俺は男と結婚したくないのになんで公爵令嬢で聖女なんだよ! 作:本郷カキツバタ
六月六日。
朝から、王都大神殿の鐘が鳴っていた。
食卓に届いた新聞を開く。
一面の大きな文字を、もう一度読む。
『レグリアに八十年ぶりの聖女誕生』
その下に、少し小さな字で『レーヴェル公爵家のセレスティア様』とあった。
八十年。
前世と今世を足しても、俺はそんなに生きていない。
そんな歴史的な出来事が起きたとされる三分間、俺は猫の顎の下を撫でていた。
いや、神様だった。ちゃんと話もした。
したけど、新聞の見出しに見合う厳かな光景を思い出そうとしても、俺の手に頭をぐいぐい押しつけてくる猫しか浮かばない。
……これで歴史に載るのか、俺?
「お嬢様。お祝いのお手紙が届いております」
侍女が盆を差し出した。
見覚えのある紋章も、ない紋章も重なっている。国の外の封蝋まで混じっていた。
「これで全部かしら」
「今朝までに届いた分でございます」
今朝までに。
つまり、昼にはまだ来る。
俺は新聞を閉じた。
午後には両親と王宮へ、祝いの挨拶を受けに行く。それまでここに座っていたら、届く手紙を一通ずつ数えて過ごすことになりそうだ。
そういえば、注文していた本が届いたと、書店から知らせが来ていた。
「午前中に、本を受け取りに行きたいの。支度をお願いできるかしら」
「かしこまりました」
今日は、一つくらい普段どおりのことをしたい。
本を買って、帰って、読む。
たったそれだけだ。さすがに聖女になってもできるだろ。
◇
「お待ちしておりました、お嬢様。このたびは、おめでとうございます」
いつもの書店主に迎えられ、俺は侍女と店へ入った。護衛は入口のそばに立つ。
「ありがとうございます。お願いしていた本を、受け取りにまいりました」
「はい。こちらに取り置いてございます」
店主が奥の棚から本を出す。
その本を台に置いて、先に来ていた男性へ釣りを渡した。
台の端で本を選んでいた女性が、俺の顔を見た。
「もしかして、聖女様では……?」
「セレスティア・レーヴェルと申します」
「ああ、やっぱり。今朝の新聞でお名前を拝見しましたの。おめでとうございます」
「お気遣いありがとうございます」
「私も、お祝いを申し上げてもよろしいでしょうか」
代金を払い終えた男性まで、こちらへ向き直った。
断る理由はない。お祝いを言ってくれるだけだ。
ありがたい。ありがたいんだけど、本がまだ会計台の向こうにある。
「ありがとうございます。お帰りのところを、お引き留めしてしまって」
「いえ。せっかくお目にかかれましたので」
礼を返すと、今度は通路の向こうで本を選んでいた老婦人が顔を上げた。
「それなら、私も一言だけ」
俺はそちらを向いた。
店主は本を差し出しかけて、また引っ込めた。
「私の祖母は、前の聖女様がいらした頃の話を、よくしてくれましたの。自分もこんな日に立ち会えるとは思いませんでした」
「そうでしたか。お祖母様のお話が、今も残っているのですね」
「ええ。それで、ぜひ申し上げたくて――」
老婦人は大事そうに言葉を選びながら、祝いを伝えてくれた。
その間に、最初の女性もこちらへ寄ってくる。
「私には祖母の話などありませんけれど、本当に嬉しくて」
「ええ。皆様のお気持ちは、十分にいただきました」
にこやかに礼をして、会計台へ戻ろうとしたところで、背後から声がかかった。
「あの、私も――」
またか。
振り向くと、本を二冊抱えた若い男性が立っていた。
「そちらの棚を見ても、よろしいでしょうか?」
「……ええ。どうぞ。失礼いたしました」
俺が塞いでいた。
本屋で本を探したい人を止めてどうする。すみません。
店主が、俺の本を会計台に置いた。
「お嬢様のお品は、こちらでございます。皆様も、お選びになった本をこちらへお持ちください」
俺はようやく台の前へ戻った。
老婦人が一冊選んで持ってきたので、先を譲ろうとする。
「お先にどうぞ」
「とんでもない。聖女様こそ」
「私が、お待たせしていたでしょう」
「お祝いを申し上げていたのですから、どうぞお気になさらず」
「お嬢様、この本は、朝から順番を待っております」
店主が俺の注文品を指した。
老婦人が笑って頷く。
「では、本を待たせてはいけませんね」
「……はい。いただきます」
代金を渡した。店主が包みを侍女へ預けてくれる。
俺は店の客たちへ一度、頭を下げた。
「お買い物のお邪魔をいたしました。お祝いのお言葉、ありがとうございます」
「こちらこそ、お引き留めして」
「いえ、そんな――」
そこまで言って、止めた。
続けるな。終わった話を自分で始めるな。
店主に会釈をして、今度こそ店を出る。
侍女の持つ包みを見て、ちゃんと買えたことを確かめた。
本を一冊買うだけで、こんなに疲れるのか。聖女の称号ってこんなに大変なのかよ……。
◇
通りには祝飾りが増えていた。
雑貨店の軒先でも、店主が飾りを結び終え、余った紙と紐を片づけている。
俺たちがそばを通る時、店主が隣の店の男性へ声をかけた。
「救護院で相談したら、うちの母も診てもらえるだろうか」
「具合が悪いのか?」
「腰を長いこと悪くしていてな。立つ時も、つらそうなんだ。聖女様がいらっしゃるならと思って」
足が止まった。
隣の男性が俺に気づいて口を閉じる。
「失礼いたします。お母様のお具合が、よろしくないのでしょうか」
思わず俺から声をかけると、雑貨店主も振り向いた。
手に持っていた紐を落としかけ、慌てて握り直す。
「これは……。お話を聞かせるつもりでは」
「ええ。私のほうから、伺ってしまいました」
店主は頷いて、片づけた紙を脇へ寄せた。
「母が、もう長いこと。椅子から立つのに、手を貸すことも増えまして」
「今は、どなたかに診ていただいていますか?」
「ええ。ただ、なかなかよくならないので。一度、救護院にも相談してみようかと」
俺は、その母親を見てもいない。
どこがどう悪いのかも、本人が何を望むのかも知らない。
「お力になれるかは、まだ分かりませんけれど。まずは救護院で、お具合をご相談いただけませんか」
「……はい。まず母と話してみます。出かけるのを、億劫がるものですから」
「そうですか。お母様と、よくお話しなさってくださいね」
店主は、俺の顔を見て頷いた。
「声をかけてくださって、ありがとうございます」
礼を返し、歩き出す。
馬車まで戻る間、さっきの店主が紐を握り直した手を思い出していた。
◇
午後、両親と王宮へ向かった。
昼食の席で母に書店の話をすると、受け取った本をちゃんと読めるよう、今日は帰ってから休みましょうね、と言われた。
まだ一頁も読めていない。
朝から本を買うために出かけたんだぞ。せめて読むところまではたどり着きたい。
国王エドワード・レグリア・アークライト陛下が、俺たちを迎えた。
「おめでとう、セレスティア。レーヴェル卿も、気が休まらない一日だろう」
「それが、娘は今朝も『本を買ってまいります』と出かけまして。普段どおりなのは、ありがたいのですが」
父が答えると、陛下が俺を見た。
「本は、買えたのかな?」
「……はい。お祝いをいただくたびにご挨拶をしておりましたので、少し時間はかかりましたが」
「ちゃんと買って帰ってまいりましたよ」
母が横から添えると、陛下が笑った。
王妃ヴィクトリア・レグリア・アークライト陛下が、俺へ手を差し伸べた。
「おめでとう、セレスティア。今日は、落ち着いて朝食を取れましたか?」
「はい。新聞を読むまでは」
「それは、私も同じでした。こんなに大きな見出しになるのですね」
俺の手を取ってから、王妃陛下は微笑んだ。
「食事まで後回しにしないでね。まずは、あなたが元気でいてくれなくては」
「ありがとうございます」
王太子妃に向いていないと思わせるつもりが、聖女として王家に祝われている。
待て。そっちの評価を上げる作戦じゃなかっただろ、俺。
正式な祝いの挨拶を終えると、両親は別件の面談へ向かった。
国の外からも、祝いの使者を送りたいという打診が届き始めているらしい。
近くの国々には、今は聖女が一人もいない。使者が祝いだけを持ってくるとは限らないから、受け方を先に陛下と決めておくとのことだ。
……そういう話が、今朝のうちにもう始まっているのか。
俺は二人を待つ間、小広間で休ませてもらうことになった。
先に置かれていたのは、茶と焼き菓子の皿。
席に着いたところへ、レストが入ってきた。
「次の会議まで、少し時間があるんだ。ご一緒しても?」
「ええ。どうぞ」
侍従がレストにも茶を用意し、入口のそばへ下がる。
レストは菓子を俺へ勧めてから、自分も一つ取った。
「午前中は、何をしていたんだ?」
「本を受け取りに。買うまでに、ずいぶんかかってしまいました」
「まだ届いていなかったのかな?」
「いえ、届いてはいたのです。ですが、お祝いをいただくたびに、私がそちらを向いてしまって」
老婦人と順番を譲り合った話まですると、レストは菓子を置いて、おもむろに片膝をついた。
……どうした?
「それで、聖女様。本日はいかがなさいますか?」
「……殿下までおやめください!」
お前までやめろ! わざわざ芝居までするな! というか王太子が膝をつくなよ。入口に侍従がいるんだぞ!? 怒られるのは俺なんだからな!
口元を引き締めているが、目は笑っている。
この野郎、この前から面白がりやがって……。
「では、何とお呼びすれば?」
「今までどおりで、お願いいたします!」
「では、セレスティア」
「はい」
「今日も、私に菓子を譲ってくれる?」
「それは、呼び方の問題ではございません!」
我慢していたらしい笑いが、とうとう漏れた。
俺もつられて笑ってしまう。
「先ほど、ご自分の分を召し上がったでしょう」
「まだ、ここに一つ残っている」
「ええ。私の分が残っていますね」
俺は残っていた菓子を取った。
聖女になったら、お前への菓子の配分まで増えるのか。そんな加護はないぞ。
「実は、私もこの春に照会を受けたんだ」
「……殿下も、でございますか」
「私にも光属性の適性があるからね。だけど駄目だったよ。神具は、私の前では光らなかった」
椅子に座り直したレストと茶を飲み、話を続ける。
「本は、受け取れたんだね」
「はい。けれど、帰りに気になることがありまして」
レストが俺の言葉の続きを待つ。
俺は雑貨店で声をかけたことと、腰を悪くした店主の母親の話をした。
「治して差し上げられるかも分からないのに、私から伺ってしまいました。相談にいらして、やはりできませんとなったら……」
「その場で、治す約束をしたのかな?」
「いいえ」
「そうか」
レストは、まだ聞いている。
俺は言葉を探した。
「何も知らないまま、治せますとは申し上げられません。でも、聞こえてしまったのに、通り過ぎるのも嫌だったのです」
「うん」
「今朝は、お祝いにどうお返事するかばかり考えていたのに」
レストは、すぐには口を開かなかった。
「……私も、今朝は返事に困ったよ」
「殿下が、ですか?」
「君へのお祝いの席を、もう少し増やせないかと聞かれてね。まず君の都合を確かめたいと言ったんだけれど」
「それで、いけませんでしたか?」
「『殿下のお考えだけでも』と。私が頷けば、君の予定が一つ増えるだろう?」
「……私の予定ですのに」
「そう。だから、まだ返事をしていない。何も決めない王太子と思われたかもしれないけれどね」
「先ほど、私に『治すと約束しましたか』とお尋ねになりましたね」
「うん」
「殿下も、知らないことをお約束なさらなかったのでしょう?」
「……そうだね。君にそう言ってもらえると、助かるよ」
レストが茶器を手に取った。
「今も、お考えになっているところですか?」
「今は、お茶を飲んでいる」
「でしたら、安心いたしました」
「君には、よく聞かれるね。まだ考えているのか、ただ菓子を見ているのか」
「そちらは、区別がつきますので」
「……そこまで分かるのは、君くらいでいい」
レストが茶を飲んだ。
俺も茶器を持つ。
「殿下も、大変でいらっしゃいますね」
「そうだね。だから、君といるときくらいは休ませてほしいな」
「それは、私も同じです。次は、名前だけで呼んでくださいね」
「分かったよ、セレスティア」
今度は、余計な肩書きがつかなかった。
俺は頷き、残っていた茶を飲んだ。
入口で待っていた侍従が進み出る。
「殿下。お時間でございます」
レストが茶器を置いた。
「ああ。今行くよ」
俺も席を立つ。
休みたいと話している間に、休みが終わった。せめてもう一杯分くらい、時間が延びてくれてもいいだろ。
「お茶をご一緒できて、嬉しゅうございました」
「私もだよ。帰ったら、本を読む時間を取ってほしいな」
「はい。殿下も、お休みになる時間を」
レストが会釈を返し、侍従と出ていく。
俺も入口で待っていた侍女と、両親のところへ向かった。