水星の魔女 ~もう一輪の百合の花~ 作:一般通過クルーゼさん
「……アイリス?」
「……はい?」
セセリアの声に、私は我に返った。
目の前には、すっかり冷めかけたフレンチトースト。向かいには、頬杖をついてこちらを眺める親友の姿がある。
「何、ぼーっとしてんの?」
「いえ。少々、昔のことを思い出しておりました」
「へえ。何の?」
「初めてセセリアと喧嘩した日のことを」
「あー……」
セセリアは少し考えてから、懐かしそうに笑った。
「あったねぇ、そんなこと」
「ええ。初対面から随分と失礼な方だとは思っていましたが、まさかあそこまで遠慮がないとは」
「まだ根に持ってんの?」
「もちろんです」
「うわ、しつこーい」
「ふふ。お互い様でしょう?」
セセリアが声を上げて笑った。
私も、つられて笑う。
今となっては笑い話だが、当時の私にとって、彼女との出会いは決して小さな出来事ではなかった。
あの頃の私は、自分の希望を他人に伝えることが苦手だった。
父上は、いつだって私の意思を尊重してくださった。
何が好きなのか。何をしたいのか。どのような人生を歩みたいのか。
それらを私自身が決めてよいのだと、何度も教えてくださった。
私の生まれを知り、それでも一人の娘として愛してくださった父上には、どれほど感謝してもしきれない。
けれど、父上が特別な方であることも、私は理解していた。
人間は、自分の都合で他人を愛することがある。
望んだ役割を果たしている間は優しく接し、期待から外れれば、驚くほど簡単に手のひらを返す。
私は、それを知っていた。
だからこそ、父上以外の人間に、自分の本当の望みを見せることが怖かった。
相手が望む言葉を選び、期待される振る舞いをする。そうしていれば、少なくとも余計な失望を招くことはない。
幸い、私にはそれを実行するだけの能力があった。
……実に、つまらない話である。
そんな私に、セセリアは遠慮がなかった。
気に入らないことがあれば気に入らないと言い、私の言葉に納得できなければ、容赦なく問い詰めてくる。
私が何を考えているのか。
何が好きで、何が嫌いなのか。
何をしたいと思っているのか。
彼女は、私自身の答えを聞きたがった。
そして、とうとう私が彼女を苦手だと口にしたときも、怒るどころか、面白そうに笑っていたのである。
あまりにも、あっさりと。
何でもないことのように。
私が本音を口にしても、彼女は私の隣からいなくならなかった。むしろ、そこからが本当の付き合いの始まりだったように思う。
「……ふふ」
「え?何?」
思わず笑みがこぼれると、セセリアが不審そうにこちらを見た。
「いえ」
私は微笑んだ。
「ありがとうございます、セセリア」
「……は? 何、急に」
「何となく、です」
「……変なの」
彼女は呆れたように笑い、紅茶を口に運んだ。
私は、その横顔を眺めた。
――貴女は、私がどれほど救われたのか、これっぽっちも分かっていないのでしょうね。
きっと、セセリアにとっては何でもないことだったのだろう。
ただ、気に入らないことを気に入らないと言った。
ただ、私の希望を聞いた。
ただ、私と友達になった。
それだけのこと。
けれど、私にとっては違った。
父上が与えてくださった居場所の外にも、自分のままでいてよい場所がある。
そのことを、初めて教えてくれたのが彼女だった。
「……セセリア」
「今度は何?」
「今度、また水族館へ行きませんか?」
セセリアは、一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、口元を緩める。
「いいよー。あんた、あそこ好きだもんね」
「ええ。以前は時間が足りませんでしたので、次はもう少しゆっくり見て回りたいですね」
「また一つの水槽の前で延々と解説する気ー?何でスタッフよりも詳しい解説が出てくるの?」
「お嫌でしたか?」
「別に。面白いからいいけど。アイリスの解説聞きに人だかりできて面白いし」
「それは何よりです」
「ただし、今度はちゃんとお土産屋にも寄ること。前は閉館ぎりぎりだったんだから」
「承知しました」
私は満足げに微笑んだ。
あの頃とは違い、今の私は自分の希望を口にすることができる。
それも、彼女の前では何の躊躇いもなく。
不思議なものだ。
かつては何より恐れていたことが、今ではこんなにも自然なのだから。
その日の午後、私は決闘委員会のラウンジにいた。
もちろん、セセリアの隣である。
「で、今日もここにいるわけ?」
「ええ。セセリアの隣が、一番落ち着きますので」
「はいはい。好きにすれば?」
「ありがとうございます」
「別に許可したわけじゃないけどねぇ」
そう言いながらも、セセリアは私が腰掛けられるよう、ソファの上に置いていた端末を退けてくれた。
何ともお優しいことである。
私は遠慮なく隣に腰を下ろした。
やがて、エラン・ケレス先輩に連れられてスレッタ・マーキュリーさんが訪れ、決闘の取り決めが行われた。
対戦相手は、グエル・ジェターク先輩。
先日の決闘は無効とされ、改めて再試合が組まれることになったのである。
スレッタさんが勝利した場合に求めたのは、ミオリネさんへの謝罪だった。
ご自身にも随分と大きなものが懸かっているというのに、そこで彼女のための要求が出てくるとは。
私は少しばかり感心しながら、手続きの成り行きを見守っていた。
そして、エラン先輩によって、決闘は正式に承認された。
今回の決闘には、もう一つ注目すべきものがあった。
ジェターク社の新型モビルスーツ、ダリルバルデ。
その機体に搭載されているという意思拡張AIは、以前から注目していた技術の一つだった。
「セセリア。紅茶を淹れましょうか?」
「んー、お願い」
「承知しました」
私は立ち上がり、備え付けのティーセットへ手を伸ばした。
そのときだった。
「いいっすよね~グエル先輩は。親が偉いと決闘の負けも無効にしてもらえて」
セセリアが、いつもの調子で声を上げた。
「今度負けたら言い訳できませんよ~。やめといた方がいいと思うけどな~」
決闘が承認された途端、随分と景気のよい挑発である。
「俺と決闘したいなら、そう言えセセリア」
「アドバイスですよ~。これ以上先輩の市場価値が下がらないように~って」
セセリアは楽しそうに笑っている。対するグエル先輩の表情は、ますます険しくなっていた。
「あっ、でももう底値かぁ」
……まったく、本当に人を煽るのがお上手ですね。
もっとも、褒められた技能ではないが。
さらに、セセリアはこちらへ視線を寄越した。
「それにぃ、私と決闘するなら、アイリスが出てきますよぉ?」
「なに?」
「ちゃあんとグエル先輩の戦績に、一引き分けを付けたアイリスが」
私は、紅茶のポットを持ったまま動きを止めた。
「なぜ、私が巻き込まれているのでしょう?」
「えー? だって、ともだちでしょー?」
セセリアは実に楽しそうである。
「友達であることと、貴女の売った喧嘩を私が引き受けることには、何の関係もないと思うのですが」
「えー、冷たーい」
「そもそも、セセリアの自業自得ではないでしょうか?」
「ひどーい。親友が困ってるのにぃ」
「困るようなことを自らなさっているように見受けられますが」
私の指摘など、彼女にはまるで堪えていないらしい。むしろ、ますます楽しそうに笑っている。困った方である。
……まあ、そういうところも含めて、私は彼女が好きなのだが。
「おい、アイリス!」
「はい、何でしょう、グエル先輩?」
「てめえも、俺を馬鹿にしてんのか!」
「いいえ。グエル先輩の操縦技術については、高く評価しておりますよ?」
「だったら……!」
「ただ、セセリアの挑発に毎回律儀に反応なさるのは、少々改善の余地があるかと」
「てめえ!」
あら。助言のつもりだったのだが。
どうやら、お気に召さなかったらしい。
「ぷっ……あはははっ!」
セセリアが吹き出した。
「ちょっと、アイリス! あんたまで煽ってどうすんの!」
「私は事実を申し上げただけですが?」
「それが一番タチ悪いんだって!」
実に心外である。私は至って真面目なのに。もっとも、少しばかり面白がっていたことは否定しない。
すると、セセリアが私の肩に手を置いた。
「ねえ、アイリスぅ」
「はい?」
「もし私の代わりに戦ってくれたらさぁ……」
そこで彼女は、わざとらしく言葉を切った。
「前に言ってた秘書の話、真剣に考えちゃおっかなー」
私は、静かにティーポットを置いた。そして、居住まいを正す。
「グエル先輩」
「あぁ?」
私は真剣な表情で、彼を見つめた。
「どうやら、私たちの戦いは避けられない運命のようですね」
「何でだよ!?」
グエル先輩の怒声がラウンジに響き渡った。
「ちょっ……あははははっ!」
セセリアは、とうとう腹を抱えて笑い始めた。まったく、失礼な方である。
私としては、非常に重要な問題なのだ。
彼女を我が社に迎えられる可能性があるのなら、決闘の一つや二つ、検討する価値は十分にある。我が社の試作機を導入し、グエル先輩を再びダルマ状にする覚悟はあります。
もちろん、実際に決闘を行うかどうかは、条件次第だが。
「アイリス、あんた、ほんっと面白いわぁ!」
「セセリア。今のお話、冗談ではありませんよね?」
「さあ、どうでしょー?」
「なるほど。では、契約条件を詰める必要がありますね」
「えっ、そこまで本気?」
「当然でしょう。人材獲得は企業経営における重要事項ですので」
「いや、あんたねぇ……!」
「おい!俺を無視して話を進めるんじゃねえ!」
グエル先輩が、再び声を荒らげた。
おっと。
そういえば、まだいらっしゃった。
「失礼しました、グエル先輩。では、決闘の条件についてですが――」
「まあまあ、グエル」
そこで、穏やかな声が割って入った。
シャディク・ゼネリ先輩である。
彼は苦笑しながら、私たちの間へ歩み出た。
「今は水星ちゃんとの決闘だろ?ここで別の決闘を増やしてどうするんだよ。あの二人のペースに飲まれたらややこしくなる一方だ」
「……ちっ」
グエル先輩は、不機嫌そうに舌打ちした。セセリアは、まだ愉快そうに肩を揺らしている。
そのときだった。
「ダメ!です!」
思いがけず大きな声に、私は振り向いた。
スレッタさんが、こちらを見つめていた。
「に、逃げない人を笑うのはダメなんです!」
ラウンジに、短い沈黙が落ちる。セセリアも笑うのをやめ、彼女へ顔を向けた。
スレッタさんは、自分が注目を集めていることに気づいたらしい。
肩を強張らせ、視線を泳がせる。けれど、口にした言葉を取り消そうとはしなかった。
……なるほど。
私はポットから手を離した。
私たちがどれほど軽い気持ちでやり取りしていようと、彼女には、決闘に臨む相手を笑っているように見えたのだろう。
そして、それを黙って見過ごすことはできなかった。
「……失礼いたしました」
私は、グエル先輩へ軽く頭を下げた。
「少々、悪ふざけが過ぎましたね」
彼は何も答えなかった。
ただ、スレッタさんを一瞥すると、踵を返した。
ラウンジを出る間際に彼女へ声をかけ、スレッタさんも慌ててその後を追っていく。
やがて、扉が閉まった。
残されたのは、何とも微妙な静寂だった。
「……かっかしてるねぇ」
セセリアが呟いた。私は、そんな親友へ視線を向ける。
「貴女が煽るからですよ」
「えー?私だけのせい?」
「少なくとも、発端は間違いなく貴女でしょう」
「でも、途中からあんたも乗り気だったじゃん」
「セセリアが魅力的な条件を提示なさるからです」
「あんた、ほんと私を秘書にしたいんだねぇ」
「ええ。ぜひとも」
「はいはい。考えとくよ」
「ありがとうございます。期待しておりますね」
「だから、まだ決めてないってば」
セセリアは呆れたように笑った。私は微笑み返し、改めて紅茶を淹れ始める。
……さて。
少々騒がしくなってしまったが、これでようやく落ち着けるだろう。
しばらくして、ラウンジの扉が再び開いた。
戻ってきたのは、スレッタさんだった。
先ほどのことが気になるのか、所在なさげに立ち止まり、こちらの様子を窺っている。
そういえば、まだ自己紹介もしていなかった。
私は彼女へ向き直った。
「初めまして、スレッタ・マーキュリーさん」
「は、はいっ!」
突然声をかけられた彼女は、びくりと肩を跳ねさせた。
私は微笑み、軽く会釈する。
「ブリオン寮所属、経営戦略科二年のアイリス・シードと申します。お会いできて光栄です」
「あ、え、えっと……スレッタ・マーキュリー、です! パイロット科、二年です!」
「ええ。存じ上げております」
「そ、そうなんですか?」
「もちろんです。先日の決闘は、大変興味深く拝見しましたので」
「あ、ありがとうございます……!」
スレッタさんは、ぺこぺこと何度も頭を下げた。
……何とも律儀な方である。
私は思わず笑みを深めた。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「は、はい! よろしくお願いします!」
ようやく少しだけ緊張が解けたらしく、彼女はぎこちなく微笑んだ。
その様子を眺めていたセセリアが、横から口を挟む。
「水星ちゃん、そんなにかしこまらなくていいよー。この子、喋り方だけはお上品だけど、中身は結構おかしいから」
「……セセリア?」
「えっ?」
スレッタさんが目を瞬かせる。
私は、にこやかに親友へ顔を向けた。
「初対面の方に、何という紹介をなさるのですか?」
「だって事実じゃん?」
「心外ですね。私は至って常識的な人間ですよ?」
「さっき、秘書にするって条件だけでグエル先輩に決闘申し込もうとしてたの、誰だっけ?」
「優秀な人材を獲得するための合理的な判断ですね」
「ほらね?」
何が「ほらね」なのだろう。まったく理解できない。
「まあ、アイリスが少し変わっているのは否定できないかな」
シャディク先輩まで、そんなことを言い始めた。
「シャディク先輩まで」
「いや、褒めてるんだよ。彼女は学園でも相当な有名人だからね」
「そ、そうなんですか?」
スレッタさんが、私とシャディク先輩を交互に見つめる。
「うん。例えば、さっきセセリアが言っていた話だけど」
シャディク先輩は、面白そうに笑った。
「アイリスは以前、グエルと決闘しているんだ」
「ええっ!?」
スレッタさんが驚きの声を上げた。
「で、でも、アイリスさんは経営戦略科なんですよね?」
「ええ。そうですよ」
「な、なのに、グエルさんと決闘したんですか?」
「はい。少々、事情がありまして」
「しかも、結果は引き分け」
「ひ、引き分け!?」
スレッタさんは、目を丸くした。
「グエルさんと、ですか!?」
「うん。しかも、ブリオン寮にあった普通のデミトレーナーでね」
「デ、デミトレーナーで?」
彼女の視線が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
……ふむ。
どうやら、随分と驚かせてしまったらしい。
「運が良かったんですよ」
私は微笑んだ。
「いやいや」
シャディク先輩が、すかさず首を横に振った。
「あれを運だけで片づけるのは、さすがに無理があると思うけどね」
「運も実力のうち、と申しますでしょう?」
「それ、普通は逆の意味で使うんじゃないかな」
「ふふ。そうでしたか?」
私は、とぼけてみせた。
実際のところ、あの決闘については少々複雑な事情がある。本体はデミトレーナーだが、父上が趣味で開発していた面白武器を多く導入し、なんとか勝ちも負けもないところに着地させたのである。
少なくとも、私がグエル先輩より優秀なパイロットであると証明されたわけではない。
だからこそ、引き分けに持ち込めたこと自体、私としては十分な成果だったのだが。勝っても騒がしいですし、負けても騒がしいと逃げ道ありませんでしたから。
……まあ、詳細を説明する必要はないだろう。
「それだけじゃない」
今度は、エラン・ケレス先輩が口を開いた。
静かで、落ち着いた声音だった。
「彼女は、コズミック・シードという企業の代表代理も務めている」
「……会社、ですか?」
「ベネリットグループでも上位に位置する企業だよ。代表代理という肩書きだけど、実際には経営判断のほとんどを彼女が行っている」
「えええっ!?」
スレッタさんが、また驚いた。
……少々、驚きすぎではないだろうか。
「いえ、それほど大げさなことではありませんよ」
私は苦笑した。
「父上の代わりをしなくてはいけないので、自然とそうなっただけです」
「そ、それでも、すごいです……!」
「ありがとうございます」
素直な称賛に、私は微笑んだ。
もっとも、企業経営というものは、決して一人で行う仕事ではない。
我が社には優秀な役員も研究員もいる。
私が判断を下せるのは、彼らが必要な情報を集め、適切な提案をしてくれるからこそだ。
……それに、父上には父上のお仕事がある。
あの方に経営実務まで押しつけてしまえば、研究の時間がなくなってしまうだろう。
それは、我が社にとっても大きな損失である。
何より、父上が悲しむ。
……主に、研究ができないという理由で。
「それに、メカニックとしても超一流です」
端末を操作していたロウジさんが、ぽつりと呟いた。
「……ロウジさん?」
「特にAIやOS関係。コズミック・シードが取ってる特許の中には、アイリス先輩が開発を主導したものがかなりあります」
「えっ……?」
スレッタさんは、もはや驚き疲れたような顔をしていた。
ロウジさんは構わず続ける。
「操縦補助AIの学習制御とか、パイロットごとの操作特性に合わせたOSの最適化とか。技術資料を読みましたけど、結構面白かったです」
「……お褒めにあずかり光栄です」
「実際、すごいと思います」
ロウジさんは淡々と言った。
彼の場合、こういう評価に余計なお世辞は含まれていない。
だからこそ、素直に嬉しい。
「ありがとうございます。もっとも、あれらは研究員たちとの共同成果ですから、私一人の功績ではありませんよ」
「でも、基本設計を考えたのはアイリス先輩ですよね?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、やっぱりすごいです」
……何とも、反論しづらい。
私は小さく肩をすくめた。
「趣味が高じて、何とやら、ですよ」
「趣味で特許取ってるんだ……」
シャディク先輩が、呆れたように笑った。
「正確には、趣味で始めた研究が事業化に結びついた、というところでしょうか」
「それを趣味って言うの、アイリス先輩くらいだと思います」
ロウジさんの言葉に、私は苦笑した。
……おかしいですね。
私としては、至って普通のことを申し上げているつもりなのだが。
「え、えっと……」
スレッタさんが、おずおずと手を上げた。
「つまり、アイリスさんは……経営戦略科なのに、モビルスーツの操縦もできて、会社の経営もしていて、機械にも詳しい、ということですか?」
「ええ。概ね、そのような認識で問題ありません」
「す、すごいです……!」
スレッタさんは、感心したように私を見つめた。
その瞳が、あまりにも真っ直ぐだったので。
私は、少しだけ困ってしまった。
褒められること自体は嫌いではない。
むしろ、好きな方だ。
けれど、こうして何の含みもなく称賛されると、どうにも調子が狂ってしまう。
「まあ、つまりぃ」
そこで、セセリアが口を開いた。
彼女はソファに深く腰掛け、実に楽しそうに笑っている。
「何でもできる超人ってこと」
…………。
「適当にまとめすぎでは?」
「えー? 分かりやすいじゃん」
「分かりやすさと正確さは、必ずしも両立するものではありませんよ?」
「じゃあ、何でもできる変人?」
「悪化しているのですが」
「何でもできる、ちょっと変な美女?」
「……ふむ」
私は少し考えた。
「最後の部分については、異論ありませんね」
「そこは否定しないんだ?」
「事実ですので」
「はいはい。あんたは今日も絶好調だねぇ」
セセリアは、呆れたように笑った。
私は優雅に微笑み返す。何とも平和なやり取りである。
「……ふふっ」
不意に、小さな笑い声が聞こえた。
視線を向ければ、スレッタさんが口元を押さえていた。
「あっ! す、すみません!」
「いえ。どうかなさいましたか?」
「その……アイリスさんって、もっと怖い人なのかなって、思ってたので……」
「……怖い、ですか?」
「は、はい。すごい会社の偉い人で、グエルさんとも引き分けてて……だから、もっと、こう……」
彼女は言葉を探すように視線を泳がせた。
「近寄りがたい人なのかなって……」
なるほど。それは少々、心外である。
「ご安心ください。私は決して怖い人間ではありませんよ」
「は、はい!」
「少なくとも、理由もなく人を怒鳴ったり、決闘を申し込んだりはいたしませんので」
「さっき申し込もうとしてなかった?」
セセリアが、すかさず口を挟んだ。
「理由がありましたので」
「秘書が欲しいって理由でしょ?」
「重要な理由です」
「ほんっと、ぶれないねぇ」
彼女は肩を揺らして笑った。私も、つられて笑う。
すると、スレッタさんも、今度は遠慮がちではなく、楽しそうに笑ってくれた。
……うん。
やはり、こちらの方がよい。
緊張しているより、笑っている方が、ずっと素敵だ。
「改めまして、スレッタさん」
「は、はい?」
「学園生活では、何かと慣れないことも多いかと思います。もし、お困りのことがあれば、遠慮なくお声がけください」
「えっ……いいんですか?」
「もちろんです。同じ学園の生徒ですから」
私は微笑んだ。
「それに、貴女とは一度、ゆっくりお話ししてみたいと思っておりましたので」
「わ、私と、ですか?」
「ええ」
私は頷いた。
「貴女の操縦するエアリアルには、大変興味がありますから」
「エアリアルに……ですか?」
「はい、私も技術者の一人ですから。また、いろいろ教えてくださるとうれしいです」
スレッタさんの表情が、ぱっと明るくなった。
「はい!」
スレッタさんは、嬉しそうに頷いた。
その様子を見て、私は思う。今回の決闘では、いったい何を見せてくれるのだろうか。
「さて」
私は、ようやく淹れ終えた紅茶を手に取った。
「決闘の開始までは、まだ少し時間があるようですね」
「そうだねぇ」
セセリアが、隣で気の抜けた返事をする。
「では、スレッタさんも紅茶はいかがですか?」
「えっ? あ、ありがとうございます!」
「ふふ。どういたしまして」
私は新しいカップを用意しながら、そっと微笑んだ。
今日の決闘は、きっと退屈しないだろう。
何しろ、グエル先輩は雪辱に燃えている。
スレッタさんも、エアリアルも、決して侮れる相手ではない。
そして何より。
ジェターク社が送り出してきた、あの新型機。
ダリルバルデ。
その意思拡張AIが、どのような答えを見せてくれるのか。
技術者としても、経営者としても、実に楽しみである。
もっとも、少々惜しく思うところもあった。
私の記憶通りなら、今回のダリルバルデは機体制御の全てをAIが担う。
……こんなにもやる気のあるお二人ですのに、片方がほぼAI操作だというのは、何とももったいないですね。
私は、胸の内だけで呟いた。
操縦補助AIを手がける者として、その技術的な意義は理解している。
操縦者の負担を減らし、判断や操作を補うことで、機体の性能を引き出す。
その先に、より高度な自律制御を目指すことも、研究の方向性としては不自然ではない。
けれど、グエル先輩の操縦技術は、決して軽んじてよいものではなかった。
以前、実際に対峙したからこそ分かる。
こちらの動きに応じて判断を変える速さも、わずかな隙へ踏み込んでくる思い切りも。
あの方の腕があればこそ可能な戦い方が、確かにあった。
その技量に、意思拡張AIがどう応えるのか。
私としては、そうした連携も拝見したいところなのだが。
先ほどのグエル先輩のご様子を思い返す。
あれほど勝利を望んでいらっしゃるのだから、ご自身で操縦したいというお気持ちも、さぞ強いことだろう。
……さて、どうなることやら。
私はスレッタさんへ紅茶を差し出し、セセリアの隣へ腰を下ろした。
今はただ、決闘の開始を待つとしよう。
お二人の意気込みが、存分に発揮されることを願いながら。