雄英高校の超天才清楚系病弱美少女   作:サブ0119

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戦闘描写難しい


第13話 オリジン

 

まだ、明星ヒマリが中学一年生だった頃。

 

彼女は、他人というものにほとんど興味を持っていなかった。

 

「明星さんって、親いないんだって」

 

「孤児院で育ったんでしょ?」

 

「個性はすごいらしいけど……あの足じゃね」

 

――聞こえていないとでも思っているのでしょうか。

 

だからといって、わざわざ振り返る気にもならない。

 

ヒマリは膝の上に開いた本から目を上げることもなく、静かに次のページをめくる。

 

両親がいないこと。

 

歩けないこと。

 

どちらも事実だ。

 

だから何だというのだろう。

 

それで自分が劣る理由にも、哀れまれる理由にもならない。

 

ヒマリは何事もなかったように、また本へ視線を戻す。

 

やがて休み時間になると、教室のあちこちで机が動き始める。

 

昨日見たテレビの話や、放課後にどこへ寄るかといった話で笑い声が上がるなか、ヒマリはその輪に加わることなく、本へ視線を落としたままだった。

 

誰かの家へ遊びに行く約束。

 

休日に一緒に出かける予定。

 

帰り道にどこへ寄るかという相談。

 

そんな話が、すぐ近くを行き交っている。

 

ヒマリには、そのどれも縁のないものだった。

 

放課後も休日も、ヒマリはほとんどの時間を一人で過ごしていた。

 

それを特別なことだと思ったことはない。

 

誰かが傍にいることを前提にしなければ、困ることもない。

 

教室の喧騒をよそに、ヒマリはまた一枚、ページをめくる。

 

誰かと親しくなろうとも、自分から誰かを求めようとも思わない。

 

ヒマリにとって、他人との関わりは必要のないものだった。

 

少なくとも、その日までは。

 

     ◇

 

放課後。

 

ヒマリはいつものように、一人で帰路についていた。

 

学校を出てからしばらく進み、商店の並ぶ通りへ差しかかる。

 

ふと、道の脇から子供の泣き声が聞こえた。

 

見ると、小さな男の子が一人で立っている。

 

周囲に保護者らしい姿はない。

 

迷子だろう。

 

そう判断したところで、ヒマリは前へ視線を戻しかけた。

 

その時だった。

 

「どうしたんだ?」

 

別の声が聞こえた。

 

ヒマリが視線を向けると、見覚えのない制服を着た少年が、男の子の前へしゃがみ込んでいた。

 

金色の髪。

 

歳はヒマリとそれほど変わらないように見える。

 

「お母さんとはぐれたのか?」

 

男の子は泣きながら頷いた。

 

「そっか。大丈夫だよ。一緒に探そう」

 

少年はそう言って笑った。

 

けれど、周囲を見回している様子を見る限り、どこへ連れていけばいいのかまでは分かっていないらしい。

 

ヒマリは数秒眺めたあと、口を開いた。

 

「この先へ連れていくより、反対方向へ戻った方がいいですよ」

 

少年が振り返る。

 

「え?」

 

「三百メートルほど戻ったところに交番があります」

 

ヒマリは来た道を指した。

 

「この辺りで保護者を探し回るより、そちらへ連れていく方が確実でしょう」

 

「交番か」

 

少年は男の子へ目を戻した。

 

「そこまで一緒に行けそうか?」

 

男の子が小さく頷く。

 

少年は立ち上がると、ヒマリへ笑顔を向けた。

 

「ありがとう。助かったよ」

 

「私は場所を教えただけですが」

 

「それでも助かったことには変わらないだろ?」

 

あまりにも素直に返され、ヒマリは一瞬だけ黙る。

 

「……そうですか」

 

ヒマリがそう返すと、少年はもう一度男の子へ向き直った。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「うん」

 

少年は男の子に歩調を合わせ、ゆっくりと歩き出す。

 

数歩進んだところで、ふと足を止める。

 

「あ、そうだ」

 

「俺、通形ミリオ。君は?」

 

なぜ今、名前を聞く必要があるのだろう。

 

そう思いながらも、ヒマリは答えた。

 

「……明星ヒマリです」

 

「ヒマリか」

 

一度確かめるように名前を呼ぶ。

 

「ありがとう、ヒマリ」

 

「ですから、私は場所を教えただけです」

 

「そうだったね」

 

そう言ってミリオは笑った。

 

「じゃあ、またどこかで」

 

「……また会うとは限りませんが」

 

「それもそうか」

 

否定することもなく、ミリオは男の子と一緒に歩いていく。

 

ヒマリは離れていく背中をしばらく眺める。

 

妙な人だとは思ったが、それ以上に気に留める理由もない。

 

ヒマリは前へ向き直り、再び車椅子を進める。

 

しばらくすれば忘れる、その程度の出来事のはずだった。

 

     ◇

 

大通りを外れ、住宅と小さな店舗が並ぶ道へ入ると、先ほどまでより人通りが少なくなっていく。

 

車椅子を進めていると、前方に一台の車が停まっているのが見えた。

 

歩道へ半分ほど乗り上げた、不自然な停め方であり、運転席にも助手席にも人影はない。

 

ヒマリが僅かに速度を落とした、その時。

 

車の陰から一人の男が姿を現した。

 

男は周囲を一度見回すと、こちらへ視線を向け、そのまま真っ直ぐに距離を詰めてくる。

 

ヒマリの指が携帯へ動いた。

 

「そこで止まってください」

 

男は足を止めない。

 

「警察へ連絡しますよ」

 

ヒマリが携帯を操作しようとした、その瞬間だった。

 

男が一気に距離を詰める。

 

「騒ぐな」

 

伸びてきた手が、携帯を持つヒマリの手首を強く掴んだ。

 

「っ……」

 

反対の手で口元を塞がれ、身体が背もたれへ押しつけられる。

 

ヒマリは掴まれた手を引こうとするが、力の差は明らかだった。

 

男はそのまま携帯を払い落とすと、ヒマリの身体へ腕を回す。

 

ヒマリも反射的に男の腕へ手をかけるが、押し返せるほどの力はなく、僅かに身をよじる程度の抵抗も簡単に抑え込まれた。

 

そのまま身体を持ち上げられ、足が地面から離れる。

 

車椅子だけが、その場に残された。

 

男はヒマリを抱えたまま、停めてある車へ歩き出した。

 

その時だった。

 

「ヒマリ!」

 

聞き覚えのある声に、ヒマリが顔を上げる。

 

道の向こうから、つい先ほど別れたばかりの金髪の少年――通形ミリオが走って来ていた。

 

「その子から離れろ!」

 

男が振り返った。

 

「なんだ、てめ――」

 

ミリオは速度を落とすことなく、そのまま男へ体当たりした。

 

「ぐっ……!」

 

不意を突かれた男の身体がよろめき、ヒマリを抱えていた腕が緩む。

 

そのままヒマリの身体が宙へ投げ出された。

 

「っ……!」

 

地面へ落ちる寸前、駆け込んできたミリオがヒマリを抱き留める。

 

そのまま勢いを殺しきれず、二人は道路へ倒れ込んだ。

 

鈍い音が響く。

 

だが、ヒマリに強い衝撃はなかった。

 

ミリオが彼女を抱え込むようにして、地面との間に身体を入れていたからだ。

 

「大丈夫か、ヒマリ?」

 

「……あなたは」

 

ミリオはすぐに身体を起こし、ヒマリを地面へ座らせると、男との間へ立った。

 

「なぜ戻ってきたのですか」

 

「男の子を交番まで連れていって、戻る途中で大きな音が聞こえたんだ」

 

ミリオが一瞬だけこちらを見る。

 

「念のため警察にも伝えてきた。大丈夫か?」

 

「この状況がそう見えるのでしたら、あなたの観察力には問題がありますね」

 

「確かにそうだね」

 

あまりにも素直な返答に、ヒマリは僅かに眉を寄せた。

 

「ともかく、あなたは離れてください」

 

「それはできないな」

 

男が苛立ったように声を上げる。

 

「ガキが。邪魔すんじゃねえ!」

 

膨れ上がった腕が振るわれ、ミリオが咄嗟に身体を動かす。

 

その瞬間、拳が触れる寸前で身体の一部が透けたが、完全には間に合わず、肩口を掠めた勢いで大きく体勢を崩した。

 

「っ……!」

 

それでも踏みとどまると、そのまま男の懐へ飛び込み、腹へ拳を叩き込む。

 

「ぐっ……!」

 

男が後ろへよろめいた。

 

「ヒマリ、動けるか?」

 

「足が動きませんので、自力では無理です」

 

「分かった」

 

ミリオが近くに残された車椅子へ視線を向けた隙を逃さず、男が踏み込む。

 

「前を見なさい!」

 

咄嗟に振り返るが遅く、拳をまともに受けたミリオの身体が道路へ転がった。

 

「……っ」

 

頬を擦り、口元から血を滲ませながらも、ミリオはすぐに身体を起こす。

 

「もうすぐ来るはずだ」

 

先ほど伝えてきた警察のことだろう。

 

「それまで、俺が何とかする」

 

「その必要はありません」

 

ヒマリは即座に返した。

 

「もう警察には伝えてあるのでしょう。でしたら、これ以上あなたが傷つく理由はありません」

 

「でも、君を置いてはいけないだろ?」

 

ヒマリは僅かに言葉を詰まらせた。

 

少し前に偶然言葉を交わしただけの関係なのに、なぜ彼は当然のことのように自分の前へ立ち続けるのだろう。

 

男が再び距離を詰めると、ミリオもヒマリの前へ出た。

 

振り下ろされた拳を避けながら懐へ入り込もうとするが、その動きはまだ不安定で、わずかに体勢が崩れる。

 

その時、男の腕がミリオの死角へ回るのがヒマリの目に映った。

 

「……後ろです!」

 

ミリオが咄嗟に身を引き、直後、先ほどまで頭のあった場所を男の腕が薙いだ。

 

「助かった!」

 

だが、続けざまに放たれた拳までは避けきれない。

 

脇腹を打たれ、さらに腹へ蹴りを受けたミリオの身体が弾かれ、背中から壁へぶつかった。

 

「……っ」

 

ヒマリの指先に力が入る。

 

ミリオは苦しそうに息を吐きながら壁へ手をつき、それでも立ち上がった。

 

「もう十分です。聞こえていますか。これ以上続ける合理的な理由は――」

 

「大丈夫」

 

ミリオは口元の血を腕で拭いながら笑う。

 

「絶対助けるから!」

 

何を根拠に、と思う。

 

彼自身が傷だらけで、相手の方が明らかに強い。それなのに、ミリオは一度もヒマリへ背中を向けて逃げようとはしなかった。

 

苛立った男が今度はヒマリへ向かって踏み込み、ミリオもすぐにその前へ出る。

 

横薙ぎに振るわれた腕を避けようと身を引きかけたが、その先には地面へ座り込んだままのヒマリがいた。

 

ミリオは避けるのをやめた。

 

ヒマリを庇うように立ちはだかり、男の一撃を腕で受け止める。

 

鈍い音が響き、衝撃に押されて片膝が地面についた。

 

「……なぜ」

 

思わず声が漏れる。

 

それでもミリオは倒れず、片膝をついたままヒマリの前から退こうとしない。

 

ここまでする理由も、自分のために傷つく理由も、ヒマリにはどうしても理解できなかった。

 

その時、遠くからサイレンの音が響いた。

 

男の意識がそちらへ逸れた瞬間、ミリオはその隙を逃さず踏み込み、身体ごとぶつかって男をヒマリから遠ざける。

 

傷だらけのまま迷わず前へ出るその姿に、ヒマリは思わず息を呑んだ。

 

直後、道の向こうから複数の足音が響く。

 

「そこまでだ!」

 

駆けつけたプロヒーローの声だった。

 

男が取り押さえられるのを確認してから、ミリオはようやく肩の力を抜いた。

 

ヒマリは何も言えないまま、傷だらけになった少年の背中から目を離すことができなかった。

 

     ◇

 

事件が片付くまで、それほど時間はかからなかった。

 

ヴィランは拘束され、ヒマリも事情を聞かれていた。

 

幸い、ヒマリ自身に大きな怪我はない。

 

救急隊員に車椅子へ戻してもらったあとも、ヒマリの視線は少し離れた場所へ向いていた。

 

そこでは、ミリオが救急隊員に手当てを受けている。

 

頬にはガーゼ。

 

腕には包帯。

 

制服も汚れ、ところどころ破れている。

 

その姿を、ヒマリは何度目か分からないほど見ていた。

 

少し前まで、名前すら知らなかった人間だ。

 

道端で偶然会った。

 

ほんの数分、言葉を交わした。

 

それだけだったはずなのに。

 

「痛っ」

 

「動かさないでください」

 

救急隊員に注意される。

 

「すみません」

 

ミリオが困ったように笑った。

 

その表情を見て、ヒマリは眉を寄せる。

 

どうして笑っているのだろう。

 

「押そうか?」

 

顔を上げる。

 

いつの間にか、手当てを終えたミリオがすぐそばまで来ていた。

 

「あなたは何をしているのですか」

 

「何って?」

 

「治療中でしょう」

 

「もう終わったよ」

 

包帯の巻かれた腕を軽く上げる。

 

「終わったようには見えません」

 

そう返しながら、ヒマリは無意識に手首へ触れた。

 

男に手を押さえられ、携帯を払い落とされた際に捻ったらしく、そこにも簡単な処置が施されている。

 

ミリオの視線が、その手首へ向いた。

 

「ヒマリだって怪我してるだろ?」

 

「この程度なら問題ありません」

 

「でも、少しは痛いんだろ?」

 

「……多少は」

 

「じゃあ、押すよ」

 

そう言いながら、ミリオは車椅子の後ろへ回ろうとする。

 

「結構です」

 

「そっか」

 

ミリオは素直に足を止めると、それ以上勧めることなくヒマリの隣に立った。

 

ヒマリはそんな彼を見上げる。

 

先ほどから、どうしても理解できないことがあった。

 

「……一つ、聞いてもよろしいですか」

 

「うん」

 

「なぜ、あそこまでしたのです?」

 

ミリオが瞬きをする。

 

「私たちは、今日初めて会ったばかりです」

 

「そうだね」

 

「私はあなたの友人でもなければ、家族でもありません」

 

「うん」

 

「助けたところで、あなたには何の利益もない」

 

ヒマリは包帯へ視線を向ける。

 

「それどころか、あなたはこれだけ怪我をした」

 

逃げる機会はいくらでもあった。

 

ヒーローが来るまで待つこともできた。

 

それなのに。

 

「わ、私はあの時、迷っていた子供を見て見ぬふりをしようとしていた人間ですよ」

 

自分でも、なぜそんなことまで口にしたのか分からない。

 

「それなのに、どうして……あそこまでしたのです?」

 

ミリオは少しだけ首を傾けた。

 

「助けたかったからだよ」

 

ヒマリは黙る。

 

「……それだけですか?」

 

「うん」

 

「理由になっていません」

 

「そうかな?」

 

ミリオは自分の包帯を見た。

 

「俺には、それで十分なんだけどなぁ」

 

理解できない。

 

冗談を言っているようには見えず、見返りを求めている様子もない。

 

ヒマリはじっと彼を見る。

 

「俺、ヒーローになりたいんだ」

 

ミリオが続けた。

 

「困ってる人をちゃんと助けられる、そういうヒーローに」

 

「……でしたら」

 

ヒマリは包帯の巻かれた腕を見る。

 

「もう少し、自分が怪我をしない方法を考えた方がよろしいのでは?」

 

「それは……そうだな」

 

否定するどころか、ミリオは少し困ったように笑った。

 

「でも、もっと練習すれば何とかなると思うんだ」

 

「随分と簡単に言いますね」

 

「できないなら、できるようになるまで頑張ればいいだろ?」

 

あまりにも迷いのない答えだった。

 

できなかったことを恥じるでも、落ち込むでもなく、次はできるようになればいい。本当に、それだけのことだと思っているらしい。

 

やはり変な人だ。

 

「それに、ヒマリにも助けてもらったしな」

 

「……私が?」

 

「さっき、後ろって教えてくれただろ?」

 

ヒマリは僅かに目を見開いた。

 

「あれがなかったら、まともに食らってたと思う」

 

「見えたから言っただけです」

 

「それでも、俺は助かったよ」

 

ミリオは当たり前のことのように笑った。

 

「それに、さっきの男の子だってそうだろ?」

 

「……あの子が何ですか」

 

「ヒマリが交番の場所を教えてくれたから、ちゃんと連れていけた」

 

「私は知っていることを教えただけです」

 

「うん。でも助かった」

 

「その程度のことなら、誰にでもできます」

 

「でも、俺は交番がどこにあるか知らなかったし、さっきも後ろから来るのに気づかなかった」

 

ヒマリは黙る。

 

「ヒマリにとっては大したことじゃなくても、俺は助かったんだ」

 

「……」

 

「そんなものを、助けたことに数えるのですか」

 

「数えるよ」

 

即答だった。

 

「俺が助かったんだから、それでいいだろ?」

 

ヒマリは返す言葉を失った。

 

迷子の男の子に交番の場所を伝えたことも、ミリオの背後から迫る攻撃を知らせたことも、ヒマリにとっては特別な行動ではない。

 

知っていたから教え、見えたから伝えた。ただ、それだけだ。

 

「……私には、その程度のことしかしていませんが」

 

「その程度かどうかは、助かった方が決めるんじゃないか?」

 

ヒマリは僅かに眉を寄せる。

 

「ずいぶん勝手な理屈ですね」

 

「そうかな?」

 

ミリオは笑った。

 

「でも、俺は本当に助かったよ」

 

まただ。

 

この少年は、ヒマリが何でもないと思っていることを、当然のように「助かった」と言う。

 

「俺、困ってる人を見たら、自分で何とかしなきゃって思ってたんだ」

 

ミリオは少しだけ視線を落とした。

 

「でも今日、ヒマリに教えてもらって思ったんだ」

 

「……何をです?」

 

「自分で全部やらなくても、人を助けることってできるんだなって」

 

ヒマリは黙ってミリオを見る。

 

「助け方って、一つじゃないんだな」

 

「……助け方」

 

「うん」

 

ミリオは頷いた。

 

「だから、もしヒマリも誰かを助けたいって思うことがあったら、その時にできることをすればいいんじゃないかな」

 

「随分と曖昧ですね」

 

「そう?」

 

「ええ」

 

ミリオは少し考えてから、笑った。

 

「でも、それでその人が笑ってくれたら、俺は嬉しいけどな」

 

「……笑ってくれたら」

 

ヒマリは小さくその言葉を繰り返した。

 

大仰な言葉ではない。ただ、今まで聞いてきた言葉とは、まるで違った。

 

親がいないことも、歩けないことも、周囲の人間はいつも先にそこへ目を向けた。

 

ヒマリ自身は、そのたびにくだらないと思っていた。そんなもので自分の価値が決まるはずがないから、聞き流してきた。

 

けれど、目の前の少年はそんなことには何も触れず、ヒマリが大したことだと思っていなかった行動を、ただ「助かった」と言った。

 

「……おかしな人ですね、あなたは」

 

「そうかな?」

 

「ええ。かなり」

 

「そっか」

 

ミリオは笑った。

 

その笑顔を見ているとなぜか落ち着かず、ヒマリは理由も分からないまま僅かに視線を逸らした。

 

先ほどまでなら、理解できない相手だと判断して、それで終わっていたはずだった。けれど今は、あれほど傷ついてまで自分を助けたことも、何でもない行動を「助かった」と言ったことも、なぜか頭に残っている。

 

不思議と、もうどうでもいいとは思えなかった。

 

今まで誰か一人のことを、こんなにも考え続けたことはない。

 

少なくとも、その時はまだ、その感情が何かは分からなかった。

 

「明星さん」

 

少し離れた場所から声がかかった。迎えが到着したらしい。

 

ヒマリはそちらを確認してから、ミリオを見る。

 

「では」

 

「うん」

 

ミリオが軽く手を上げる。

 

「またね、ヒマリ」

 

「……先ほども言いましたが、私たちは別の学校でしょう。また会うとは限りませんよ」

 

「そうだね」

 

それでも、ミリオは笑ったままだった。

 

「でも、また会えたらいいじゃないか?」

 

ヒマリは答えなかった。

 

答える必要はないと思ったはずなのに、その言葉だけは妙に耳に残った。

 

車椅子を進めてその場を離れ、迎えの車へ移される。扉が閉まっても、窓の向こうにはまだミリオの姿があった。

 

救急隊員に何かを言われ、包帯の巻かれた腕を押さえながら困ったように笑っている。

 

やがて車が動き出し、その姿が少しずつ遠ざかっていく。

 

ヒマリは前を向こうとしたが、すぐには視線を戻せなかった。気づけば、ミリオの姿が見えなくなるまで窓の向こうを目で追っていた。

 

完全に見えなくなったところで、ようやく前へ向き直る。

 

いつもと同じ帰り道のはずなのに、静かな車内には先ほどの言葉が残っていた。

 

――助け方って、一つじゃないんだな。

 

――その時にできることをすればいいんじゃないかな。

 

――それでその人が笑ってくれたら、俺は嬉しいけどな。

 

今までなら、他人の言葉をここまで何度も思い返すことなどなかった。一度覚えたところで、それ以上気に留める理由もない。

 

けれど、通形ミリオという少年の言葉だけは、どうしても頭から離れなかった。

 

「……通形、ミリオ」

 

小さく名前を口にすると、先ほどの笑顔まで浮かんできた。

 

また会うことはあるのだろうか。

 

そんな考えが自然に浮かんだことに、ヒマリ自身が僅かに驚く。

 

誰かが傍にいることを前提にしなければ、困ることもない。

 

ずっと、そう思っていた。

 

それなのに今は、もう一度会うかもしれない少年の姿を思い浮かべている。

 

「……本当に、おかしな人です」

 

窓の外へ流れていく景色を眺めながら、その日初めて出会った少年の姿と言葉だけが、いつまでもヒマリの頭から離れなかった。





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