思わず視線を向けると、セセリアが言った。
『まだ、そっち見てる?』
「……はい」
『でしょうね。水星ちゃん、着いたもんね』
私は僅かに顔を上げた。
「スレッタさんへ、ご連絡くださったのですか」
『そうだよ。アンタ、いつまでたっても呼ばないんだもん』
記憶を辿ろうとして、やめた。
呼ばなければならなかった。
端末を戻し、補給する時間まで作りながら、そのための連絡をしていなかった。
「……ありがとうございます」
『お礼はいいから。もう、帰れる?』
機体の状態を呼び出した。
主推進器は失われている。だが、胴体に残った姿勢制御用の噴射口は、いくつか生きていた。推進剤の残量と輸送船までの距離を確かめ、帰投に使える組み合わせを選ぶ。
「時間はかかりますが、自力で戻れます。残ったスラスターが使えますので」
『じゃあ、戻ってきて』
「はい。こちらの戦闘を、もう少しだけ――」
『アイリス』
名前を呼ばれ、私は口を閉じた。
セセリアは、すぐには続けなかった。その沈黙の間に、私は膝へ戻した自分の手を見た。
まだ、僅かに震えていた。
『……早く帰ってきて』
先ほどより、小さな声だった。
私は正面の映像へ目を戻した。
キャリバーンとエアリアルは、なおも戦っている。追いたい動きも、確かめたいこともあった。
けれど、その映像から視線を外し、帰投経路を表示した。
「はい。帰ります」
『話、いっぱいあるからね』
「承知しております」
『分かってないと思うけど』
「ちゃんと伺いますから」
『最初から、そうしてよ』
ようやく聞こえた、いつもの調子だった。
私は小さく息を吐き、機体へ入力を送った。
残ったスラスターを、一つずつ短く噴かした。
四肢を失ったパンドラが、ゆっくり向きを変える。噴射の偏りを確かめ、回転を抑えながら輸送船の方角へ合わせた。
正面の映像から、二機が外れていく。
私は最後に一度だけ、その姿を別の画面へ映した。
キャリバーンがビットの間を抜け、エアリアルへ近づいていた。
「……お願いいたします。スレッタさん」
それから映像を脇へ送り、輸送船を正面に置いた。
移動に使える噴射口を選び、出力を与える。僅かな振動が座席へ伝わり、船までの距離が少しずつ減り始めた。
『動いた?』
「はい。そちらへ向かっております」
『ん。こっちからも見えた』
セセリアとの回線は、開いたままにした。
もう一度だけスラスターを噴かし、私はパンドラを輸送船へ向けて進ませた。
スパコディと言っておけば多少のことはなんとかなる。
それはそれとして非パーメット機体で、エアリアルに勝てるわけないだろ。いい加減にしろ!