ストックそろそろ切れそう…
死穢八斎會の事件から、数日が経ち、雄英では少しずつ、いつもの時間が戻り始めていた。
少なくとも、表面上は。
「先輩、ここの数値なんですけど……」
「そこですか。見せてください」
差し出された端末を受け取り、ヒマリは表示された設計図へ目を通した。
数秒もしないうちに問題の箇所を見つけ、指先で画面を拡大する。
「ここと、こちらです。負荷の分散が偏っていますね。このままでも動作はしますが、長時間使用すれば接続部から先に駄目になります」
「え、でも計算上は――」
「計算そのものは間違っていません。前提条件が足りていないのですよ」
ヒマリは端末を返す。
「実際に使用する人間が、設計図通りの動きだけをしてくれると思いますか?」
「あ……」
「サポートアイテムは飾って眺めるものではありません。使われて初めて意味があります。そこまで考えて設計なさい」
「はい!」
「もっとも」
ヒマリはふっと髪を払った。
「この私と同じ水準をいきなり求めるのは酷というものです。まずは一歩ずつ励みなさい」
「最後の一言いります?」
「当然でしょう」
いつもの調子だった。
授業にも普段通り出席し、工房では後輩に指示を出しながら、頼まれていた装備の調整を進めていた。
少し離れた作業台で端末を操作していたパワーローダーが顔を上げた。
「明星」
「何でしょう?」
「今ので一件終わったな」
「ええ」
「休め」
ヒマリの手が止まる。
「まだ一時間も――」
「いいから休憩しろ」
「先生は最近、私への扱いが少々過保護ではありませんか?」
「病院まで飛んでいった奴に言われたくない」
「必要だったから行っただけでしょう」
「そういう話じゃない」
ヒマリは不満そうに口を尖らせたが、結局それ以上は反論しなかった。
車椅子の収納からゼリー飲料を取り出す。
蓋を開け、少し口に含んだところで、工房の入口から声がした。
「ヒマリ!」
聞き慣れた声に、ヒマリの顔が上がる。
「おや。ミリオ」
通形ミリオがこちらへ歩いてくる。
戦闘で負った傷はまだ完全には治っていない。それでも病院で会った時よりは動きやすそうだった。
「今日は雄英にいたのですね」
「ああ。これからまた病院だけどね」
「検査ですか?」
「それもあるよ。エリちゃんのところにも顔出してこようと思ってさ」
「そうですか」
ヒマリは一度だけミリオを見て、そのまま話を続けた。
「では、あまり長居はできませんね。早く行った方がよいのでは?」
「来たばっかりなのにもう追い出すのか?」
「人聞きの悪いことを言わないでいただけますか。あなたの予定を気遣っているのですよ」
「そっか。ありがとう」
「…………」
ヒマリは僅かに視線を逸らす。
「その程度でいちいち礼を言わないでください」
笑い方も、以前と変わらない。
「ヒマリは今日もずっと工房か?」
「ええ。依頼が溜まっていますので」
「そっか。無理するなよ」
「誰に言っているのです?」
ヒマリは胸を張った。
「この私が自分の作業量を把握していないとでも?」
「そういう意味じゃないんだけどなぁ」
「では、どういう意味なんでしょう?」
「ちゃんと飯食って、ちゃんと寝ろってことだよ」
「………当然でしょう」
一瞬だけ返答が遅れた。
ヒマリは手にしていたゼリー飲料を軽く掲げた。
「少なくとも、食事についてはご心配なく」
「それで済ませるつもり?」
「何も口にしていないよりはいいでしょう?」
後ろで聞いていたパワーローダーが大きくため息をついた。
ミリオも何か言いたそうにしていたが、時計を見ると表情を変えた。
「っと、そろそろ行かないと」
「ええ。行ってらっしゃい」
「ああ。またな、ヒマリ」
「はい。また」
今度は、何も詰まらずに言えた。
ミリオが工房を出ていく。
ヒマリはその背中を見送り、姿が完全に見えなくなるまで入口へ目を向けていた。
「明星」
「何でしょう?」
「休憩しろ」
膝上の端末へ伸びていたヒマリの指が止まる。
「……少しくらい構わないでしょう」
「閉じろ」
「まったく、目ざといですね」
「お前が分かりやすいんだよ」
ヒマリは小さく息をつき、端末を閉じた。
◇
深夜。
雄英の校舎から、ほとんどの明かりが消えていた。
ヒマリの部屋も照明は落とされ、静まり返っている。
ただ、室内では車椅子から展開された複数のモニターだけが白い光を放っていた。
画面に表示されているのは、死穢八斎會事件後に確認できるようになった資料であり内容は…
個性破壊弾。
ヒマリは画面を切り替えながら、何度目かも分からない資料へ目を通していた。
分かっていることは、あまりにも少ない。
弾がどのように個性へ作用したのか。
ミリオの個性が今、どのような状態にあるのか。
今ある資料だけでは、結論を出せない。
「…………」
ヒマリは画面を見つめた。
少なくとも、ミリオの個性が二度と戻らないと断定できる材料もなかった。
画面の隅へ視線を移すと時刻は、すでに一時を過ぎている。
一瞬だけ手を止めたあと、ヒマリは別の資料を開く。
◇
翌日も、ヒマリはいつも通り授業へ出席し、
その夜もモニターを開く。
二時を過ぎてから眠り、数時間後には起きて学校へ向かった。
次の日も。
その次の日も。
一時。
二時。
三時。
少しずつ、モニターを閉じる時間が遅くなっていく。
「…………」
キーボードを叩いていた指が止まる。
ヒマリは眉間へ指を当て、しばらく目を閉じた。
頭の奥に鈍い痛みを感じながら、数秒そのまま目を閉じたあと、ヒマリは再び画面へ視線を戻した。
「……まだです」
誰に言うでもなく呟き、続きを入力する。
一つの仮説を捨て、別の可能性を組み立てる。
「これも違いますか……」
資料を見直し、別の記録と照らし合わせながら、手掛かりになりそうな箇所を探していく。
「では、こちらは……」
新たな条件を入力する。
しかし、出てきた結果にヒマリは僅かに眉を寄せた。
「……駄目ですか」
また一つ、仮説を消す。
調べれば調べるほど、分からないことの方が増えていく。
それでも、ヒマリの指は再びキーボードへ伸びた。
机代わりになっている車椅子のサイドテーブルには、昼に持ち帰った軽食がほとんど手つかずのまま残っている。
途中で一度ゼリー飲料へ手を伸ばしたものの、半分ほど口にしたところで戻していた。
ヒマリは新しい資料を開き、数行読み進めたところで指を止めた。
「……これは」
先ほどの内容を確かめるように別の報告を開き、さらに別の記録へと目を通していくうちに、ヒマリの表情が少しずつ変わっていく。
何度か画面を切り替えながら内容を照らし合わせ、やがてある一点で指が止まった。
「…………」
エリの個性。
個性破壊弾。
そして、治崎の個性「オーバーホール」。
対象を分解し、瞬時に再構築する能力。
これまで断片的に得ていた情報が、一つの線として繋がっていく。
ヒマリの顔から表情が消え、ゆっくりと手が口元へ上がる。
胃の奥がひどく不快に沈んだ。
「……悪趣味にも、程があります」
低い声だった。
いつもの芝居がかった調子はなく、しばらく画面を見つめたあと、ヒマリはモニターを閉じた。
暗くなった室内で、浅く息を吐く。
そのまま数分間、何もできずに座っていた。
けれど。
再びモニターが展開される。
白い光が、疲れの滲んだ顔を照らした。
そこにしか手掛かりがないのなら。
調べるしかない。
ヒマリの指が、もう一度キーボードへ戻る。
◇
「ヒマリちゃん?」
「何でしょう、波動さん」
昼休み。
声をかけられ、ヒマリは顔を上げた。
ねじれがすぐ近くから顔を覗き込んでいる。
「今日ちょっと眠そうじゃない?」
「気のせいですよ」
隣にいた環も、ちらりとヒマリを見る。
「……顔色もあんまりよくない気がする」
「天喰さんまで何を言っているのです?」
「いや……そのままの意味だけど……」
「私はいつも通りです」
ヒマリは手元の端末へ視線を戻すがねじれは納得しなかったらしい。
「昨日ちゃんと寝た?」
「当然寝ています」
「何時間?」
「波動さん」
「何時に寝たの?」
「質問を重ねないでいただけますか?」
「じゃあ何時?」
「…………」
ヒマリの指が止まった。
「十分な時間です」
「それ答えになってないよ?」
「睡眠時間の長さだけで休息の質を判断するのは短絡的というものです」
環が小さく息を吐く。
「……寝てないんだな」
「寝ています」
「じゃあ何時に――」
「天喰さんまで波動さん側に回らないでください」
「俺は別にどっち側とかじゃ……」
「問題ありません。少々作業が立て込んでいるだけです」
そう言って端末を操作しようとした指が、一度違う場所を押した。
画面が予想していなかった表示へ切り替わる。
「…………」
ヒマリは何も言わず元へ戻した。
ねじれが瞬きをし、環もその指先を見ていた。
「ヒマリちゃん、最近ミスすること多くない?」
「人間である以上、入力を誤ることくらいあります」
「でも、ヒマリちゃんにしては多いよ?」
「波動さん」
「だって前は間違えなかったでしょ?」
「私を何だと思っているのです?」
「すっごく頭いいヒマリちゃん!」
「そうでしょうとも」
即座に返しながら、ヒマリは端末を閉じた。
「ですから、何も問題はありません」
環とねじれが顔を見合わせる。
ヒマリはそれにも気づかず、閉じた端末へ視線を落としていた。
◇
それから数日後。
ミリオが雄英で過ごす時間は、少しずつ増えていた。
病院での検査が概ね終わり、エリの体調も改善されてきたことで、以前より学校にいられるようになっていた。
「ヒマリ」
「……はい?」
呼ばれてから、返事まで僅かに間があった。
ミリオの表情が変わる。
「どうした?」
「何がでしょう?」
「いや……」
ミリオはヒマリの顔を見る。
「ちょっと疲れてないか?」
「またそれですか」
ヒマリが呆れたように息を吐く。
「天喰さんも波動さんも、ここ数日同じことばかり。揃いも揃って心配性ですね」
「ここ数日?」
「…………」
「あ」
少し離れたところから、ねじれが声を上げた。
「ヒマリちゃんね、最近ずっと眠そうなの」
ヒマリがゆっくりとそちらを見る。
「波動さん」
「何?」
「余計なことは言わなくて結構ですよ」
「余計なこと?」
ミリオがねじれへ顔を向ける。
「どういうことだ?」
「それに前よりご飯食べてない気がするの!」
「波動さん?」
「作業も遅くまでやってるみたいだし」
「波動さん」
三度目は、明らかに声が低かった。
ねじれがようやく口を閉じる。
環は視線を逸らした。
「……俺も、少し休んだ方がいいと思う」
「天喰さんまで」
「だって……返事に気づかない時あるし」
「考え事をしているだけです」
「明星が質問に答えないことなんてないだろ」
「…………」
今度は、ヒマリが黙る。
ミリオは何も言わず、その顔を見ていた。
「……何です?」
「いや」
「言いたいことがあるならどうぞ」
「今日はもう休んだ方がいいんじゃないか?」
「必要ありません」
「でも――」
「ミリオ」
ヒマリはいつものように、少しだけ顎を上げた。
「私は自分の体調くらい把握しています」
迷いのない言い方だった。
ミリオはしばらくヒマリを見ていたが、やがて小さく息を吐く。
「……そっか」
それ以上は言わなかった。
◇
その夜。
廊下を進んでいたミリオの足が止まった。
薄暗い先に、明かりが漏れている。
こんな時間まで誰かが残っているとは思わず、何気なくそちらへ向かった。
近づくにつれ、聞き慣れた小さな打鍵音が耳に届く。
「…………」
扉を開けると、展開された複数のモニターの中央で、ヒマリがキーボードを叩いていた。
「ヒマリ?」
その言葉にヒマリはゆっくり振り返る。
一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの表情へ戻った。
「……ミリオ。こんな時間に何を?」
「それ、俺が聞きたいんだけど」
ミリオが近づいてくる。
「まだ作業してたんだな」
「少々確認したいことがありまして」
「それ、今じゃないと駄目?」
「ええ」
短く答え、ヒマリは再び画面へ向き直った。
ミリオの視線も自然とモニターへ向かう。
「……これ」
ヒマリの指が僅かに止まる。
画面に並んでいる資料。
個性破壊弾。
事件の記録。
検査に関する限られた情報。
そして、その横にいくつも開かれたヒマリ自身の解析データ。
「ヒマリ、これ……俺の?」
「…………」
「俺の個性のこと、調べてたんだ?」
数秒の沈黙。
やがてヒマリは、小さく息を吐く。
「正確には、個性破壊弾の作用と、その影響を覆せる可能性が存在するかどうかです」
「いつから?」
返事はない。
ミリオは少し考えてから尋ね直す。
「ここ何日か、ずっと?」
「……そうですね」
「夜も?」
「効率の良い時間帯を利用しただけです」
「……ちゃんと寝てた?」
「寝ています」
「本当に?」
「必要な最低限は確保しています」
ミリオの眉が寄る。
「今日はもう終わりにしよう」
「まだ終わっていません」
「続きは明日でいいだろ?」
「よくありません」
「ヒマリ」
「あと少しで、終わりますから」
キーボードへ指が伸びる。
「ここの条件を変えて、もう一度――」
「休もう」
その言葉で、指が止まった。
「…………」
「飯もあんまり食べてないって聞いたよ」
ヒマリの眉が僅かに動く。
「……波動さんですね」
「環も心配してた」
「まったく。揃いも揃って余計な心配を」
「余計じゃないよ」
ヒマリは答えず、再び画面へ目を戻した。
ミリオが来る前まで表示していたデータを呼び戻す。
その横顔を見ながら、ミリオが口を開いた。
「なんで言わなかったんだ?」
入力音が止まる。
長い沈黙のあと、ヒマリの唇が僅かに動く。
「……あなたがいたら、止めたでしょう」
「うん。止めたよ」
迷いのない返事だった。
ヒマリはほんの少しだけ目を伏せる。
「だから言わなかったんです」
そして、またキーボードへ指を置いた。
「ヒマリ」
「まだ何も分かっていません」
静かな声だった。
「資料は少ない。作用の全容も不明。そもそも個性そのものに関わる以上、私の専門だけでどうにかなる話でもありません」
「だったら――」
「ですが」
ヒマリが遮る。
「まだ無理だと決まったわけではありません」
画面に表示されたデータへ視線を向けたまま続ける。
「できる保証などありません。今の段階では、できるかできないかを判断することすらできない」
指先がゆっくり動く。
「それでも、可能性が残っているのなら」
一つ、キーを押す。
「調べる価値はあります」
「でもそれでヒマリが――」
「あと少しです」
「ヒマリ」
「あと一つだけ……」
声が掠れた。
ミリオの表情が変わる。
「……ヒマリ?」
「この仮説を……確認、すれば――」
キーへ伸びた指が、途中で止まる。
「…………」
ヒマリが一度、瞬きをするがミリオとの焦点が合わない。
「ヒマリ?」
返事はなかった。
次の瞬間。
ヒマリの身体から力が抜けた。
「――ヒマリ!」
伸ばしかけていた腕が落ち、ヒマリの身体がそのまま車椅子の背もたれへ沈み込む。
「ヒマリ!」
ミリオがすぐに駆け寄り肩へ手を添える。
いつもの寝落ちとは違う。
呼びかけても、返事がない。
「ヒマリ、聞こえるか?」
閉じられた瞼は動かない。
モニターだけが変わらず光り続けている。
その画面には、最後まで入力しきれなかった仮説が途中で途切れたまま残っていた。
感想お待ちしてます。