昼休み。
サポート科の教室では、あちこちで弁当の蓋が開き、午前の授業を終えた生徒たちの話し声が飛び交っていた。
その中で、明星ヒマリは自分の机に昼食を広げている。
今日はゼリー飲料一本――ではない。
小さめのサンドイッチとスープ。それから、念のためのゼリー飲料。
昨日の昼食について波動ねじれに散々言われた結果である。
「……まったく。私ほど自己管理の行き届いた人間を捕まえて、食事がどうこうと」
ぶつぶつ言いながら、サンドイッチを一口。
もちろん、誰かに言われたから用意したわけではない。
断じてない。
超天才清楚系病弱美少女たるもの、己の体調管理まで完璧であって当然。
ただそれだけである。
「明星ー」
教室の入口から声が飛んできた。
ヒマリが顔を上げる。
「ん?」
「通形先輩、来てるぞ」
その一言で、ヒマリの動きがぴたりと止まる。
「…………」
手に持っていたサンドイッチを弁当箱へ戻し、口元をナプキンで拭く。そのまま白い髪を指先で軽く整えてから、何事もなかったような顔で車椅子を反転させた。
「そうですか。では、お待たせするわけにもいきませんね」
車輪を滑らせ、教室の入口へ向かう。
そこには、ヒーロー科の制服姿の通形ミリオが立っていた。
「やあ、ヒマリ!」
「ごきげんよう、通形さん」
「昼飯中だった?」
「ええ。ちょうど食べていたところです」
「だったら後でもいいぞ?」
「構いませんよ」
間を置かずに答える。
「それで、私に何か?」
「この前頼んでたやつなんだけど――」
ミリオが手にしていたケースを持ち上げる。
それを見た瞬間、ヒマリの視線が変わる。
「……なるほど」
「ちょっと気になるところがあってさ」
「分かりました。見てみましょう」
「今から?」
「ええ」
「でも、昼飯は?」
「後で食べます」
「冷めない?」
「…………」
ヒマリが止まる。
ミリオの視線は机の上へ向いていた。
食べかけのサンドイッチ。まだ湯気の残るスープ。そしてゼリー飲料。
「先に食べた方がいいんじゃないか?」
「……通形さん」
「ん?」
「五分だけ待ちなさい」
「もちろん!」
ヒマリは無言で机へ戻ると、先ほどより少しだけ速いペースでサンドイッチを食べ始めた。
ミリオは入口近くで待っている。
一口。
もう一口。
ヒマリがちらりとミリオを見る。
目が合うと、ミリオが笑った。
「ゆっくりでいいぞ!」
「見ないでください!」
「えっ?」
「食事中の美少女を凝視するものではありません!」
「ご、ごめん?」
ミリオが慌てて後ろを向く。
ヒマリは小さく息を吐いた。
「まったく……」
そう言いながら、もう一口。
頬が少し熱いのは、きっと気のせいだ。
*
昼食を終えたヒマリは、ミリオとともにサポート科の開発工房へ移動する。
ミリオが持ってきたケースを机の上に置き、中から専用のヒーローコスチュームを取り出した。
彼の“個性”――『透過』。
身体をあらゆる物質からすり抜けさせる強力な個性だが、衣服まで一緒に透過できるわけではない。
その問題を解決するため、ミリオのコスチュームには本人の毛髪を特殊加工した繊維が使用されている。
そして現在、その調整に携わっている一人が明星ヒマリだった。
「それで? どこが気になるのです?」
ヒマリがケースを覗き込む。
「右肩の辺りかな。昨日の訓練で、ちょっと引っかかる感じがあったんだ」
「右肩……」
ヒマリはコスチュームを手に取り、縫製部分へ目を走らせる。
数秒も経たないうちに口を開いた。
「なるほど」
「もう分かった?」
「誰に聞いているのです?」
ヒマリの口元が得意げに上がる。
「この私――雄英が誇る超天才清楚系病弱美少女技術者、明星ヒマリにかかれば、この程度の不具合を見つけることなど朝飯前です」
「今、昼飯食べた後だけどね」
「そういう意味ではありません!」
ミリオが声を上げて笑う。
「ハハハ! ごめんごめん!」
「まったく……あなたという人は」
呆れた口調とは裏腹に、ヒマリの表情はどこか楽しそうだった。
「では、詳しく見てみましょうか」
車椅子のアームレストへ指を伸ばし、スイッチを押すと、収納されていた薄型モニターとキーボードが展開される。
「あなたのために、この私が直々に診断して差し上げます」
「よろしく頼むよ、ヒマリ!」
「ふふん。任せなさい」
高速の打鍵音が、昼休みの工房に響き始める。
モニターには次々と数値やグラフが表示されていった。
ヒマリは測定データと過去の訓練記録を照合しながら、問題箇所を絞り込んでいく。
やがて指が止まる。
「やはり予想通りですね」
「何か分かった?」
「右肩部分に負荷が集中しています。透過解除直後の動きが原因ですね」
「ああ、そこか。確かに少し引っかかる感じはあったかな」
「でしょうね」
端末を操作すると、モニターへ人体モデルが表示される。
「現在の構造でも実戦使用に問題はありません。しかし、あなたの場合は透過と解除を短時間で何度も繰り返します。その際、この部分へ負荷が集中する」
「なるほど」
「加えて、復帰直後に腕を大きく振る動作が多い。ですから――」
画面上の構造が切り替わる。
「この部分の編み方を変更します」
「それで変わるのか?」
「変わります」
ヒマリは迷いなく答えた。
「可動域を維持したまま負荷を分散できます。耐久性も今より上がるでしょう」
「へえ……」
ミリオがモニターを覗き込むため、自然とヒマリの隣へ寄る。
「…………」
ヒマリの指が止まった。
当のミリオは気づかず、画面を見ている。
「ここが変わるんだな?」
「……ええ」
「でも、見た目はほとんど変わらないんだね」
「当然です。性能を上げるたびに外見まで変えていては、完成度の低さを宣伝しているようなものですから」
「なるほどなぁ」
ミリオがさらに顔を近づけると、ヒマリの耳に吐息がかかる。
「…………通形さん」
「ん?」
「近いです」
「あ、ごめん」
ミリオが少し身体を離す。
「これくらい?」
「……ええ。それで結構です」
ヒマリは何事もなかったようにモニターへ視線を戻した。
数秒後。
「ヒマリ」
「今度は何です?」
「やっぱり顔赤いぞ? 体調悪いんじゃないか?」
「違います! これは室温の問題です!」
「室温?」
「そうです!」
ミリオが工房の空調へ目を向ける。
「そんなに暑いかな?」
「私にとっては暑いのです!」
「じゃあ、空調下げる?」
「下げなくて結構です!」
「でも、無理してるなら――」
「通形さん」
ヒマリが振り返る。
「これ以上この件について追及した場合、あなたのスーツの調整優先順位を最下位まで落とします」
「それは困るな」
「ならば黙っていなさい」
「分かったよ」
ミリオは口を閉じた。
十秒ほど経つ。
「……ヒマリ」
「今度は何です!?」
「水飲まなくて大丈夫か?」
「…………」
ヒマリは机の端に置かれた水筒へ目を向ける。
「それは必要ですね」
「はい」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ヒマリは水を一口飲んだ。
ミリオはまた何も言わず待っている。
横目でその様子を見たヒマリは、何か言いかけてやめ、作業へ戻った。
それからしばらくして、モニター上に完了を示す表示が出る。
「ひとまず終わりました」
「おっ」
ミリオが立ち上がる。
「必要なデータは取れました。加工そのものは放課後に行います」
「了解!」
「次の実戦訓練で使用したら、必ずデータを送ってください」
「もちろん」
「できれば使用直後に。それと、損傷があった場合は、先ほど言った通り早めに持ってくること」
「了解」
「それから――」
ヒマリが口を閉じる。
「それから?」
少し間を置いてから、ヒマリは続けた。
「……無茶はほどほどに」
ミリオが瞬きをする。
「ヒマリに言われるとは思わなかったなぁ」
「どういう意味です?」
「ヒマリも結構無茶するだろ?」
「私はすべて計算の上で行っています」
「昨日、昼飯をゼリーだけで済ませたのも?」
「その話を持ち出さないでください!」
「ハハハ! ごめんごめん!」
「まったく……」
ヒマリは呆れたように息を吐く。それでもミリオから視線は逸らさなかった。
「とにかく、私が調整しているのです。雑な使い方をされては困ります」
「うん」
「私の作品には、それに相応しい扱いというものがありますからね」
「分かってるよ」
ミリオがケースを持ち上げ、いつもの明るい表情で笑う。
「大事に使うよ」
「…………」
「ヒマリが作ってくれたものだからな」
ヒマリの口がわずかに開いたまま止まる。
「……そう、ですか」
先ほどまでの勢いが、嘘のように消えていた。
その時、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴る。
「あ、もうこんな時間か」
ミリオが時計を見る。
「じゃあ、俺は戻るよ」
「ええ」
「今日はありがとう、ヒマリ」
「……ええ」
ミリオが工房の出口へ向かう。
「また放課後な!」
「…………」
返事がないことに気づいたミリオが振り返った。
「ヒマリ?」
「えっ」
ヒマリの肩がわずかに跳ねる。
「どうした?」
「な、何でもありません!」
「そう?」
「そうです! 予鈴はもう鳴ったのですよ。さっさと教室へ戻りなさい!」
「分かったよ。じゃあまた放課後!」
「ええ、また放課後」
今度こそミリオが工房から出ていき、扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
ヒマリはしばらく扉を見つめていた。
やがて正面へ向き直る。
モニターには、ミリオのコスチュームの設計データが残ったままだ。
「……まったく。本当に、困った人ですね」
頬へ手を当てる。
まだ少し熱い。
「私の演算をここまで乱すとは……」
そこまで言って、口を閉じた。
画面には、先ほど完成したばかりの調整案が表示されている。
ヒマリは数秒それを眺めてから、端末を閉じた。
「……続きは放課後ですね」
車椅子を出口へ向ける。
少し進んだところで、もう一度だけ振り返った。
「大事に使う、ですか」
誰もいない工房で、小さく笑う。
「当然でしょう。誰が作ったと思っているのです」
白い車椅子が工房を出ていき、扉が静かに閉じた。
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