俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
「儀式の間、お身体はこちらに残ります。神様と接するのは、セレスティア様の意識です」
ユリウスの説明を聞き、俺は《神響晶》の前の椅子へ座った。
目を閉じる前に、母を見る。
少し離れた立会いの席から、母が頷いた。
「お話しした内容も、お伝えする必要がございますか?」
「いいえ。神託の内容は、お受けになった方だけのものです。我々に聞こえることはございません」
それなら、挨拶を間違えても家族には知られない。
多少は気が楽になった。
儀式を見届ける年配の大神官長が、俺へ声をかけた。
「始める前に、具合の悪いところはございませんか」
「いいえ。大丈夫です」
目を閉じると、神官たちの声が聞こえた。
最初は、一つ一つの言葉が分かる。
やがて声が遠くなり、椅子の感触も薄れていった。
眠る時とは違う。
頭は、はっきりしていた。
目を開ける。
見渡す限り、空だった。
遠くには青空が広がり、足元には雲のような白い靄が流れている。神官も椅子も、《神響晶》も見えない。
俺は、その真ん中に立っていた。
神様は、どこにいるんだろう。
辺りを見回しながら歩き出そうとした時、足首に柔らかなものが触れた。
見下ろすと、純白の毛をした猫が俺の足に頬を擦りつけていた。
「……猫?」
普通の猫が、一匹いる。
俺の声に耳を動かし、顔を上げた。金色の目が、こちらを見上げる。
しゃがむと、頭をこちらへ寄せてくれる。
いいのか、いいんだな?
「どうしたの〜」
思わず甘い声になって頭を撫でてしまった。
撫でられるほうへ頭を押してくるので、そのまま頬の横も撫でた。
ああ、そこがいいのか。
よしよし。分かった。そこだな~。
『顎の下も頼む』
「ここ?」
『うむ』
顎の下を撫でた。
猫が、満足そうに目を細める。
……待て。
俺は手を止めた。
「今、喋りました?」
『止めなくてよい』
口は動いていない。
でも、言葉は聞こえた。耳からというより、頭の中へ直接入ってくる。
いや待て、待て。神託中だろ。俺は神様に会いに来たんだぞ。猫を撫でに来たんじゃない。……いや、猫は撫でたいけど。
「もしかして、神様なんです、か……?」
『猫の神だ』
手の下で、猫が座り直した。
俺を見上げる顔は、どう見ても猫だ。
「……猫の神様」
『そうだ』
「猫神様、ですか……?」
『それでよい。さて、そろそろ続きを』
猫神様が顎を上げる。
俺は撫でるのを再開した。
「……本当に、神様なんですよね?」
『前の生でも、お前は猫にそういう声をかけていたな』
今度こそ、手が止まった。
「前の生?」
『お前が十八歳で、大学へ通っていた頃だ。アルバイトの帰り道で、車の前へ出た三毛猫を庇った』
誰にも話していない。
男だった頃の俺のことは、レストにも家族にも。一度も。
俺は猫神様を見た。
『あの時、お前を見ていた』
猫神様は、静かに待っていた。
頭の中にいくつも質問が浮かんだが、最初に出たのは一つだった。
「あの子は、助かったんですか?」
『助かった。お前が押し出したあと、道の端へ逃げた』
「……そう、ですか」
手で押した感触は覚えている。
そのあと走れたのか。俺の身体に巻き込まれなかったか。
今さら確かめようもないと思っていた。
「助かったんですね」
『うむ』
「そうですか……。よかった」
思ったより、大きな声になった。
俺は両手で、猫神様の頬の横を撫でた。
「猫神様は、あの子とは別ですよね? 見た目も違いますし……」
『別だ。私が見ていた猫を、お前が助けた』
間に合ったのだ。
最後にしたことが無駄ではなかったと分かって、しばらく同じところを撫で続けていた。
『あれは、雄の三毛猫だった』
「雄の三毛猫?」
『そうだ。とても珍しい。お前は知らなかったのか』
「近所で見かけていただけなので、そこまでは確かめていません」
見つけるたびに、声をかけていた猫だ。
性別どころか、飼われていたのかどうかも知らなかった。
『九つの命を持つ猫を、たった一つしかない自分の命で庇った。しかも、あれほど珍しい三毛猫をだ』
「九つ……」
猫には九つの命がある。
聞いたことはあるが、あの瞬間に勘定したわけではない。
「珍しいと知っていても、同じことをしたと思います。考える暇なんてありませんでしたし」
『だから気に入った』
猫神様は、あっさり言った。
『お前に加護を与え、この世界へ生まれ直せるようにした』
俺は、撫でていた手を止めた。
さっきまで聞いていたのは、あの子の話だ。
今度は、俺の十八年の話になった。
「……私を転生させたのは、猫神様なんですか?」
『そうだ』
「この、治癒魔法も?」
『私の加護が、お前の光の力へ強く現れている。ついでに、毛と目の色もな。私とそっくりだろう』
言われて、猫神様を見直した。
純白の毛並みに、金色の目。
家族で純白の髪をしているのは、俺だけだ。異世界だから、そういうこともあるんだろうと思っていた。
……猫とお揃いだったのかよ。
治癒魔法も、使えるから使ってきた。
家族には才能があると言われたし、俺も、そういう身体に生まれたのだと思っていた。
その理由が今、俺の目の前でお腹を見せて撫でろと催促している。遠慮なく撫でる。
「じゃあ、どうして私は女として生まれたんですか?」
『女を選んだわけではないぞ』
「……え?」
『お前の魂に一番馴染む生まれ方が、今のお前だった。それだけだ』
猫神様は、もっと撫でろと催促する。分かりましたよ。
「……つまり、最初からこれが私の人生だった、ということですか?」
『そうだ』
十八年気になっていたことが、お腹を撫でるついでに片付けられた。
「それなら、もっと早く教えてほしかったです……」
『こちらから勝手にお前の意識へ入り込めるわけではない。神託で道が繋がったから、今こうして話せている』
「黙っていたんじゃなくて、話せなかったんですね」
『そういうことだ。だが、一度繋がった道は消えん。また会えるだろう』
「じゃあ、もう一つ。男の人と結婚しなくて済む方法って、ありませんか……?」
『それは人の縁だ。私の領分ではないな』
「転生はできるのに、そこは駄目なんですか!?」
『まあ、応援してるぞ』
「何を応援するんですか!?」
猫神様が耳を動かした。
「でも、生き直せたことには、感謝しています。あの子が助かったって聞けたのも、嬉しかったです」
『うむ』
「ただ、私、今は猫神様の加護で聖女になりそうなんですけど!?」
『それは、人がつける名だ』
「人がつけるから困るんです。大層な名前をつけられて、毎日ここで猫神様を撫でていれば済むわけじゃないでしょう?」
『毎日来るのか』
「そこに反応しないでください!」
寝転がっていた猫神様が、ゆっくり起き上がって前足を揃えた。
俺は撫でる手を止め、目を合わせる。
「私、そんな大役を引き受けるなんて、まだ言っていませんからね!」
『お前が何と呼ばれるかは、人に任せる。私が気に入ったのは、お前のしたことだ』
人に任せると言われても、外では神官たちが待っている。
神様と、実際に意思を通わせられるか。
ユリウスの説明を思い出した。
「……私、もう普通に会話してしまっていますよね」
『今もしている』
猫神様が顎を上げた。
撫でる場所の注文まで、聞いてしまった。ふわふわだ。
「話す前に考えるつもりだったんですけど」
『では、考える間は撫でておれ』
そうした。
もう手を止めたところで、喋った事実は消えない。
しばらくして、遠くから神官の声が聞こえた。
足元の靄が薄れ、足の裏を支えていた感触がなくなっていく。
『そろそろ戻るようだ。また会える時が来よう』
「その時も、この姿でいてくれますか?」
『ほかの姿がよいのか』
「いいえ。猫がいいです」
俺はもう一度、頭を撫でた。
「あの子のこと、教えてくださってありがとうございます」
返事の代わりに、猫神様が金色の目を細めた。
◇
目を開けると、俺は同じ椅子に座っていた。
目の前に《神響晶》。隣に、ユリウスがいる。
「セレスティア様。無事に、神様とお話しになれましたか?」
俺は背筋を伸ばした。
手も膝の上に揃える。
「……はい。無事にお話しすることができました」
なんなら、話すどころか、頭も顎の下もお腹も無事に撫でてきました。ふわふわでした。
ユリウスは、反応を書き留めた神官から記録を受け取った。
大神官長と《神響晶》を見てから、俺へ向き直る。
「《神響晶》が、神様の側からの応えを捉えております。神様との交信が成り立ったことを、確かめました」
《神響晶》の中には、まだ光が残っていた。
「どのくらい時間が経ったのでしょうか」
「三分ほどです」
随分、撫でたと思ったのに。
母が俺の名を呼んだ。
大神官長が脇へ寄ると、母は椅子のそばまで来た。
「お帰りなさい、セレスティア」
「……はい、お母様」
「立つのは、ゆっくりでいいわ」
母の手を借りて立った。
足には力が入る。ふらつきもしない。
母は俺の顔を確かめてから、ようやく手を放した。
「ほんの少しの間だったのに、ずいぶん長く感じたわ。名前を呼んでよいのか、私には分からなくて」
「ご心配をおかけしました」
「顔を見られたから、もう大丈夫」
母が笑ったので、俺も笑えた。
目の前の猫を撫でている間、ここで母が待っていたことを忘れていた。
大神官長は、ユリウスと記録の項目を読み合わせていた。
それが終わると、俺たちへ告げる。
「神託院で本日の記録を整え、神殿会の審議に付します。正式な認定については、その決定をお待ちください」
「承知いたしました」
俺は母とともに礼をした。
ユリウスは別の神官へ記録を預け、俺たちを控えの部屋へ案内する。
「こちらで、しばらくお休みいただけます。お帰りの前に、記録のうちご本人に確かめていただく箇所をお持ちします」
母と席に着き、俺は出してもらった茶を飲んだ。茶の横には、焼き菓子の皿も添えてあった。
「何か、いただく?」
「……焼き菓子を一つ」
「ええ」
母は俺へ皿を寄せ、自分も一つ取った。
「あなたが戻ったら何を聞こうか、考えていたのに。顔を見たら、忘れてしまったわ」
「私も、聞きたいことを考えてきたはずなのですが」
「お話しできたのね」
「はい。思っていたのとは、違いましたけれど」
だって猫神様だったし……。
ユリウスが、確認用の記録を持って戻ってきた。
俺の名前。儀式の日時。
そして、神様との交信が成立したという記載。
「お名前と日時を、お確かめいただけますか」
「はい。間違いございません」
指示された箇所へ署名した。
ユリウスはその紙を受け取り、残りの記録と重ねて部屋を出ていった。
俺は残っていた茶を飲んだ。
あとは、神殿会の返事を待つだけだ。
◇
四日後の午前、俺は両親とともに、レーヴェル家の応接室で大神官長を迎えた。
差し出された書面には、神殿会の決定が記されている。
「神殿会は、先日の神託記録と《神響晶》の反応を確認し、審議いたしました。その結果、セレスティア・レーヴェル様を、正式に聖女と認定いたしました」
書面を受け取る手は、普段どおり動いた。
「謹んで拝受いたします」
声も、ちゃんと出た。
頭の中だけが、まだ追いついていない。
父が今後の連絡先を確かめ、大神官長は公表までの予定を伝えた。
いくつかの用件が済んでも、書面の俺の名前は消えなかった。
◇
翌日の昼、祝いの挨拶に訪れたレストと、庭園の奥の席へ向かった。
茶が置かれると、侍女は小径を戻り、建物の入口で護衛とともに控えた。
「王宮にも、神殿会から正式な知らせが届いたよ」
ほかに誰も聞いていないのを確かめてから、俺は声を落とした。
「……猫だった」
「何が?」
「俺の神様。猫の神様、猫神様だったんだよ……」
レストが吹き出した。
「猫の神様とは君らしいね」
「どこがだよ!」
こっちは、猫を撫でていたら聖女になったんだぞ!?
もうちょっと困ってくれてもいいだろ。
「それで、神様とはどんな話をしたの?」
「顎の下もお腹も撫でろって」
「君は、撫でたんだろう?」
「そりゃ、撫でたけど……。ふわふわだったし? ……というか、そこまで分かるなよ」
俺が少し半目で睨むと、レストはまた笑い出した。
言うんじゃなかった。いや、他に話す相手も思いつかなかったから、レストに話したんだけど。
「だって猫だったら撫でるだろ。普通に寄ってきたんだぞ」
「うん。君なら、そうすると思う」
「こっちは、ちゃんと神託を受けるつもりだったんだぞ。前の夜なんて怖くて寝られそうになかったのに」
「でも、ちゃんと神託を受けたから、昨日の知らせが来たんじゃないか」
それはそうだ。
そうなんだが、レストに言われると、余計に釈然としない。
ようやく笑い終えたレストが、俺を見る。
「おめでとう、セレスティア」
「全っ然、嬉しくねえよ……!」
そのあとも、どうやって神様を撫でたのかと聞かれ、何度も笑われた。
王宮へ戻る時刻が来るまで、猫の話は続いた。
レストを見送って部屋へ戻ると、さっきまでの笑いが引いた。
机の上には、神殿会からの通達がある。
俺は、男の妻になる未来から逃げたかったのだ。
王太子妃には向かないと思わせて、結婚を考え直してもらうはずだった。
なのに、婚約はそのまま。
王太子妃としての評価も下がっていない。
その上に、聖女まで増えた。
どうして減らしたいものが減らず、引き受けた覚えのないものばかり増えるんだ。
俺は神殿からの通達の文字を睨んだ。
なんで俺が、聖女までやるんだよ!