サポート科の開発工房には、規則正しい打鍵音が響いていた。
明星ヒマリの前に展開されたモニターには、一着のヒーローコスチュームを模した立体モデルが表示されている。
見慣れた赤と白の配色。通形ミリオのコスチュームだった。
「……ふむ」
ヒマリは顎に指を添え、画面を眺める。
可動域や耐久性、透過解除直後に生じる負荷に着地時の衝撃。これまで蓄積してきた実戦訓練の記録をもとに、構造を一つずつ見直していく。
以前から考えていた改良案だった。
今のままでも問題はないが、それでも、まだ手を入れられるところはある。
「……ここを変更すれば、もう少し動きやすくなりますね」
ヒマリの口元が上がる。
構造データを書き換え、シミュレーションを開始する。
画面上のモデルが走り、跳び、腕を振る。透過状態を想定した動作から復帰し、再び地面を蹴る。
ヒマリは表示される数値を追いながら条件を変え、何度も同じ動作を繰り返させる。
さらに負荷を上げても、異常は出なかった。
「ふふん。当然ですね」
最後の確認を終え、データを保存する。
画面の隅に『完了』の文字が表示されると、ヒマリは満足そうにそれを眺めた。
「我ながら素晴らしい出来です」
現在のコスチュームから大きく外見を変えることなく、動きやすさと耐久性を向上させている。
ミリオなら実際に着ればすぐ違いに気づくだろう。
あの人は細かな理屈を聞くより、身体を動かした方が早い。
そしてきっと――
『へえ、すごいな。やっぱりヒマリに頼んで正解だったよ』
「…………」
想像したところで、ヒマリの指が止まった。
「……何を考えているのでしょうね、私は」
誤魔化すように白い髪を指先でいじる。
別に、通形さんの反応を期待していたわけではない。
超天才清楚系病弱美少女技術者たる自分が作ったものを評価するなど、むしろ当然のことである。
「まあ、通形さんがどの程度この改良の素晴らしさを理解できるのか、確認してあげるのも一興でしょう」
誰に聞かせるでもなくそう言って、もう一度データを開く。
タイトル欄へ視線を落とし、少し考えてから末尾に《ver.2》と付け加えた。
「さて」
アームレストへ手を置き、あたりを見渡す。
ミリオたちがインターンへ出るようになってから、工房は以前より静かになった。
環もねじれも、それぞれのインターン先へ向かっている。三人が揃って工房へ顔を出すことも減った。
その分、作業に集中できる。
何の問題もない。
「…………」
ふと工房の入口を見る。
当然、誰もいない。
ヒマリはすぐに画面へ視線を戻した。
「静かな方が作業効率は上がりますからね」
しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。
何人かが工房の前を通り過ぎ、また静かになる。
その直後だった。
「ヒマリ」
聞き慣れた声に、ヒマリの指が止まった。
入口を見る。
「おや」
そこに立っていたのはミリオだった。
制服姿で、肩には鞄を掛けている。
「戻っていたのですか、通形さん」
「ああ。さっきね」
ミリオが笑う。
「今日も工房にいたんだな」
「当たり前でしょう。私ほど勤勉な天才が、時間を無為に過ごしているとでも?」
「ハハハ。それもそうか」
ヒマリの表情が少し緩む。
ちょうどいい。むしろ絶好のタイミングだった。
「通形さん」
「ん?」
「ちょうどいいところに来ましたね」
ヒマリは得意げにモニターへ手を伸ばした。
「実は――」
そこで手が止まった。
ミリオはいつものように笑っている。
それでも、何かが引っかかった。
「……通形さん」
「ん?」
「何かありましたか?」
ミリオが僅かに目を見開く。
「どうしたんだ、急に?」
「質問しているのは私です」
「いや、俺は別に――」
ミリオはそこまで言って口を閉じた。
ヒマリは何も言わず、その続きを待つ。
少しして、ミリオが後頭部へ手をやった。
「……ちょっと、インターンで色々あってね」
「色々?」
「ああ」
そう言って、また笑う。
けれど、それ以上は話さなかった。
ヒマリはじっとミリオを見る。
どこがおかしいのかと聞かれれば、うまく説明できない。
ただ、いつものミリオならもう少し早く笑う。返事をするまでに、あんな間は空けない。
長い付き合いだから気づいただけの、本当に小さな違いだった。
「……なるほど」
「ヒマリ?」
「話せない事情があるのですね」
ミリオの表情が僅かに止まる。
ヒマリはそれ以上尋ねず、画面へ向き直る。先ほど開こうとしていたデータも、そのまま閉じた。
「分かりました」
「え?」
「でしたら、無理に聞き出すつもりはありません」
ミリオが少し驚いたようにヒマリを見る。
「いいのか?」
「おやおや。何ですか、その反応は」
ヒマリは肩をすくめた。
「私を何だと思っているのです?」
「いや……聞かれると思ったからさ」
「聞きたいですよ」
「でも、あなたは話せない。でしたら、これ以上聞いても仕方ありません」
平然と言い切ると、ミリオが少し黙った。
「必要になれば、あなたから話すでしょう」
「…………」
「違いますか?」
ミリオは一度目を伏せ、それから小さく笑う。
先ほどよりは、いつもの笑い方に近かった。
「いや。そうだな」
「でしょう?」
「ありがとう、ヒマリ」
「感謝されるようなことではありません」
「でも、ありがとう」
「…………」
ヒマリがわずかに顔を背ける。
「まったく。あなたはいつもそうやって無駄に真っ直ぐなのですよ」
「そうかな?」
「そうです」
ミリオは工房の中へ入り、近くの机へ鞄を置いた。
「ところで、今日のインターンは大丈夫なのですか?」
「うん。今日はね」
「そうですか」
「ヒマリは?」
「見れば分かるでしょう。絶賛作業中です」
「また遅くまでやるのか?」
「時間は適切に管理しています」
「昨日もそんなこと言ってなかったか?」
「昨日の私と今日の私は違います」
「一日で?」
「天才とは日々進化するものですよ」
ミリオが笑った。
「それなら安心かな」
「最初から安心していなさい」
ヒマリは得意げに胸を張る。
そのままモニターへ手を伸ばしかけて、やめた。
そこには、先ほど閉じた改良案のファイルがあり、本来なら今頃、完成したばかりの自信作を嬉々として見せていたはずだった。
けれど、今は見せる気にはなれなかった。
「通形さん」
「ん?」
「もう戻るのですか?」
「ああ。今日はそうするよ」
ミリオが鞄を肩へ掛け直す。
「じゃあ、ヒマリもあんまり遅くなるなよ」
「誰に言っているのです?」
「ヒマリに」
「分かっています!」
「ハハハ」
ミリオが出口へ向かう。
その背中を見送っていたヒマリは、扉へ手を掛ける寸前で彼を呼び止めた。
「通形さん」
ミリオが振り返る。
「ん?」
ヒマリは少し迷ってから口を開いた。
「……無茶はしないでくださいね」
ミリオが瞬きをする。
「それ、ヒマリに言われるのか?」
「今は私の話をしていません」
「でもヒマリ、この前――」
「私の話はしていません」
「二回言った」
「重要なので二回言いました」
ミリオの口元が上がる。
「分かったよ」
「本当に?」
「本当だよ」
それでもヒマリは笑わない。
ミリオもそれに気づいたらしく、少しだけ表情を変えた。
「……ヒマリ」
「何です?」
「大丈夫」
ヒマリの眉がわずかに動く。
「何がです?」
「うん?」
「何について大丈夫なのかも分からないのに、納得できるわけがないでしょう」
「ああ……」
ミリオは少し困ったように笑った。
「それはまだ言えないかな」
ヒマリは小さく息を吐く。
「でしたら、安易に『大丈夫』などと言わないことです」
「厳しいなぁ」
「当然です」
ミリオは苦笑する。
ヒマリは少しだけ間を置いてから、続けた。
「……まあ、あなたが今は話さないと決めたのなら、それを信じましょう」
ミリオから笑みが消え、ただ静かにヒマリを見る。
「だから、無茶はしないでください」
今度はミリオも茶化さなかった。
少しだけ間を置いて、頷く。
「ああ。分かったよ、ヒマリ」
「よろしい」
ヒマリも頷いた。
ミリオが再び歩き出し、扉の前で一度だけ振り返る。
「じゃあ、またな」
「ええ。また」
扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ遠ざかっていった。
工房が静かになる。
ヒマリはしばらく閉じた扉を見ていたが、やがてモニターへ向き直った。
端末を操作すると、先ほど閉じたファイルが表示される。
《通形ミリオ ヒーローコスチューム改良案 ver.2》
「……せっかく完成させたというのに」
小さく呟き、すぐに口元を上げた。
「まあ、構いません。この私の最高傑作候補なのです。披露するタイミングにも相応の格というものがありますからね」
保存状態だけ確認し、ファイルを閉じる。
別の作業データを開き、キーボードへ手を置いた。
けれど、すぐには指が動かなかった。
「……まったく」
誰もいなくなった工房で、小さく息を吐く。
「人に心配をかけるとは、困った人ですね」
それだけ言うと、ヒマリは作業へ戻った。
しばらくして、静かだった工房にいつもの打鍵音が響き始めた。
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