水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
解釈は無限大なり。
あくまで本作も一ナチュラルの、妄想に過ぎませんのでご容赦ください。
水星からやって来た編入生が、無敗を誇っていたホルダーを打ち破った。
スレッタ・マーキュリーとグエル・ジェタークの決闘から数日が経過した今も、アスティカシア高等専門学園はその話題で持ちきりだった。
無理もない。ジェターク寮のエースであり、学園の決闘制度において頂点に君臨していたグエルが、編入したばかりの少女に敗北したのだ。しかも、相手のモビルスーツは、これまで学園で見られたものとは明らかに異なる遠隔操作兵装を備えていた。
当然、騒ぎは決闘の勝敗だけでは収まらなかった。
ガンダムではないか。
そんな疑惑が持ち上がったのである。
GUNDフォーマットを使用したモビルスーツ、通称ガンダム。それは、この世界において、単なる兵器の分類以上の意味を持つ言葉だった。
かつて人体に深刻な負荷を与える危険な技術として否定され、その開発に携わっていたヴァナディース機関は解体された。以来、ガンダムの開発は禁忌とされている。
そして、その排除を主導したデリング・レンブランこそが、現在のベネリットグループ総裁である。
そんな人物が、疑惑を見過ごすはずもない。
決闘から数日後、シンセー開発公社代表、レディ・プロスペラを招集した審問会が開かれることになった。
議題は、ガンダム・エアリアルの処遇について。
もっとも、正式な通知にはガンダムという名称は使われていなかった。あくまで、スレッタ・マーキュリーが使用したモビルスーツについて、その技術的な適法性を審議するという建前である。
だが、何を問題にしているのかは誰の目にも明らかだった。
そして、その審問会への出席要請は、私の端末にも届いていた。
「はぁ……」
「人の部屋でため息つかないでくれますぅ?」
呆れた声に顔を上げると、ソファに腰掛けたセセリアが、菓子の袋を片手にこちらを見ていた。
ここはブリオン寮にあるセセリア・ドートの私室である。
授業を終えた私は、そのまま彼女の部屋へお邪魔していた。もっとも、訪問してからというもの、私は彼女のベッドに寝転がり、枕を抱えながら端末を眺めているだけなのだが。
適度に柔らかな寝具と、よく知った部屋の香り。何とも居心地がよい。
「せっかくセセリアとゆっくり過ごしていましたのに、お仕事の時間になってしまいまして」
「だったらさっさと行けば? あと、あたしのベッドでゴロゴロするな」
「まあ、冷たい。こちらの方が落ち着きますのに」
「自分の部屋でやりなよ」
「セセリアの匂いがしますので」
「出てけ!」
飛んできたクッションを人類最高の動体視力で受け止め、私は抱えていた枕と重ねた。
「ふふ。ありがとうございます。こちらもお借りしますね」
「貸してない!返せ!」
「おや。くださったのでは?」
「投げただけ!」
セセリアがソファから腰を浮かせたので、私は名残惜しく思いながらもクッションを返した。彼女はそれを奪い取ると、乱暴にソファへ放り投げる。
まったく、可愛らしい人だ。
こうして遠慮なく怒ってくれるところも、私には好ましく思える。もっとも、それを口にすれば、今度こそ部屋から追い出されそうだが。
「それで?もうすぐ例の審問会なんでしょ?」
「ええ。そろそろ準備をしなければなりません」
「ふーん」
セセリアは菓子を一つ摘まみ、しばらく端末を眺めていた。
画面には、学園内で流れている噂話が並んでいるのだろう。決闘委員会の一員である彼女のもとには、一般の生徒よりも多くの情報が集まってくる。
「水星ちゃん、どうなるんだろうねー。退学の噂まで出てるけど?」
何気ない口調だったが、その視線は私に向けられていた。
「そうですね。機体がガンダムと認定されれば、相応の処分は避けられないでしょう」
「他人事だねぇ。アイリスは気にならないのー? 結構興味示してたじゃん」
「えぇ。興味深いですよ」
私は枕を抱え直し、天井を見上げた。
ガンダム・エアリアル。
先日の決闘映像は、すでに可能な限りの角度から収集している。決闘委員会の管理する記録にも目を通し、ガンビットの軌道や機体の挙動を何度も確認した。
遠隔操作兵装としての完成度は非常に高い。少なくとも、私たちが開発している機体とは、まったく異なる思想で設計されている。
だからこそ、興味が尽きない。
「それに、あの機体が失われるのは、技術者として非常に惜しいと思っています」
「だったらさぁ」
セセリアが、にやりと笑った。
「アイリスならなんとかできるんじゃないのー? アンタッチャブルさん」
「私を何だと思っているんですか?」
「グループ内唯一の不可侵企業、そこの女王様」
「我が社にはちゃんと王様がいますよ」
「研究室から出てこない王様ねぇ」
「ええ。大変立派な王様です。少々、研究以外に興味がないだけで」
「それ、王様としてどうなの?」
「おかげで、私が自由に仕事をさせていただけます」
「はいはい。結局、女王様じゃん」
セセリアが楽しそうに笑うので、私もつられて微笑んだ。
もっとも、彼女の言葉も完全な冗談というわけではない。
コズミック・シードは、ベネリットグループに所属する企業でありながら、グループ内部からの経営介入を受けにくい特殊な立場にある。
いわゆる、アンタッチャブル。
その立場を手に入れたのは、私が十二歳のときだった。
ただし、不可侵という言葉ほど万能なものではない。グループの規則を無視できるわけでもなければ、総裁の決定を自由に覆せるわけでもないのだ。
「そもそも、我が社の不干渉に関する取り決めは、他社の処分に口を出す権利ではありません。シンセー開発公社のために行使できるようなものではないのですよ」
「でも、あんたが本気で動けば、何かしらできそうだけど?」
「過大評価ですね」
「そうかなぁ?」
セセリアは意味ありげに目を細めた。
この人は、私が何かを隠しているときに限って、妙に勘が鋭い。
もっとも、今回に関しては、本当に動くつもりがなかった。
エアリアルの技術には興味があるし、スレッタ・マーキュリーが退学になれば残念だとも思う。しかし、だからといって、私が彼女の運命を決める必要はない。
私が知る物語には、すでに彼女を助けようとする人間がいるのだから。
「それに、まだ結論が出たわけではありませんから。案外、面白いことになるかもしれませんよ?」
「何それ。何か知ってんの?」
「ふふ。どうでしょう?」
「ほんっと、そういうとこあるよねぇ、あんた」
セセリアは呆れたように肩をすくめたが、それ以上追及してくることはなかった。
私は枕を脇へ置き、ベッドの端に腰掛ける。
「さて、行きますか」
そう言って立ち上がり、何の躊躇もなく部屋のクローゼットを開けた。
そこには、仕事用のスーツが一着、きちんと掛けられている。
白を基調とした落ち着いたデザインで、襟元と袖口には淡い紫の装飾が施されていた。華美になりすぎないよう配慮しつつも、私の好みを十分に反映した一着である。
私はハンガーへ手を伸ばした。
「…………ねえ」
背後から、妙に低い声が聞こえた。
「はい?」
「何で?」
「何がでしょう?」
「何で、あたしのクローゼットから、あんたのスーツが出てくるわけ?」
私は首を傾げた。
「置いてあるからですが?」
「そういうこと聞いてないんですけど!」
「まあ。セセリア、そんなに大きな声を出されると喉を痛めますよ」
「誰のせいだと思ってんの!?」
セセリアが立ち上がったので、私はスーツを片手に彼女へ向き直った。
「そういえば、こちらに置いていたのは、この一着だけでしたね。今度、もう何着か持ってまいりましょうか」
「持ってくんな!」
「おや。お気に召しませんか?」
「一着でもおかしいって言ってんの!」
セセリアは額を押さえ、大きくため息を吐いた。
「……あんたさあ。何で勝手に人のクローゼット使ってんの?」
「私の生体認証に入室権限がありますので」
「理由になってない!」
「ですが、合鍵をいただいたということは、ある程度自由に出入りしてもよいということでは?」
「緊急用!」
「ええ。ですから、緊急時に備えて着替えを置いているのですが」
「今のどこが緊急時なの!?」
「審問会です」
「何日も前から決まってますよねぇ!」
「そうでしたね」
「認めるの早っ!」
セセリアは呆れたように天井を仰いだ。
私はそんな彼女を眺めながら、スーツをベッドの端へ置いた。
「それでは、早速着替えましょうか」
そう言って制服の襟元へ手を伸ばすと、セセリアがぎょっとした顔をした。
「……ちょっと」
「はい?」
「何してんの?」
「着替えですが」
「ここで!?」
「ええ」
「ここで着替えるな!」
私は手を止め、少しだけ首を傾げた。
「まあ。どうしてでしょう?」
「どうしても何もあるか!」
「別に、見て毒になるような身体ではありませんよ?」
「そういう問題じゃない!」
「むしろ、見せてほしいとおっしゃる方も一定数――」
「あーもう!」
セセリアが両手で顔を覆った。
私は、とうとう堪えきれずに笑ってしまった。
「ふふ。冗談ですよ」
「……あんたの冗談、ほんっと心臓に悪い」
「おや。残念です」
「何が!?」
「セセリアなら、喜んでくださるかと」
「喜ぶか!」
私は少しだけ彼女へ近付き、顔を覗き込む。
「……本当に?」
「…………」
セセリアが黙った。そして、じろりと私を睨む。
「……アイリス」
「はい?」
「調子乗りすぎ」
「ふふ。失礼いたしました」
これ以上からかえば、さすがに本気で怒られてしまうだろう。それは望むところではない。そもそも、彼女が嫌がることを無理にするつもりはなかった。
まぁ、怒ったセセリアも可愛いのですけど。
「では、洗面室をお借りしますね」
「……最初からそうしなよ」
「はい」
私はスーツを抱え、洗面室へ向かった。
その背中に、セセリアの声が追いかけてくる。
「……ほんっと、何であたしの部屋に着替えがあるわけ?」
私は扉の前で振り返った。
「セセリアのお部屋で過ごすことが多いからですよ。いちいち自室へ戻るのも面倒ですから」
「……あっそ」
「それに」
「……まだ何かあるの?」
私は、彼女を見つめて微笑んだ。
「セセリアの隣が、一番落ち着きますので」
「…………」
セセリアはしばらく私を見つめ、それから小さく視線を逸らした。
「……さっさと着替えてきなよ」
「はい」
私は笑みを深くし、洗面室の扉を閉めた。
数分後、着替えを終えた私は姿見の前に立っていた。
白を基調としたスーツに、淡い紫の差し色。普段は少し緩めにまとめている髪も、今日は低い位置できっちりと結い上げている。
鏡に映る姿は、学園で過ごす一人の女子生徒というより、企業の代表代理としてのそれだった。
私は襟元を整え、セセリアへ振り返る。
「どうでしょう?」
ソファに座った彼女は、こちらを一瞥した。
「……ん」
「ん?」
「似合ってんじゃない?」
「まあ。ありがとうございます」
「……別に」
「セセリアに褒めていただけると、嬉しいですね」
「はいはい」
彼女はそっぽを向いたが、私は十分に満足だった。
端末、認証用のカード、審問会の資料。必要なものを一通り確認し、私はスーツの袖を整える。準備は整った。
「では、行ってまいります」
「……ん。いってらっしゃい」
何でもないように返された言葉に、私は思わず足を止めた。
いってらっしゃい。
その響きが、妙に心地よかったのだ。
「ふふ」
「何?」
「いえ。何だか、新婚夫婦のようですね」
「ぶっ!」
セセリアが飲みかけの紅茶を吹き出しかけた。
「あんた!」
「はい?」
「出てけ!」
「ふふ。では、また後ほど」
「さっさと行け!」
私は笑いながら扉へ向かった。背後から聞こえてくるセセリアのため息さえ、今は何とも心地よい。
扉を開け、廊下へ出る直前にもう一度だけ振り返った。
「セセリア」
「……今度は何?」
「帰ったら、またお邪魔しても?」
セセリアはしばらく私を見つめ、それから呆れたように笑った。
「……勝手にすれば?」
「ありがとうございます」
「ただし! あたしのベッドを占領しない!」
「善処いたします」
「絶対守らないやつじゃん!」
私は小さく笑った。
「では、行ってまいります」
「……いってらっしゃい、アイリス」
今度こそ扉を閉めた。
廊下を歩きながら、自然と口元が緩む。
彼女と過ごす時間は、何よりも楽しい。その時間を少しでも長く守れるのなら、面倒な仕事の一つや二つ、いくらでも引き受けよう。
もっとも、今回の審問会については、私自身も少々楽しみにしているのだが。
水星から現れたガンダム。ガンダム・エアリアル。そして、その開発者。
私の知る物語が、いよいよ動き始めたのだから。
審問会の会場には、すでにベネリットグループの主要企業の代表者たちが集まっていた。
ジェターク社CEO、ヴィム・ジェターク。ペイル社の共同CEOたち。グラスレー社CEO、サリウス・ゼネリ。そして、その他のグループ企業代表者たち。
いずれも、ベネリットグループの中枢を担う人物である。
そんな大人たちの中に、学園の二年生である私が混ざっているのだから、傍目にはなかなか奇妙な光景だろう。もっとも、今さら驚く者はいない。
「……コズミック・シードか」
席へ向かう途中、ヴィム・ジェタークがこちらへ視線を向けた。
「代表本人はどうした?」
「父上は研究開発で手が離せませんので、本日は私が代理として出席いたします」
「……またか」
「ええ。申し訳ありません」
私は微笑みながら頭を下げた。
ヴィムは不機嫌そうに鼻を鳴らす。その表情から、私たちに対する好意を読み取ることは難しかった。
もっとも、彼の不機嫌には、単なる気分以上の理由がある。
ジェターク社は、かつてコズミック・シードを傘下に収めようとしていたのだ。
当時の我が社は、技術力こそ高かったものの、企業規模も資金力も十分とは言えなかった。研究開発には多額の資金が必要であり、設備の維持にも相応の負担がかかる。事業としての販売実績も乏しかった以上、資金面での余裕などほとんどなかった。
そんな会社に、ジェターク社が目を付けたのである。
ヴィム・ジェタークが欲しがったのは、コズミック・シードの技術力だった。特に、父上が開発を進めていた独自の制御技術は、既存のモビルスーツ開発とは異なる可能性を秘めている。
それを自社へ取り込めれば、ジェターク社にとって大きな利益になる。
経営者として、その判断自体は理解できる。
問題は、彼が我々の意思をあまり尊重しなかったことだ。
提携という名目で始まった接触は、やがて経営への介入を求めるものへ変わり、最終的には事実上の吸収を迫るところまで進んだ。
もちろん、我が社も黙って従っていたわけではない。父上をはじめとする社員たちは抵抗したし、私も契約条件の見直しや資金繰りの改善に奔走した。
しかし、当時のコズミック・シードには、ジェターク社の圧力を正面から跳ね返せるだけの力がなかった。
技術力があることと、その技術を守り抜けることは、まったく別の話なのだ。
そこで私は、デリング・レンブラン総裁へ直接交渉を持ちかけた。
十二歳の少女が、ベネリットグループの頂点に立つ男と取引をする。今になって考えれば、なかなか無茶なことをしたものだと思う。
だが、ほかに方法がなかったのも事実だった。
結果として、私はデリングとの取引に成功し、コズミック・シードへのグループ内部からの不干渉を認めさせた。
それが、現在のアンタッチャブルという立場の始まりである。
もっとも、デリングが何の見返りもなく、そんな例外を認めるはずがない。
当然、こちらも相応のものを差し出している。運命への干渉権という、人によっては大きなものを。
少なくとも、あの取引によって父上の研究と会社の独立性を守ることができた。それだけは確かだった。
ヴィムにしてみれば、あと一歩のところで手中に収められるはずだった技術を、当時十二歳の小娘に奪い返されたことになる。
面白いはずがない。
「相変わらず、あの男は研究室に籠もりきりか」
「ええ。おかげさまで、研究開発は順調です」
「そうか。随分と結構なことだな」
「ありがとうございます。ヴィム代表には、以前も大変お世話になりましたから」
私は丁寧に頭を下げた。
その瞬間、ヴィムの眉がわずかに動いた。
「……ふん」
それだけ言って、彼は視線を逸らした。
私もそれ以上は何も言わず、自分の席へ向かう。
別に、過去のことを蒸し返したいわけではない。ただ、あの人が今でも我が社の技術を欲しがっていることくらいは、承知している。
そして、それはジェターク社だけの話ではなかった。
グラスレー社もまた、コズミック・シードに関心を持っている。ただし、サリウス・ゼネリが気に掛けているのは、我が社の技術そのものというより、デリングがなぜ例外を認めたのかという点だろう。
ベネリットグループは、決して自由な企業連合ではない。総裁を頂点とした明確な力関係が存在し、その秩序の中で各企業が競争している。
にもかかわらず、デリングはコズミック・シードにだけ、通常とは異なる扱いを認めた。
その理由を知りたいと思うのは、グループの秩序を第一とするグラスレー社の立場からすれば当然だ。
実際、席へ向かう私に対し、サリウスは何も言わなかったものの、静かにこちらを観察していた。その視線には、ヴィムのような露骨な敵意はない。むしろ、こちらの行動を一つずつ確かめようとする慎重さが感じられた。
その近くには、グラスレー寮の寮長であり、決闘委員会でもあるシャディク・ゼネリの姿があった。
彼は私に気付くと、いつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「やあ、アイリス。今日も代表代理としての出席かい?」
「ええ。シャディク先輩もいらしていたのですね」
「学園で起きた問題だからね。決闘委員会としても、無関係ではいられないさ」
「なるほど。お疲れ様です」
「君もね。先日の決闘映像は役に立ったかな?」
シャディクが、意味ありげに微笑む。
数日前、決闘委員会のラウンジで、私は彼に頼んでエアリアルの戦闘記録を閲覧させてもらった。可能な限り多くのカメラから記録を集めたので、解析にはなかなか骨が折れたが、その分だけ興味深い結果も得られている。
「ええ。大変参考になりました。ご協力いただき、ありがとうございます」
「それはよかった。君があそこまで興味を示す機体なんて、珍しいからね」
「ふふ。私も技術者の端くれですから」
「……それだけかな?」
「さて。どうでしょう?」
私が微笑み返すと、シャディクは小さく肩をすくめた。
「相変わらず、簡単には教えてくれないね」
「秘密の多い女性の方が、魅力的だと聞いたことがありますので」
「はは。それは否定できないな」
軽い冗談を交わしている間も、シャディクの視線は私の表情を探っていた。
彼が知りたいのは、単に私がエアリアルへ興味を持った理由だけではないのだろう。コズミック・シードが今回の審問会でどのような立場を取るのか。そして、その判断にデリングとの取り決めが関係するのか。
そうしたことを、さりげない会話から探ろうとしているのかもしれない。
さすがはグラスレーの御曹司といったところだ。
もっとも、こちらも簡単に手の内を明かすつもりはない。
「それでは、私は席へ向かいますね」
「ああ。また学園で」
「はい。失礼いたします」
軽く会釈をして、その場を離れた。
背後から視線を感じたが、振り返ることはしなかった。
一方、ペイル社の共同CEOたちは、私へ軽く視線を向けただけで、特に話しかけてくることはなかった。
彼女たちが我が社の技術に興味を持っていることは知っている。しかし、それを積極的に取り込もうとしている様子はない。
まあ、彼女たちには彼女たちの事情があるのだろう。
私が知る限り、ペイル社は表向きの事業とは別に、独自のGUNDフォーマット研究を進めている。今は他社の技術へ手を伸ばすより、自社の開発を優先したいはずだ。
もっとも、そんな事情を知っていること自体、彼女たちに悟らせるつもりはない。
私は何食わぬ顔で自分の席へ腰を下ろした。
こうして考えると、御三家が我が社を見る目は、それぞれ随分と異なっている。
ジェタークは技術を欲しがり、グラスレーはデリングの意図を探り、ペイルは関心を持ちながらも深入りしない。
そして、その中心にいるデリングが何を考えているのかは、当事者である私にとっても簡単には読み切れない。
まったく、企業経営というのは面倒なものだ。
それでも、父上が好きなように研究を続けられるのであれば、この程度の駆け引きは苦にもならなかった。
ほどなくして、会場の照明が落とされる。
中央の大型モニターが点灯し、審問会の開始が告げられた。
そして、シン・セー開発公社代表、レディ・プロスペラが姿を現した。
仮面を被った女性。
その姿を目にした瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。
もちろん、顔には出さない。
私は企業の代表代理として、普段と変わらない穏やかな微笑を浮かべたまま、彼女を見つめていた。
レディ・プロスペラ。シン・セー開発公社の代表にして、スレッタ・マーキュリーの母親。そして、私の知る物語において、誰よりも強い執念を抱いた女性。
私は、彼女が嫌いだ。
個人的に言葉を交わしたこともなければ、直接何かをされたわけでもない。それでも、どうしても好きにはなれなかった。
理由は、分かっている。
あの女性は、私の実父に似ているのだ。
無論、二人の事情が同じだと言うつもりはない。プロスペラが失ったものも、彼女をそこまで追い詰めた出来事も、私の実父が抱いていた欲望とは異なる。
それでも、私には重なって見えてしまう。
自らの望みを叶えるために、子供の存在を必要としたこと。その子供の人生に、自分自身の願いを背負わせていること。そしてその行為を、愛情と切り離して考えることができなくなっていること。
私の実父も、そうだった。
彼は亡き妻を愛していた。だから、私を作った。
彼にとっては、それが愛情の証明だったのだろう。だが、その愛情の中に、私という人間が入り込む余地はなかった。
プロスペラがスレッタを愛していないとは思わない。むしろ、愛しているのだろう。しかし、彼女はその奥にいる、本当の娘こそを真に愛している。
だからこそ、余計に嫌悪感が募る。
愛しているという言葉は、他人の人生を自分の望みに従わせる免罪符にはならない。私は、そう思っている。
もっとも、それは私個人の感情だ。
彼女が優れた技術者であることも、エアリアルという機体が極めて高い技術的価値を持つことも、否定するつもりはない。
技術の価値と、それを扱う人間の在り方は別問題である。
それに、彼女の事情を知っているからといって、私が裁く権利を持つわけでもない。
私は小さく息を吐き、視線を正面へ戻した。
今は、ただの傍観者。少なくとも、そういう立場を取るつもりだった。
「シン・セー開発公社代表、レディ・プロスペラに問う」
デリング・レンブランの低い声が会場に響いた。
彼は正面に立つ仮面の女性を見据え、淡々と問いを重ねていく。
ヴァナディース機関との関係。エアリアルの開発経緯。そして、禁止されたGUNDフォーマットを使用しているか否か。
それらの問いに対し、プロスペラは一貫して否定を続けた。
エアリアルはガンダムではない。シンセー開発公社が独自に開発した、新型ドローン技術を搭載したモビルスーツである。
それが、彼女の主張だった。会場がざわめく。
新型ドローン技術。なるほど、実に便利な言葉だ。
確かに、遠隔操作兵装という観点だけで見れば、ガンビットと従来型のドローン兵器には共通する部分がある。しかし、重要なのは制御方式だ。
外見や運用方法が似ているからといって、同じ技術が使われているとは限らない。逆に、見た目が異なっていても、内部で同じ技術が用いられている可能性はある。
エアリアルがGUNDフォーマットを使用しているのか。それを判断するには、本来であれば、より詳細な技術資料と検証が必要なはずだった。
私は端末へ視線を落とす。
すでに取得済みの戦闘映像には、エアリアルの機動やガンビットの軌道が記録されている。どれも興味深いが、映像だけでは決定的な証拠にはならない。
そして何より、データストームが検出されない。
少なくとも、技術的には黒とは言い切れない。
もっとも、この場で重要なのは、技術的な正しさではなかった。
デリング・レンブランが何を認め、何を認めないか。結局のところ、それだけなのだ。
「いや、あれはガンダムだ」
デリングが断言した。プロスペラは、静かに問い返す。
「何故でしょう?」
「私がそう判断したからだ。異論がある者はいるか?」
私は思わず小さく笑ってしまった。
実に分かりやすい論理。これが、ベネリットグループ総裁、デリング・レンブランという男である。
「……何がおかしい?」
不意に、その視線がこちらへ向いた。
おや。聞こえてしまったらしい。
私は姿勢を正し、軽く頭を下げた。
「失礼いたしました」
「異論があるのか、コズミック・シード代表代理」
「いえ。ただ、我が社代表の意見をお伝えしておこうかと」
会場の視線が集まる。
デリングは、私をじっと見据えた。
「……あいつの意見だと?」
「はい。我々コズミック・シードは、シン・セー開発公社の技術に大変興味を抱いております」
周囲がざわめいた。
それも当然だろう。ガンダムの疑惑が持ち上がっているこの場で、技術に興味があるなどと発言するのは、少々無神経に聞こえるかもしれない。
しかし、父上の考えを伝えるのであれば、これ以上正確な表現もない。
「たとえ、その機体がガンダムであろうとなかろうと、です」
デリングの目が細くなる。
「魔女の技術であってもか?」
「もちろんです。GUNDフォーマットは、人体への負荷という重大な問題を抱えています。しかし、仮にその問題を解決した機体が存在するのであれば、技術的価値を評価しない理由はありません」
会場の空気が、わずかに変わった。
禁忌とされる技術を、あえて評価する。それは、この場では歓迎されない発言だろう。
だが、私はGUNDフォーマットという技術そのものを、悪だと考えているわけではない。
技術は技術でしかない。問題となるのは、それをどう扱い、何を実現し、その結果に誰が責任を負うのかということだ。
ただし、その考えをこの場で長々と語るつもりはなかった。
「もっとも、我々もベネリットグループの一員です」
私は、デリングを見つめた。
「最終的な判断は総裁がお決めになること。我々コズミック・シードは、グループの正式な決定に従います。以上です」
「……ふん」
そのとき、横合いから不機嫌そうな声が飛んできた。
「何も意見がないのと同じではないか」
ヴィム・ジェタークだった。腕を組み、こちらを睨みつけている。
私は、穏やかな笑みを崩さずに答えた。
「いえ。こうした問題では、会社の立場を明確にしておくことが重要ですので」
「随分と都合のいい立場だな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてなどおらん!」
「まあ。それは残念です」
ヴィムが顔をしかめる。私は、それ以上言葉を重ねなかった。
我が社は、禁止された技術の開発を無条件に支持するわけではない。しかし、その技術的価値まで否定するつもりもない。
最終的な決定には従うが、技術に対する評価は別問題である。それが、コズミック・シードの立場だ。そして、もう一つ。
私がこの場で積極的にエアリアルを擁護する必要はない。
なぜなら、すでに花嫁がここに向かっているのだから。
「それに……このあと、何が起こるか分かりませんから」
会場の入口へ視線を向けた。会場の扉が開き、硬い足音が響いた。居並ぶ企業代表者たちの視線が、一斉に入口へ向けられる。
そこに立っていたのは、学園の制服をまとった一人の少女だった。
彼女は周囲の視線など意に介さず、真っ直ぐにデリング・レンブランを睨みつけている。
「なんの用だ……ミオリネ」
デリングの低い声が、静まり返った会場に響いた。
父親の決定に真っ向から反発し、誰も予想しなかった方法で状況を覆す少女。
ミオリネ・レンブラン。デリング・レンブランの娘にして、スレッタ・マーキュリーの花嫁。
彼女の登場を見つめながら、私はふと考えた。
人間という生き物は、実に面白い。
どれほど強大な権力を持っていようと、どれほど緻密な計画を立てていようと、たった一人の行動ですべてが変わってしまうことがある。そして、その変化を生み出すものは、必ずしも合理的な判断とは限らない。
怒りや愛情、意地や誇り。あるいは、誰かを守りたいという、ただそれだけの願い。
人間は、ときにそうした感情のために、損得を度外視して行動する。
愚かなことだと思う。
私が知る世界の一つでは、愛する者を守ろうとする願いが憎しみを生み、その憎しみがさらなる犠牲を呼んだ。
そして、この世界でもまた、愛する者のために世界を変えようとしている人間がいる。
愛は人を狂わせる。
それは、私自身が誰よりもよく知っていることだった。
亡き妻を愛した男は、その愛に狂い、私を作った。私という人間の意思も、未来も、何一つ考えずに。
だから、私は他人の人生を自分の望みのために利用する人間が嫌いだ。
自分の事を棚に上げて。
私は、これから起こることを知っている。誰が傷付き、誰が命を落とし、何が失われるのかを、少なくともその一部は知っている。
それでも、私は何もしない。
父上が好きな研究を続けられるように。セセリアが笑っていられるように。私が愛する人々と、明日も変わらない日常を過ごせるように。
そのためなら、知らない誰かの犠牲から目を背けることさえ、私は選んでしまう。
なんと愚かで、身勝手なのだろう。
けれど、不思議と後悔はなかった。
私は自分の人生を愛している。そして、その人生を彩ってくれる人々を、何よりも愛しているのだから。
結局のところ、私もまた、愛に狂った人間の一人なのだ。
私は、そっと微笑んだ。
さあ、ここからは花嫁の番だ。
私が知る物語が、ようやく本当の意味で動き始める。
清浄なる白き百合のために!!