俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
第一話 一年後、俺は王太子妃になるらしい
「アウレスト殿下との婚礼は、一年後の春に決まった」
「承知いたしました、お父様」
俺は微笑んだ。背筋を伸ばし、膝の上で両手を揃えて。
(はい?)
父が差し出した書面を、両手で受け取る。
待て。いや、結婚するのは知ってた。婚約してるんだから知ってた。でも日付をつけるな。急に現実にするな。
王家の紋章の下に、翌年三月二十八日と記されている。
アウレスト・レグリア・アークライト。十歳の頃から、二人きりでは「レスト」と呼んでいる俺の婚約者であり、この国、レグリア王国の第一王子にして王太子だ。
その隣に、セレスティア・レーヴェル。十八年間見慣れた俺の名前だ。
「陛下も喜んでおられた。殿下とは、今日の午後に会うのだったな」
「はい。お茶をご一緒する予定です」
「では、二人でも話しておきなさい。準備で困ることがあれば、私たちにも相談するように」
「ありがとうございます」
困ることなら、たった今できた。
式場でも予算でも招待客でもない。俺が嫁になることだ。前世では男だったんだぞ。
十歳から八年間、レストの婚約者をやってきた。
結婚するのは分かっていたのに、今さら何を言っているんだ、と言われれば返す言葉がない。
でも、いつかと一年後は全然違うだろ。
父レオナルド・レーヴェルは、大きな手で書面を揃えた。話をまとめるのがうまい。
娘の婚礼でも、その手際を存分に発揮してくれたらしい。承知してしまった俺の返事も、もう話に組み込まれている。
「衣裳の希望も、早めに伝えておきましょうね」
母エレオノーラ・レーヴェルが、柔らかな笑みを浮かべて書面を覗き込んだ。
「細かな刺繍には時間がかかるもの。純白の髪と金の瞳に合わせて、糸も選ばないと。あなたは、どんなものがよいかしら」
「重くなりすぎないものがよろしいかと。長く立つことになりますから」
「ええ。動きやすさも大切ね」
俺も刺繍は好きだし、美しいものを見るのは楽しい。婚礼用なら、相当に見事な――。
婚礼衣裳を俺が着る。いや、ドレスはいい。十八年着てる。問題はその後だ。その服を脱いだ後、夫婦で寝室に……待て、そこまで考えるな。
「……セレスティア?」
「失礼いたしました。式次第も確認しておくべきかと思いまして」
「そちらは後日、王宮から届く」
「では、拝見してから改めてご相談いたします」
滑らかな返答。穏やかな微笑み。
父も母も、俺が取り乱しているとは思っていないだろう。
十八年の公爵令嬢教育は凄い。
誰か止めてくれ! と内心で叫んでいても、ちゃんと次の打ち合わせを約束できる。
◇
自室へ戻り、侍女にはお茶の時間まで休むと伝えた。
扉が閉まる。
足音が遠ざかる。
俺は書面を机に置き、婚礼の日取りを指で押さえた。
「一年後」
その日には、俺もレストも十九歳になっている。
式を挙げたら婚約者ではなくなって、夫婦になる。
レストが夫で、俺が妻。
今までみたいに、菓子を食って、くだらない話をして、それぞれの家に帰るわけではない。
一緒に住む。夜も。夫婦として。
一年後、俺がレストと結婚して……初夜。
初夜。つまり、レストに抱かれる。
夫婦になるのだから、そういうことも当然――。
いや、抱かれるって綺麗に言うな。要するに俺がそっち側で、挿れられる側になるってことだろ。レストのち〇こを俺のま〇こが。……俺が!?
「無理無理無理無理!!」
両手で口を塞いだ。
扉を見張る。
誰も来ない。聞かれていない。たぶん。
もう一度、書面を見る。
『承知いたしました、お父様』
誰だ、あんなに綺麗に承知したやつ。
俺だ! 誰でもないこの俺だ! できることなら取り消したい!
前世の俺は、十八歳の男子大学生だった。彼女ができたこともなかった。
バイト帰り、近所でよく見かけた三毛猫が車に轢かれそうになって、反射的に飛び出した。
猫を歩道へ押しやったところまでは覚えている。
その次は、この家で赤ん坊をやっていた記憶だ。
猫が助かったかは分からない。
分かっているのは、男だった俺が死んで、なぜか異世界の公爵令嬢になったということだ。しかも、名門レーヴェル家の長女として。
セレスティアとして生まれ、二歳になる頃には前世の記憶をはっきり自覚した。
それから育って、今は十八歳。
女として暮らすことは、もう今さらだ。
前世とは似ても似つかない、この純白の髪と金の瞳にも、もう慣れた。
ドレスも化粧も普段の身支度。母と服を選ぶのも楽しいし、弟たちに姉として接するのだって、いちいち覚悟してやっているわけではない。
だが、それと男との結婚を一緒にされては困る。
女として十八年生きたから、次は男の妻になって、寝室でも妻の役割をどうぞ。
そんな流れで、俺の下半身の都合まで決められてたまるか! そこまで一続きで了承した覚えはないぞ。俺は。
女に生まれたからって、そこまで自動で決まるなよ……。
今まで考えないで済んだのは、レストと会う時間が普通に楽しかったからだ。
茶を飲む。話す。次に会う約束をする。
八年間、それで何も困らなかった。
なのに、日取りがついた途端、順番に全部見えてしまった。
婚礼。夫婦。初夜。
俺の知らないところで、俺の人生を最後まで予約しないでほしい。
椅子に座って、書面を裏返す。
名前が見えなくなった。
それで解決した気になった俺が、ただの馬鹿だった。
◇
「お待ちしておりました、殿下」
午後、俺は客間でレストを迎えた。
黄金の髪。赤紫の瞳。
顔立ちの整った、同い年の王太子。
剣も勉学も優秀で、魔法は火と水と光の三属性。三つも持っている人間は、そうそういない。次代の王への期待も厚い。
嫁ぎ先としては文句のつけようがない。問題は、そこじゃないんだよ……。
「待たせてしまったかな、セレスティア」
いつもどおりのレストだ。
来た。本人が来た。俺が一人で勝手に大騒ぎした原因の男が、普通に挨拶している。
こっちは午前中、お前との初夜まで勝手に考えて絶叫したんだぞ!
もちろん、そんなこと言えるはずもない。
「いいえ。お時間どおりですわ」
席へ案内し、お茶と菓子を用意してもらう。
使用人たちが給仕を終えるまでは、王宮での用事について当たり障りなく話した。
扉が閉まり、二人きりになる。
「レスト」
「うん?」
「婚礼の話、いつ聞いた?」
「今朝だ。君も公爵から聞いたのだろう?」
「聞いた」
聞いて、承知した。だが、心の中でも、自室でも叫んだんだぞ。
「一年後だってな」
「ああ」
「お前、落ち着いてるな」
「そう見えるかな?」
「見える」
「なら、よかった。君のご両親に、浮かれすぎていると思われるのも困るからね」
俺を見て笑う顔は、普段より嬉しそうだった。
浮かれているのか、そっちは。
そりゃそうか。レストにとっては、八年間の婚約者との婚礼だ。
嬉しそうなレストに、俺は内心のことまでは言えない。
「……日付が決まると、急に近くなるな」
「準備することも多い。一年は必要だろう」
「一年あれば足りるのか?」
「式の規模にもよるが、無理な日程ではないと思う」
式の話か。
俺の覚悟は、今のところ八年でも足りていないんだが?
何と返したものか考えていると、レストの視線が菓子の皿へ落ちた。
砂糖をかけた焼き菓子を見て、その隣の菓子を取る。
「甘いほう、食わないのか」
「いや。まずはこちらを」
「さっきから、そっちばっかり見てるけど」
「……見ていたのか」
「目の前にいるんだから、見えるだろ」
皿を寄せてやると、レストは結局、砂糖のかかったほうを取った。
「君は食べないのか?」
「俺はこっちでいい」
「では、せっかくだから」
せっかくも何も、食いたかったくせに。
甘党なのは、とっくにばれている。それでも俺の前でさえ格好をつけようとするから、菓子を一つ食べるにも手順が増える。
十歳の初対面で二人きりになった時、レストから「二人の時くらい楽に話して」と言われた。
それなら遠慮はいらないかと、俺は家族の前でも出したことのない素の口調で「アウレストって長いだろ。今日からレストな」と返した。
王太子相手に大概だとは思うが、レストは笑って受け入れてくれた。
それから八年。
外では公爵令嬢のセレスティア・レーヴェルをやっている俺も、レストの前では最初からずっとこんな調子だ。
菓子を食べたレストが、満足そうに頷いた。
結婚するとレストの……。いや待て。なんで菓子を食ってる男のち〇こを想像してるんだ、俺は。最低だ。菓子を食え。菓子は何も悪くない。
「……セレスティア?」
「なんでもない」
「まだ何も聞いていないが」
「これから聞きそうだったから」
レストが笑った。
俺は焼き菓子を口に入れた。
美味い。
ちゃんと美味いのに、今日に限って頭が勝手に先へ進む。
「君は今日、私をからかうために呼んだのか?」
「いつもと変わらないだろ」
「それは、そうだね」
レストが、皿に残った菓子を分けた。甘いほうは自分の前へ、俺が食べているほうは俺の前へ。
断りもなくやるし、俺もそれでいいので何も言わない。
こういうところは、実に楽だ。
「全部そっちでいいのか?」
「君も食べたければ言ってくれ」
「今はいい。そんなに好きなら、人前でも普通に食えばいいのに」
「……私にも、多少は格好をつけたい時がある」
「俺の前では諦めろ」
笑ったレストにつられて、俺も笑う。
このまま菓子を食って話しているだけなら、何も問題ない。
でも、一年後には――。
だから、勝手に夜まで進めるな。まだ昼だし、今いるのは客間だ。寝室の話なんか一言もしてないだろ。
「セレスティア。大丈夫か? 少し顔色が悪い。具合がよくないのか?」
とうとう聞かれた。
「体調は平気だ。ちょっと考え事が、な」
「私に話せることかな?」
困ったことがあるんだが、どうすればいいと思う。
いつもの調子で口にしかけて、止まった。
その困り事の相手が、お前なんだよなあ……。
急かさずに待ってくれる。こういう時こそ頼りたい相手なのに、今回だけは話がややこしすぎる。
「まだ、うまくまとまってない」
「では、まとまってからでいい。今日は無理をせず、準備の話はまた今度にしよう」
「……悪い」
「謝ることではないよ」
俺は話題を弟たちの稽古に変えた。
末弟のアルフレッドが稽古を増やしたがって、上の弟のテオドールが一週間の予定を書き出して説得したのだ。
「それで、アルは納得したのかな?」
「した。テオの説明を聞いてる時間で、もう一回稽古できたってぼやいてたけど」
「アルらしいね」
「次からは先に聞けって言っといた」
レストが笑う。
俺も笑う。
そうだ。こういう午後でいい。
この先も、菓子を食って笑っているだけでは駄目なのか……?
駄目なんだろうなあ……。
◇
レストを見送って自室に戻ると、裏返した書面が机で待っていた。
ひっくり返す。
日取りは変わっていない。
……どうすりゃいいんだよ。
まず相談する相手は、いつもなら決まっている。
レスト。
いやいや、男と結婚しない方法を、結婚相手の男に聞いてどうする。
俺は頭を抱えた。
嫌いなやつなら、まだ言いやすかった。
でも、今日だってレストのおかげで笑えた。レストは何も悪くない。
その相手に、男の妻になるのが怖いから結婚をやめたい、と言うのか。
しかも理由を聞かれたらどうする。
実は前世が男なので、男に挿れられる側になるのは無理です、と説明するのか。
十八年、誰にも一度たりとも話していないことを、いきなりそこから?
順番がおかしいだろ……。
理由を隠して断れば、レスト本人を拒んでいるように聞こえる。
理由まで話すのも、今の俺には難しい。
だったら。
自分から断るのではなく、向こうから断ってもらえばいいのでは?
書面を見直す。
「……それだ」
俺が王太子妃に向いていないと分かれば、王家も考え直すだろう。
いっそ婚約を破棄してもらえれば、初夜まで考えなくて済む。
レストを嫌いにならなくてもいい。
悪者にする必要もない。
俺のほうが、相応しくなくなればいいのだ。
「王太子妃失格になればいい!」
今度は声量を抑えた。
一日に二度も、自室から叫び声を響かせるわけにはいかない。
十八年間、公爵令嬢として、長女として恥のないように真面目にやってきた。
何をすれば褒められるかも、どんな振る舞いを求められるかも分かっている。
なら、その逆をやればいいだけだ。
紙を取り出そうとしたところで、扉が鳴る。
「お嬢様。お茶のお片付けをいたしますが、何かご用はございますか」
「ありがとう。今日のお菓子、殿下が気に入っていらしたわ。料理人にも伝えておいてくださる?」
「かしこまりました」
「あなたも、朝からご苦労さまでした。こちらはもう大丈夫ですから」
侍女は明るい声で礼を言って、戻っていった。
俺は机に向かい、紙の一番上に丁寧な字で書いた。
『王太子妃失格になる方法』
よし。
王太子妃失格になって、婚約を破棄させてやる。
完璧な令嬢を十八年やった俺だ。
駄目な令嬢になるくらい、簡単に決まっている!